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ナムジャイブログ

2009年07月29日

怨念が画面を覆う

 僕が使うノート型パソコンには、何匹もの蟻がいる気がする。すでに死んでいるのだろうが、きっとどこかにその亡骸がある。そのせいか、パソコンの調子は悪い。
 蟻はバンコク生まれだと思う。
 卑下しているわけではないが、僕がいつもバンコクで泊まるホテルには蟻がいる。
 このホテルに泊まるようになって、かれこれ20年になる。はじめて泊まったとき、すでに古いホテルだったから、かなりの年代物である。はじめて泊まったときから、このホテルには蟻がいた。小さな蟻だが、不注意に甘いものでも置いておくと、かなりの蟻が集まってくる。
 このホテルでも仕事をする。かつては原稿用紙とシャープペンだったが、いつ頃からかノート型のパソコンになった。
 ホテルは効きが悪いが、一応、冷房がある。その部屋でパソコンの電源を入れる。パソコンの欠点は、熱で暖かくなることだ。そこに蟻が集まってくる。キーボードの間から、蟻がわらわらと姿を見せる。画面を斜めに歩く蟻が次々に現れる。「アジア」とか「まったり」などという、僕が打ち込んだ文字の上を、落ち着かない足どりで横切っていくのだ。
 原稿など書けるものではない。
 蟻には悪いが、僕はこの画面で、100匹を超える蟻を指で潰した。その画面でいまも原稿を書いている。だが、今日もパソコンがなかなか立ち上がらなかった。
 蟻の怨念だろうか。  

Posted by 下川裕治 at 12:51Comments(1)

2009年07月22日

旅とは大いなる時間の空白か

 台北の空港にいる。先週、バンコクから各駅停車の列車でチェンマイに向かい、そこから飛行機で台北。これからバンコクに戻るところだ。こういう旅をアジア周遊というのかどうかは知らないが。
 純粋な旅ではない。それぞれに用事がある。台北などは、僕がかかわっているガイドの原稿チェックがあり、終日、ゲラを読んでいた。
 こういう旅を世間では出張というらしい。しかし僕の出張は、世間の人のそれとはかなり違う。だいたい、出張で、バンコクから2日もかけて、各駅停車でチェンマイに向かうだろうか。途中、ナコンサワンに1泊したが、そこからチェンマイまで11時間も列車に揺られた。それも運賃無料の列車だった。
 そういう旅の途中で、よく台北の空港を使う。アジアから沖縄に行くときは、いつも台北の空港で乗り換える。
 きらびやかなところが、どこを探してもない地味な空港である。別に空港になにかを期待しているわけではない。しかし、香港やシンガポールの空港には、「なにか買い物でもしちゃおうかな」と思わせる装置がある。
 しかし台北の空港にはそれがない。パイナップルケーキや烏龍茶を買ってもなぁ……。免税品店の店員も暇そうだ。
 この空港での乗り継ぎはあまりよくないから、この地味な空港で数時間を過ごすことがよくある。
 なにをしていたのだろうか。これまで100回以上は、この空港を使っていると思うが、なにひとつ思い出せない。
 先週は沖縄にいた。東京に戻って1泊し、バンコクに向かった。飛行機は東京から沖縄や台湾近くを通ってバンコクに向かう。そうしていま、また台湾にいる。日本とタイを結ぶ上空を、うろうろしているばかりだ。それなりの航空券代を払い、飛行機のなかで何時間もすごしたわけだ。
 旅とは大いなる時間の空白に思えてくる。
  

Posted by 下川裕治 at 20:39Comments(0)

2009年07月13日

300円得したはずだったが

 高校野球の予選を観に、また沖縄に来てしまった。高い航空券を買って。
 宜野湾市営球場。海に沿った球場で、風は気持ちがいいのだが、陽射しは容赦なく照りつける。炎天下のスタンドは、くらくらくるほどだ。どこか自虐の感もあるのだが……。
 2週間前の週末も沖縄で野球を観ていた。知人に頼まれ、泡盛を1本買ったのだが、東京に戻る飛行機に乗る段になって悩んだ。
「これは機内に持ち込めないのでは?」
 国際線はそうなのだ。
 那覇空港でチェックインのときに訊く。
「問題ありませんよ」
 日本の国内線は大丈夫なのだ。
 機内持ち込みができるものと、できないもの……。ルールが統一されていないから、それなりのストレスになる。
 中国ではライターは没収されてしまう。再チェックインをすればいいのだが、100円ライターで……という気になる。しかし日本を出発する国際線では、なにもいわれない。ところが国内線では、「ライターひとつまで」と大きく書いてある。
 先月、バンコクに行くためにユナイテッド航空に乗った。国際線だから液体の持ち込みはできない。ただ免税店エリアで売っているものは大丈夫だ。
 少し時間があったので、免税店エリアの売店を見ていた。そこにワインの小瓶が300円ほどで売っていた。「機内でどうぞ」と書いてある。迷わず買ってしまった。
 というのも、ユナイテッド航空は、機内でのアルコールが有料で、ビールやワインは6ドルもするのだ。
「300円得したな」
 食事のときに飲んだが、トレーを回収するとき、客室乗務員に注意されてしまった。
「アルコール類の持ち込みはできません」
 有料で売っているから持ち込み不可ということだった。飲食店に持ち込むのと同じこと。セキュリティとは関係がないただのセコさだった。
 なんだか鬱陶しい話なのだ。  

Posted by 下川裕治 at 19:51Comments(1)

2009年07月06日

わたしの彼は左きき

 無頼派に映った。
 朝日新聞社のアエラの取材だった。仕事が終わったとき、カメラマンの砂守勝巳さんがこういった。
「再度、撮影をするんで、取材費をもらえないかな」
 僕は朝日新聞社から預かっている取材費のなかから2万円を渡した。
 東京に戻り、編集部にそのことを伝えた。
「その金は返ってこないな」
 デスクは呟くようにいった。なんでも砂守さんは、一度も清算というものをしたことがないのだという。
 すごい人だと思った。
 砂守さんが亡くなった。胃がんだった。57歳だった。写真集『漂う島 とまる水』で土門拳賞を受賞した。奄美や沖縄にこだわる写真家だった。僕と会ったときも、那覇の桜坂のアパートで暮らしていた。
 仕事が終わり、彼の案内で桜坂を歩いた。最初は『コントラバス』というライブのある店だった。カウンターに座り、ビールを頼み、ひと口飲むと、彼が口を開いた。
「餃子屋へ行こう」
「はッ?」
 まだビールをひと口しか飲んでいないのだ。せわしなく餃子屋に入り、餃子を頼むと、次は「おでんの店に行こう」という砂守さんの声が聞こえてくる。一軒にいるのは15分ほどで、次々に店を変わっていく。その都度、僕は料金を払、「これは清算が大変だ」と思いながら、彼の後を追いかける。
 最後は『エロス』という店だった。ここは客のリクエスト曲をかけてくれる店なのだが、砂守さんは、麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』を聞きながら上機嫌だった。
 すごい人だと思った。
 ただ、なにかに焦っていた。それは自分が生まれた沖縄という土地への焦りだったのかもしれない。いま、彼の写真を見ながら、そう思うのだ。  

Posted by 下川裕治 at 13:45Comments(1)