2011年12月26日
上海のインドカレー
クリスマスイブである。まだ娘たちが幼かった頃、イブの晩は自宅にいた。そういう晩だった。しかし、下の娘が来年は成人式である。もう家庭でイブという年齢ではないのだろう。
だからというわけではないが……上海にいる。寒さが募る晩である。上海の冬の寒さは骨身に沁みる。北京のほうがはるかに寒いのだが、どこか楽なのだ。
仕事である。僕が所属する事務所は、ガイドブックを発行している。『歩く上海』の打ち合わせや原稿チェックに来ている。
このガイドブックは、現地のスタッフに制作を依頼しているため、タイミングを見計らって現地に出向くことになる。
仕事だから出張ということになるのだが、人が想像するようなものではない。昼間の仕事が終われば、取引先と現地の名物でも食べて……という出張もあるのだろうが、僕の場合、現地のスタッフは夜も眠ることができないような追い込みのときに来るから、夜もひたすら仕事になってしまう。
そこに個人的な本の仕事もある。
上海に着いてから、食事以外、ほとんどホテルを出ていない。ホテルの部屋で原稿を書き、ゲラをチェックしていく。東京のオフィスから空間移動したようなものだが、現地のスタッフと、直接、顔を見ながら打ち合わせができる。
食事はいつもひとりだ。
バンコクに滞在しているときも、ひとりで夕食をとることが多い。
バンコクでいちばん多い夕食……。
ビール1本、サラダ、パン。
海外に出ることが多いから、ご飯や味噌汁がほしいとも思わない。仕事の途中だから、しっかり食べると眠くなってしまう。およそタイ料理とは縁のないものばかりを食べている。
今日はインドカレーだった。僕はいま、地下鉄の静安寺に近い如家酒家というビジネスホテルに泊まっている。夕飯でも食べなければ……と、近くのレストランが集まるビルに入った。インド料理屋がすいていた。ただそれだけで入ってしまった。賑やかな店に入る気分ではなかった。
どうして上海でインド料理?
ちょっと悩んだが、適当な店が近くになかった。ナンとチキンカレー、サラダ、ヨーグルト。そんな夕食をとり、冷え込む路上に出た。まっすぐホテルに戻れば5分ほどだが、ちょっと遠まわりをしようと思った。
路地裏に入ると、安そうな食堂や蘭州麺の店から湯気と明かりが漏れていた。
胡同を思わせる上海の住宅街。そこを歩き続けた。
上海滞在は5日ほどである。
おそらくこの時間が唯一の旅かもしれないと思った。
だからというわけではないが……上海にいる。寒さが募る晩である。上海の冬の寒さは骨身に沁みる。北京のほうがはるかに寒いのだが、どこか楽なのだ。
仕事である。僕が所属する事務所は、ガイドブックを発行している。『歩く上海』の打ち合わせや原稿チェックに来ている。
このガイドブックは、現地のスタッフに制作を依頼しているため、タイミングを見計らって現地に出向くことになる。
仕事だから出張ということになるのだが、人が想像するようなものではない。昼間の仕事が終われば、取引先と現地の名物でも食べて……という出張もあるのだろうが、僕の場合、現地のスタッフは夜も眠ることができないような追い込みのときに来るから、夜もひたすら仕事になってしまう。
そこに個人的な本の仕事もある。
上海に着いてから、食事以外、ほとんどホテルを出ていない。ホテルの部屋で原稿を書き、ゲラをチェックしていく。東京のオフィスから空間移動したようなものだが、現地のスタッフと、直接、顔を見ながら打ち合わせができる。
食事はいつもひとりだ。
バンコクに滞在しているときも、ひとりで夕食をとることが多い。
バンコクでいちばん多い夕食……。
ビール1本、サラダ、パン。
海外に出ることが多いから、ご飯や味噌汁がほしいとも思わない。仕事の途中だから、しっかり食べると眠くなってしまう。およそタイ料理とは縁のないものばかりを食べている。
今日はインドカレーだった。僕はいま、地下鉄の静安寺に近い如家酒家というビジネスホテルに泊まっている。夕飯でも食べなければ……と、近くのレストランが集まるビルに入った。インド料理屋がすいていた。ただそれだけで入ってしまった。賑やかな店に入る気分ではなかった。
どうして上海でインド料理?
ちょっと悩んだが、適当な店が近くになかった。ナンとチキンカレー、サラダ、ヨーグルト。そんな夕食をとり、冷え込む路上に出た。まっすぐホテルに戻れば5分ほどだが、ちょっと遠まわりをしようと思った。
路地裏に入ると、安そうな食堂や蘭州麺の店から湯気と明かりが漏れていた。
胡同を思わせる上海の住宅街。そこを歩き続けた。
上海滞在は5日ほどである。
おそらくこの時間が唯一の旅かもしれないと思った。
Posted by 下川裕治 at
09:31
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2011年12月19日
那覇から宮古島まで2800円フライト
やっと日本もLCCの時代……。
先週、沖縄の那覇から宮古島に向かうスカイマーク航空に乗って実感した。片道運賃は2800円。これまで片道1万円近い運賃を払っていたわけだから、まさにLCCの時代である。
一昨年、日本は国際線のLCC元年といわれた。そして今年は、国内線のLCC元年というらしい。僕もLCCに関する本を3冊も書いた。テレビや新聞、雑誌からの取材も多い。
LCCは就航時、1000円を切るキャンペーン価格を打ち出す。それに反応した取材となると困る。そういうチケットはまず手に入らないか、数ヵ月先の予約である。
必ずといっていいほど、LCC運賃を使ったコースづくりの話になる。これも困る。番組や雑誌が発表されるとき、どんな運賃になっているかがわからないのだ。LCC運賃は、搭乗する日が近づくほど高くなる傾向があるし、為替レートの問題もある。
そんななかで予測運賃を出していくと、LCCといっても必ずしも安いわけではなくなってくる。LCCが就航すると、既存の航空会社も運賃を下げてくるから、割安感はさらに薄くなってしまう。
日本に乗り入れる国際線LCCの運賃は、実際にはそう安くないことが多かった。LCC元年といっても、目を瞠るほどではなかった。
しかし沖縄の離島便は違った。那覇ー宮古島間は、搭乗日がかなり近づいても2800円で買うことができる。それに1日に何便も就航している。
LCCは沖縄の島の暮らしを変えつつある。いまの沖縄は忘年会シーズンだが、宮古島の人が那覇で忘年会、那覇の人が宮古島で忘年会ということが起きている。週末にゴルフのために、宮古島にやってくる那覇の人も増えた。これからはじまる入学試験、そして那覇の医療機関に向かう人、中学や高校の部活の遠征。沖縄の島にとって、唯一の足である飛行機の運賃が安くなることが、島を活気づけていた。既存の日本航空系の日本トランスオーシャンや全日空からのスカイマークに鞍替えする人が次々に現れている。
「日本トランスオーシャンには、親戚も働いているし、いままでいろいろお世話になった。ただこんなに運賃が違ってしまうと、やっぱりスカイマークになってしまうさー」
宮古島の人口は5万人ほど。人間関係も濃密である。しかしそんな関係を度返ししてしまう安さなのだ。LCCはこういう区間で、本領を発揮する。
那覇ー石垣島間はスカイマーク航空が就航していない。しかし石垣島は、なんとか早く就航できるよう動き出している。宮古島だけ活気づくのが歯がゆいのだ。こうして雪崩現象が起きていく。一気にLCCが席巻していくのだ。ヨーロッパやアジアで起きた風が、やっと日本に吹いてきた。
先週、沖縄の那覇から宮古島に向かうスカイマーク航空に乗って実感した。片道運賃は2800円。これまで片道1万円近い運賃を払っていたわけだから、まさにLCCの時代である。
一昨年、日本は国際線のLCC元年といわれた。そして今年は、国内線のLCC元年というらしい。僕もLCCに関する本を3冊も書いた。テレビや新聞、雑誌からの取材も多い。
LCCは就航時、1000円を切るキャンペーン価格を打ち出す。それに反応した取材となると困る。そういうチケットはまず手に入らないか、数ヵ月先の予約である。
必ずといっていいほど、LCC運賃を使ったコースづくりの話になる。これも困る。番組や雑誌が発表されるとき、どんな運賃になっているかがわからないのだ。LCC運賃は、搭乗する日が近づくほど高くなる傾向があるし、為替レートの問題もある。
そんななかで予測運賃を出していくと、LCCといっても必ずしも安いわけではなくなってくる。LCCが就航すると、既存の航空会社も運賃を下げてくるから、割安感はさらに薄くなってしまう。
日本に乗り入れる国際線LCCの運賃は、実際にはそう安くないことが多かった。LCC元年といっても、目を瞠るほどではなかった。
しかし沖縄の離島便は違った。那覇ー宮古島間は、搭乗日がかなり近づいても2800円で買うことができる。それに1日に何便も就航している。
LCCは沖縄の島の暮らしを変えつつある。いまの沖縄は忘年会シーズンだが、宮古島の人が那覇で忘年会、那覇の人が宮古島で忘年会ということが起きている。週末にゴルフのために、宮古島にやってくる那覇の人も増えた。これからはじまる入学試験、そして那覇の医療機関に向かう人、中学や高校の部活の遠征。沖縄の島にとって、唯一の足である飛行機の運賃が安くなることが、島を活気づけていた。既存の日本航空系の日本トランスオーシャンや全日空からのスカイマークに鞍替えする人が次々に現れている。
「日本トランスオーシャンには、親戚も働いているし、いままでいろいろお世話になった。ただこんなに運賃が違ってしまうと、やっぱりスカイマークになってしまうさー」
宮古島の人口は5万人ほど。人間関係も濃密である。しかしそんな関係を度返ししてしまう安さなのだ。LCCはこういう区間で、本領を発揮する。
那覇ー石垣島間はスカイマーク航空が就航していない。しかし石垣島は、なんとか早く就航できるよう動き出している。宮古島だけ活気づくのが歯がゆいのだ。こうして雪崩現象が起きていく。一気にLCCが席巻していくのだ。ヨーロッパやアジアで起きた風が、やっと日本に吹いてきた。
Posted by 下川裕治 at
14:27
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2011年12月12日
スマートフォンから携帯に戻ってしまった
なさけない話を書く。
僕は先月、スマートフォンから普通の携帯電話に戻ってしまった。理由は単純である。スマートフォンをうまく使いこなせないからだ。
僕のスマートフォンは、日本で売られているものではない。タイで買った。Wellcomという会社のものである。
スマートフォンを日本で買うつもりはなかった。日本のそれは、シムロックといって、海外で売られているシムカードを挿入して使うことができないタイプである。日本の携帯電話やスマートフォンは、独自の進化系に入っている。ガラパゴス携帯とも呼ばれている。海外でも同じ機械を使うつもりだったから、タイではあたり前の、つまりシムフリーの機械を買った。タイでもスマートフォンを使う人が増えはじめた時期だった。
海外では不自由なく使っていた。中国、ベトナム、台湾、香港、バングラデシュ……。それぞれの国のシムカードを入れるて通話した。
問題は日本だった。僕はドコモの携帯電話を使っている。その機械からシムカードを抜き出し、タイで買ったスマートフォンに挿入した。電話は問題なく使えた。しかしアドレス帳が入らない。そうか、日本語をインストールしないとだめなのか……。苦労して日本語をインストールした。それでもアドレス帳が入らない。ドコモのCDカードからならインポートできるかもしれない、と知人にいわれ、やっとの思いでアドレス帳を入れた。しかし名前の順番が、どう考えてもランダムで、名前を探すのに苦労する。
ちょこちょこいじっているうちに、日本語をアインストールしてしまった。メールはSMSにしていたが、ついに家に帰るときも、「I will return」などと英語で送るしまつだった。
いろいろ考えた。日本の携帯電話は電話とメールしか使っていなかった。ネットにつなくことはなかった。そういう人間が、スマートフォンを手にしても、その機能とは無縁で、ただ煩雑なだけではないか。スマートフォンはシムフリーの携帯電話として、海外だけで使えばいいのではないか。
ひと晩悩んで、携帯電話に戻った。
最近、吉田友和氏の『インテリジェント旅行術』(講談社)を読んだ。スマートフォンは進化していた。テザリングという機能には触手がうごいた。スマートフォンには、携帯電話の電波をWi-Fiに変えてしまう機能がつきはじめているのだという。もしこの機能をうまく使いこなせれば、Wi-Fiを使うことができるホテルやカフェを探してパソコンでメールをやりとりする必要がなくなる。携帯電話の電波のあるところなら、どこでもパソコンでメールを使えることになる。
ホテルやカフェでは、Wi-Fi使用料をとられることも多い。その料金もテザリング機能を使えばかなり安くなる。それにバイバーなどのインターネット電話……。
通信代を安くするためには、スマートフォンに戻るしかないらしい。再びスマートフォン。ちょっと気が重い。
僕は先月、スマートフォンから普通の携帯電話に戻ってしまった。理由は単純である。スマートフォンをうまく使いこなせないからだ。
僕のスマートフォンは、日本で売られているものではない。タイで買った。Wellcomという会社のものである。
スマートフォンを日本で買うつもりはなかった。日本のそれは、シムロックといって、海外で売られているシムカードを挿入して使うことができないタイプである。日本の携帯電話やスマートフォンは、独自の進化系に入っている。ガラパゴス携帯とも呼ばれている。海外でも同じ機械を使うつもりだったから、タイではあたり前の、つまりシムフリーの機械を買った。タイでもスマートフォンを使う人が増えはじめた時期だった。
海外では不自由なく使っていた。中国、ベトナム、台湾、香港、バングラデシュ……。それぞれの国のシムカードを入れるて通話した。
問題は日本だった。僕はドコモの携帯電話を使っている。その機械からシムカードを抜き出し、タイで買ったスマートフォンに挿入した。電話は問題なく使えた。しかしアドレス帳が入らない。そうか、日本語をインストールしないとだめなのか……。苦労して日本語をインストールした。それでもアドレス帳が入らない。ドコモのCDカードからならインポートできるかもしれない、と知人にいわれ、やっとの思いでアドレス帳を入れた。しかし名前の順番が、どう考えてもランダムで、名前を探すのに苦労する。
ちょこちょこいじっているうちに、日本語をアインストールしてしまった。メールはSMSにしていたが、ついに家に帰るときも、「I will return」などと英語で送るしまつだった。
いろいろ考えた。日本の携帯電話は電話とメールしか使っていなかった。ネットにつなくことはなかった。そういう人間が、スマートフォンを手にしても、その機能とは無縁で、ただ煩雑なだけではないか。スマートフォンはシムフリーの携帯電話として、海外だけで使えばいいのではないか。
ひと晩悩んで、携帯電話に戻った。
最近、吉田友和氏の『インテリジェント旅行術』(講談社)を読んだ。スマートフォンは進化していた。テザリングという機能には触手がうごいた。スマートフォンには、携帯電話の電波をWi-Fiに変えてしまう機能がつきはじめているのだという。もしこの機能をうまく使いこなせれば、Wi-Fiを使うことができるホテルやカフェを探してパソコンでメールをやりとりする必要がなくなる。携帯電話の電波のあるところなら、どこでもパソコンでメールを使えることになる。
ホテルやカフェでは、Wi-Fi使用料をとられることも多い。その料金もテザリング機能を使えばかなり安くなる。それにバイバーなどのインターネット電話……。
通信代を安くするためには、スマートフォンに戻るしかないらしい。再びスマートフォン。ちょっと気が重い。
Posted by 下川裕治 at
14:59
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2011年12月05日
1台の救急車より点滴バイク
バンコクでBTSや地下鉄の駅から少し離れたところに泊まると、つい、バイクタクシーに乗ってしまう。事故とか排気ガスといったことを考えれば、乗らないほうがいいのかもしれない。運賃もタクシーより安いわけではない。しかし、目的地に渋滞も関係なく着いてしまうことはありがたい。時間に余裕のないときは、やはり頼ってしまう。
最近のタイは景気がいいらしい。時間帯や場所にもよるが、渋滞が戻ってきつつある。先日も乗ったタクシーがひどい渋滞にはまってしまった。約束の時刻に間に合いそうもない。バイクタクシーに頼るしかなかった。
バンコクという街は正直だ。少し景気がよくなると、すぐに渋滞が現れる。それに比べると、東京の車の混み具合は、景気への反応が鈍い。この違いはなんだろうか……と考えることがある。街の構造だろうか。民族の違いだろうか。
先週はカンボジアにいた。プノンペンもバイクタクシーが欠かせない街だ。プノンペンのそれは、後部座席が水平で広く改造してある。安定感があって座り心地もいい。バンコクのバイクタクシーも、そのくらいの改造をしてほしいといつも思う。ブレーキをかけたときなど、尻が前に動いていってしまうのだ。バンコクには、そういう改造を規制するルールでもあるのだろうか。そんなものはない気がするのだが。
カンボジアでは、よく点滴バイクを見かける。患者が後に乗り、点滴をしながら病院に向かうのだ。村の診療所などで治療を受け、点滴をしながら病院に向かうのではないかと思う。重症ではないのだろうが、田舎の道ではじめてこの光景を見たとき、いったいどういう国なのかと思ったものだった。
そんな話を海外で活動する日本の医療NPOのスタッフと話したことがある。
「それってすごいアイデアかもしれない」
彼は目を輝かせた。
救急車が少ない発展途上国では、患者の病院への移送が大変なのだという。点滴をしながら移送しようと思うと、天井の高い車を用意しないといけない。しかし一般にすぐ手配できるのは、通常の乗用車。点滴用のフレームが引っかかってしまい、なかなかうまく点滴セットを車内に持ち込めないらしい。
「バイクなら、すぐにできるじゃないですか。簡単そのもの。バイクはすぐに手配できますからね」
発展途上国といっても、都市の渋滞が社会問題になっているところが多いという。道の拡張といったインフラが整わないまま、車だけが増えてしまうのだ。そんな街では、救急車もなかなかうまく機能しない。しかしバイクなら問題はない。
1台の救急車より点滴バイク。使い勝手のいいものは現場にある。そういうことなのだろう。
最近のタイは景気がいいらしい。時間帯や場所にもよるが、渋滞が戻ってきつつある。先日も乗ったタクシーがひどい渋滞にはまってしまった。約束の時刻に間に合いそうもない。バイクタクシーに頼るしかなかった。
バンコクという街は正直だ。少し景気がよくなると、すぐに渋滞が現れる。それに比べると、東京の車の混み具合は、景気への反応が鈍い。この違いはなんだろうか……と考えることがある。街の構造だろうか。民族の違いだろうか。
先週はカンボジアにいた。プノンペンもバイクタクシーが欠かせない街だ。プノンペンのそれは、後部座席が水平で広く改造してある。安定感があって座り心地もいい。バンコクのバイクタクシーも、そのくらいの改造をしてほしいといつも思う。ブレーキをかけたときなど、尻が前に動いていってしまうのだ。バンコクには、そういう改造を規制するルールでもあるのだろうか。そんなものはない気がするのだが。
カンボジアでは、よく点滴バイクを見かける。患者が後に乗り、点滴をしながら病院に向かうのだ。村の診療所などで治療を受け、点滴をしながら病院に向かうのではないかと思う。重症ではないのだろうが、田舎の道ではじめてこの光景を見たとき、いったいどういう国なのかと思ったものだった。
そんな話を海外で活動する日本の医療NPOのスタッフと話したことがある。
「それってすごいアイデアかもしれない」
彼は目を輝かせた。
救急車が少ない発展途上国では、患者の病院への移送が大変なのだという。点滴をしながら移送しようと思うと、天井の高い車を用意しないといけない。しかし一般にすぐ手配できるのは、通常の乗用車。点滴用のフレームが引っかかってしまい、なかなかうまく点滴セットを車内に持ち込めないらしい。
「バイクなら、すぐにできるじゃないですか。簡単そのもの。バイクはすぐに手配できますからね」
発展途上国といっても、都市の渋滞が社会問題になっているところが多いという。道の拡張といったインフラが整わないまま、車だけが増えてしまうのだ。そんな街では、救急車もなかなかうまく機能しない。しかしバイクなら問題はない。
1台の救急車より点滴バイク。使い勝手のいいものは現場にある。そういうことなのだろう。
Posted by 下川裕治 at
15:47
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