2012年05月21日
39度が示唆するもの
寒気を感じたのは、タイのナコンラーチャシーマーの宿に泊まった朝だった。
その日は、ノンカーイ行きの鈍行に乗ることになっていた。「なんとかなるだろう」と列車に揺られたが、体調は思わしくない。風邪の熱が体を漂っている。
この時期のタイは暑い。とくに東北タイは、日中、気温がぐんぐん上がる。鈍行列車には、もちろん冷房などないから、そう、たぶん車内の気温は40度を超えていたのかもしれない。窓から吹き込む風で、なんとかしのぐ状態だった。
気が遠くなるような感覚に襲われた。体は熱っぽいが、その体温より車内のほうが暑い。なんといったらいいのだろうか。暑さのなかに熱がある、としかいえない感覚……。
忙しい旅を続けていた。
6日前の夕方、日本を発った。暑いバンコクに2泊した。その翌朝の早い便で台北に向かった。梅雨に入った台北は重い雨が降り続いていた。1泊して用事をしませ、香港へ。重い雲に覆われた街は肌寒いほどだった。
香港に1泊してバンコクに。そこに1泊してから、ナコンラーチャシーマー行きの鈍行列車に乗った。
「ちょっと日程に無理があったかなぁ」
濃い緑が目に痛い東北タイの風景を眺めながら、ぼんやりと考えていた。僕は来月の初旬に58歳になる。無意識のうちに、基礎体力がなくなってきているのかもしれない。
今回、台北での用事が終わったとき、どっと疲れが出た記憶がある。あのとき、風邪をひいたのだろうか。
以前、ロングステイビザをとってバンコクに滞在している旅好きの老人がこんな話をしてくれた。彼はバンコクを基点に、中国やネパールによくでかけていた。
「年をとるとね、やはり思うようにいかなくなるんですよ。だから私は、現地では最低2泊の日程は守っています。体調を壊しても、なかの1日で休むことができる日程ね」
そんなことはわかっている……と舌打ちしていた。若くて資金もなく、臆病な旅行者だった頃、僕もそういう日程を組んでいた。現地には明るいうちに到着する飛行機やバスを選んでいた。
そんな旅行者が、ずいぶん生意気な旅をするようになった。アジアに限られたことだが、バンコク、台北、香港、ソウル、上海といった街は年に数回訪れる。空港からのアクセスも慣れている。泊まる宿もだいたい決まっている。
しかし体力が落ちてきたとき、それは過信に変わるのだろう。
東南アジアの気候は、ときに厳しい。我が物顔で旅を続けると、牙を向ける。
ノンカーイからラオスに入り、バンコクに戻った。知人から体温計を借りた。
39度という表示は示唆でもあった。
その夜、熱にうなされながら、ひとつの転機を感じとっていた。
その日は、ノンカーイ行きの鈍行に乗ることになっていた。「なんとかなるだろう」と列車に揺られたが、体調は思わしくない。風邪の熱が体を漂っている。
この時期のタイは暑い。とくに東北タイは、日中、気温がぐんぐん上がる。鈍行列車には、もちろん冷房などないから、そう、たぶん車内の気温は40度を超えていたのかもしれない。窓から吹き込む風で、なんとかしのぐ状態だった。
気が遠くなるような感覚に襲われた。体は熱っぽいが、その体温より車内のほうが暑い。なんといったらいいのだろうか。暑さのなかに熱がある、としかいえない感覚……。
忙しい旅を続けていた。
6日前の夕方、日本を発った。暑いバンコクに2泊した。その翌朝の早い便で台北に向かった。梅雨に入った台北は重い雨が降り続いていた。1泊して用事をしませ、香港へ。重い雲に覆われた街は肌寒いほどだった。
香港に1泊してバンコクに。そこに1泊してから、ナコンラーチャシーマー行きの鈍行列車に乗った。
「ちょっと日程に無理があったかなぁ」
濃い緑が目に痛い東北タイの風景を眺めながら、ぼんやりと考えていた。僕は来月の初旬に58歳になる。無意識のうちに、基礎体力がなくなってきているのかもしれない。
今回、台北での用事が終わったとき、どっと疲れが出た記憶がある。あのとき、風邪をひいたのだろうか。
以前、ロングステイビザをとってバンコクに滞在している旅好きの老人がこんな話をしてくれた。彼はバンコクを基点に、中国やネパールによくでかけていた。
「年をとるとね、やはり思うようにいかなくなるんですよ。だから私は、現地では最低2泊の日程は守っています。体調を壊しても、なかの1日で休むことができる日程ね」
そんなことはわかっている……と舌打ちしていた。若くて資金もなく、臆病な旅行者だった頃、僕もそういう日程を組んでいた。現地には明るいうちに到着する飛行機やバスを選んでいた。
そんな旅行者が、ずいぶん生意気な旅をするようになった。アジアに限られたことだが、バンコク、台北、香港、ソウル、上海といった街は年に数回訪れる。空港からのアクセスも慣れている。泊まる宿もだいたい決まっている。
しかし体力が落ちてきたとき、それは過信に変わるのだろう。
東南アジアの気候は、ときに厳しい。我が物顔で旅を続けると、牙を向ける。
ノンカーイからラオスに入り、バンコクに戻った。知人から体温計を借りた。
39度という表示は示唆でもあった。
その夜、熱にうなされながら、ひとつの転機を感じとっていた。
2012年05月14日
僕とアジアを結ぶ重慶マンション
人にはそれぞれ、旅のスタイルというものがある。多くの人は、若いときの旅でそれが決められていく。
たとえば宿。僕は事前に宿を決めることが苦手だ。というか、好きではない。宿は現地で決めればいいと思っている。
「宿を探すのが大変じゃないですか」
と発想する人は、自分にとっての宿というイメージがある人だろう。自分の感性に合った宿を、値段を考慮しながら探すのはたしかに大変だ。
しかし僕には、宿についてのイメージがない。昔から貧しい旅ばかりしてきたから、受け入れる宿の許容範囲が海のように広くなってしまった。
こういうタイプは、宿を事前に決めることは面倒なことだ。その宿に行かなくてはならないからだ。
いま香港にいる。重慶マンションに泊まっている。なじみのゲストハウスである
昨夜、ひとりの日本人と会った。「どちらに泊まっているのか」と聞かれ、重慶マンションと答えながら、ここ20数年、香港で泊まった宿のほとんどは、重慶マンションであることに気がついた。
重慶マンションは実に都合がいい宿だった。予約というものが必要なかった。なじみのゲストハウスがいっぱいでも、別のゲストハウスを探し出してくれた。泊まることができないということがなかったのだ。
しかし最近の重慶マンションは混みあっている。アフリカ人やインド人の長期滞在者が多いという理由もある。しかし宿のオーナーはこんなことをいった。
「うちもやっているけど、インターネット予約が盛んになって、本来なら重慶マンションのゲストハウスを避けるような人も泊まるようになったんだ。インターネットはすごいけど、昔からのなじみのお客さんが泊まることができなくなっちゃってね」
香港のホテルは高い。安いところを検索していくと、重慶マンションに行き着いてしまうらしい。たしかにスカート姿でスーツケースを引いた女性たちを最近の重慶マンションでは見かける。狭く、けっしてきれいとはいえない部屋のドアを開けたとき、どんな顔をするのだろう、と心配になってしまう女性たちだ。
インターネットには、こんな書き込みも多いという。
「予約した宿とは違う宿に連れていかれた」
それが重慶マンションのよさだった。必ず部屋を確保してくれたゲストハウスのオーナー。彼らのホスピタリティは、インターネット予約の時代では、よくないことらしい。
宿を決めない僕のような旅行者は少数派であることはわかる。いまの予約システムを否定もしない。
しかし、Tシャツに汗をにじませながら、部屋を探してくれた香港人の背中から、
「旅とはいろんな人に助けられてやっと実現するもの」
ということを学んだ。そのなかで生まれてきた人間関係が、僕とアジアを結んでいる。それもまた事実である。
たとえば宿。僕は事前に宿を決めることが苦手だ。というか、好きではない。宿は現地で決めればいいと思っている。
「宿を探すのが大変じゃないですか」
と発想する人は、自分にとっての宿というイメージがある人だろう。自分の感性に合った宿を、値段を考慮しながら探すのはたしかに大変だ。
しかし僕には、宿についてのイメージがない。昔から貧しい旅ばかりしてきたから、受け入れる宿の許容範囲が海のように広くなってしまった。
こういうタイプは、宿を事前に決めることは面倒なことだ。その宿に行かなくてはならないからだ。
いま香港にいる。重慶マンションに泊まっている。なじみのゲストハウスである
昨夜、ひとりの日本人と会った。「どちらに泊まっているのか」と聞かれ、重慶マンションと答えながら、ここ20数年、香港で泊まった宿のほとんどは、重慶マンションであることに気がついた。
重慶マンションは実に都合がいい宿だった。予約というものが必要なかった。なじみのゲストハウスがいっぱいでも、別のゲストハウスを探し出してくれた。泊まることができないということがなかったのだ。
しかし最近の重慶マンションは混みあっている。アフリカ人やインド人の長期滞在者が多いという理由もある。しかし宿のオーナーはこんなことをいった。
「うちもやっているけど、インターネット予約が盛んになって、本来なら重慶マンションのゲストハウスを避けるような人も泊まるようになったんだ。インターネットはすごいけど、昔からのなじみのお客さんが泊まることができなくなっちゃってね」
香港のホテルは高い。安いところを検索していくと、重慶マンションに行き着いてしまうらしい。たしかにスカート姿でスーツケースを引いた女性たちを最近の重慶マンションでは見かける。狭く、けっしてきれいとはいえない部屋のドアを開けたとき、どんな顔をするのだろう、と心配になってしまう女性たちだ。
インターネットには、こんな書き込みも多いという。
「予約した宿とは違う宿に連れていかれた」
それが重慶マンションのよさだった。必ず部屋を確保してくれたゲストハウスのオーナー。彼らのホスピタリティは、インターネット予約の時代では、よくないことらしい。
宿を決めない僕のような旅行者は少数派であることはわかる。いまの予約システムを否定もしない。
しかし、Tシャツに汗をにじませながら、部屋を探してくれた香港人の背中から、
「旅とはいろんな人に助けられてやっと実現するもの」
ということを学んだ。そのなかで生まれてきた人間関係が、僕とアジアを結んでいる。それもまた事実である。
2012年05月07日
代官山と胡同とKビレッジ
人には食事や酒を飲む店のイメージというものがあるらしい。僕のそれは、やはりタイの屋台である。自分ではそんなに限定しているつもりはないのだが、これまで書いてきた本のイメージからすれば、屋台なのである。車の騒音や街の喧噪に晒されながら、屋台の隅でぼんやりしている姿なのだろう。
先日、バンコクのKビレッジというところに出かけた。スクムビット通りとラーマ4世通りに挟まれた一画で、しゃれたチェーン店が多く入っている。値段も高い。そのなかにベトナム料理屋があった。パヨンヨーティン通りのソイ5にあった店だった。
店員はタイ人とは思えないほど、きちんと教育を受けていた。
その話を知人にした。
「下川さんはKビレッジなんて行っちゃいけませんよ」
そういわれてしまった。僕のイメージに合わないのだろう。
東京の代官山に出かけた。まあ、ここも僕のイメージには合わない場所である。夕方、一軒のカフェに入った。店内は満席でテラス席になった。もとは広い一軒家だったのだろうか。その敷地に、打ちっ放しのコンクリートを使った複雑な構造の建物があった。カフェ、宝石店、しゃれた美容院、高級そうなレストランなど入っている。
そのテラスでコーヒーを飲みながら、意識が一瞬、北京に飛んでしまった。
北京の胡同が改築され、こんなつくりになっているところが何カ所もあるのだ。北京のことだから、カフェよりはおしゃれなレストランが多いが。上海でも、オールド上海風の建物を改装し、さまざまな店が入るスタイルが流行っている。
バンコクのKビレッジにしても、その流れだろうか。代官山や北京、上海よりは規模が大きいが、同じコンセプトである。
こういうエリアには、必ず、犬のトイレがある。砂場だったり、おしっこをした後を流すスタイルのところもあるが、このエリアにやってくる人は、犬を飼っている。そして犬を連れてやってくるのがスタイルらしい。
世界規模でみれば、東南アジアや中国は経済成長の枠組みのなかにいる。世界で唯一の成長エリアだといっていい。当然、都市への人口集中が起き、再開発が進んでいく。そこでできあがる街が、どれも欧米を真似したものばかりなのだ。
しかし僕のイメージは、相変わらず、タイの屋台らしい。うろうろしていると、バンコクの街のなかから、そんな屋台は消えてしまうのかもしれない。街の片隅に、どんどん追いやられていくような予感がある。
それが僕が生きてきた57年のアジアなのだろうが。
先日、バンコクのKビレッジというところに出かけた。スクムビット通りとラーマ4世通りに挟まれた一画で、しゃれたチェーン店が多く入っている。値段も高い。そのなかにベトナム料理屋があった。パヨンヨーティン通りのソイ5にあった店だった。
店員はタイ人とは思えないほど、きちんと教育を受けていた。
その話を知人にした。
「下川さんはKビレッジなんて行っちゃいけませんよ」
そういわれてしまった。僕のイメージに合わないのだろう。
東京の代官山に出かけた。まあ、ここも僕のイメージには合わない場所である。夕方、一軒のカフェに入った。店内は満席でテラス席になった。もとは広い一軒家だったのだろうか。その敷地に、打ちっ放しのコンクリートを使った複雑な構造の建物があった。カフェ、宝石店、しゃれた美容院、高級そうなレストランなど入っている。
そのテラスでコーヒーを飲みながら、意識が一瞬、北京に飛んでしまった。
北京の胡同が改築され、こんなつくりになっているところが何カ所もあるのだ。北京のことだから、カフェよりはおしゃれなレストランが多いが。上海でも、オールド上海風の建物を改装し、さまざまな店が入るスタイルが流行っている。
バンコクのKビレッジにしても、その流れだろうか。代官山や北京、上海よりは規模が大きいが、同じコンセプトである。
こういうエリアには、必ず、犬のトイレがある。砂場だったり、おしっこをした後を流すスタイルのところもあるが、このエリアにやってくる人は、犬を飼っている。そして犬を連れてやってくるのがスタイルらしい。
世界規模でみれば、東南アジアや中国は経済成長の枠組みのなかにいる。世界で唯一の成長エリアだといっていい。当然、都市への人口集中が起き、再開発が進んでいく。そこでできあがる街が、どれも欧米を真似したものばかりなのだ。
しかし僕のイメージは、相変わらず、タイの屋台らしい。うろうろしていると、バンコクの街のなかから、そんな屋台は消えてしまうのかもしれない。街の片隅に、どんどん追いやられていくような予感がある。
それが僕が生きてきた57年のアジアなのだろうが。
2012年04月30日
浅草駅にいたデスク
浅草によく出かけていた時代があった。新聞社に勤めていた時代だ。会社は大手町にあったから、浅草は意外に近かった。
もう30年も前になる。
当時の浅草は、寂しい街だった。雷門があり、仲見世が続き、浅草寺があった。昼間は外国人観光客やはとバスの観光客もやってきた。場外馬券売り場があったから、休日はそれなりの賑わいを保っていた。
しかし平日の夜は、火が消えたように暗かった。仕事が終わってから出向くから、僕が浅草に行くのは、かなり遅い時間帯である。開いている店は限られていた。
居酒屋の類はもう終わっていて、スナックとか、喫茶店の世界だった。
終電を逃すと、よく隅田川を渡った。本所吾妻橋に何軒かのもんじゃ焼き屋があった。そこで酒を飲むことがコースになっていた時期もあった。近くには、1泊1500円ほどで泊まることができる宿が何軒かあった。3畳ひと間のなにもない部屋に、布団だけが敷いてある宿だった。ドヤではなかった。安い連れ込み宿の類だったが、ひとりで泊まることもできた。
当時、本所吾妻橋に実家のある女性とつきあっていた。隅田川を渡るのは、彼女を家まで送り届けるためだった。
いつも悩んでいた。一応、新聞社の入ったが、望む仕事にはなかなか就けなかった。いつか辞めるだろう……という漠然とした予感はあったが、それがいつなのかもわからなかった。
新聞社が発行する月刊誌に配属された。同じ編集部で働いていた女性とつきあうようになった。俗にいう社内恋愛である。
仕事時間は不規則で、忙しいときは、連日深夜、というより朝方まで机にはりついていた。そんな生活では、女性と知り合うこともままならない。新聞社は社内恋愛の多い世界でもあった。
浅草で彼女と会い、その日は電車でアパートに帰ろうとした。そのとき、浅草駅の柱の陰に、編集部のデスクの姿を目撃してしまった。彼はさっと身を隠したが。
僕らを監視している……。あれは編集長からの指示だったのか、デスクの独断だったのだろうか。
しかしデスクの姿を見たとき、背筋に冷たいものが走った。会社というものの怖さに足許を掬われそうだった。
会社を辞めたのは、それから1年半ほど後のことだった。
久しぶりに浅草にでかけた。ホッピー通りの店に入った。30年前、しんとしていた通りが、やけに賑やかになっていた。行き場のないおじさんたちがたむろしていた一画のような記憶がある。そこが若い女性がやってくる通りになっていた。その光景が、ちょっと眩しかった。
もう30年も前になる。
当時の浅草は、寂しい街だった。雷門があり、仲見世が続き、浅草寺があった。昼間は外国人観光客やはとバスの観光客もやってきた。場外馬券売り場があったから、休日はそれなりの賑わいを保っていた。
しかし平日の夜は、火が消えたように暗かった。仕事が終わってから出向くから、僕が浅草に行くのは、かなり遅い時間帯である。開いている店は限られていた。
居酒屋の類はもう終わっていて、スナックとか、喫茶店の世界だった。
終電を逃すと、よく隅田川を渡った。本所吾妻橋に何軒かのもんじゃ焼き屋があった。そこで酒を飲むことがコースになっていた時期もあった。近くには、1泊1500円ほどで泊まることができる宿が何軒かあった。3畳ひと間のなにもない部屋に、布団だけが敷いてある宿だった。ドヤではなかった。安い連れ込み宿の類だったが、ひとりで泊まることもできた。
当時、本所吾妻橋に実家のある女性とつきあっていた。隅田川を渡るのは、彼女を家まで送り届けるためだった。
いつも悩んでいた。一応、新聞社の入ったが、望む仕事にはなかなか就けなかった。いつか辞めるだろう……という漠然とした予感はあったが、それがいつなのかもわからなかった。
新聞社が発行する月刊誌に配属された。同じ編集部で働いていた女性とつきあうようになった。俗にいう社内恋愛である。
仕事時間は不規則で、忙しいときは、連日深夜、というより朝方まで机にはりついていた。そんな生活では、女性と知り合うこともままならない。新聞社は社内恋愛の多い世界でもあった。
浅草で彼女と会い、その日は電車でアパートに帰ろうとした。そのとき、浅草駅の柱の陰に、編集部のデスクの姿を目撃してしまった。彼はさっと身を隠したが。
僕らを監視している……。あれは編集長からの指示だったのか、デスクの独断だったのだろうか。
しかしデスクの姿を見たとき、背筋に冷たいものが走った。会社というものの怖さに足許を掬われそうだった。
会社を辞めたのは、それから1年半ほど後のことだった。
久しぶりに浅草にでかけた。ホッピー通りの店に入った。30年前、しんとしていた通りが、やけに賑やかになっていた。行き場のないおじさんたちがたむろしていた一画のような記憶がある。そこが若い女性がやってくる通りになっていた。その光景が、ちょっと眩しかった。
2012年04月23日
「男だから……」という言葉の古風な響き
「僕は男だから」
最近、この言葉を遣うことが、ときどき、ある。女性から相談を受けたとき、つい、口にしてしまうのだ。意味のないことだと知りつつも。
先週、沖縄にいた。原発の放射能から子どもを連れて避難した奥さんだった。ご主人は東京で働いている。
避難から10ヵ月ほどがたち、小学生の子どもの教育で悩みはじめた。沖縄の小学校の学力の低さが気になっている。
「いまは3年生だから、それほどないんですけど、高学年になると……」
タイのバンコクでも同じような相談を受けた。やはり放射能が怖く、幼い子どもを連れて、バンコクに移り住んだ。はじめは快適だったが、しだいにバンコクという街の欠点が気になってくる。バンコクには、日本ならどこにもある児童公園がない。戸外で思いっきり遊ばせることができない。やはりご主人は日本で働いている。
放射能が怖いことはよくわかる。子どもが小さければなおさらだろう。しかし、天秤にかけてほしいのは、放射能への心配と、父親のいない家庭という問題である。
彼女らの話のなかでは、父親の存在感が薄い。僕も海外に出ることが多いから、反論する筋合いではないかもしれないが、どうしても父親を擁護してしまう。
「僕は男だから……」という前置きの先に、「家庭のなかの父親の存在をもっと評価してほしい」という思いを滲ませてしまう。
アジアを訪ねた若い女性から、こんな話も聞く。
「イケメンで清潔感があって、ステキって思う男性って、よく訊くと、だいたいゲイなんです。普通の男って、ぜんぜん、カッコよくない」
ゲイはファッションに気を遣う人が多い。肌も手入れされ、日にも焼けていない。彼らの美意識のなかで、おしゃれは重要な位置を占める。
しかし普通の男は、服装にも無頓着でシャワーの浴び方もおざなりだったりする。いつも同じようなものを着ていたり……と、おしゃれに関心すらない男もいる。
そこでまた、「僕は男だから……」という言葉を口にしてしまう。男の魅力とは、おしゃれと無縁とはいわないが、別の価値観のなかで生きていく男が発散していくものだと思うのだ。
東南アジアには、もともと頼りにならないのが男が多い。しかし日本では、男が背負うものが大きく、しっかりしなければいけない社会だった。そのたががゆるみはじめたのだろう。そのなかで普通の男の存在価値が、しだいに薄くなっているということだろうか。「男だから……」という言葉は、妙に古風に響いてしまうのである。
最近、この言葉を遣うことが、ときどき、ある。女性から相談を受けたとき、つい、口にしてしまうのだ。意味のないことだと知りつつも。
先週、沖縄にいた。原発の放射能から子どもを連れて避難した奥さんだった。ご主人は東京で働いている。
避難から10ヵ月ほどがたち、小学生の子どもの教育で悩みはじめた。沖縄の小学校の学力の低さが気になっている。
「いまは3年生だから、それほどないんですけど、高学年になると……」
タイのバンコクでも同じような相談を受けた。やはり放射能が怖く、幼い子どもを連れて、バンコクに移り住んだ。はじめは快適だったが、しだいにバンコクという街の欠点が気になってくる。バンコクには、日本ならどこにもある児童公園がない。戸外で思いっきり遊ばせることができない。やはりご主人は日本で働いている。
放射能が怖いことはよくわかる。子どもが小さければなおさらだろう。しかし、天秤にかけてほしいのは、放射能への心配と、父親のいない家庭という問題である。
彼女らの話のなかでは、父親の存在感が薄い。僕も海外に出ることが多いから、反論する筋合いではないかもしれないが、どうしても父親を擁護してしまう。
「僕は男だから……」という前置きの先に、「家庭のなかの父親の存在をもっと評価してほしい」という思いを滲ませてしまう。
アジアを訪ねた若い女性から、こんな話も聞く。
「イケメンで清潔感があって、ステキって思う男性って、よく訊くと、だいたいゲイなんです。普通の男って、ぜんぜん、カッコよくない」
ゲイはファッションに気を遣う人が多い。肌も手入れされ、日にも焼けていない。彼らの美意識のなかで、おしゃれは重要な位置を占める。
しかし普通の男は、服装にも無頓着でシャワーの浴び方もおざなりだったりする。いつも同じようなものを着ていたり……と、おしゃれに関心すらない男もいる。
そこでまた、「僕は男だから……」という言葉を口にしてしまう。男の魅力とは、おしゃれと無縁とはいわないが、別の価値観のなかで生きていく男が発散していくものだと思うのだ。
東南アジアには、もともと頼りにならないのが男が多い。しかし日本では、男が背負うものが大きく、しっかりしなければいけない社会だった。そのたががゆるみはじめたのだろう。そのなかで普通の男の存在価値が、しだいに薄くなっているということだろうか。「男だから……」という言葉は、妙に古風に響いてしまうのである。
2012年04月17日
駅弁というブランド
篠突く雨が降っている。那覇にいる。
移動の日々が続くと、つい、弁当を食べることが多くなる。
昨日の昼は、名護で弁当を食べた。
沖縄の弁当は安い。昨日買ったそれは、ボリュームたっぷりで300円だった。沖縄の弁当にはもうひとつ特徴がある。ご飯の上から、ゴーヤーチャンプルーなどの炒め物を載せることだ。炒め汁は当然、ご飯に染みこんでいく。
「そこがおいしいさー」
沖縄の人はそういうが、本土からやってきた人のなかには、顔をしかめる人もいる。
「ご飯は白いままで食べる。おかずは別です。こんなにご飯を汚してしまって」
白飯至上主義というのだろうか。
先週は北海道にいた。駅弁を何回か食べた。同行したカメラマンに訊いてみた。彼は鉄道ファンでなにかと詳しいのだ。
「どうして駅弁って、こんなに高いの? コンビニには500円を切るような弁当がいっぱい並んでいるというのに、駅弁は1000円以上。これも1050円」
「そりゃ、下川さん、JRがとっているから。駅弁ってひとつのブランドなんです」
小樽駅で買った北海手網という駅弁を見つめてしまった。
最近、こういうことが気になる。ほかの雑誌のエッセイにも書いたが、日本の定価主義というものの本質が気になるのだ。
先日、あるパッケージツアー会社の方から、こんな話を聞いた。
「ツアー後のアンケートで、いちばん多いには、現地でぼられたという苦情です。たいした額ではないんですが」
たとえばバンコクのバスターミナルの売店。そこで買った水が、市内で買う水より5バーツ高かったとする。そういうとき、日本人はぼられたという。しかしバスターミナルの店は、テナント料を払っている。それを水代に乗せている可能性が高い。
そんな日本人は、日本の列車に乗り、駅弁を買っても、「ぼられた」とはいわない。JRが駅弁というブランド代をとっていることを知らない人も多い。
日本のほうが狡猾ではないか。そう思うことがある。アジアでは、そういう料金を個人の物売りが、客と向き合って回収していく。しかし日本は、システムとして組み込み、定価というものを設定してしまうのだ。
たしかに定価主義のほうが、買い物はスムーズかもしれない。しかしその背後で動いている金は見えにくくなってしまう。
アジアには法外にぼる人もいるが、正直にぼる人のほうが多い。そのあたりを客に説明できないから、買った日本人は、「ぼられた」と苦情を口にするのだ。
それが日本とアジアの溝なのだろうか。
移動の日々が続くと、つい、弁当を食べることが多くなる。
昨日の昼は、名護で弁当を食べた。
沖縄の弁当は安い。昨日買ったそれは、ボリュームたっぷりで300円だった。沖縄の弁当にはもうひとつ特徴がある。ご飯の上から、ゴーヤーチャンプルーなどの炒め物を載せることだ。炒め汁は当然、ご飯に染みこんでいく。
「そこがおいしいさー」
沖縄の人はそういうが、本土からやってきた人のなかには、顔をしかめる人もいる。
「ご飯は白いままで食べる。おかずは別です。こんなにご飯を汚してしまって」
白飯至上主義というのだろうか。
先週は北海道にいた。駅弁を何回か食べた。同行したカメラマンに訊いてみた。彼は鉄道ファンでなにかと詳しいのだ。
「どうして駅弁って、こんなに高いの? コンビニには500円を切るような弁当がいっぱい並んでいるというのに、駅弁は1000円以上。これも1050円」
「そりゃ、下川さん、JRがとっているから。駅弁ってひとつのブランドなんです」
小樽駅で買った北海手網という駅弁を見つめてしまった。
最近、こういうことが気になる。ほかの雑誌のエッセイにも書いたが、日本の定価主義というものの本質が気になるのだ。
先日、あるパッケージツアー会社の方から、こんな話を聞いた。
「ツアー後のアンケートで、いちばん多いには、現地でぼられたという苦情です。たいした額ではないんですが」
たとえばバンコクのバスターミナルの売店。そこで買った水が、市内で買う水より5バーツ高かったとする。そういうとき、日本人はぼられたという。しかしバスターミナルの店は、テナント料を払っている。それを水代に乗せている可能性が高い。
そんな日本人は、日本の列車に乗り、駅弁を買っても、「ぼられた」とはいわない。JRが駅弁というブランド代をとっていることを知らない人も多い。
日本のほうが狡猾ではないか。そう思うことがある。アジアでは、そういう料金を個人の物売りが、客と向き合って回収していく。しかし日本は、システムとして組み込み、定価というものを設定してしまうのだ。
たしかに定価主義のほうが、買い物はスムーズかもしれない。しかしその背後で動いている金は見えにくくなってしまう。
アジアには法外にぼる人もいるが、正直にぼる人のほうが多い。そのあたりを客に説明できないから、買った日本人は、「ぼられた」と苦情を口にするのだ。
それが日本とアジアの溝なのだろうか。
2012年04月11日
鈍行列車から眺める無残な光景
東京は桜が真っ盛りだというのに、雪の北海道にいる。それも昨夜は稚内にいた。気温は氷点下。春の嵐が吹き荒れた東京から、冬に戻ってしまった感がある。
春の嵐は、北海道では吹雪になり、「4月になって除雪車が出動したのははじめて」と地元の新聞が報じていた。
今年はなぜか、寒い土地に縁がある。2月には、マイナス20度にもなった中国のウルムチにいた。
北海道はまだ冬だが、店や宿はきっちりと暖房が効いているから、とりたて辛いこともない。寒さに震えて眠ることができないという中国とは違う。
北海道にやってきたのは、鈍行列車に乗るという取材である。今朝、6時台の列車に稚内から乗り、いま、上川という街まで着いた。列車の乗り換え時間にこの原稿を書いている。日本の鈍行は通勤・通学用になっているから、昼間の運行は極端に少ない。乗り換え時間といっても、2時間も待たなくてはならない。
今日、3つの列車を乗り継いできたが、どれも1両しかなかった。たった1両の列車が、雪のなかをとことこと進むのだ。
稚内、音威子府、名寄、新旭川、上川と進んできた。停車した駅は、もう70近くになっていると思うが、そのなかで、駅員がいるのは10駅もない。あとはすべて無人駅なのだ。
JRのなかでも、北海道はその経営が苦しいと聞いているが、ここまで進んでいるとは思わなかった。職員がいない駅が、線路に沿って延々と続いているのだ。
1両しかない鈍行だから、車内販売など望めない。乗り換え駅の売店や駅前の店で、食べ物を買えばいいか……と思っていたが、北海道の過疎化は、また想像以上なのである。無人駅だらけだから、駅の売店などない。駅前には、コンビニどころか店が1軒もないことが多かった。北海道で鈍行に乗って旅をするためには、事前に食料を用意しておかなくてはならない。もうそんな世界なのだ。
雪のなかをとことこと進む列車に乗りながら、アジアの鈍行列車の光景が浮かびあがってしかたなかった。とくにタイは、鈍行列車でも、必ず物売りが乗り込んでくる。地元のおばさんが多い。それぞれ、工夫した食べ物を家でつくり、笑顔と一緒に乗り込んでくる。彼女らにとったら、ちょっとしたアルバイト感覚である。
通路には、必ずといっていいほど物売りが歩いている。ときに座席に座り、乗客と話し込む。アジアの列車の賑やかさを、たまらなく羨ましく思った。
飛行機やバスの早さや安さに押され、列車の存在価値が薄れていくのは、タイも日本も変わらない。しかし日本の鉄道は、きちんとした運営を目指したばかりに、一度、その歯車が合わなくなると、無残さばかりが目だってきてしまうのだ。カーテンが閉められ、誰もいない駅舎ばかり見続ける旅は辛い。
(4月6日)
春の嵐は、北海道では吹雪になり、「4月になって除雪車が出動したのははじめて」と地元の新聞が報じていた。
今年はなぜか、寒い土地に縁がある。2月には、マイナス20度にもなった中国のウルムチにいた。
北海道はまだ冬だが、店や宿はきっちりと暖房が効いているから、とりたて辛いこともない。寒さに震えて眠ることができないという中国とは違う。
北海道にやってきたのは、鈍行列車に乗るという取材である。今朝、6時台の列車に稚内から乗り、いま、上川という街まで着いた。列車の乗り換え時間にこの原稿を書いている。日本の鈍行は通勤・通学用になっているから、昼間の運行は極端に少ない。乗り換え時間といっても、2時間も待たなくてはならない。
今日、3つの列車を乗り継いできたが、どれも1両しかなかった。たった1両の列車が、雪のなかをとことこと進むのだ。
稚内、音威子府、名寄、新旭川、上川と進んできた。停車した駅は、もう70近くになっていると思うが、そのなかで、駅員がいるのは10駅もない。あとはすべて無人駅なのだ。
JRのなかでも、北海道はその経営が苦しいと聞いているが、ここまで進んでいるとは思わなかった。職員がいない駅が、線路に沿って延々と続いているのだ。
1両しかない鈍行だから、車内販売など望めない。乗り換え駅の売店や駅前の店で、食べ物を買えばいいか……と思っていたが、北海道の過疎化は、また想像以上なのである。無人駅だらけだから、駅の売店などない。駅前には、コンビニどころか店が1軒もないことが多かった。北海道で鈍行に乗って旅をするためには、事前に食料を用意しておかなくてはならない。もうそんな世界なのだ。
雪のなかをとことこと進む列車に乗りながら、アジアの鈍行列車の光景が浮かびあがってしかたなかった。とくにタイは、鈍行列車でも、必ず物売りが乗り込んでくる。地元のおばさんが多い。それぞれ、工夫した食べ物を家でつくり、笑顔と一緒に乗り込んでくる。彼女らにとったら、ちょっとしたアルバイト感覚である。
通路には、必ずといっていいほど物売りが歩いている。ときに座席に座り、乗客と話し込む。アジアの列車の賑やかさを、たまらなく羨ましく思った。
飛行機やバスの早さや安さに押され、列車の存在価値が薄れていくのは、タイも日本も変わらない。しかし日本の鉄道は、きちんとした運営を目指したばかりに、一度、その歯車が合わなくなると、無残さばかりが目だってきてしまうのだ。カーテンが閉められ、誰もいない駅舎ばかり見続ける旅は辛い。
(4月6日)
2012年04月02日
窓のない部屋に泊まる
部屋を飾るもの……考えてみると、いままで人生で1回も買ったことがない。絵はもちろん、壁掛け、置物……やはりなにもない。いま、原稿を書いている部屋を眺めてみるが、やはりない。いくつかの本棚の間に、もらったカレンダーが掲げてあるだけだ。日本画が2枚あるが、これもいただいたものだ。
部屋を飾る……。おそらく僕は、これまでの人生で、1回も考えてこなかったのだろう。なんだか寂しくなってくる。
東京駅に近い東京国際フォーラムで開かれた『アートフェア東京2012』にでかけた。これは日本のギャラリーや画商が集まり、自分がかかえる作家の作品を展示し、販売していくイベントである。世界的にこの種のイベントが盛況なのだという。
点在するギャラリーをまわるのは大変なことだ。それが一同に集まるわけだから、人気が集まるのも頷ける。
しかし1点10万円を超えるような絵画などのアートである。ギャラリーがいつも閑散としているように、一部のコレクターがやってくる場所だと思っていた。
しかしその入り口の立って戸惑った。大変な人なのだ。入場制限が起きるほどで、
「最後尾はこちらです」
という係員の声が響いていた。
そこに並ぶのは、白髪が目立つようなコレクターではなかった。ごく普通の日本人たちなのである。それも無料ではない。当日券は2000円もする。
ここに作品を展示している作家に訊くと、若い人の多くは、芸術大学の学生ではないかという。しかしそれ以外の人は、気に入った作品があれば買いたいと思っている人らしい。
おそらくその感覚が普通なのだろう。僕のようにインテリアにはまったく関心がない人間のほうが少数派なのだ。
海外のホテルに泊まることが多い。バックパッカーのように旅をしてきたから、かなりひどい部屋でも寝ることはできる。きっとはじめの頃は、僕にも部屋へのこだわりがあったのかもしれないが、こういう旅をするうちに、許容範囲はめちゃくちゃ広くなってしまった。それができるのも、きっと、部屋というものへのこだわりが少ないタイプだからなのだろう。
しかしちょっと避けたい部屋もある。それは窓のない部屋だ。中国や台湾のホテルでときどきでくわす。中国では最近、チェーンホテルが急増している。そのなかで、いちばん安い部屋を選ぶと、ときに窓がない。
あれだけ広い国土をもっているというのに、平気で窓なし部屋を設計してしまう。
しかしそんな部屋になっても、追加料金を払って、部屋を変えてもらうことはない。
「次にくるときには別の部屋にするか」
とその部屋で寝てしまう。こうして僕の部屋への許容範囲は、また広がっていく。
部屋を飾る……。おそらく僕は、これまでの人生で、1回も考えてこなかったのだろう。なんだか寂しくなってくる。
東京駅に近い東京国際フォーラムで開かれた『アートフェア東京2012』にでかけた。これは日本のギャラリーや画商が集まり、自分がかかえる作家の作品を展示し、販売していくイベントである。世界的にこの種のイベントが盛況なのだという。
点在するギャラリーをまわるのは大変なことだ。それが一同に集まるわけだから、人気が集まるのも頷ける。
しかし1点10万円を超えるような絵画などのアートである。ギャラリーがいつも閑散としているように、一部のコレクターがやってくる場所だと思っていた。
しかしその入り口の立って戸惑った。大変な人なのだ。入場制限が起きるほどで、
「最後尾はこちらです」
という係員の声が響いていた。
そこに並ぶのは、白髪が目立つようなコレクターではなかった。ごく普通の日本人たちなのである。それも無料ではない。当日券は2000円もする。
ここに作品を展示している作家に訊くと、若い人の多くは、芸術大学の学生ではないかという。しかしそれ以外の人は、気に入った作品があれば買いたいと思っている人らしい。
おそらくその感覚が普通なのだろう。僕のようにインテリアにはまったく関心がない人間のほうが少数派なのだ。
海外のホテルに泊まることが多い。バックパッカーのように旅をしてきたから、かなりひどい部屋でも寝ることはできる。きっとはじめの頃は、僕にも部屋へのこだわりがあったのかもしれないが、こういう旅をするうちに、許容範囲はめちゃくちゃ広くなってしまった。それができるのも、きっと、部屋というものへのこだわりが少ないタイプだからなのだろう。
しかしちょっと避けたい部屋もある。それは窓のない部屋だ。中国や台湾のホテルでときどきでくわす。中国では最近、チェーンホテルが急増している。そのなかで、いちばん安い部屋を選ぶと、ときに窓がない。
あれだけ広い国土をもっているというのに、平気で窓なし部屋を設計してしまう。
しかしそんな部屋になっても、追加料金を払って、部屋を変えてもらうことはない。
「次にくるときには別の部屋にするか」
とその部屋で寝てしまう。こうして僕の部屋への許容範囲は、また広がっていく。
2012年03月26日
丸いパンとザーサイをいつ食べるか
久しぶりに夜行便で日本に帰国した。ベトナムのハノイを深夜に発ち、早朝の6時半に成田空港に着いた。
ハノイを出発したのが0時半だった。飲み物やピーナツが配られ、しばらくハリウッド映画を観ていた。しかしさすがに眠くなる。
運よく隣の席が空いていた。体を横にしてしばらく寝た。物音で目が覚めた。通路に機内食のカートを前に客室乗務員が立っていた。
「ジャパニーズスタイルとウエスタンスタイルのどちらにしますか?」
「……それは夕食?それとも朝食ですか?」
「朝食です」
客室乗務員はにこやかに答えてくれたが、時計を見ると午前3時だった。日本時間では午前5時になる。到着時間を考えれば、やはり朝食だろうか。
タイやベトナムから日本に向かう夜行便の食事にはいつも戸惑う。航空会社も悩んでいるのだろう。ハノイから成田空港に向かうベトナム航空便は、かつて出発して間もなく、夕食が出されたような気がする。ベトナム時刻の午前1時すぎに夕食を提供するか、午前3時に朝食を出すかという問題である。
航空会社が悩むのはわかるが、こちらの体はひとつなのだ。
バンコクを深夜に発ち、午前7時頃に上海に着く中国東方航空便がある。この便で出される機内食は、秀逸といっていいのか、斬新といいのかわからない。
はじめてこの食事を見たときは、目が点になった。ペカペカのプラスチックのボックスが配られ、それを開けると、すべてビニールに入った次のものがでてきた。
丸いパン
チョコチップ
パウンドケーキ
クッキー
ザーサイ
ポテトチップス
キットカット
これがすべてである。どう食べたらいいのだろうか。おやつに菓子は食べても、これだけ一度には食べる人がどこにいるだろうか。
しかし機内食である。飛行機のなかで食事だ出るから……と夕食を抜いた人は、これで腹を満たすことになる。
難しいのは、パンとザーサイの存在だろう。はじめに食べたらいいのか、途中がいいのか。とくにザーサイはどこで食べても食い合わせが悪い。ザーサイをつまみながら、キットカットというわけにはいかないだろう。
結局、丸いパンにザーサイを挟んで食べた。それが正しいとか間違っているという問題ではない。
夜行便の機内食に悩んだ末のメニューなのかもしれないが、菓子を適当にみつくろって詰めただけのようにも思える。
その後、この便には何回か乗っている。中国東方航空は、この機内食を変えてはいない。ポテトチップスがリンゴチップスになったり、ザーサイが大根漬けになることはあるが。
ハノイを出発したのが0時半だった。飲み物やピーナツが配られ、しばらくハリウッド映画を観ていた。しかしさすがに眠くなる。
運よく隣の席が空いていた。体を横にしてしばらく寝た。物音で目が覚めた。通路に機内食のカートを前に客室乗務員が立っていた。
「ジャパニーズスタイルとウエスタンスタイルのどちらにしますか?」
「……それは夕食?それとも朝食ですか?」
「朝食です」
客室乗務員はにこやかに答えてくれたが、時計を見ると午前3時だった。日本時間では午前5時になる。到着時間を考えれば、やはり朝食だろうか。
タイやベトナムから日本に向かう夜行便の食事にはいつも戸惑う。航空会社も悩んでいるのだろう。ハノイから成田空港に向かうベトナム航空便は、かつて出発して間もなく、夕食が出されたような気がする。ベトナム時刻の午前1時すぎに夕食を提供するか、午前3時に朝食を出すかという問題である。
航空会社が悩むのはわかるが、こちらの体はひとつなのだ。
バンコクを深夜に発ち、午前7時頃に上海に着く中国東方航空便がある。この便で出される機内食は、秀逸といっていいのか、斬新といいのかわからない。
はじめてこの食事を見たときは、目が点になった。ペカペカのプラスチックのボックスが配られ、それを開けると、すべてビニールに入った次のものがでてきた。
丸いパン
チョコチップ
パウンドケーキ
クッキー
ザーサイ
ポテトチップス
キットカット
これがすべてである。どう食べたらいいのだろうか。おやつに菓子は食べても、これだけ一度には食べる人がどこにいるだろうか。
しかし機内食である。飛行機のなかで食事だ出るから……と夕食を抜いた人は、これで腹を満たすことになる。
難しいのは、パンとザーサイの存在だろう。はじめに食べたらいいのか、途中がいいのか。とくにザーサイはどこで食べても食い合わせが悪い。ザーサイをつまみながら、キットカットというわけにはいかないだろう。
結局、丸いパンにザーサイを挟んで食べた。それが正しいとか間違っているという問題ではない。
夜行便の機内食に悩んだ末のメニューなのかもしれないが、菓子を適当にみつくろって詰めただけのようにも思える。
その後、この便には何回か乗っている。中国東方航空は、この機内食を変えてはいない。ポテトチップスがリンゴチップスになったり、ザーサイが大根漬けになることはあるが。
2012年03月19日
「宮迫です」で笑えない
どういう旅人に映っているのだろうか。改めて考え込んでしまった。
いまカンボジアのシュムリアップにいる。3日前、タイのバンコクから列車とバスでやってきた。僕にとっては、はじめてのルートではない。勝手知ったる……というほどでもないが、ある程度はわかる。
しかしタイのアランヤプラテートからポイペトに抜ける国境は、そのシステムが変わっていた。カンボジアに入国すると、無料バスが待っていて、バスターミナルまで送るスタイルになっていた。
シュムリアップに着いて、この無料バスに乗らなくてもいいことがわかった。が、通過する旅行者は皆、無料バスに乗っていく。こういうスタイルになったのか、と僕もバスの席についた。無料だから気も楽だった。
立派なバスターミナルができていた。相乗りタクシーもあったが、客が集まらず、若い旅行者たちと一緒に、そこからシュムリアップに向かうバスに乗った。9ドルだった。
乗客のなかに5人ほどの日本人の大学生がいた。ゲストハウスはどこにしようか……とガイドブックを読みながら話していた。
途中、30分ほどの休憩があった。そこに何人かの子供たちがいて、旅行者に話しかけてくる。ひとりの女の子が、日本人の学生たちの前でこういった。
「宮迫です」
大ウケだった。学生たちは、「宮迫です」の女の子に向けて何回もシャッターを押す。
しかし僕は笑えなかった。いったいどれほどの国の子供たちの口から、このギャグを聞いてきただろうか。いまさら笑えというのだろうか。
休憩が終わり、皆、バスに乗り込んだ。学生のひとりが、話しかけてきた。僕の隣にいたイギリス人と席を替わったらしい。しかし言葉は英語だった。
そこで日本語で返せばよかったのかもしれない。しかし「宮迫です」に笑いもせずに立っていた僕である。僕は英語で返事をした。
彼らは再び、「宮迫です」で盛り上がり、ゲストハウスをどこにするか話している。
ここで口を開いたら、訳知り顔で、シュムリアップの話をすることになるのだろう、と思った。そういう自分が嫌だった。
アジアを旅することが多い。旅の知識は多くなっていく。しかしそれ話すことが、最近は鬱陶しい。57歳という歳がいけないのかもしれない。
どんどん気難しそうな旅行者になってきている気がする。なぜ、軽い旅話ができないのだろう。
バスのなかで黙っている僕を学生たちはどう思ったのだろうか。
いまカンボジアのシュムリアップにいる。3日前、タイのバンコクから列車とバスでやってきた。僕にとっては、はじめてのルートではない。勝手知ったる……というほどでもないが、ある程度はわかる。
しかしタイのアランヤプラテートからポイペトに抜ける国境は、そのシステムが変わっていた。カンボジアに入国すると、無料バスが待っていて、バスターミナルまで送るスタイルになっていた。
シュムリアップに着いて、この無料バスに乗らなくてもいいことがわかった。が、通過する旅行者は皆、無料バスに乗っていく。こういうスタイルになったのか、と僕もバスの席についた。無料だから気も楽だった。
立派なバスターミナルができていた。相乗りタクシーもあったが、客が集まらず、若い旅行者たちと一緒に、そこからシュムリアップに向かうバスに乗った。9ドルだった。
乗客のなかに5人ほどの日本人の大学生がいた。ゲストハウスはどこにしようか……とガイドブックを読みながら話していた。
途中、30分ほどの休憩があった。そこに何人かの子供たちがいて、旅行者に話しかけてくる。ひとりの女の子が、日本人の学生たちの前でこういった。
「宮迫です」
大ウケだった。学生たちは、「宮迫です」の女の子に向けて何回もシャッターを押す。
しかし僕は笑えなかった。いったいどれほどの国の子供たちの口から、このギャグを聞いてきただろうか。いまさら笑えというのだろうか。
休憩が終わり、皆、バスに乗り込んだ。学生のひとりが、話しかけてきた。僕の隣にいたイギリス人と席を替わったらしい。しかし言葉は英語だった。
そこで日本語で返せばよかったのかもしれない。しかし「宮迫です」に笑いもせずに立っていた僕である。僕は英語で返事をした。
彼らは再び、「宮迫です」で盛り上がり、ゲストハウスをどこにするか話している。
ここで口を開いたら、訳知り顔で、シュムリアップの話をすることになるのだろう、と思った。そういう自分が嫌だった。
アジアを旅することが多い。旅の知識は多くなっていく。しかしそれ話すことが、最近は鬱陶しい。57歳という歳がいけないのかもしれない。
どんどん気難しそうな旅行者になってきている気がする。なぜ、軽い旅話ができないのだろう。
バスのなかで黙っている僕を学生たちはどう思ったのだろうか。



