2012年08月27日
ビザのリベンジは成功したが……
カンボジアのシュムリアップにいる。
今朝、バンコクを6時に発った。ロットゥーというマイクロバスと通常のバスを乗り継いでアランヤプラテートのバスターミナルに着いたのは10時すぎだった。
さて……。
荷物を担いだ。ここから先の国境で、僕はこれまで3回騙されていた。こんどこそは……という覚悟である。
騙されたのはビザだった。アランヤプラテートの鉄道駅やバスターミナルからトゥクトゥクやバイクタクシーに乗ると、必ず国境脇のオフィスの前で降ろされてしまう。「ここがビザオフィス」といわれるのだが、ここでビザをとると35ドル近くもとられてしまうのだ。
建物は立派で、英語も通じる。なんとなく政府のオフィスのようにも見える。
昨年も、このルートを通った。35ドルでビザをとり、タイを出国。カンボジア側のイミグレーションに向かうと、看板に、「到着ビザ」という英語表記があった。
空路でカンボジアに入る場合、この到着ビザをとることが多い。観光なら20ドルだ。
陸路で入国する場合は、このシステムがないのかもしれない……と思っていた。しかしちゃんとあるではないか。その建物に入って料金を確認すると、やはり20ドルだった。
「あの国境手前の建物でとるビザはなんなのだろうか」
シェムリアップの日本人に訊くと、政府系建物を装った民間会社らしい。タイ側のトゥクトゥクの運転手も巻き込んだ「ぼったくり」だった。いや、かつては到着ビザがなく、このオフィスでしかビザをとることができなかったのかもしれない。
バスターミナルで乗ったトゥクトゥクの運転手に、「ビザはカンボジア側でとるから、国境ゲートまで行ってくれ」といった。首を縦に振ったが、着いたところは例のオフィスの前だった。「ここじゃなくて……」というと、運転手は不審げな顔をする。ここまで連れてくるのが当然のことのように思っているらしい。オフィスから男が出てきた。面倒なことになりそうだったので、運転手をせかして、ゲートの手前まで行ってもらった。
タイを出国し、カンボジアに入る。そして到着ビザオフィスで、書類を書き、写真と20ドル紙幣を添えて窓口に出した。
ここも曲者のオフィスだと聞いていた。ビザ代は20ドルだが、なにかと理由をつけて、100バーツとか200バーツを要求することがあるらしい。へたをすると、タイ側でとるビザより高くなることもあるという。
窓口の前の椅子に座って待った。
5分ほどたっただろうか。職員が僕のパスポートを手にして近づいてきた。なにかをいいだすのだろうか……。ところが職員は、パスポートの顔写真のページを開いて確認すると、すっと手渡してくれた。
「………?」
これで終わりなの?
文句はなにもないが、拍子抜けした。
この国境もようやく通常の国境になったのだろうか。いや、そうは思わない。次に通過するとき、なにが起きるかわからない。タイとカンボジアの国境は、ひと筋縄ではいかない。これまでの旅で何回も味わったことだ。
今朝、バンコクを6時に発った。ロットゥーというマイクロバスと通常のバスを乗り継いでアランヤプラテートのバスターミナルに着いたのは10時すぎだった。
さて……。
荷物を担いだ。ここから先の国境で、僕はこれまで3回騙されていた。こんどこそは……という覚悟である。
騙されたのはビザだった。アランヤプラテートの鉄道駅やバスターミナルからトゥクトゥクやバイクタクシーに乗ると、必ず国境脇のオフィスの前で降ろされてしまう。「ここがビザオフィス」といわれるのだが、ここでビザをとると35ドル近くもとられてしまうのだ。
建物は立派で、英語も通じる。なんとなく政府のオフィスのようにも見える。
昨年も、このルートを通った。35ドルでビザをとり、タイを出国。カンボジア側のイミグレーションに向かうと、看板に、「到着ビザ」という英語表記があった。
空路でカンボジアに入る場合、この到着ビザをとることが多い。観光なら20ドルだ。
陸路で入国する場合は、このシステムがないのかもしれない……と思っていた。しかしちゃんとあるではないか。その建物に入って料金を確認すると、やはり20ドルだった。
「あの国境手前の建物でとるビザはなんなのだろうか」
シェムリアップの日本人に訊くと、政府系建物を装った民間会社らしい。タイ側のトゥクトゥクの運転手も巻き込んだ「ぼったくり」だった。いや、かつては到着ビザがなく、このオフィスでしかビザをとることができなかったのかもしれない。
バスターミナルで乗ったトゥクトゥクの運転手に、「ビザはカンボジア側でとるから、国境ゲートまで行ってくれ」といった。首を縦に振ったが、着いたところは例のオフィスの前だった。「ここじゃなくて……」というと、運転手は不審げな顔をする。ここまで連れてくるのが当然のことのように思っているらしい。オフィスから男が出てきた。面倒なことになりそうだったので、運転手をせかして、ゲートの手前まで行ってもらった。
タイを出国し、カンボジアに入る。そして到着ビザオフィスで、書類を書き、写真と20ドル紙幣を添えて窓口に出した。
ここも曲者のオフィスだと聞いていた。ビザ代は20ドルだが、なにかと理由をつけて、100バーツとか200バーツを要求することがあるらしい。へたをすると、タイ側でとるビザより高くなることもあるという。
窓口の前の椅子に座って待った。
5分ほどたっただろうか。職員が僕のパスポートを手にして近づいてきた。なにかをいいだすのだろうか……。ところが職員は、パスポートの顔写真のページを開いて確認すると、すっと手渡してくれた。
「………?」
これで終わりなの?
文句はなにもないが、拍子抜けした。
この国境もようやく通常の国境になったのだろうか。いや、そうは思わない。次に通過するとき、なにが起きるかわからない。タイとカンボジアの国境は、ひと筋縄ではいかない。これまでの旅で何回も味わったことだ。
Posted by 下川裕治 at
13:25
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2012年08月20日
こんな旅しかできない
自分が特別、ストイックな人間だとは思っていない。苦しいことより、楽しいことを選ぶし、だらだらとすごす時間も多い。オリンピックに出場する選手のように、日々、体を鍛え、トレーニングを積み、4年に1回の大会に備えるような日々は辛いだろうなぁ……とひとりごちる。
しかし人からこういわれることが多い。
「下川さんの旅ってストイックですよね」
最近、発売になった『週末アジアでちょっと幸せ』(朝日文庫)を読んだ読者の口からも、よくいわれる。
この本は週末にアジアに出向く紀行なのだが、短い日数のなかで、いかに充実した旅をすごすかといった内容ではない。買い物や名物料理や、マッサージといったものもほとんど登場しない。週末にマレーシアのバトゥパハに向かい、金子光晴の世界に浸る。その地名が気に入って、中国の星星峡をめざす。バンコクでは、運河ボートに揺られる……。
「はじめに」でもこう書いている。
──食べ物の話もあまりしない。食べる場所は、いつもその場で決めているし、だいたい味覚というものは個人差がありすぎる。腹が減っていればなんでもおいしい。買い物にも興味はない。マッサージも嫌いだ。人に触られるぐらいなら、自分でストレッチ体操をする。
こういう文章からストイックな旅人と思われてしまうのだろうか。たしかに筆致も弾けるほど明るくはない。
しかし僕はしっかりと楽しんでいる。その内容が、旅行パンフレットやガイドブックと違うだけだ。
人にはそれぞれ、旅の楽しみ方がある。どんな旅をしようが自由である。しかし旅の情報というものは、えてして観光の定番をつくりあげていく。そこにはつくりあげられた定番と口コミ式に広まった定番がある。世界遺産などは、国際機関は旅の定番を認定しているようなものだ。
「シュムリアップへ行ってアンコールワットは見ないんですか?」
「台北に行って、鼎泰豊の小籠包を食べないんですか?」
定番をはずしてしまう旅行者は変人扱いされてしまう。どこかストイックな旅人にも映ってしまうのだ。
定番観光を目の敵にしているわけではない。実際、僕はアンコールワットも鼎泰豊の小籠包も知っている。家族で旅をすると、やはりはずせない場所になるからだ。
しかしひとりの旅は違う。僕には別の旅がある。そういう旅ばかりを繰り返してきた。いいとか、悪いというレベルの話ではない。僕はそういう旅しかできないし、それでなければ、「ちょっと幸せ」にはなれないのだ。
胸を張って伝えられるような旅ではない。
しかし僕はこんな旅しかできない。
しかし人からこういわれることが多い。
「下川さんの旅ってストイックですよね」
最近、発売になった『週末アジアでちょっと幸せ』(朝日文庫)を読んだ読者の口からも、よくいわれる。
この本は週末にアジアに出向く紀行なのだが、短い日数のなかで、いかに充実した旅をすごすかといった内容ではない。買い物や名物料理や、マッサージといったものもほとんど登場しない。週末にマレーシアのバトゥパハに向かい、金子光晴の世界に浸る。その地名が気に入って、中国の星星峡をめざす。バンコクでは、運河ボートに揺られる……。
「はじめに」でもこう書いている。
──食べ物の話もあまりしない。食べる場所は、いつもその場で決めているし、だいたい味覚というものは個人差がありすぎる。腹が減っていればなんでもおいしい。買い物にも興味はない。マッサージも嫌いだ。人に触られるぐらいなら、自分でストレッチ体操をする。
こういう文章からストイックな旅人と思われてしまうのだろうか。たしかに筆致も弾けるほど明るくはない。
しかし僕はしっかりと楽しんでいる。その内容が、旅行パンフレットやガイドブックと違うだけだ。
人にはそれぞれ、旅の楽しみ方がある。どんな旅をしようが自由である。しかし旅の情報というものは、えてして観光の定番をつくりあげていく。そこにはつくりあげられた定番と口コミ式に広まった定番がある。世界遺産などは、国際機関は旅の定番を認定しているようなものだ。
「シュムリアップへ行ってアンコールワットは見ないんですか?」
「台北に行って、鼎泰豊の小籠包を食べないんですか?」
定番をはずしてしまう旅行者は変人扱いされてしまう。どこかストイックな旅人にも映ってしまうのだ。
定番観光を目の敵にしているわけではない。実際、僕はアンコールワットも鼎泰豊の小籠包も知っている。家族で旅をすると、やはりはずせない場所になるからだ。
しかしひとりの旅は違う。僕には別の旅がある。そういう旅ばかりを繰り返してきた。いいとか、悪いというレベルの話ではない。僕はそういう旅しかできないし、それでなければ、「ちょっと幸せ」にはなれないのだ。
胸を張って伝えられるような旅ではない。
しかし僕はこんな旅しかできない。
Posted by 下川裕治 at
15:41
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2012年08月13日
【新刊プレゼント】週末アジアでちょっと幸せ
新刊の発売に伴う、プレゼントとイベントのご案内です。

週末アジアでちょっと幸せ
週末アジア──。でも、この本には、グルメや買い物、エステも登場しません。しかし日々の雑事から逃げて、人生を忘れそうになる旅が詰まっています。バンコクの運河ボートに揺られ、ベトナムの国境を歩いて渡る。マレーシアの熱帯雨林を金子光晴のように船で遡り、沖縄の多良間島の道端で「遊ぶのは楽しすぎてたまらない」という看板に出合う。そこで味わう「ちょっと幸せ」な旅物語です。
上記、新刊本「週末アジアでちょっと幸せ」を、今回も、
抽選で"3名さま"にプレゼントします!
応募の条件は以下です。
応募は以下の内容をご記入の上、下記のお問合せフォームよりご連絡ください。
応募受付期間は2012年8月31日まで。当選発表は発送をもってかえさせていただきます。
お問合せフォーム
http://www.namjai.cc/inquiry.php
今すぐほしい!という方は、下記アマゾンから購入可能です。
アマゾン:週末アジアでちょっと幸せ (朝日文庫)
【新刊】

週末アジアでちょっと幸せ
週末アジア──。でも、この本には、グルメや買い物、エステも登場しません。しかし日々の雑事から逃げて、人生を忘れそうになる旅が詰まっています。バンコクの運河ボートに揺られ、ベトナムの国境を歩いて渡る。マレーシアの熱帯雨林を金子光晴のように船で遡り、沖縄の多良間島の道端で「遊ぶのは楽しすぎてたまらない」という看板に出合う。そこで味わう「ちょっと幸せ」な旅物語です。
【プレゼント】
上記、新刊本「週末アジアでちょっと幸せ」を、今回も、
抽選で"3名さま"にプレゼントします!
応募の条件は以下です。
1.本を読んだ後に、レビューを書いてブログに載せてくれること。
(タイ在住+日本在住の方も対象です。)
(タイ在住+日本在住の方も対象です。)
応募は以下の内容をご記入の上、下記のお問合せフォームよりご連絡ください。
応募受付期間は2012年8月31日まで。当選発表は発送をもってかえさせていただきます。

http://www.namjai.cc/inquiry.php
1.お問合せ用件「その他」を選んでください。
2.「お問い合わせ内容」の部分に以下をご記載ください。
・お名前
・Eメールアドレス
・ブログURL(記事を掲載するブログ)
・郵送先住所
・お電話番号
・ご希望の書名(念のため記載ください)
2.「お問い合わせ内容」の部分に以下をご記載ください。
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今すぐほしい!という方は、下記アマゾンから購入可能です。

Posted by 下川裕治 at
17:57
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2012年08月13日
山はなにも変わらない
久しぶりに山に登った。本当に久しぶりである。指折り数えてみると、5年も登山靴を履いていなかった。それだけ仕事に追われていたのだろうか。その記憶すらおぼろげなのだが。
北アルプスの爺ヶ岳への山道を登りはじめた。うまくいけば鹿島槍まで……という思いもあった。天気はよかった。
高校時代、山岳部で山に登っていた。当時の感覚では、爺ヶ岳は初級の山で、鼻歌気分で登る山だった。しかし、しばらく山から遠ざかっている。山登りの辛さや怖さは、ある程度わかっているつもりだ。
いや、そういう冷静な判断で爺ヶ岳を選んだわけではない。ちょっと怖かったのだ。果たして、前のように登ることができるだろうか。自信がなかった。
とっつきは順調だった。爺ヶ岳への道は、大町から車で小1時間の扇沢からはじまっている。最初から尾根道になる。急な登り坂が続く。大量の汗が出た。驚くほどの量の汗が額や首筋を伝った。首に巻いたタオルを絞ると、水滴が滴るほどだった。シャツは汗でぐっしょりと濡れていた。
「こんなに汗が出ただろうか」
これまでの山を思い出してみる。記憶にない汗だった。
2時間ほど登った頃だったろうか。昨夜、稜線の種池山荘に泊まった登山客が次々に降りてきた。人のことはいえないが、最近の山は中高年一色である。彼らは10人から20人程度の集団登山。山道は基本的に登る人優先というルールがあるから、彼らが待ってくれるのだが、その距離が長い。こちらも悪いと思うから、つい急いで登ってしまう。
そんなことを繰り返しているうちに、急に寒気がしてきた。なにか体から血が引いていくような感覚である。立っているのも辛くなってきた。山道の途中にうずくまるように腰をおろした。
「バテたってことだろうか」
下る登山客から、「大丈夫ですか」と声をかけられたから、顔色もよくなかったのかもしれない。水を飲み、チーズを食べ、梅干しを口に含む。体力が落ちたっていうことだろうか。いや体重? 僕はここ10年の間に5キロほど太った。汗だろうか。大量の汗をかいたことで、体内の電解質のバランスが一気に崩れてしまった? さまざまな思いが脳裡を駆けめぐった。
下山も考えた。
30分ぐらいそこで休んでいただろうか。気分もよくなってきた。もう少し登り、体調がまた悪くなったら下るつもりでザックを背負った。休み休み登った。なんとか種池山荘まで登った。3時間30分とコースタイムが登山口に書かれていた。僕は5時間もかかってしまった。山荘の前のテラスで、後立山の稜線を眺める。正面に針ノ木岳の雪渓。山はなにも変わっていない。しかし登る人々が中高年に染まり、僕は途中でバテそうになってしまった。もう少し痩せろってことか。夕日に染まる稜線を見ながら呟いていた。
北アルプスの爺ヶ岳への山道を登りはじめた。うまくいけば鹿島槍まで……という思いもあった。天気はよかった。
高校時代、山岳部で山に登っていた。当時の感覚では、爺ヶ岳は初級の山で、鼻歌気分で登る山だった。しかし、しばらく山から遠ざかっている。山登りの辛さや怖さは、ある程度わかっているつもりだ。
いや、そういう冷静な判断で爺ヶ岳を選んだわけではない。ちょっと怖かったのだ。果たして、前のように登ることができるだろうか。自信がなかった。
とっつきは順調だった。爺ヶ岳への道は、大町から車で小1時間の扇沢からはじまっている。最初から尾根道になる。急な登り坂が続く。大量の汗が出た。驚くほどの量の汗が額や首筋を伝った。首に巻いたタオルを絞ると、水滴が滴るほどだった。シャツは汗でぐっしょりと濡れていた。
「こんなに汗が出ただろうか」
これまでの山を思い出してみる。記憶にない汗だった。
2時間ほど登った頃だったろうか。昨夜、稜線の種池山荘に泊まった登山客が次々に降りてきた。人のことはいえないが、最近の山は中高年一色である。彼らは10人から20人程度の集団登山。山道は基本的に登る人優先というルールがあるから、彼らが待ってくれるのだが、その距離が長い。こちらも悪いと思うから、つい急いで登ってしまう。
そんなことを繰り返しているうちに、急に寒気がしてきた。なにか体から血が引いていくような感覚である。立っているのも辛くなってきた。山道の途中にうずくまるように腰をおろした。
「バテたってことだろうか」
下る登山客から、「大丈夫ですか」と声をかけられたから、顔色もよくなかったのかもしれない。水を飲み、チーズを食べ、梅干しを口に含む。体力が落ちたっていうことだろうか。いや体重? 僕はここ10年の間に5キロほど太った。汗だろうか。大量の汗をかいたことで、体内の電解質のバランスが一気に崩れてしまった? さまざまな思いが脳裡を駆けめぐった。
下山も考えた。
30分ぐらいそこで休んでいただろうか。気分もよくなってきた。もう少し登り、体調がまた悪くなったら下るつもりでザックを背負った。休み休み登った。なんとか種池山荘まで登った。3時間30分とコースタイムが登山口に書かれていた。僕は5時間もかかってしまった。山荘の前のテラスで、後立山の稜線を眺める。正面に針ノ木岳の雪渓。山はなにも変わっていない。しかし登る人々が中高年に染まり、僕は途中でバテそうになってしまった。もう少し痩せろってことか。夕日に染まる稜線を見ながら呟いていた。
Posted by 下川裕治 at
17:45
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2012年08月06日
積乱雲を見あげた少年時代
人にはそれぞれ、夏のイメージがある。暑さが厳しいほど、その記憶は鮮烈になっていく気がする。テレビのCFを観ていても、夏の原風景に訴えるものが多い。強い日射し、汗、土の匂い、スイカ、夏祭り、ゆかた……。そういう断片が日本人の夏なのだろう。
先週、台北にいた。台北はからりと晴れあがる日が少ない記憶があった。しかし滞在した時期は、夏真っ盛りといった感じで、雲が勢いよく流れ、青空が広がった。熱風がビルの間を吹き抜けていた。毎日、出現するみごとな夕焼けをしばし見あげてしまった。
雲……。
茜色に染まった雲が、日本の雲を思い出させた。日本の夏の雲である。僕にとっての夏の原風景は雲らしい。
東南アジアの空を眺める機会が多い。南の国の空と日本の空の違いは雲ではないか……。そんな気がした。夏の雲の話だから、積乱雲である。タイでもベトナムでも、激しいスコールに襲われる。空全体が暗くなる前、大きな積乱雲が発達しているのだろうが、なぜかその記憶が薄い。東南アジアの積乱雲は大きすぎるのだろうか。地表からの距離の関係かもしれない。それとも積乱雲が発達するスピードが日本とは違うのだろうか。
日本の積乱雲は、むくむくと成長する様子が手にとるようにわかる。高い空に向かってぐんぐんと昇っていく姿は、雲のなかに生き物が棲んでいるようでもある。
宮崎駿の『天空のラピュタ』というアニメを観たとき、彼の想像力に共感した。あの積乱雲のなかに、王国があったとしても、素直に受け入れられた。
──22インチの自転車のペダルをぎこぎこと踏みながら、僕は水田の間に延びる農道を走っている。夏の暑い一日。ふと自転車を停め、汗を拭いながら見あげると、美ヶ原の山並みの向こうに、積乱雲が見える。先端の部分は、勢いよく上空に向かって昇っていく。その雲を、ただ見あげている。
僕にとって、空に昇っていく積乱雲は、信州ですごした少年時代の夏休みにつながってしまうのだ。
あの雲が僕にとっての日本の夏だった。
あの雲を見れば、どこか満足してしまうようなところがある。
母は信州にいる。福祉用語でいうところの独居老人である。信州に帰郷する回数は多いが、夏、松本の市内に入ると、つい空を眺めてしまう。そこに積乱雲をみつけると、ほっとする自分がいる。
雲の形はいつも違う。空に向かって昇る場所も時間も違う。しかしあの雲は、僕の少年時代につながっている。
先週、台北にいた。台北はからりと晴れあがる日が少ない記憶があった。しかし滞在した時期は、夏真っ盛りといった感じで、雲が勢いよく流れ、青空が広がった。熱風がビルの間を吹き抜けていた。毎日、出現するみごとな夕焼けをしばし見あげてしまった。
雲……。
茜色に染まった雲が、日本の雲を思い出させた。日本の夏の雲である。僕にとっての夏の原風景は雲らしい。
東南アジアの空を眺める機会が多い。南の国の空と日本の空の違いは雲ではないか……。そんな気がした。夏の雲の話だから、積乱雲である。タイでもベトナムでも、激しいスコールに襲われる。空全体が暗くなる前、大きな積乱雲が発達しているのだろうが、なぜかその記憶が薄い。東南アジアの積乱雲は大きすぎるのだろうか。地表からの距離の関係かもしれない。それとも積乱雲が発達するスピードが日本とは違うのだろうか。
日本の積乱雲は、むくむくと成長する様子が手にとるようにわかる。高い空に向かってぐんぐんと昇っていく姿は、雲のなかに生き物が棲んでいるようでもある。
宮崎駿の『天空のラピュタ』というアニメを観たとき、彼の想像力に共感した。あの積乱雲のなかに、王国があったとしても、素直に受け入れられた。
──22インチの自転車のペダルをぎこぎこと踏みながら、僕は水田の間に延びる農道を走っている。夏の暑い一日。ふと自転車を停め、汗を拭いながら見あげると、美ヶ原の山並みの向こうに、積乱雲が見える。先端の部分は、勢いよく上空に向かって昇っていく。その雲を、ただ見あげている。
僕にとって、空に昇っていく積乱雲は、信州ですごした少年時代の夏休みにつながってしまうのだ。
あの雲が僕にとっての日本の夏だった。
あの雲を見れば、どこか満足してしまうようなところがある。
母は信州にいる。福祉用語でいうところの独居老人である。信州に帰郷する回数は多いが、夏、松本の市内に入ると、つい空を眺めてしまう。そこに積乱雲をみつけると、ほっとする自分がいる。
雲の形はいつも違う。空に向かって昇る場所も時間も違う。しかしあの雲は、僕の少年時代につながっている。
Posted by 下川裕治 at
12:00
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