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ナムジャイブログ

2011年02月28日

カイバル峠で携帯電話が鳴った

 少し前、箱根湯本から平塚まで歩いた話をした。そのときの参加者は12人だったが、そのなかにふたり、携帯電話をもっていない男性がいた。ふたりとも、1回ももったことがないのだという。年齢は50代前半の男性だった。本人たちは、
「なきゃないで、なんとかなりますよ」
 と涼しい顔だが、いまの20代、30代の人が聞いたら耳を疑うだろう。「生きていけるのか」。そんな感想を抱く人もいるかもしれない。
 少し気になった。会う人に、携帯電話について訊いてみた。さすがにもっていない人はいなかったが、何人かが、「嫌いだ」といった。理由は簡単だが、携帯電話の本質を否定するような意見だった。
「どこでもかかってきてしまう」
 からだった。僕は30代半ばで、はじめて携帯電話を手にした年代である。はじめは、こんな便利なのもはないと思ったが、しだいに鬱陶しくなってきた。だから、「携帯電話は嫌いだ」という心境がよくわかる。
 携帯電話が嫌いな人は、おそらく、仕事で使っているからだろう。だいたい、仕事でかかってくる電話の多くは、いい話ではないからだ。それが前触れもなく、心の準備もない状態でかかってくるから嫌なのだ。そしてそれが世の常というものなのだろうが、そういう人に限って、ちゃんと電話に出てしまう。
 仕事で携帯電話を使っていない人、たとえば学生たちはいい加減だ。電話がなかなかでないことも多い。メールを送っても、返信は遅い。そういう若者には、携帯はストレスを生むツールではないのだろう。
 日本の仕事社会は怖いものだ。どんな便利なツールも、ストレスに変えてしまう妖術でももっているかのようだ。
 アフガニスタンに入ったとき、パキスタンのペシャワールで携帯電話を買った。アメリカ軍を主力にした多国籍軍の攻撃でタリバン政権が崩壊してから、半年ほどしか経っていなかった。治安はいまほど悪くはなかったが、安全とはとてもいえない状態だった。どこまで携帯電話が通じるかはわからなかったが、緊急連絡と家族に安全を知らせるために買った。ペシャワールでビザを受けとり、カイバル峠の通行許可もとった。
 カイバル峠はパキスタン政府の支配が及ばない部族領域と呼ばれるエリアで、通行許可と兵士を車に同乗させなければいけなかったのだ。峠の入り口には門があった。車はそこを通過する。なにが起きてもおかしくない地域に入っていく。
 そのとき、携帯電話が鳴った。
 東京の妻からだっだ。
 なんでも、僕らが暮らすマンションに空室が出たのだという。娘も大きくなり、もう少し部屋数の多いところを探していたのだ。その連絡が、いま来たのだという。早く決めないと、埋まってしまうらしい。
 僕は混乱した。隣では兵士が銃を構えている。もちろん安全装置もはずされている。いまの情況を伝えたら、妻は心配してしまうのだろう。だが、マンションの部屋は……。
 なんと答えたのか、いまでも覚えていない。
 携帯電話はどこでもかかってきてしまう。
 あれほど困ったときはなかった。

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Posted by 下川裕治 at 15:16Comments(3)

2011年02月21日

粉末エスプレッソ屋台の謎

 最近の僕の悩みは、バンコクのコーヒー屋台である。謎のコーヒー屋台が随所に店を出しきているのだ。
 タイのコーヒー屋台は、かつてカフェーボラーンというコーヒーが主流だった。日本語に訳すと昔風コーヒー。缶に入った粉末のコーヒーで、そこに砂糖やミルクをたっぷりと入れるスタイルだった。店によっては、そこにネスカフェを加えるところもあった。
 そこに本格コーヒー屋台が店を出しはじめた。店頭にコーヒーマシンを置き、豆を挽いて淹れてくれた。タイ語ではカフェーソット、つまりフレッシュコーヒーである。
 僕は毎日、屋台でこのコーヒーを買っていた。ブラックなら15バーツだった。
 ところが最近、このフレッシュコーヒーの粉末を置く店が出てきたのだ。
 これはいったいなんだろうか。
 この種の屋台には、フレッシュコーヒーのほか、エスプレッソやカプチーノなどもある。それぞれ粉末が別の容器に入っている。それをお湯で溶き、ミルクやコンデンスミルク、砂糖を入れて売ってくれる。もちろんブラックもある。これはコーヒーの粉末をお湯で溶くだけである。
 昨年、フランスを2回ほど訪ねた。この国は、圧倒的にエスプレッソ文化圏になりつつある。店のメニューは、まずエスプレッソからはじめる。そして日本でいうブレンドコーヒーがない店が多い。薄めのコーヒーというと、アメリカンになってしまう。ミルク入りはカフェオレやカプチーノになる。
 フランスのエスプレッソは本来のエスプレッソである。ちゃんとエスプレッソマシンで淹れてくれる。
 ところがバンコクでは、粉末のエスプレッソが登場したのである。それも1杯20バーツほどなのだ。
 この種の屋台の前でいつも悩む。これはいったいなんなのだろうか。さまざまなところで見かけるから、チェーン展開の屋台のように思う。
 いったんエスプレッソを淹れ、それを粉末化して容器に入れているのだろうか。そんな面倒なことを、タイ人がするとも思えない。それだけの手間をかければ、とても1杯20バーツでは採算がとれないとも思う。
 思い余って先日、飲み比べてみた。エスプレッソマシンを置く店でエスプレッソを買い、コーヒー屋台で粉末エスプレッソ淹れてもらう。交互に飲んでみる。
「うーん……」
 エスプレッソマシンで淹れたものの方が風味がある。しかし粉末エスプレッソは苦いだけだ。しかしエスプレッソマシンを置く店は、1杯70バーツもした。
「20バーツと思えばいけるんじゃない」
 こういうことをいうと、欧米人は顔をしかめるんだろうなぁ。
  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(1)

2011年02月18日

人間というやっかいなもの

 雪のなかをひたすら歩いてしまった。首都圏に大雪注意報が出ていた11日、箱根湯本から平塚まで28キロを歩くという会に加わった。早稲田大学の『歩こう会』というサークルのOBたちの主催だった。このところ、部屋で原稿ばかり書いていた。東海道の旧道を歩くという誘いがちょっと嬉しかった。
 しかし28キロという距離はかなりのものだ。そこに雪である。ひとりだったら、きっとどこかで根をあげていたような気がする。
 家に戻ると、小指の爪が浮き、足の裏には水ぶくれができていた。翌朝は階段の上り下りが辛い筋肉痛である。
 こういったストイックな楽しみというは、いまの日本ではシニアが独占している感がある。山登りもしかりで、夏ともなると、北アルプスの登山道は、シニアの長い列ができる。
 東海道の旧道はしんと静まりかえっていた。天候の悪さもあるのだが、久々の雪が音を吸いとっていた。
 なにかの本で、雪の吸音効果の話を読んだとき、なるほど……と思った。降り積もった雪が、その隙間で音を吸収していく。だから、雪の日は静かなのだ。
 大磯の東海道の松並木をすぎ、旧道は住宅街に入っていく。ゴールの平塚まであと4キロほどなのだが、いよいよ足は痛く、ももはあがらなくなってきている。雪は激しく降り続け、ぐっしょりと濡れた手袋をはずし、手に息を吹きかける。
 あとは精神力……というステージに入ってくる。
 そういう瞬間、風景が視界にくっきりと入ってくるときがある。ランニングハイといった精神状態ではない。快感などなにもない。体はだた辛い。そして寒い。いたたまれなくなって走り出したい心境なのだが、もう足はいうことを聞いてくれない。押し黙ったまま歩くしかないのだ。気分は不機嫌の絶頂に達している。
 そんなときに刻み込まれる風景というものがある。音のない世界に、ぽつんとひとり置かれ、ただただ足を前に出していく。きっと瞳は虚ろなのだろうが、言葉を失うほどの雪景色は脳細胞にはっきりとした記憶を残していくのだ。
 ふと、我に返ると、後悔が湧き起こってくる。どうして途中でリタイアし、電車に乗るグループに加わらなかったのだろう。ここで無理をしてなにになるのだろうか。唇を噛み、歩くしかないと自分にいい聞かせる。
 こうなることが、半ばわかっていながら、歩いてしまった。人間というものは、なかなかやっかいな生き物である。


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Posted by 下川裕治 at 02:05Comments(3)

2011年02月07日

素直な老人とひねくれた老人

 僕はときどき、実家のある信州に帰る。80歳になる母親が、ひとりで暮らしているからだ。今回はある手術を受けることになり、検査入院につきあった。入院したのは、信州の安曇野にある病院である。ふたつの検査があった。その間はすることがない。僕は6階の談話室で原稿を書いていた。
 天気のいい1日で、そこから眺める北アルプスがみごとだった。正面に白い常念岳がそびえ、後立山までくっきりと見えた。
 母親が入院したのは、整形外科のフロアーだった。半分が病棟で、残りのスペースがリハビリセンターのようになっていた。
 廊下では若い理学療法士に付き添われ、歩行訓練を続ける老人が行き来する。ときどき休憩のために、談話室にやってくる。
「今日は山がきれいだね」
 理学療法士が声をかける。
「もうじき田植えか」
「まだ早いよ。2月だよ。頑張ってリハビリして、田植えの頃には退院したいねぇ」
「もうひとまわりするか」
 なんと素直な老人かと思った。
 原稿に疲れると、リハビリセンターの見学に出かけた。中央のスペースには10人ほどの老人が輪をつくり、ボールを隣に渡すリハビリの最中だった。職員がタイムを計る。認知症の老人たちかと思ったがそうでもない。ひとりが談話室にやってきて様子を見にきた奥さんと話をしていた。リハビリのために、ボール遊びの輪に加わっていただけだった。
 皆、幼稚園の子どものようだった。
 僕は年老いたら、こんな輪に加わることができるのだろうか。
 2週間前、カンボジアにいた。僕が訪ねた日本人の老人は、治療を拒否していた。胃癌は摘出したが、その後の治療を拒み、カンボジアに来てしまった。
「病院のベッドに寝てるとね、無性に嫌になるんだよ。もう、放っておいてくれっていう心境かね」
 僕はこの老人のいうことのほうがよくわかる。病院のスタッフは皆、親切だ。それが仕事とはいえ、献身的に接してくれる。
 しかし子どものように扱われる自分の姿がどうしても想像できない。
「勝手に生きさせてくれ」
 体にがたがきても、頭がしっかりしていれば、そう思うような気がするのだ。きっと僕は、病院が手を焼くひねくれた老人になってしまうような気がする。こういうタイプは、アジアの片田舎でひっそりと生きるのが似合っているのかもしれない。
 日本の素直な老人と、カンボジアのひねくれた老人。どこか居心地の悪い病院のなかで、カンボジアを思っていた。


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Posted by 下川裕治 at 18:07Comments(2)