インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2012年09月24日

3日目の朝

 バンコクのサパンクワイに滞在して3日目になる。これまでいろいろなつながりで、ほかのホテルに泊まることが多かった。やっと自分のテリトリーに戻ったような3日間だった。
 月に1回はバンコクに滞在している。いつもは、なにやかやで忙しく、ホテルの近くで食事をすることも少なかった。今回は書かなければいけない原稿がたまっていて、ホテルにこもり気味の日々をすごしている。
 朝、昼、夜と街に出るのだが、舗道を埋める屋台のバリエーションには、改めて天を仰いでしまった。
 2日目の夜、夕食をとろうと、舗道の屋台をのぞきながら歩いた。週末のせいか、その数はいつもにも増して多い。カーオマンカイやカーオムーデーンといった定番から、ステーキ、あんかけ飯、点心……からデザート屋台。舗道上に並ぶ屋台は50軒を超えているが、1軒たりとも同じ料理の店がないのだ。クイッティオという麺屋台は、彼らが考えたのか、ひとつのエリアに集中して10軒ほどが並んでいる。しかしどこも違う。スープの色、載せる具、麺の種類、ワンタン系の麺屋……。クイッティオにこれだけのバリエーションがあることに、ちょっと戸惑ってしまうほどだった。
 そこにはちゃんと競争の論理が働いているのだ。いってみれば、舗道の上は、庶民派フードコートに映る。その料理は、流行に敏感で、そう、量販店のフードコートよりはるかに充実していた。
 その分、頼み方はやたら面倒になった。麺屋台にしても、簡単に、「レックナーム(中太麺の汁そば)」というわけにはいかないのだ。
 僕の朝食は、バートンコーという揚げパンと豆乳、コーヒーになることが多い。サパンクワイにはなじみのバートンコー屋と豆乳おばちゃんがいる。この2軒に決まるまでは長い年月がかかっている。どれも屋台によって、微妙に風味が違うのだ。
 しかし問題はコーヒーだった。庶民派の街だから、豆から挽くコーヒー屋台が少ない。3日間、違う店でコーヒーを買った。どこも豆やメニューが違う。今朝はBTSのサパンクワイ駅近くの屋台で買った。モカが20バーツ。朝日が当たる一画で、おばちゃんは汗をかきながら、ちゃんとつくってくれた。
 いま、そのコーヒーを飲みながら、ホテルでこの原稿を書いている。
「これからはこの店かな」
 こういう路上の進化に比べると、安めのホテルの朝食は、「十年一日」の感すらある。トーストにタマゴ、ハムかお粥である。ホテルのランクを上げると、バイキングになってしまうのだろうか。
 そんな世界が足許にも及ばない朝食が、バンコクの路上にはある。これは、やはりすごいことなのだ。

  

Posted by 下川裕治 at 16:32Comments(0)

2012年09月17日

サハリンの開眼

 秋である。町の中央にある勝利公園の白樺の木々が、ひんやりとした風に揺れる。もう少しで色づきはじめるのだろう。北緯50度を越えた街の秋は早足でやってきそうだ。
 ノグリキにいる。サハリン北部の町だ。
 朝、列車で着いた。人口が1万人強の町である。昼、食事ができる店を探した。しかしいくら町なかを歩いても、テーブルと椅子のある店がない。惣菜やハム、チーズ、パンまどを売る雑貨屋風の店は何軒もあるのだが、レストランが1軒もない。
 ようやく川沿い夏だけ開くような仮設テントの店をみつけた。しかしなぜかケバブの店だった。サハリンでケバブというのも……。町の人に聞き、ようやく、食堂風の店を見つけることができた。町に1軒の食堂だった。
 ちょうど昼どきだった。しかし客はふたりしかいなかった。閑散としているのだ。
「皆、どこで食事をしているんだろう」
 これはロシアを歩くときに、いつも湧いてくる疑問である。とにかくレストラン、食堂の類の店が少ない。このノグリキにしても、人口1万人で、常設の食堂は1軒だけなのだ。
「食事ができる店がみつかったら、とにかく食べておけ」
 というのは、ロシアの旅の基本でもある。ツアー観光客は気づかないのかもしれないが。
 夜になってまた悩む。昼と同じ店に行くのもなぁ……と町に出た。その店をのぞくと、結婚式にパーティーが開かれていた。頼みの綱も消えてしまった。テントづくりのケバブ屋しか選択肢がない。
 同行したカメラマンが呟くようにいった。
「前、仕事でモスクワに滞在したんです。ロシア語を学び、モスクワに住んだこともある人と一緒だったんですが、夕飯はいつもホテルでした。店でおかずを買って。モスクワはレストランがありますが、とんでもなく高いんです」
 そうか……。
 町で食堂を探すことが間違いだった。雑貨屋風の店で、惣菜やパンを買い、ホテルの部屋で食べる……。ロシアでの旅のスタイルをそう切り替えればいいのだ。
 なにか開眼したような気がした。
 ロシア人がそうしているのだ。徹底して家で食べる文化圏──。観光客が行かないエリアに足を踏み入れることが多い僕の旅は、そうすべきだったのだ。
 これまで何回、ロシアを訪ねただろう。10回近くになる。いつもの悩みが氷解した。
 スーパーで惣菜を買った。マリネ風に調理されたキノコ、赤カブ料理、鶏肉……。改めて眺めると、なんでもある。それを買って、ホテルの部屋の床に座って食べた。優しいロシア料理の味だった。
 ホテル部屋食。ロシアの旅の流儀がようやくわかった気がした。
 しかしこういう国が、世界にどれだけあるだろうか。僕はアジアを歩くことが多いから、旅先での食事は外に出ることが多い。その感覚を捨てることだった。
 ロシア歩きの悩みがひとつ消えた。

  

Posted by 下川裕治 at 10:06Comments(0)

2012年09月10日

3冊の入眠書

 ひと足先の秋……というわけではないが、来週、ロシアのサハリンに行く。かつての樺太である。その資料を読んでいると、チェーホフと宮沢賢治がでてきた。文学好きにとって、サハリンはこのふたりの島らしい。
 以前、サハリンを訪ねたときは、ここが島であることを発見したといわれる間宮林蔵の本を読みながら向かった。今回は宮沢賢治とチェーホフか……。
 宮沢賢治は1923年の夏に、サハリンに向かっている。当時の落合、いまのドリンスクの先にあるスタロドゥプスコエという村が、『銀河鉄道の夜』の舞台になっているのだという。チェーホフは1890年にサハリンに渡っている。
 本棚を探す。古びた新潮文庫の『銀河鉄道の夜』がみつかった。
 一時、『銀河鉄道の夜』を入眠書にしていたときがある。
 入眠書とは、寝る前にベッドやふとんのなかで読む本のことをいう。それを読むと、なんとなく眠りに誘われる誘眠効果もある。心も軽くなり、なにかいい夢をみることができそうな本のことをいう。
 タイの路上で売られているプアングマーライにも誘眠効果があるという。ジャスミンの花房を糸でつなぎ、数珠のような形にしたものだ。お守りでもあるのだが、これをベッドサイドに置くと、寝苦しい夜に安らかな眠りを誘うのだという。
 僕の初代入眠書は『ファーブル昆虫記』だった。ファーブルが昆虫を観察し、生物のカラクリを発見していく。20代の頃、眠る前にしばしばこの本を読んでいた。日々、デスクに怒られながら記事を書いていた。面倒な人間関係にも悩んでいた。昆虫記を読んで、なにかが解消されるわけでもないし、解決の糸口がみつかるわけでもなかった。そんなことを期待もしていなかった。なんとか心地よく眠ることができれば……そのためにページを開いた。日々、疲れていたのだろう。1項も読まずに寝入ってしまうことも多かった。当時の悩みは、それほど深刻ではなかったのかもしれない。
 30代になって、『銀河鉄道の夜』を寝る前に読むようになった。ジョバンニとカンパネルラが夜の列車に乗る。
──二人は、停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏の木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅の広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っていました。
 幻想的な童話である。そこに流れる透明感のある空気は好きだったが、宮沢賢治は僕には難しすぎた。いや、童話として楽しむことができなかった。その意味を考えはじめて、目が冴えてきてしまうのだ。
 3代目が金子光晴の『マレー蘭印紀行』だった。戦前、妻をパリ行きの船に乗せ、ひとりマレー半島を歩く紀行だ。寝る前にこの文庫本を開く習慣はいまも続いている。何回か読むうちに、金子光晴という男が、普通のおじさんであることがわかってくる。それは年相応ということなのか。
 もう一度、『銀河鉄道の夜』を寝る前に開いてみようか。サハリンへの旅を前に、そんなことを考えている。

*次回はサハリンから原稿を送るつもりですが、インターネット事情がよくないため、掲載は少し遅れるかもしれません  

Posted by 下川裕治 at 16:23Comments(1)

2012年09月03日

【お知らせ】下川裕治トークイベント@旅の本屋のまど

9月20日に東京都杉並区西荻北3-12-10の「旅の本屋のまど」店内にて、下川裕治のトークイベントが開催されます。奮ってご参加ください。

下川裕治
スライド&トークショー

「週末アジア旅の楽しみ方」


新刊『週末アジアでちょっと幸せ』(朝日文庫)の発売を記念して、下川裕治が、ふらっと行く週末アジア旅の魅力についてスライドを眺めながらたっぷりと語ります。



週末アジアでちょっと幸せ


前作『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』では、超過酷なユーラシア大陸を横断する鉄道旅行に挑戦した下川裕治。その反動からなのか、今回は日常生活から開放されて、癒しを求めにタイ、マレーシア、ベトナム、台湾、韓国といったアジアの国々へ週末旅行に出かけています。

お金や時間がなくても楽しめる、下川裕治のささやかなアジア旅の味わい方が聞けます。下川ファンの方はもちろん、週末海外旅行やアジア旅に興味のある方はぜひご参加ください!


下川裕治スライド&トークショー
「週末アジア旅の楽しみ方」

日時:2012年9月20日(木)
  19:30~(19:00開場)
会場:旅の本屋のまど店内 
参加費:800円

アクセス、詳細はHPをご参照ください。
http://www.nomad-books.co.jp/

【申込み・問い合わせ】
 お電話、ファックス、e-mail、店頭にてお申し込みください。   
 TEL&FAX:03-5310-2627
 e-mail :info@nomad-books.co.jp
 (お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください)
  ※定員になり次第締め切らせていただきます。

  

Posted by 下川裕治 at 20:44Comments(0)

2012年09月03日

ラオス人がカレーを食べる日

 ラオスのビエンチャンで、1軒の日本料理店に入った。ゲストハウスもある一般的な店だ。そこでカレーを食べた。こくのある日本のカレーだった。在住日本人の間ではファンも多いという。
「ラオス人ってカレーを食べるの?」
 同行した知人に訊いた。
「手をつけないと思いますよ。たぶん。以前、ラオスの少年チームが日本に招待されたことがあったんです。宿が子供たちだからって、カレーを出したんですが、誰も食べることができずに、次の日の試合は負けたっていう話を聞いたことがありますから」
 たしかにカレーという料理の見た目はよくない。知らなければ、口をつけるのに勇気がいるかもしれない。
 カレーという料理は不思議なものだと思っている。
 日本では明治初頭に入ったが、その味は北海道に飛び火する。ジャガイモばかり食べていた開拓農家が、別の味つけで食べることができないだろうか……と触手を伸ばしたのがカレー味だったのだという。もっとも当時は、いまのカレーライスの形ではなかった。カレー汁のようなものだったらしい。米がないのだから、カレーライスにはならなかったのだろう。それが再度、本土に上陸し、いまのカレーライスの原型ができあがっていった。
 そのカレー汁に相当するものが、タイ北部でよく食べられるカオソーイという麺ではないかと想像力を働かせてみる。チェンマイのカオソーイがとくに有名だ。これはカレー味の麺である。
 しかしラオスにもカオソーイがある。こちらはカレー味ではない。一度、ラオスのルアンパバンで食べたカオソーイはなかなかのものだった。味のベースは大豆を発酵させたものだという。
 カオソーイは、もともとミャンマーからラオスに伝わり、それがチェンマイに流れたものらしい。もともとはカレー風味の麺ではなかったのだ。
 いまの世界には、インド人やバングラデシュ人が経営するインド料理屋が無数にある。そこでは本格的なカレーを食べることができるのだが、そこにいたるまでに、現地風にアレンジされたカレー料理があるような気がしてならない。日本にはカレー汁があり、タイには北部にカオソーイがあった。だから、抵抗感が少なく、本格カレーになじんでいったように思うのだ。
 しかしラオス人は、ラオス風のカレー料理をつくらなかった。だからいまでも、カレーに手が伸びない……。
 ラオスでカレーが広まっていくのはいつ頃だろうか。意外と早いのかもしれない。変化の激しいビエンチャンを眺めていると、そんな気もする。

  

Posted by 下川裕治 at 20:18Comments(1)