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ナムジャイブログ

2009年12月29日

貧しい人間同士の戦争

 貧困者徴兵制……。その呼び方を、『彼らは戦争に行った』(石山永一郎編著。共同通信社刊)で知った。正式な制度ではない。事実上、徴兵制を廃止したアメリカ。イラク、アフガニスタンへの派兵を支えたものがこの徴兵制だった。入隊する若者のほとんどは、経済的に恵まれない階層の出身だったのだ。
 兵士不足に悩むアメリカ軍は、レベルの低い高校の生徒を積極的に勧誘した。志願すると一時金として2万5000ドルが支払われる。除隊後の奨学金は7万2000ドルまで引き上げられたという。「貧しい家庭に育った子にとっては、めまいがするような額だろう」と石山氏は綴っている。
 イラク、アフガニスタンでの戦争の引き金は、2001年の9月11日だった。飛行機を乗っとり、ワールドトレードセンターなどに突っ込んでいくというテロを起こした中心メンバーは、アラブ社会からヨーロッパに留学した若者だった。彼らの思想を支配していたのも貧困だった。なぜ欧米は豊かで、イスラム圏の国々は貧しいのか……。ヨーロッパの寒いアパートに暮らした貧しい留学生たちは、しだいに過激な思想に傾いていく。
 貧しさがテロを起こし、その報復の戦争を担うのも、アメリカの貧しい若者だった。そしてその戦争に雇われていったのは、フィージーやパキスタン、フィリピン、バングラデシュといった貧しい国々の人々だった。
 世界の枠組みは別にして、戦場という命のやりとりをする場所に、貧しい人たちだけが集まってくる。いつから戦争はこんな構造になってしまったのだろうか。いや、戦争というものは、元々、貧しい人々が犠牲になっていくという場だったのだろうか。
 国家や宗教、民族を超えたところに横たわる戦争の論理に、やるせなくなる。
  

Posted by 下川裕治 at 13:35Comments(0)

2009年12月21日

冬場の帰国は落ち込む

 冬場にバンコクから東京に戻ってくるのは辛い。成田空港に着き、京成線で日暮里に出て、山手線に乗る。気分がどんどん落ち込んでいくのがわかる。
 今回はユナイテッド航空で帰国した。成田空港を出たのは午後2時頃だった。京成線に乗っていたときは、まだ太陽が出ていたが、山手線に乗り換えた頃には、車窓に冬ざれの東京の景色が広がっていた。
 音がしない。
 もこもことコートを着込んだ人々。顔に表情がない。車内の吊り広告に目をやると、エコとか節約の文字ばかりが躍っている。生活を切り詰め、じっと耐えるように生きる人々。どうしてこんなに暗い国になってしまったのだろうかと呟いてしまう。
 日本人が暗い民族だとは思っていない。冬の東京は空気も澄み、快晴が続く。街並みや駅は清潔だ。しかしそういう東京のよさを再認識するまでにずいぶん時間がかかる。それまでが辛い。なにか生きて行きエネルギーが吸いとられていくような気になる。
 この落ち込みが嫌で、昔はよく、沖縄経由で東京に戻った。アジアと東京の中間にある島で暗さに体と精神を慣らしていた気もする。
 バンコクから沖縄に行くには、チャイナエアーラインしかない。しかし2年ほど前から、この便の運賃がずいぶん高くなってしまった。そして今年になり、台北と那覇を結ぶ便が減ってしまった。このルートで帰ることがどんどん難しくなってしまった。
 重い荷物を手に、歯を食いしばって階段をあがる。そう、この国では、いつも耐えるように生きなければならない。かつてはその努力が報われる国だった。しかしそれが危うくなったいま、歯を食いしばる暮らしは空転するばかりだ。
  

Posted by 下川裕治 at 13:10Comments(3)

2009年12月15日

25年間、ありがとう

 昨夜。
 つまり12月14日の夜。
 僕はマイハウスホテルの214号室にいた。閉鎖されることは知っていた。バングラデシュから戻る飛行機が混み合っていて、14日しか席がとれなかった。
 マイハウスホテルの最後の夜。
 訊くと泊まることができるという。
 夕方、空港からホテルに着いた。すでにレストランの椅子やテーブルは、一部が片づけられていた。ホテルの前のネオンも暗かった。目を凝らすと、ネオン看板そのものがもうなかった。
「明日は片づけだから、チェックアウトは早めにしてね」
 そういわれて部屋に入った。
 214号室はよくあてがわれる部屋だった。
 知人を呼んで、部屋で飲み明かそうかとも思ったが、やはりひとりでいたかった。
 ここに泊まったさまざまな夜が蘇ってくる。30代から50代まで、僕のバンコクはこのホテルが拠点だった。昔はよく、夜に出歩いていたが、最近はホテルでぽつねんとしていることが多い。僕も年をとったのだろう。
 朝、いつもように、バートンコーと豆乳を買いにいくと、フトントはきれいに片づけられていた。着々とホテルは閉じられていく。空室になった部屋からシーツや備品が次々に運びだされていく。
 この原稿を書いたら、チェックアウトしないといけないのだろう。最後は「25年間、ありがとう」というつもりで、荷物をまとめて部屋を出た。ルームサービスのおばさん、フロントのおばさんから……次々に「ありがとう」と先にいわれてしまった。
 マイハウスホテルの最後だった。  

Posted by 下川裕治 at 18:22Comments(1)

2009年12月07日

初冬の装置

 初冬の日本は、この国らしさが際だつ気がする。先週、句会があって大磯に出かけた。かつて三井財閥の邸宅があったという小山が公園になっていた。その紅葉の庭に人が集まっていた。日が落ちると、ロウソクがともり、ライトアップされるのだという。
 こういう風景を目にすると、日本人はあるスイッチが入ってしまうのだろうか。庭園では、雅楽が演奏されるのだという。
 茶室で抹茶をもらう。茶人の世界では、11月が正月である。初夏に摘みとった茶を甕に入れて発酵させる。その封を切るのがこの時期なのだ。
 今日、高尾山に行った。まだ紅葉は残っていた。それを求めて、多くの人が参道を歩く。あまりの人の多さに、尾根道を避けた山道に入り込む。小春日和の一日で、射し込む光に、赤い紅葉が浮き立っていた。
 季節は移っていく。日本人は、そこに美しさを見いだしてきた。そのアイテムが初冬には多い気がするのだ。たまにはもっとゆっくりと、この国の装置を味わいたいのだが、明後日には、飛行機に乗って、南の国に行かなくてはならない。
 夜、信州の実家から宅急便が届いた。そこにはリンゴの柿がどっさり入っていた。
  

Posted by 下川裕治 at 15:02Comments(0)