インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2009年04月27日

風が魔物という発見

 バンコクから戻り、3日間ほど東京にいた。4月末の東京の気候はいい。しばらく自宅にいたかったが、仕事が許してくれない。
 沖縄の那覇に向かう飛行機に乗った。
 昨日のたそがれどき。道に迷っていた。那覇の桜坂。栄町市場に向かおうとしていた。桜坂から壺屋一帯の迷路のような路地裏は、これまで何回となく歩き、必ず迷う。いや、道に迷いたくてこの一帯を歩くことが多い。
 少しずつ光が失われていく時間帯。家から炒め物の匂いが漂ってくる。ゴーヤーチャンプルだろうか。沖縄に来るといつも思う。ここでは、たそがれどきを手にすることができる。そして道に迷う。
 昔もこうして道に迷っていた。
 すごい発見をしたと思ったことがあった。
 石敢當である。
 沖縄の街の塀には、よくこの文字が書かれた石版がはめ込まれている。中国から伝わった魔除けだ。でも、どんな魔物? 気づいたのだ。石敢當はT字路の塀に多い。
 風……。
 沖縄は風の島である。いつも風が吹いている。しかしときに、その風は台風になって猛威をふるう。その風から家や街を守る。だから沖縄の道は迷路のようになった。そして塀には石敢當。
 魔物は風ではないか。
 たそがれどきの発見。
 戯れ言だろうか。
   

Posted by 下川裕治 at 13:13Comments(0)

2009年04月20日

バンコクの膝かっくん

 膝かっくん……。これはバンコクの空港に降り立ったとき、いつもやられる。程度の差こそあれ、必ず。ドーンムアン空港時代もそうだった。スワンナプーム空港に変わっても、この感覚は変わらない。この国は、よほど膝かっくんの国なのだ。
 多いときで月に2回は、日本からバンコクにやってくる。こんな暮らしを10年以上続けていても、必ず、膝かっくんになる。
 4月16日の夕方、バンコクに降り立ったときもそうだった。日本ではタクシン派の行動が、まるで国内騒乱前夜のように伝えられていた。知人からは、「バンコクに行ってないよな」と、まるで安否確認のような電話が入る。その気配に、「明日行くんだけど」とはとてもいえなかった。翌日、いつものように成田空港に向かって飛行機に乗った。安心しているわけではないが、不安もない。30年もこの国にかかわってくれば、そのくらいのことはわかる。
 タイという国は、人と人との憎しみの度合いが少ない国だと思う。民族や宗教の、解決の糸口すらみつからない対立を抱えた国は、深く、暗い憎しみを抱えている。その対立は、ときにとことんまで突き進んでしまう。そんな現場を何回も見てきた。
 しかし、タイにはそれがない。いや、少ないといったほうが正確か。一時的な激昂はあっても、こういう国は、必ず制御装置が働く。その感覚が、なかなか日本には通じない。タイに住む日本人の苛立ちが募っている。  

Posted by 下川裕治 at 21:28Comments(0)

2009年04月13日

30分前に終わった

 ようやく1冊の本を書き上げた。
 つい、いましがた。
 昔は分厚い原稿用紙の束を編集者に渡して「脱稿」になったが、いまはテキストを「送信」して脱稿になる。
 2ヵ月ほど格闘していた。1月にタイでいえばエアアジアのようなLCC(ローコスト・キャリア)に乗って世界を一周した。帰国するとすぐに、原稿用紙に向かった。最近、僕は手書き原稿に戻ってしまった。書いていく端から、編集者が奪うようにもっていき、オペレーターが打ち込むという作業が続いた。最後はパソコンにとり込んで手直ししていく。それが終わったのが30分前だった。
 ふーッ。
 でもない。
 こんな作業を年に何回か20年近くも繰り返してきた。脱稿の感慨に耽ることができたのは最初の数冊だった。この後、初稿、再校とゲラとの格闘が続くことがわかってしまったからだ。
 大学生の頃、新聞部に入っていた。そのとき、はじめてエッセイらしきものを書いた。タイトルは『たそがれ色のオデッセイ』。そう、このコーナーのタイトルである。いまとなっては気恥ずかしいが、あの時代は、鼻腔がつんとくるほど鮮やかに残っている。
 原稿を書いて暮らしたい。そんな淡い思いは、どこかにあったのかもしれない。が、30年がたったいま、こうやって原稿を書いている姿は想像できなかった。
 原稿が最後の段階に入っていた頃、バンコクから不穏な映像が流れてきた。タクシン派が、パタヤのホテルに乱入した。空港閉鎖の意趣返し? 
 16日にバンコクに行く。
  

Posted by 下川裕治 at 19:54Comments(1)