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ナムジャイブログ

2012年07月02日

裏食堂の匂い

 3日ほど前、無性にビルマ(ミャンマー)料理の店に行きたくなった。ビルマ料理が特別に好きというわけではない。『ノング・インレー』というその店の空気に浸りたくなったといったほうがいいのかもしれない。
 店は高田馬場駅近くのガード下にある。
 この店に行きたくなる理由……。日本に次々にアジア料理の店ができた時代の匂いがするからだ。
 東京にタイ料理店が登場しはじめたのは、30年ほど前ではないかと思う。やがてエスニックブームに火がついていく。
 当時、東京の繁華街には、2種類のタイ料理店があった。表と裏である。表タイ料理店は、日本人向けで、ちゃんと看板も出ていた。しかし味がしっかりしていたのは裏タイ料理店だった。
 問題は裏の店をどう見つけるかだった。なにしろ看板も出ていないのだ。インターネットなどの検索ツールもない時代だった。
 僕は知人と尾行作戦をとった。当時、新宿の歌舞伎町には、多くのタイ人女性が、不法就労の形で働いていた。彼女らは、店が終わると、タイ料理店で食事をした。その店が裏の世界だったのだ。
 店のコックやスタッフ、そして客も皆、不法滞在だった。観光ビザで入国したタイ人で、多くがそのビザも切れていた。彼らは入国管理局や警察の摘発を警戒していた。堂々と店を開くことができなかったのだ。
 しかし客はタイ人である。日本人向けのように、骨を抜いたタイ料理は出せない。こういう店の料理は本物に近かった。
 裏タイ料理店によく通った。店の多くが、元カラオケスナックだった。その内装をそのまま使っていたのだ。改装する金など彼らにはなかった。完全な居ぬきだった。
 ソファに座り、低いテーブルに置かれた料理を、背中を丸めるようにして食べる。それが裏の食べ方だった。天井からはミラーボールが吊るされていた。
 その後、タイ人の不法就労問題の取材が続いた。場所は歌舞伎町から茨城、群馬、長野と広がっていったが、昼も夜も、食事は裏タイ料理店か彼らのアパートだった。
『ノーング・インレー』は、その裏の世界を思い出させた。テーブルは低くないが、狭い店内の奥には、無意味なカウンターがある。テーブルの位置も、食堂のそれではない。僕の記憶では、昔はミラーボールもあった気がする。きっと小さなカラオケスナックだったのに違いない。
 タイ料理店は、ブームに乗ってずいぶん立派になってしまった。裏から表になった店も知っている。しかしその分、料理とスタッフの顔つきは日本人化していった。笑顔も少なくなった気がする。
 しかしビルマ料理店は、その波に乗れなかったきらいがある。700円のランチを頬張りながら、あの時代が蘇る。違法な世界だったが、皆、いい顔をしていた。
  

Posted by 下川裕治 at 14:44Comments(4)