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ナムジャイブログ

2011年07月25日

中国の高速鉄道の弁当はまずかった

 中国の高速鉄道が衝突、脱線した。高架線路から脱線し、地上まで落ちた映像が世界に流れた。多くの死傷者が出た。
 中国の高速鉄道は動車組と呼ばれる。猛烈な勢いで整備が進んでいった。日本の新幹線が東海道新幹線から、山陽新幹線、そして東北、九州に延びていくのに30年を超える年月がかかった。しかし中国の動車組は、2005年に建設がはじまり、いま、その運行距離は9000キロに達しているという。日本の新幹線の4倍の距離になる。
 中国の高度経済成長の象徴のような鉄道だった。もっとも中国の動車組は、これまでの線路を利用している。日本の新幹線は、専用の幅の広い線路を敷くことからはじまる。その違いはあるのだが、それにしても、中国の動車組の建設スピードは早い。
 昨年、ハルピンから北京まで、この動組車に乗った。2日前にハルピン駅に並んだのだが、翌日までの便はすべて埋まっていた。
 運賃は高かった。2等でも北京まで片道387元、5000円近いのだ。ハルピンでは、市井の食堂のそばが5元、電柱などに貼ってある求人チラシに書かれた月給が、700元、800元という世界で、この運賃なのである。食堂などで働く安い給料の労働者が、動車組で北京を往復すると、1ヵ月分の給料が消えてしまう。
 しかしこの列車が3日待たなければ乗れないほど混み合っているのだ。中国の富もまた膨大だと唸らざるをえなかった。
 この発展ぶりを、日本人は冷ややかに見つめる。かつて世界の目が新幹線に集まった時代は過去の栄光でしかない。次々に開通していく中国の高速鉄道を、「経済の勢いの違い」と眺めるしかない。しかし一度、今回のような事故が起きると、「安全対策をおざなりにした」と一斉に声を上げる。日頃、中国の発展ぶりに抱く苦々しい思いを発散させているようにも映ってしまう。
 しかし日本の指摘は中国にとっては耳が痛い。経済発展というものは、目に見える部分の建設には手応えがある。国民の支持も得やすい。しかしあるレベルに達すると、その先には安全とか保障、サービスといった目に見えない部分の整備が問われてくる。成熟した国家というものは、その先にある。
 中国はいま、その入り口にさしかかりつつあるのかもしれない。これからが実は苦しいのだ。整備には膨大な費用がかかるが、目に見えないものだけに、支持を得にくい。経済成長を体現している人たちには後退にも映る。
 中国は今後、ひとりっ子政策のツケも払っていかなくてはならない。急激に進む高齢化社会が待っているのだ。目に見える発展ばかり追いかけるわけにはいかないのだ。
 昨年、動組車に乗ったとき、車内弁当を食べた。箱に入ったそれは、箱ごと電子レンジで温められて出てきた。いまの中国人は、それが新しいと思っている。しかしその弁当は、「これが中国?」と首を傾げるほどまずかった。これをどうしたらおいしくできるのか。中国の「これから」とは、そういうことのような気がする。
  

Posted by 下川裕治 at 11:56Comments(2)

2011年07月18日

長くて辛い夏

 毎日、暑い。
 先週は台北にいた。台湾も高温で多湿だが、先週に限れば、台北のほうがはるかにすごしやすかった。
 今年の日本の暑さは異質でもある。辛さを伴っている。節電である。東京は節電モードに入っているところが多く、暑さからの逃げ場がない。去年は店に入って、ほっと汗を拭うことがあったが、今年は店内の設定温度を上げていて、「涼しいッ」という第一声がない。
 節電は日本のあらゆるところで実施されている。役所は始業時間を早め、工場は休日をずらすなどの工夫をしている。甲子園の高校野球も試合時間をずらすのだという。なでしこジャパンがワールドカップで優勝したが、その決勝戦は日本時間の午前3時からだった。もし昼間の時間帯にあたったら、悩む人もいたかもしれない。日本人は本当にまじめである。政府や東京電力が設定した節電を、暑さを我慢しながら律儀に守る。
 しかしここにきて、「本当に節電が必要なのか」という議論が湧き起こっている。
 節電の話は、最初から胡散臭かった。たしかに震災直後、電力の供給量は減ったのかもしれない。しかしその後、水力や火力の発電量を増やしたり、ほかの地域から電力をまわしてもらうなどの融通のなかで、供給量は増えた。それだけでは不安だという論理で節電になったのだが、そこには、日本の電力会社の文脈が横たわっている気がする。原発がなければこれだけ大変なのだ、という演出の臭いさえする。
 原発を除いた日本の総発電量は、昨年のピーク時をまかなえる量だという。日本は西と東で周波数が違うから簡単にはいかないが、総量としては足りている。工場などが自家発電などで発電し、余った電力があるが、それを東京電力が買おうとしているわけでもない。長期には無理だが、水力発電量をさらに増やすことも可能だという。
 東京電力と政府が描いたシナリオは、原発を除いた発電量を増やしてまかなうのではなく、節電で夏を乗り切ろうという発想だった。
 そこには反原発派への牽制もあったといわれる。反原発派は環境保護派と重なり合う。節電には馴染みやすい。しかし節電の背後には、「原発がなければこれだけ大変」という論理が組み込まれている。つまりどちらにも進めないという隘路を用意したというのだ。こういうシナリオづくりは、官僚の得意技でもある。そう、日本の電力会社から臭ってくるのは、民間企業のそれではなく、官僚の臭いなのだ。
 しかしそこにひとつの誤算が生まれる。日本人や日本の企業が、あまりに真面目に節電を実行してしてしまったのだ。
 工場のなかには、節電を守る一方で、海外移転を視野に入れはじめているという。安い安定した電力を海外に求めようとしているのだ。
 今年の夏の暑さを辛くさせているのは、見え隠れする策動である。

  

Posted by 下川裕治 at 14:19Comments(0)

2011年07月11日

たった1日の夏休み?

 土曜日は朝から、那覇の球場にいた。バックネット裏の席を知人が確保していてくれた。
 沖縄セルラースタジアム那覇という球場である。以前は奥武山球場といった。沖縄の高校野球の決勝戦は、いつもこの球場だった。沖縄の離島の野球部員にしたら、奥武山球場は憧れだった。沖縄の甲子園球場ともいわれた。
 球場は、プロ野球の公式戦もできるように改装された。座席数もずいぶん増えた。ネット裏席の屋根も大きくなり、日陰がずいぶん増えた。これでずいぶん楽になる。
 夏の高校野球……。以前、石垣島の八重山商工野球部が、沖縄離島勢としては、はじめて甲子園の土を踏んだ。そのストーリーを、『南の島の甲子園』という本にまとめた。それ以来、僕にとっての沖縄の夏に高校野球刷り込まれてしまった。
 夏の甲子園の県予選のなかで、最も早くはじまるのが沖縄である。8月になると、台風に襲われるため、早くはじまるのだ。しかし高校は夏休みに入っていないから、試合は毎週、週末に行われる。沖縄の梅雨が明け、予選がはじまると落ち着かなくなる。暴力的な日射しに晒されての野球観戦……。
 今年も行ってしまった。日陰に座ることができたが、強い海風に吹かれ、流れる雲を眺めながらの高校野球は、僕にとっての沖縄なのである。
 トーナメントは3回戦まで進んでいた。第一試合は八重山と沖縄尚学、第二試合は豊見城と与勝、第三試合は興南と具志川。どれも面白かった。
 沖縄の高校野球のレベルは、確実にレベルアップしてきていることがよくわかる。エースは130キロを超えるストレートを投げる。それが予選レベルなのだ。バントもうまくなった。1点をとる野球というものが、昔に比べればずいぶん浸透してきた。野球がうまくなってきているのだ。
 第一試合はその典型だった。八重山高校は、毎回のようにヒットを打つのだが、点数がとれない。ランナーが塁に出ても、バントや盗塁といった小技が少なく、残塁の回ばかりが続く。しかし沖縄尚学は、少ないチャンスをことごとく点に結びつけてしまう。
「野球部員の体力を調べると、八重山の生徒がトップになるんですよ。遠投とか走力とか。でも試合に勝てない」
 一緒に観戦した八重山出身者はいう。八重山商工がそういうチームだった。沖縄本島に押し寄せる日本。そして南の風をまだいっぱい感じさせてくれる八重山の高校生たち。フィールドに広がる世界もまた沖縄である。
 その日の夜の飛行機で東京に戻った。
 帰りの飛行機のなかで、日程が書き込まれたノートを開く。来週は台湾。その翌週はタイ……。締め切りやら講演、打ち合わせがぎっしりと詰まっている。
 たった1日の夏休み?
 ちょっと切なかった。  

Posted by 下川裕治 at 15:37Comments(0)

2011年07月04日

安曇野の湧き水に反応する体

 おいしい湧き水を飲んだ。
 いま、信州の安曇野の実家にいる。母がひとり暮らしのため、ときどき帰省する。
 近くに話題の水があると聞いて、ペットボトル持参で飲みにいった。開運堂という和菓子屋の入り口の湧き水である。
 安曇野は水に恵まれた盆地である。北アルプスの雪解け水が伏流水になり、安曇野のそこかしこで湧き出る。わさびの栽培も、この水を使っている。
 湧き出る水を口に含んだとき、体のなかのある回路がつながったような気がした。体がとろけそうになった。その水はやわらかった。喉にひっかかるところがないもない。水道水や一般的なミネラルウォーターのような刺々しさがない。
 水がすんなりと喉を通っていく感覚……。グルジアを思い出していた。
 昨年のことだ。首都のトビリシからトルコに向けて、乗り合いバスに揺られていた。道はやがて木々が色づいた谷あいを走り、川に沿った店の前で停まった。トイレ休憩のようだった。
 ぎゅう詰めの車内から解放され、腰を伸ばした。見ると、そこに水が湧き出ていた。乗客は皆、その水を飲む。僕もその水を両手ですくって飲んでみた。みごとなほどにやわらかい水だった。体が反応しているのがよくわかった。
 僕の体は、このやわらかい水を吸い込んでつくられたのかもしれない……。そんな気がした。湧き水の成分に反応する酵素をもっているかのような気がしたのだ。
 さまざまな国を訪ねるから、飲んだ湧き水の種類は多い。中央アジアのシルクロードも湧き水地帯である。天山山脈の水が伏流水になって湧出し、オアシスをつくる。
 その水も何回か飲んだ。おいしいのだが、体が反応するやわらかさがない。清涼だが、体に届くものがない。
 それは伏流水が流れ下る環境なのかもしれなかった。安曇野やグルジアは、木々に覆われた山の土のなかを流れてくる。広葉樹も多い。そんな樹木や落ち葉からにじみ出る有機物が、水をやわらかくしているのかもしれなかった。
 それに比べると、中央アジアは乾燥地帯である。伏流水が流れ下る一帯に木々は少ない。水にミネラルは多いのかもしれないが、有機物を含んだ丸みが加わらない気もした。
 人の味覚は、どういうシステムで決まっていくのかはわからない。科学的にも解明されてはいないだろう。だから勝手な想像力の世界に遊ぶことになるのだが、やはり水にはなにかがあるような気がするのだ。
 湧き水を飲みながら旅をする……。
 安曇野の湧き水を飲みながら、そんなことを考えていた。  

Posted by 下川裕治 at 10:12Comments(1)