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ナムジャイブログ

2011年06月27日

昼寝を売るベトナム人

 趣味は? と訊かれて、「寝ること」と答えることにしている。とにかく寝ることが大好きだ。
 原稿を書くという仕事柄、ときに夜が遅くなることがある。まだ娘が小学校や中学に通っていた頃、朝食だけは一緒に食べようと思い、朝は早く起きていた。しかし朝食を食べ終わると、もう耐えることができないほどの睡魔が襲ってくる。そこで寝るのだが、これがこの世のものとは思えないほど気持ちがよかった。俗に二度寝と呼ばれるものである。
 アジアに出向くことが多く、タイには暮らしたこともあるから、昼寝も体に刷り込まれている。日本の夏の暑さは東南アジアより厳しいから、しばしば昼寝をむさぼることになる。
 バスのなかで寝ることも大好きだ。かつて日本からトルコにイスタンブールまで、バスを乗り継いだ旅をしたことがあった。そのときは、カメラマンと一緒に、ひとりの青年が同行したのだが、旅が終わりにさしかかった頃、こういわれたものだった。
「バスのなかで、いろいろ考えているのかと思って見ると、下川さんはだいたい寝ていますね」
 大きなお世話だと思ったが、事実だからしかたない。
 バスのなかで寝たとき、目が覚めたときの感覚を気に入っている。なんだか頭がすごくよくなったような気になるからだ。そんな脳で眺める風景も輝いて見える。
 このところ、満足に眠ることができないような日々が続いた。寝ることを愛する身としたら大変な苦痛である。仕事がひと段落したいま、暇さえあれば眠っている。
 東京はいま節電対策で、出社時刻を早める会社があるという。こういった会社では、労働時間が長くならないよう、注意を払っているのだという。そんな話を耳にしながら、つい呟いてしまうのだ。
「昼寝をすればいいじゃない」
 台湾やベトナムでは、昼食の後、会社で昼寝をする人が多い。ベトナムなどは、机の間にシートや段ボールを敷き、ことっと寝てしまう。昼休みは2時間にしている会社も多い。日本も暑い国の流儀をとり入れてもいいのではないか……と思ってしまうのだ。
 ベトナムでちょっと寂しい話を聞いた。ベトナムで働いている日本人は、昼寝をしない人が多い。同じ会社で働くベトナム人は昼寝派だが、日本人の労働時間に合わせ、昼寝をしない人もいる。そこから昼寝派と非昼寝派の給料が同じことが問題になってきたのだという。そこで非昼寝派の給料を上げる話がでたとき、一部のベトナム人がこういったという。
「これから昼寝をしませんから、給料を上げてください」
 昼寝を売ろうとしたわけだ。アジアもどんどん世知辛い社会になりつつある。
  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(3)

2011年06月20日

重苦しさを感じるのは僕だけなのか

 この重苦しさはなんだろうか。
 バンコクからの飛行機が着いたとき、東京の空は重い梅雨雲に覆われていた。ときどき小雨がぱらついている。湿度も高い。その気候のせいだろうか。
 いや違う。これまでも、アジアから飛行機で東京に着いたとき、どこか精気のない日本人の表情に暗い気持ちになったことはよくあった。電車のなかでは、ただ携帯電話をいじる姿に不安さえ覚えた。
 しかし今回は、それとは違う重苦しさが街を包んでいた。行く先々、どこもエアコンが切られていた。梅雨どきの重い空気が漂っている。去年の今頃、人々は無意識のうちにエアコンのスイッチを入れていた。除湿が目的の人もいたかもしれない。
 今年は節電なのである。ある週刊誌によると、いまエアコンのスイッチを入れることは非国民らしい。翌日、事務所に出ると、新しく、いくつもの扇風機が置いてあった。
 暑くなり、電力消費量が供給量を上まわると、停電してしまうという説明である。
 しかしふと、思う。停電はそんなに大変なことなのだろうか。
 日本に戻る前日、バンコクで講座があった。僕は毎月、バンコクで日本語の書き方を教える講座をもっている。夕方の講座がはじまったとたん、停電になってしまった。しばらく待っても電気はつかない。学校が駐車場に停めてあった車のライトをつけ、教室内は少し明るくなった。そして懐中電灯。これで講座はなんとかできてしまった。受講生はバンコクに住んでいるから、停電といっても慌てることもない。
 バンコクと比べると、東京はもっと高度な街なのかもしれない。停電の被害はもっと大きいのだろう。しかし……。
 停電を警戒するあまり、なにか人々の間や社会に、重苦しいものが流れるほうが、僕は辛い。皆、なんの意識もせずに電気を使い、停電になって、「困った。困った」というほうが、なんだか気持ちがいい。計画性のないアジアにどっぷり浸かってきたからだ、といわれれば返す言葉もないが。
 節電で電力会社の売り上げは減る。それに対して電気料金が上がるとなれば、皆、納得はできないだろう。原発が絡んだ話だから、よけいに反発がでる。で、税金が投入されれば、結局は自分たちの負担に返ってくる。
 この問題の落としどころはどこなのだろう。
 いや、それよりも、この重苦しい空気が気にかかる。日本人はどうして、先のことばかり考えて、自分たちを苦しい立場に置いてしまうのだろうか……。いや、重苦しさを感じているのは僕だけなのか。
 原発処理の場当たり的な対応と、用意周到な節電対策。そのギャップは、僕のなかで埋まりそうもない。

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Posted by 下川裕治 at 14:04Comments(1)

2011年06月13日

LCCに乗らないですむ

 いろいろな仕事を積み残したまま、明日、カンボジアのプノンペンに行く。
 乗るのはバンコクエアウエイズである。
 バンコクエアウエイズは、バンコクからサムイ島やシュムリアップなど、独占に近い路線では、かなり高い運賃を設定している。しかし、それ以外の路線は、それほど高くない。
 もちろん、エアアジアなどのLCCよりはだいぶ高いのだが。
 カンボジアの航空会社の力が弱いのか、バンコクープノンペン間は、エアアジアの独擅場のような状態である。今回も、エアアジアで予約を入れようとした。
 しかし満席。売り切れになっていた。
 モニターを眺めながら、どこかほっとしたようなところがあった。
「これでエアアジアに乗らないですむ」
 エアアジアを嫌っているわけではない。やはり、運賃の安さは魅力的だ。空席があればエアアジアにしていただろう。
 航空券代は、安ければ安いほどいい……といつも思っている。
 LCCに関する本も書いている。LCCを乗り継いで世界を一周したこともある。
 しかし頻繁に……そう、月に1回ぐらいの割合でLCCに乗っていると、さすがに飽きてくるのだ。
 LCCはサービスを共通にして、経費の節減を図っている。これはありがたいことだ。しかし逆に考えれば、どの路線に乗っても、サービスは同じなのだ。バンコクからクアラルンプールに行っても、台北に向かっても、機内は、恐ろしいほどに一緒である。
 やはりつまらないのである。
 僕は日本の旅行会社に協力してもらい、『今日も機内食』というメールマガジンを発行させてもらっている。僕が乗った飛行機の体験記を綴っている。しかし、エアアジアに関しては、書くことがほとんどない。もっといえば、LCCについて書くことがほとんどない。すべてが共通だから、いまさら……ということになってしまうのだ。
 そして最近、LCCに乗ると、なんともいえないストレスを感じるようになった。たとえばLCCには、預ける荷物に重量制限がある。乗る前に、荷物の重さが気になる。かつてはそれが、安い運賃の代償だと思っていた。しかし本心からいえば、そんなことを気にしないほうがはるかに楽なのだ。
 LCCが普及することで、レガシーキャリアと呼ばれる、既存の航空会社の料金がさがってきている。キャンペーンなどがあれば、LCCより安いことがある。そんなときは、迷いもせずに、既存の航空会社を選ぶ。
 飛行機に多くのことを望んでいるわけではない。機内食などなくてもいい。しかし同時に、ストレスもなければよりいいわけだ。
 これは我がまま利用者の勝手なのだろう。それはわかっている。しかしLCCに乗る段になると、なぜか気が重い。

  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(2)

2011年06月06日

ブログを書く時間がない

 もう日曜日か──。
 このブログは月曜日にアップするために、日曜日に書くことが多い。先週の日曜日も、このブログを書いていた。それから1週間……ひたすら原稿を書いていた。
 本当の締め切りは5月の連休明けだった。しかし、それでも書き終わらず、5月末まで延ばしてもらったのだが……まだ終わっていない。
 昨年、ロシアのサハリンに渡り、間宮海峡を越え、ソヴィエツカヤ・カヴァニという街から列車だけを乗り継ぎ、ポルトガルをめざした。ユーラシア大陸を列車で横断したわけだ。
 このブログでも、その列車旅の日々を紹介していった。読まれた方もいるのかもしれない。
 それを本にしなくてはならない。その原稿を書いているのだ。
 書籍の原稿は、400字詰めの原稿用紙で何枚と換算することが多い。通常、300枚もあれば1冊の本になるのだが、すでに400枚を超えている。しかしまだ終わらない。
 長い旅だった。
 それを書き綴るボリュームも、どうしても多くなってしまう。
 この1週間の間に、エッセイなどの締め切りが4本あった。本の原稿を書きながら、なんとかこなした。
 試写会にも行かなくてはならなかった。『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』という映画である。その劇場用プログラムへの原稿を頼まれていた。タイを舞台にした映画で、出版社を通して依頼が来た。その原稿も大急ぎで仕あげた。
 この1週間、睡眠はめちゃくちゃになっている。30分寝て、4時間原稿に向かう。それでも辛くなってきて、2時間寝る。そしてまた原稿用紙に向かう。
 昼も夜もない状態である。東京は梅雨入りしたという。雨を見あげる余裕もなく、アジサイを眺める時間もない。
 原稿というものの進みぐあいには波がある。決められた時間に一定の量の原稿が書けるわけでもない。昔はもっとすらすらと原稿を書くことができたような気がする。いや、それは、終わった原稿に対する幻影か。
 2日後の飛行機でタイに向かわなくてはならない。それまでに書きあげることができるか、どうか……。綱渡りの時間が刻々と流れていく。
 いま、ここでブログなど書いている時間はないのだ。それでもこうして書いているのは、なぜなのだろう。律儀な性格なのかもしれない。いや、原稿に対してだけ律儀なのだろうか。
 そういえばもう3日もメールを見ていない。なにか問題が起きているようで、恐くて開けられない。ひとつが立てば、ひとつが立たない。こうして不義理を重ねてきた。後に残るのは原稿だけなのか。いや、それすらいまは危うい。
  

Posted by 下川裕治 at 12:42Comments(2)