2010年06月28日
それって単なる老化じゃないですか?
ぼーッとしていることが多いらしい。人からよくいわれる。
「あのぼーッとしているときは、なにか考えているのですか?」
ちょっと返答に困る。考えているときもあるが、本当にぼーッとしていることも多い。
いくらぼーッとしていても、こちらの勝手でしょ、といいたいところだが、あまりぼーッとしていると人は気になるものらしい。
今年になってメールのソフトを変えた。これまでは、なにも考えずにアウトルック・エクスプレスを使っていた。しかし最近のメールは添付が多い。海外のインターネットの速度が遅い国で、そのメールをあけると、受けとるのに1時間以上もかかることがある。それを受けとらないと先に進めないから、待つしかない。
知人に相談すると、Gmailがいいのでは、と薦められた。
「これは、添付を別途ダウンロードするから、重いものはダウンロードしなければいいんですよ」
使ってみて、なるほど、と思った。勝手がわからず、まだGmailの機能を使いきれていないと思う。が、海外ではたしかにストレスが少ない。
しかし1週間、1ヵ月と使って、なにか無言の圧力のようなものを感じるようになった。これがいまのメールの世界なのだろうか。
インターネットをつなぎ、Gmailを開ける。いくつかのメールが届いているのだが、なにかすぐに返信を出さなくてはいけないような気配を感じてしまうのだ。アウトルック・エクスプレスにはない感覚である。
すぐに返信する──。
僕はそれが苦手だ。もちろん、「了解」と返信すればいいだけのときは、すぐに処理できるが、そうもいかないメールも多い。
若い人のメールのやりとりやツイッターの世界の話を聞くと、少し鼻白んでしまう。どうして僕は、すぐに返事が出せないのだろうか……と。
曲がりなりにも、文章を書いて生きているからいけないのかもしれない。メールといえども文章だからだ。
そしてパソコンの前でぼーッとしてしまう。メールの数が多ければ多いほど、ぼーッとする時間が長くなってしまう。
「それよりも早く返信したほうがいいんじゃないですか。文章とか内容はともかく」
「そういわれてもね。ただね、どうやって返信の文章を書こうかって思っているうちに、別の用事が出てきたりして、何日も返信できないことも多いんですよ」
「それはまずいでしょ」
「ときどき、メールが来たことも忘れてしまうこともある」
「それって単なる老化じゃないですか?」
先日の事務所での会話である。
Gmailが発する無言の圧力とは、じつは僕が歳をとったということを露呈しただけなのだろうか。
やはり老化なのだろうか。
6月初旬、56歳になった。
(2010/6/27)
「あのぼーッとしているときは、なにか考えているのですか?」
ちょっと返答に困る。考えているときもあるが、本当にぼーッとしていることも多い。
いくらぼーッとしていても、こちらの勝手でしょ、といいたいところだが、あまりぼーッとしていると人は気になるものらしい。
今年になってメールのソフトを変えた。これまでは、なにも考えずにアウトルック・エクスプレスを使っていた。しかし最近のメールは添付が多い。海外のインターネットの速度が遅い国で、そのメールをあけると、受けとるのに1時間以上もかかることがある。それを受けとらないと先に進めないから、待つしかない。
知人に相談すると、Gmailがいいのでは、と薦められた。
「これは、添付を別途ダウンロードするから、重いものはダウンロードしなければいいんですよ」
使ってみて、なるほど、と思った。勝手がわからず、まだGmailの機能を使いきれていないと思う。が、海外ではたしかにストレスが少ない。
しかし1週間、1ヵ月と使って、なにか無言の圧力のようなものを感じるようになった。これがいまのメールの世界なのだろうか。
インターネットをつなぎ、Gmailを開ける。いくつかのメールが届いているのだが、なにかすぐに返信を出さなくてはいけないような気配を感じてしまうのだ。アウトルック・エクスプレスにはない感覚である。
すぐに返信する──。
僕はそれが苦手だ。もちろん、「了解」と返信すればいいだけのときは、すぐに処理できるが、そうもいかないメールも多い。
若い人のメールのやりとりやツイッターの世界の話を聞くと、少し鼻白んでしまう。どうして僕は、すぐに返事が出せないのだろうか……と。
曲がりなりにも、文章を書いて生きているからいけないのかもしれない。メールといえども文章だからだ。
そしてパソコンの前でぼーッとしてしまう。メールの数が多ければ多いほど、ぼーッとする時間が長くなってしまう。
「それよりも早く返信したほうがいいんじゃないですか。文章とか内容はともかく」
「そういわれてもね。ただね、どうやって返信の文章を書こうかって思っているうちに、別の用事が出てきたりして、何日も返信できないことも多いんですよ」
「それはまずいでしょ」
「ときどき、メールが来たことも忘れてしまうこともある」
「それって単なる老化じゃないですか?」
先日の事務所での会話である。
Gmailが発する無言の圧力とは、じつは僕が歳をとったということを露呈しただけなのだろうか。
やはり老化なのだろうか。
6月初旬、56歳になった。
(2010/6/27)
Posted by 下川裕治 at
14:55
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2010年06月21日
都市と地方の格差という火種
前回のこのコーナーで、ベトナムの物価に触れた。ホーチミンやハノイと、外国人観光客がほとんど来ないエリアの物価格差が5分の1にもなるという話である。僕はそこから、旧社会主義国の外国人観光客への受け入れシステムの臭いがする……。そんな話を書いた。
それに対してベトナム在住の読者から、「僕のベトナムに対する認識不足ではないか」という指摘をいただいた。ベトナムの外国人が来る都市と地方の格差はかなりのものだというのだ。反省しきり……といったところだが、その格差に再び考え込んでしまった。
実はアエラの5月31日号に、タイのバンコクと地方の格差の話を書いたばかりだったのだ。
テーマはバンコクの騒乱だった。通称赤シャツ派の市街地占拠は約50日にも及んだ。そして5月19日、幹部が投降。不満分子がバンコク市内のあちこちに火を放った。
僕はバンコク市内を走りまわっていた。批判的なバンコク人、赤シャツ派を支持するタクシー運転手……。さまざまな人から話を聞いた。そのなかから、赤シャツ派を支える人たちのなかに、バンコクという都会に対する反発が浮かび上がってきた。彼らは地方からバンコクに出稼ぎに出ていた。彼らが抱くバンコク人への反発は根深いものがあった。オックスフォード大卒のエリートであるアビシット首相を生理的に嫌っていた。彼を担ぎ出したのがバンコク人だった。
その意識の底にあるものは、都会と地方の格差だった。しかしタイの格差は、2~3割である。それでも都心に火を放つような騒乱を引き起こしてしまう……。
大都市への人口集中はアジアの社会現象である。中進国から途上国の傾向といっていい。賃金の高い都会に地方の人々が吸い寄せられていってしまうのだ。当然、都市の物価は高い。そのなかで地方出身者は、汗を流し、田舎に仕送りを続けている。
ベトナムはタイよりも激しい格差が生まれていた。都市型の暴動の火種をベトナムも抱えているようだった。
中国はその傾向に危機感を募らせている。沿海部に産業が集中し、地方都市からの出稼ぎが中国の発展を支えていた。しかしその流れが太くなるほど、地方が疲弊していく。
中国は地方に工場を移転させつつある。日系企業の工場も、その流れに晒されている。駐在する日本人にしたら大変なことで、さまざまな問題も生まれていると聞く。
今年、フィリピンの大統領選が行われた。アキノ氏が選ばれたが、エストラダ前大統領も25%の票を集めた。エストラダ人気のひとつは、彼の下手な英語だとフィリピン人はいう。都会のエリートに反発するフィリピン人は、そんな彼に親近感を覚えるらしい。
都市と地方……。アジアの争点であり、火種でもある。
(2010/6/20)
それに対してベトナム在住の読者から、「僕のベトナムに対する認識不足ではないか」という指摘をいただいた。ベトナムの外国人が来る都市と地方の格差はかなりのものだというのだ。反省しきり……といったところだが、その格差に再び考え込んでしまった。
実はアエラの5月31日号に、タイのバンコクと地方の格差の話を書いたばかりだったのだ。
テーマはバンコクの騒乱だった。通称赤シャツ派の市街地占拠は約50日にも及んだ。そして5月19日、幹部が投降。不満分子がバンコク市内のあちこちに火を放った。
僕はバンコク市内を走りまわっていた。批判的なバンコク人、赤シャツ派を支持するタクシー運転手……。さまざまな人から話を聞いた。そのなかから、赤シャツ派を支える人たちのなかに、バンコクという都会に対する反発が浮かび上がってきた。彼らは地方からバンコクに出稼ぎに出ていた。彼らが抱くバンコク人への反発は根深いものがあった。オックスフォード大卒のエリートであるアビシット首相を生理的に嫌っていた。彼を担ぎ出したのがバンコク人だった。
その意識の底にあるものは、都会と地方の格差だった。しかしタイの格差は、2~3割である。それでも都心に火を放つような騒乱を引き起こしてしまう……。
大都市への人口集中はアジアの社会現象である。中進国から途上国の傾向といっていい。賃金の高い都会に地方の人々が吸い寄せられていってしまうのだ。当然、都市の物価は高い。そのなかで地方出身者は、汗を流し、田舎に仕送りを続けている。
ベトナムはタイよりも激しい格差が生まれていた。都市型の暴動の火種をベトナムも抱えているようだった。
中国はその傾向に危機感を募らせている。沿海部に産業が集中し、地方都市からの出稼ぎが中国の発展を支えていた。しかしその流れが太くなるほど、地方が疲弊していく。
中国は地方に工場を移転させつつある。日系企業の工場も、その流れに晒されている。駐在する日本人にしたら大変なことで、さまざまな問題も生まれていると聞く。
今年、フィリピンの大統領選が行われた。アキノ氏が選ばれたが、エストラダ前大統領も25%の票を集めた。エストラダ人気のひとつは、彼の下手な英語だとフィリピン人はいう。都会のエリートに反発するフィリピン人は、そんな彼に親近感を覚えるらしい。
都市と地方……。アジアの争点であり、火種でもある。
(2010/6/20)
Posted by 下川裕治 at
17:40
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2010年06月14日
5分の1の値段から臭うベトナム
7月からロシアに行く。ユーラシア大陸の東端から西端まで列車でいくという取材がはじまる。東端は間宮海峡に面したソヴィエツカヤ・カバニという街で、そこから列車に乗り込まなくてはならない。
その街に行くために、まずサハリンへ飛び、間宮海峡を船で渡ることになる。
その手配は旅行会社に頼まざるをえない。一時、ロシアは目的地のホテルを予約した証明があればビザを発給してくれた。しかし最近は、すべての行程の切符とホテル予約が完了していないとビザがとれない情況になってしまった。昔に戻ってしまったわけだ。当然、ホテル代やら列車代も高くなる。
かつての社会主義国はこのスタイルが多かった。外国人観光客からは国レベルでぼるシステムである。
しかしその後、そのスタイルを軟化させる国が多くなった。中国などは次々に自由化策が打ち出された。日本人の場合、短期滞在ならビザも免除され、どんなホテルも泊まることができるようになった。
ベトナムもその流れのなかにあるものとばかり思っていた。列車の外国人料金もなくなった。ホテルはもともとベトナム人との料金差がないと思っていた……。
たしかにホテルに外国人料金はないのかもしれない。しかし街ぐるみで料金をつり上げていた。
先月、ローカル列車でホーチミンシティからハノイまで移動した。夜行1泊を含めた3泊4日の旅だった。3泊目、僕はドンレーという街で列車を降りた。ホテルという英語も通じないバイクタクシーに乗って、市内の宿に向かった。ホテルという英語の文字もない宿だった。ツインの部屋の料金を訊くと……1泊14万ドン。
「安すぎない?」
同行のカメラマンと顔を見合わせた。14万ドンは日本円にすると700円もしない。部屋を見せてもらった。エアコンと扇風機があり、お湯のシャワーがある。ベットには天蓋付きの蚊帳もついている。このレベルで14万ドンだというのだ。
後でわかったが、この宿は、ドンレーにある3軒のホテルのなかでは最高ランクだった。街の食堂で夕食をとったが、桁違いに安かった。
考えてみれば、僕がいままで滞在したベトナムの街は、ホーチミンシティ、ハノイ、フエ、ダナンだけである。どこも外国人がよく訪れる街だ。こういった街では、ゲストハウスでも800円ほどはする。ドンレーで泊まったホテルのレベルになると3000円から4000円はするだろう。
外国人がめったにこない地方都市に行けば、物価が下がることは知っている。しかしせいぜい2、3割安くなる程度だ。ところがベトナムでは5分の1に下がってしまうというのは、限りなく臭うのだ。この5分の1というのがベトナム物価で、外国人がやってくる街だけ作為的な値段がついているのではないか。それはかつての社会主義国の臭いである。
僕はベトナムのそのあたりのからくりに詳しくない。ベトナム通に訊きたいところだが、これからは、きっとドンレーのような街を選んで旅をするような気がする。
(2010/6/13)
その街に行くために、まずサハリンへ飛び、間宮海峡を船で渡ることになる。
その手配は旅行会社に頼まざるをえない。一時、ロシアは目的地のホテルを予約した証明があればビザを発給してくれた。しかし最近は、すべての行程の切符とホテル予約が完了していないとビザがとれない情況になってしまった。昔に戻ってしまったわけだ。当然、ホテル代やら列車代も高くなる。
かつての社会主義国はこのスタイルが多かった。外国人観光客からは国レベルでぼるシステムである。
しかしその後、そのスタイルを軟化させる国が多くなった。中国などは次々に自由化策が打ち出された。日本人の場合、短期滞在ならビザも免除され、どんなホテルも泊まることができるようになった。
ベトナムもその流れのなかにあるものとばかり思っていた。列車の外国人料金もなくなった。ホテルはもともとベトナム人との料金差がないと思っていた……。
たしかにホテルに外国人料金はないのかもしれない。しかし街ぐるみで料金をつり上げていた。
先月、ローカル列車でホーチミンシティからハノイまで移動した。夜行1泊を含めた3泊4日の旅だった。3泊目、僕はドンレーという街で列車を降りた。ホテルという英語も通じないバイクタクシーに乗って、市内の宿に向かった。ホテルという英語の文字もない宿だった。ツインの部屋の料金を訊くと……1泊14万ドン。
「安すぎない?」
同行のカメラマンと顔を見合わせた。14万ドンは日本円にすると700円もしない。部屋を見せてもらった。エアコンと扇風機があり、お湯のシャワーがある。ベットには天蓋付きの蚊帳もついている。このレベルで14万ドンだというのだ。
後でわかったが、この宿は、ドンレーにある3軒のホテルのなかでは最高ランクだった。街の食堂で夕食をとったが、桁違いに安かった。
考えてみれば、僕がいままで滞在したベトナムの街は、ホーチミンシティ、ハノイ、フエ、ダナンだけである。どこも外国人がよく訪れる街だ。こういった街では、ゲストハウスでも800円ほどはする。ドンレーで泊まったホテルのレベルになると3000円から4000円はするだろう。
外国人がめったにこない地方都市に行けば、物価が下がることは知っている。しかしせいぜい2、3割安くなる程度だ。ところがベトナムでは5分の1に下がってしまうというのは、限りなく臭うのだ。この5分の1というのがベトナム物価で、外国人がやってくる街だけ作為的な値段がついているのではないか。それはかつての社会主義国の臭いである。
僕はベトナムのそのあたりのからくりに詳しくない。ベトナム通に訊きたいところだが、これからは、きっとドンレーのような街を選んで旅をするような気がする。
(2010/6/13)
Posted by 下川裕治 at
15:14
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2010年06月07日
羽田発着便には無縁の男
東京の羽田空港の国際便枠の話をよく聞かれる。台北、上海やハワイ、アメリカ本土への便が、羽田発着便として登場するのだという。LCCが乗り入れる計画もあるのだという。
「便利になりますよね」
そう聞かれていつも答に困る。
そんな人の出鼻をくじくようで申し訳ないが、羽田空港がそう近いとは思わない。僕は東京の阿佐ヶ谷に住んでいる。国内線に乗るときは、チェックインがはじまる1時間前に出る。阿佐ヶ谷駅に出、新宿で乗り換え、品川か浜松町で羽田空港行きに乗り……というルートを考えると、そのくらいの時間になってしまう。
成田空港に行くときは2時間前に家を出る。その差は30分──。飛行機に乗るためには、搭乗手続きやセキュリティチェックと面倒なことが多い。そこで30分の差はたいしたことではないのだ。
以前、台北の松山空港から金門島に飛行機で行ったことがあった。朝早い便だった。同行した台湾人がこういった。
「空港まで歩きましょう。朝、早いから、バスを待っている間に着いちゃいますから」
本当にそうだった。近い空港とは、こういう空港のことをいうのではないか。
羽田空港発の国際線は、すでに韓国線が就航している。羽田空港とソウルの金浦空港を結んでいる。もうだいぶ前から運航しているが、その便に1度も乗ったことがない。理由は単純だ。高いのだ。なんでも時間がないビジネスマン向けということで、成田空港と仁川空港を結ぶ路線より1万円以上も差があった気がする。30分の差で1万円……。僕は空港まで30分よけいにかかっても、1万円安い航空券を選ぶタイプである。
僕は月に1回はバンコクに出向いている。その途中で、台北、上海、ソウル、香港、ホーチミンシティなどに寄ることが多い。どの街にも用事があるのだ。ひょっとしたら、俗にいうビジネスマンより忙しく飛びまわっているのかもしれないが、東京で利用するのは成田空港だけである。経費ではないときも多いし、仮に経費だとしても、僕は安いほうを選ぶだろう。そういう男なのである。
羽田空港に就航する便も、きっとそういうことになるのだ。台北、上海、アメリカ……。経費で落とせるビジネスマンを狙い、成田発着より1万円から2万円は高くなるのに違いない。
結局、羽田空港の国際線が充実していっても、僕には無縁なことはいまからわかっている。そういう男に向かって、
「便利になりますね」
といわれても、なんだか「いやみ」にしか聞こえないのだ。いや、僕の「ひがみ」なのか。
「どうせ僕には無縁のことだから」
やっぱり「ひがみ」か……。
(2010/6/6)
「便利になりますよね」
そう聞かれていつも答に困る。
そんな人の出鼻をくじくようで申し訳ないが、羽田空港がそう近いとは思わない。僕は東京の阿佐ヶ谷に住んでいる。国内線に乗るときは、チェックインがはじまる1時間前に出る。阿佐ヶ谷駅に出、新宿で乗り換え、品川か浜松町で羽田空港行きに乗り……というルートを考えると、そのくらいの時間になってしまう。
成田空港に行くときは2時間前に家を出る。その差は30分──。飛行機に乗るためには、搭乗手続きやセキュリティチェックと面倒なことが多い。そこで30分の差はたいしたことではないのだ。
以前、台北の松山空港から金門島に飛行機で行ったことがあった。朝早い便だった。同行した台湾人がこういった。
「空港まで歩きましょう。朝、早いから、バスを待っている間に着いちゃいますから」
本当にそうだった。近い空港とは、こういう空港のことをいうのではないか。
羽田空港発の国際線は、すでに韓国線が就航している。羽田空港とソウルの金浦空港を結んでいる。もうだいぶ前から運航しているが、その便に1度も乗ったことがない。理由は単純だ。高いのだ。なんでも時間がないビジネスマン向けということで、成田空港と仁川空港を結ぶ路線より1万円以上も差があった気がする。30分の差で1万円……。僕は空港まで30分よけいにかかっても、1万円安い航空券を選ぶタイプである。
僕は月に1回はバンコクに出向いている。その途中で、台北、上海、ソウル、香港、ホーチミンシティなどに寄ることが多い。どの街にも用事があるのだ。ひょっとしたら、俗にいうビジネスマンより忙しく飛びまわっているのかもしれないが、東京で利用するのは成田空港だけである。経費ではないときも多いし、仮に経費だとしても、僕は安いほうを選ぶだろう。そういう男なのである。
羽田空港に就航する便も、きっとそういうことになるのだ。台北、上海、アメリカ……。経費で落とせるビジネスマンを狙い、成田発着より1万円から2万円は高くなるのに違いない。
結局、羽田空港の国際線が充実していっても、僕には無縁なことはいまからわかっている。そういう男に向かって、
「便利になりますね」
といわれても、なんだか「いやみ」にしか聞こえないのだ。いや、僕の「ひがみ」なのか。
「どうせ僕には無縁のことだから」
やっぱり「ひがみ」か……。
(2010/6/6)
Posted by 下川裕治 at
14:52
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2010年06月01日
タイと沖縄の磁場
世のなかには、わからないことが山ほどある。しかし、わからないことにもふたつの種類がある。勉強したり、体験を経ればわかることと、いくら考えても理解できないことがある。
バンコクのセントラルワールドの一部が延焼した。そこに出店していた店舗の今後が話題になる。補償や資金の問題ならわかる範囲だが、タイにはもうひとつの発想が生まれてくる。「気持ちが悪い」とか「怖い」といったものだ。その感覚は霊といったものにつながっていく。
人々はその場所に花を捧げ、僧侶が聖水をまく……。犠牲者も出たわけだから、慣習としてのこの行為がわからないわけではない。しかし僕のなかでは、どこか軽んじているところがある。お祓いとか占いといったものが、やはりわからないのだ。これはどしようもない。
だが、いくらそうもいえない立場の人もいる。たとえば延焼した店のオーナーが、かなりの唯物論者だとしても、スタッフが「怖い」といわれれば、お祓いもするだろう。人とのかかわりのなかで生きていくということはそういうことだ。
しかし心の奥底では、「そんなことは迷信にすぎない」と思っているわけで、どこか腰が引けたままで従っていくことになる。だが、それでことがすぎていけば、人生に大きな波風は立たない。
「そうもいかないんです」
そういう情況に巻き込まれた本を読んだ。仲村清司氏の『ほんとうは怖い沖縄』(新潮社刊)である。この本には、「見えてしまう人」が頻繁に現れる。彼自身は僕同様、「見えない人」だから理解に苦しむ。しかし彼の周りに蠢く霊のようなものに翻弄され、22年連れ添った妻と離縁し、彼は鬱に陥ってしまうのだ。
仲村氏は昔からの知人である。別れてしまった奥さんもよく知っている。沖縄に移り住んで13年になる。那覇に行ったときは必ず会う人でもある。そういう身近な人が、巻き込まれた沖縄という土地の磁場をまた考えてしまうのだ。
沖縄好きはタイ好きとオーバーラップする。僕自身もその典型である。霊とかお祓いなどといったものがわからないタイプだが、沖縄の人やタイ人に惹かれる。それは僕とは違う磁場のなかで生きている人たちと、酵素がぴったりと合致するということなのかもしれない……などと考えてもみる。
(2010/6/1)
バンコクのセントラルワールドの一部が延焼した。そこに出店していた店舗の今後が話題になる。補償や資金の問題ならわかる範囲だが、タイにはもうひとつの発想が生まれてくる。「気持ちが悪い」とか「怖い」といったものだ。その感覚は霊といったものにつながっていく。
人々はその場所に花を捧げ、僧侶が聖水をまく……。犠牲者も出たわけだから、慣習としてのこの行為がわからないわけではない。しかし僕のなかでは、どこか軽んじているところがある。お祓いとか占いといったものが、やはりわからないのだ。これはどしようもない。
だが、いくらそうもいえない立場の人もいる。たとえば延焼した店のオーナーが、かなりの唯物論者だとしても、スタッフが「怖い」といわれれば、お祓いもするだろう。人とのかかわりのなかで生きていくということはそういうことだ。
しかし心の奥底では、「そんなことは迷信にすぎない」と思っているわけで、どこか腰が引けたままで従っていくことになる。だが、それでことがすぎていけば、人生に大きな波風は立たない。
「そうもいかないんです」
そういう情況に巻き込まれた本を読んだ。仲村清司氏の『ほんとうは怖い沖縄』(新潮社刊)である。この本には、「見えてしまう人」が頻繁に現れる。彼自身は僕同様、「見えない人」だから理解に苦しむ。しかし彼の周りに蠢く霊のようなものに翻弄され、22年連れ添った妻と離縁し、彼は鬱に陥ってしまうのだ。
仲村氏は昔からの知人である。別れてしまった奥さんもよく知っている。沖縄に移り住んで13年になる。那覇に行ったときは必ず会う人でもある。そういう身近な人が、巻き込まれた沖縄という土地の磁場をまた考えてしまうのだ。
沖縄好きはタイ好きとオーバーラップする。僕自身もその典型である。霊とかお祓いなどといったものがわからないタイプだが、沖縄の人やタイ人に惹かれる。それは僕とは違う磁場のなかで生きている人たちと、酵素がぴったりと合致するということなのかもしれない……などと考えてもみる。
(2010/6/1)
Posted by 下川裕治 at
18:28
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