2012年10月29日
泥縄の合理性
タイで行われるマラソンの話を聞いた。なんでもタイという国は、毎週日曜日、必ずどこかでマラソンがあるそうだ。やはり走る人が多いのか、バンコクで開かれるマラソン大会がいちばん多いという。
タイ人は歩くことが大嫌いなのに、走ることは好きという矛盾に満ちた民族である。これは暑いエリアに共通した性格のようで、沖縄の人も似ている。100メートル先のコンビニに飲み物を買いにいくのに車に乗るほど歩くことが嫌いだ。ところが那覇マラソンには、いそいそと参加する。僕はその感覚がどうしてもわからないでいる。
タイのマラソンは参加を申し込む必要がないのだという。日曜日の早朝、スタート地点に集まればいい。ちゃんと警察もやってきて、道路の通行規制も行ってくれる。
通行規制の情報は、市民には知らされない気がする。そんな案内は見たことがない。日曜日の朝、突然、道路が片側通行になったりするわけだ。それで波風ひとつたたないのが、バンコクという街である。
日本のマラソン好きにしたら、羨ましいかぎりだろう。日本は必ず、事前に申し込まなくてはならない。人気のマラソンは抽選になる。東京マラソンなどは、抽選に当たると、宝くじに当選したかのように喜ぶ人も多いという。
道路規制も1ヵ月以上前から、その案内が路上に掲示される。その日は渋滞が起きそうだから……と事前に伝える。それが日本という国である。
タイ人は事前に予約を受け、人数を掌握してからイベントに臨むということが苦手だ。結婚披露宴も、案内状だけが届く。出欠については聞いてこない。
多くのイベントが、参加人数がわからないままはじまる。日本人は、「なんという泥縄」と見くだすのかもしれないが、それでなんとかイベントがうまくいってしまうから、挙げた拳の落としどころがみつからないような、中途半端な気分を味わうことになる。
日本人は参加人数をカウントし、事前に周到な準備をする。そのほうが合理的で、最終的にはかかる費用も少ないと考えている。
しかしタイのやりかたを見ていると、日本人にしたら、目からウロコのような合理的な側面が浮き立ってくる。マラソンにしても、事前の準備はほとんどない。看板も立てない。費用をかけないから、参加費も200~300バーツ、つまり500~800円ほどですむ。安くて気楽だから、参加者も増えていく。
日本式とタイ式──
タイのやり方のほうが、楽しそうで、魅力的に映るのは、僕という人間が、日本式が生むストレスが辛くなってきているということなのだろうか。
タイ人は歩くことが大嫌いなのに、走ることは好きという矛盾に満ちた民族である。これは暑いエリアに共通した性格のようで、沖縄の人も似ている。100メートル先のコンビニに飲み物を買いにいくのに車に乗るほど歩くことが嫌いだ。ところが那覇マラソンには、いそいそと参加する。僕はその感覚がどうしてもわからないでいる。
タイのマラソンは参加を申し込む必要がないのだという。日曜日の早朝、スタート地点に集まればいい。ちゃんと警察もやってきて、道路の通行規制も行ってくれる。
通行規制の情報は、市民には知らされない気がする。そんな案内は見たことがない。日曜日の朝、突然、道路が片側通行になったりするわけだ。それで波風ひとつたたないのが、バンコクという街である。
日本のマラソン好きにしたら、羨ましいかぎりだろう。日本は必ず、事前に申し込まなくてはならない。人気のマラソンは抽選になる。東京マラソンなどは、抽選に当たると、宝くじに当選したかのように喜ぶ人も多いという。
道路規制も1ヵ月以上前から、その案内が路上に掲示される。その日は渋滞が起きそうだから……と事前に伝える。それが日本という国である。
タイ人は事前に予約を受け、人数を掌握してからイベントに臨むということが苦手だ。結婚披露宴も、案内状だけが届く。出欠については聞いてこない。
多くのイベントが、参加人数がわからないままはじまる。日本人は、「なんという泥縄」と見くだすのかもしれないが、それでなんとかイベントがうまくいってしまうから、挙げた拳の落としどころがみつからないような、中途半端な気分を味わうことになる。
日本人は参加人数をカウントし、事前に周到な準備をする。そのほうが合理的で、最終的にはかかる費用も少ないと考えている。
しかしタイのやりかたを見ていると、日本人にしたら、目からウロコのような合理的な側面が浮き立ってくる。マラソンにしても、事前の準備はほとんどない。看板も立てない。費用をかけないから、参加費も200~300バーツ、つまり500~800円ほどですむ。安くて気楽だから、参加者も増えていく。
日本式とタイ式──
タイのやり方のほうが、楽しそうで、魅力的に映るのは、僕という人間が、日本式が生むストレスが辛くなってきているということなのだろうか。
Posted by 下川裕治 at
12:00
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2012年10月22日
精一杯、背伸びをしていた時代
信州にある母校の高校を訪ねた。松本深志高校という。久しぶりである。
高校に図書館ゼミというものがあり、そこで生徒の前で話をした。
僕がこの高校に通っていたときの校舎は、ほとんど建て替えられていた。だが、第一棟という、入って正面にある校舎は、登録有形文化財に指定され、そのままで残っていた。そこに入ってみた。木製の床。そこに塗られた油の匂いに、40年も前の記憶が一気に蘇ってくる。
いや、記憶は曖昧である。浮かんでくるのは断片ばかりで、そこに脈絡がない。あの頃、いったいなにを考えていたのだろうか……。鼻腔を刺激するなにかがあるのだが、それがなかなか実像にならない。
ユニークな高校だった。授業は1時限が65分で、単位制だった。旧制松本中学の気風が残り、応援団は黒いマントに下駄を履き、ほら貝を吹くというスタイルだった。
教師も変わっていた。僕は世界史を専攻したが、2年間でギリシャ・ローマ時代までしか進まなかった。後は独学で大学を受験した。「世界史の論理のすべては、ギリシャ・ローマ時代を学べばわかる」というのが教師の持論だった記憶がある。当時の文部省の方針など、まったく無視していた。
しかし時代の流れのなかで、この高校も変わってきていた。しかし修学旅行がないという伝統はそのままだった。高校時代、僕はこう聞かされていた。
「戦後、しばらくして、政府の方針で修学旅行が実施された。しかしこの高校の生徒は勝手な奴が多く、旅行には出たものの、予定通りに帰ってきたのは半分。これはまずい、と廃止することになった」
しかしいまの高校では、こういう話になっていた。まだ食糧難の時代に、自分たちだけ旅行をするのは忍びない……だから修学旅行はやめよう……と。
どちらが本当なのかはわからない。しかしそのぐらいの変化は起きたらしい。
「そう、下校時刻が決まったんです。それも昔と違うかもしれません」
僕らが通っていた時代は、下校時刻というものがなかったらしい。そういえば、コンパと称して、深夜まで学校に残っていたことは何回もあった。下校時刻など考えもしなかった。
自由な校風だった。ものごとは自分で考えて行動しろ、という気風だった。開放感には蠱惑の匂いすらしたが、やはりちょっと怖かった記憶もある。そのなかで、精一杯、背伸びをしていた気がする。
いまの学生はおとなしい。素直で、堅実である。つまりは無理な背伸びはしないということなのだろうか。それはいまの日本の姿なのかもしれない。
11/10(sat)に「なぜ人は旅をするのか?」というトークイベントが行われます。僕が吉田友和と話をするイベントです。
「週末海外」ブームの火付け役として知られる吉田友和さん。「自分を探さない旅」(平凡社)を発売。僕は「週末アジアでちょっと幸せ」(朝日新聞出版社)を発売。その記念のイベントです。
予約制で、すぐにいっぱいになってしまいましたが、BOOK246店内にはふたりの本が集まります。もしほしい本があればこの機会に。
高校に図書館ゼミというものがあり、そこで生徒の前で話をした。
僕がこの高校に通っていたときの校舎は、ほとんど建て替えられていた。だが、第一棟という、入って正面にある校舎は、登録有形文化財に指定され、そのままで残っていた。そこに入ってみた。木製の床。そこに塗られた油の匂いに、40年も前の記憶が一気に蘇ってくる。
いや、記憶は曖昧である。浮かんでくるのは断片ばかりで、そこに脈絡がない。あの頃、いったいなにを考えていたのだろうか……。鼻腔を刺激するなにかがあるのだが、それがなかなか実像にならない。
ユニークな高校だった。授業は1時限が65分で、単位制だった。旧制松本中学の気風が残り、応援団は黒いマントに下駄を履き、ほら貝を吹くというスタイルだった。
教師も変わっていた。僕は世界史を専攻したが、2年間でギリシャ・ローマ時代までしか進まなかった。後は独学で大学を受験した。「世界史の論理のすべては、ギリシャ・ローマ時代を学べばわかる」というのが教師の持論だった記憶がある。当時の文部省の方針など、まったく無視していた。
しかし時代の流れのなかで、この高校も変わってきていた。しかし修学旅行がないという伝統はそのままだった。高校時代、僕はこう聞かされていた。
「戦後、しばらくして、政府の方針で修学旅行が実施された。しかしこの高校の生徒は勝手な奴が多く、旅行には出たものの、予定通りに帰ってきたのは半分。これはまずい、と廃止することになった」
しかしいまの高校では、こういう話になっていた。まだ食糧難の時代に、自分たちだけ旅行をするのは忍びない……だから修学旅行はやめよう……と。
どちらが本当なのかはわからない。しかしそのぐらいの変化は起きたらしい。
「そう、下校時刻が決まったんです。それも昔と違うかもしれません」
僕らが通っていた時代は、下校時刻というものがなかったらしい。そういえば、コンパと称して、深夜まで学校に残っていたことは何回もあった。下校時刻など考えもしなかった。
自由な校風だった。ものごとは自分で考えて行動しろ、という気風だった。開放感には蠱惑の匂いすらしたが、やはりちょっと怖かった記憶もある。そのなかで、精一杯、背伸びをしていた気がする。
いまの学生はおとなしい。素直で、堅実である。つまりは無理な背伸びはしないということなのだろうか。それはいまの日本の姿なのかもしれない。
下川裕治からのお知らせ
11/10(sat)に「なぜ人は旅をするのか?」というトークイベントが行われます。僕が吉田友和と話をするイベントです。
「週末海外」ブームの火付け役として知られる吉田友和さん。「自分を探さない旅」(平凡社)を発売。僕は「週末アジアでちょっと幸せ」(朝日新聞出版社)を発売。その記念のイベントです。
予約制で、すぐにいっぱいになってしまいましたが、BOOK246店内にはふたりの本が集まります。もしほしい本があればこの機会に。
Posted by 下川裕治 at
12:42
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2012年10月15日
日本式サービスとLCCは闘っている?
悩みのフライトだった。成田発のエアアジア・ジャパンに乗って、昨日(10月13日)那覇にやってきた。
予約の段階で、2時間前に空港に到着するように記されていた。
最近、僕は成田空港との往復は、東京駅から出発する京成バスを使うようになった。先月はキャンペーンで片道800円だった。いまは東京駅から成田空港まで900円、成田空港から東京駅まで1000円という運賃。やはり安い。
2時間前にエアアジアのチェックイン機の前に着いた。ウエブチェックインをすませていた。預ける荷物はない。
「そういう方は1時間前でOKなんです」
スタッフからいわれた。サイトにそう書いてあったのだろうか。
横の貼り紙を見た。受付締め切り後の手続きは1000円が必要だと書かれていた。
出発1時間前、セキュリティチェックがはじまった。そこを通過して着いた待合室は屋外だった。大型テントの下である。ターミナルビル横の空き地を使っているようだ。トイレは水洗ではない仮設だった。
ここまでやるか……。
つい呟いてしまった。冬になったらどうするのだろう。いや、そういうことではない。
エアアジアの待合室が屋外になることは珍しくない。フィリピンのクラーク空港、クアラルンプールのLCCTも、チェックイン前の待合室は屋外である。
問題はそれを日本の空港でやるかということだった。
今年、日本の国内線はLCC元年を迎えた。エアアジアとジェットスターが国内線に就航した。すでに就航していたスカイマークなどもある。旅の足は安いほどいいと思う僕にとっては嬉しいことだった。
それらのLCCが、思ったほどの乗客を集められないでいるという。僕が買った航空券は、片道8000円台。これだけ安いというのに。日本人はそこまで貧しくはないということなのだろうか。
空席が目立つ機内で悩み続けていた。
LCC各社は、乗客からの苦情の対応に追われているという。エアアジアは搭乗手続きの締め切りが早い。荷物も有料だ。そういうルールを知らずに空港にやってくる乗客が多いのだという。
国内線を就航させていた日本航空や全日空のサービスは、世界のトップクラスだった。それに慣らされた日本人は、なかなかエアアジアのシステムについていけない。LCC各社は、そんな日本式サービスと闘っているような気がしてしかたない。
機内もサービスも、アジアのエアアジアと同じである。そこに日本はない。ここまでアジアに倣っていいものか……と思う。
タイのノックエアというLCCは、エアアジアが乗客に強いるストレスを排除していくことで対抗している。ぎりぎりまで搭乗でき、荷物も無料枠が広い。簡単な無料機内食も出す。つまりタイ的なサービスを加えている。
マレーシアのLCCを模倣するだけでは、日本人にフィットしない。日本はそういう国だと思うのだが。
今日パソコンを開くと、エアアジアからメールが届いていた。那覇空港にLCC専用ターミナルができたらしい。徒歩でも車でも行けず、専用の巡回バスに乗るらしい。どこまでもアジアのLCCスタイルでいくらしい。
予約の段階で、2時間前に空港に到着するように記されていた。
最近、僕は成田空港との往復は、東京駅から出発する京成バスを使うようになった。先月はキャンペーンで片道800円だった。いまは東京駅から成田空港まで900円、成田空港から東京駅まで1000円という運賃。やはり安い。
2時間前にエアアジアのチェックイン機の前に着いた。ウエブチェックインをすませていた。預ける荷物はない。
「そういう方は1時間前でOKなんです」
スタッフからいわれた。サイトにそう書いてあったのだろうか。
横の貼り紙を見た。受付締め切り後の手続きは1000円が必要だと書かれていた。
出発1時間前、セキュリティチェックがはじまった。そこを通過して着いた待合室は屋外だった。大型テントの下である。ターミナルビル横の空き地を使っているようだ。トイレは水洗ではない仮設だった。
ここまでやるか……。
つい呟いてしまった。冬になったらどうするのだろう。いや、そういうことではない。
エアアジアの待合室が屋外になることは珍しくない。フィリピンのクラーク空港、クアラルンプールのLCCTも、チェックイン前の待合室は屋外である。
問題はそれを日本の空港でやるかということだった。
今年、日本の国内線はLCC元年を迎えた。エアアジアとジェットスターが国内線に就航した。すでに就航していたスカイマークなどもある。旅の足は安いほどいいと思う僕にとっては嬉しいことだった。
それらのLCCが、思ったほどの乗客を集められないでいるという。僕が買った航空券は、片道8000円台。これだけ安いというのに。日本人はそこまで貧しくはないということなのだろうか。
空席が目立つ機内で悩み続けていた。
LCC各社は、乗客からの苦情の対応に追われているという。エアアジアは搭乗手続きの締め切りが早い。荷物も有料だ。そういうルールを知らずに空港にやってくる乗客が多いのだという。
国内線を就航させていた日本航空や全日空のサービスは、世界のトップクラスだった。それに慣らされた日本人は、なかなかエアアジアのシステムについていけない。LCC各社は、そんな日本式サービスと闘っているような気がしてしかたない。
機内もサービスも、アジアのエアアジアと同じである。そこに日本はない。ここまでアジアに倣っていいものか……と思う。
タイのノックエアというLCCは、エアアジアが乗客に強いるストレスを排除していくことで対抗している。ぎりぎりまで搭乗でき、荷物も無料枠が広い。簡単な無料機内食も出す。つまりタイ的なサービスを加えている。
マレーシアのLCCを模倣するだけでは、日本人にフィットしない。日本はそういう国だと思うのだが。
今日パソコンを開くと、エアアジアからメールが届いていた。那覇空港にLCC専用ターミナルができたらしい。徒歩でも車でも行けず、専用の巡回バスに乗るらしい。どこまでもアジアのLCCスタイルでいくらしい。
Posted by 下川裕治 at
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2012年10月08日
アジアのスピード感
月に1回の割合で、東京とバンコクの間を往復している。よく使う航空会社は、ユナイテッド航空、中国東方航空、チャイナエアライン、キャセイパシフィック航空、ベトナム航空などだ。値段、マイレージの貯まりぐあい、経由する街での用事……などで飛行機が決まっていく。
日系航空会社やタイ国際航空はまず乗らない。やはり運賃が高いからだ。
10月初旬にバンコクから東京に戻ることになった。中国の国慶節の影響か、どの便も混み合っていた。最近、思うのだが、世界の飛行機の混雑は、中国の休暇にかなり左右される。昔はアジア内便の席がとりにくくなったが、その影響はヨーロッパやアメリカまで出るという。それだけ中国人が旅に出るようになったということなのだろう。
結局、香港経由のキャセイパシフィック航空になった。そう決めたとき、なぜかホッとした。自分で決めておいて、ホッするというのもおかしな話だが、とにかくこの航空会社のフライトは楽なのだ。
運賃がもう少し安く、マイレージの加算率がよければ、いつもキャセイパシフィック航空にしたいとさえ思う。
航空会社がめざすサービスには、それぞれの特徴がある。キャセイパシフィック航空がめざしているものは、スピード感のような気がする。機材は各社同じようなものだ。キャセイパシフィック航空の飛行速度がとりたて速いわけではない。速いのは、チェックインにかかる時間や乗り継ぎ時間である。
世界のすべての航空会社を乗り比べたわけではないが、キャセイパシフィックのそれはかなり速い部類に入ると思う。チェックインは、アレッというような速さで終わる。香港の空港での乗り継ぎは1時間、ときに50分といった速さでこなす。
バンコクからの機材はボーイング777だった。国慶節に絡んでいるから、ほぼ満室だった。それを客室乗務員は、みごとにさばき切った。そのかわり、ごてごてとした機内サービスはない。
飛行機は単なる輸送機関……というポリシーに徹している。問われるのはスピード感と定時運航。その感覚が小気味いい。
これがいまのアジアだと思う。残念なことに、いまの日本にはこのスピード感がない。
今回はバンコクー香港間が混み合い、接続のいい便の席がとれなかった。香港の空港で3時間ほど待つことになった。しかし香港の空港は、広々としていて、明るい。ストレスの少ない空港だと思う。時間があったので無料のWi-Fiをつなぐ。その速度が速い。はっきりいって、バンコクのホテルのインターネットより速いのだ。
航空業界はLCCの登場で、大きな構造変化が起きつつある。中・短距離はLCCに軍配があがりつつあるが、長距離は既存航空会社に一日の長がある。そのなかで、キャセイパシフィック航空がめざすスピード感は、アジアのいまの匂いがする。
日系航空会社やタイ国際航空はまず乗らない。やはり運賃が高いからだ。
10月初旬にバンコクから東京に戻ることになった。中国の国慶節の影響か、どの便も混み合っていた。最近、思うのだが、世界の飛行機の混雑は、中国の休暇にかなり左右される。昔はアジア内便の席がとりにくくなったが、その影響はヨーロッパやアメリカまで出るという。それだけ中国人が旅に出るようになったということなのだろう。
結局、香港経由のキャセイパシフィック航空になった。そう決めたとき、なぜかホッとした。自分で決めておいて、ホッするというのもおかしな話だが、とにかくこの航空会社のフライトは楽なのだ。
運賃がもう少し安く、マイレージの加算率がよければ、いつもキャセイパシフィック航空にしたいとさえ思う。
航空会社がめざすサービスには、それぞれの特徴がある。キャセイパシフィック航空がめざしているものは、スピード感のような気がする。機材は各社同じようなものだ。キャセイパシフィック航空の飛行速度がとりたて速いわけではない。速いのは、チェックインにかかる時間や乗り継ぎ時間である。
世界のすべての航空会社を乗り比べたわけではないが、キャセイパシフィックのそれはかなり速い部類に入ると思う。チェックインは、アレッというような速さで終わる。香港の空港での乗り継ぎは1時間、ときに50分といった速さでこなす。
バンコクからの機材はボーイング777だった。国慶節に絡んでいるから、ほぼ満室だった。それを客室乗務員は、みごとにさばき切った。そのかわり、ごてごてとした機内サービスはない。
飛行機は単なる輸送機関……というポリシーに徹している。問われるのはスピード感と定時運航。その感覚が小気味いい。
これがいまのアジアだと思う。残念なことに、いまの日本にはこのスピード感がない。
今回はバンコクー香港間が混み合い、接続のいい便の席がとれなかった。香港の空港で3時間ほど待つことになった。しかし香港の空港は、広々としていて、明るい。ストレスの少ない空港だと思う。時間があったので無料のWi-Fiをつなぐ。その速度が速い。はっきりいって、バンコクのホテルのインターネットより速いのだ。
航空業界はLCCの登場で、大きな構造変化が起きつつある。中・短距離はLCCに軍配があがりつつあるが、長距離は既存航空会社に一日の長がある。そのなかで、キャセイパシフィック航空がめざすスピード感は、アジアのいまの匂いがする。
Posted by 下川裕治 at
10:06
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2012年10月01日
サイレンで宣伝?
バンコクの宿にこもっている。原稿を書き続けている。
これはバンコクのホテルに限ったことではないが、室内の照明が暗い。数年前から、本の原稿のように長いものは、手書き原稿に戻ってしまった。パソコンのように、モニターが明るくないわけで、照明が暗いと、原稿を書くことが辛い。最近の僕は、電気スタンドを持ち歩いている。
締め切りは9月末である。しかしまだ160枚ほどしか仕上がっていない。本1冊は、400字詰めの原稿用紙で300枚ほどが必要になってくる。半分をようやく超えたところだ。どう編集者に謝ろうか……。そんなことを考えながら部屋にこもっている。
なかなか進まない原稿用紙を前にしていると、外から届く音がやたら気になる。最近のバンコクは、救急車のサイレンがやけに耳につくような気がする。
昔、新聞記者をやっていたから、このサイレン音には体が反応してしまう。支局にいたときは、夜、知人と酒を飲んでいても、この音を耳にすると、現場に飛んでいかなくてはならなかった。
サイレン音で思い出す街がある。
ロサンゼルスだ。もう20年近く前、ロサンゼルスのダウンタウンにある安宿に泊まっていたことがあった。近くに警察署があったのかはわからないが、日が落ちると、パトカーのサイレン音がひっきりなしに響いた。
あの頃のロサンゼルスの治安はよくなかった。深夜になっても、サイレンのうなり声が部屋に響く。こうしてアメリカの治安を教えられた記憶がある。
バンコクもサイレンの音が頻繁に響く街になってしまったのだろうか。
しかし街で見るのは救急車ばかりである。パトカーがサイレンを鳴らして走っているところは見た記憶がほとんどない。そんな話を知人としていた。
「そうだよな。タイの警察って、だいたいバイクでやってくる。パトカーは検問の場所か要人が移動するときに見かける程度だよな」
「現場にパトカーでいくことって、あまりないんじゃない。現場に先に着くのは、例の慈善団体の車だしね」
「でも、最近、サイレンを鳴らして走る救急車が多くない?」
「そう、あれだいたい、治療費の高い私立病院の車なんだよな」
「あの救急車、けっこう料金が高いって話ですよ。タイ人はそれを知ってるから、急病人もタクシーで運ぶもんな」
「じゃあ、皆、豊かになって、高い救急車で運ぶようになったってこと?」
「さあ……。でもね、あれ、私立病院の宣伝の手段だっていう話も聞いたことがある。サイレンを鳴らすと、皆、見るじゃない」
なんだか治安とは無縁の、タイらしい話に流れていく。タイはやはり、そんな国のような気もする。
これはバンコクのホテルに限ったことではないが、室内の照明が暗い。数年前から、本の原稿のように長いものは、手書き原稿に戻ってしまった。パソコンのように、モニターが明るくないわけで、照明が暗いと、原稿を書くことが辛い。最近の僕は、電気スタンドを持ち歩いている。
締め切りは9月末である。しかしまだ160枚ほどしか仕上がっていない。本1冊は、400字詰めの原稿用紙で300枚ほどが必要になってくる。半分をようやく超えたところだ。どう編集者に謝ろうか……。そんなことを考えながら部屋にこもっている。
なかなか進まない原稿用紙を前にしていると、外から届く音がやたら気になる。最近のバンコクは、救急車のサイレンがやけに耳につくような気がする。
昔、新聞記者をやっていたから、このサイレン音には体が反応してしまう。支局にいたときは、夜、知人と酒を飲んでいても、この音を耳にすると、現場に飛んでいかなくてはならなかった。
サイレン音で思い出す街がある。
ロサンゼルスだ。もう20年近く前、ロサンゼルスのダウンタウンにある安宿に泊まっていたことがあった。近くに警察署があったのかはわからないが、日が落ちると、パトカーのサイレン音がひっきりなしに響いた。
あの頃のロサンゼルスの治安はよくなかった。深夜になっても、サイレンのうなり声が部屋に響く。こうしてアメリカの治安を教えられた記憶がある。
バンコクもサイレンの音が頻繁に響く街になってしまったのだろうか。
しかし街で見るのは救急車ばかりである。パトカーがサイレンを鳴らして走っているところは見た記憶がほとんどない。そんな話を知人としていた。
「そうだよな。タイの警察って、だいたいバイクでやってくる。パトカーは検問の場所か要人が移動するときに見かける程度だよな」
「現場にパトカーでいくことって、あまりないんじゃない。現場に先に着くのは、例の慈善団体の車だしね」
「でも、最近、サイレンを鳴らして走る救急車が多くない?」
「そう、あれだいたい、治療費の高い私立病院の車なんだよな」
「あの救急車、けっこう料金が高いって話ですよ。タイ人はそれを知ってるから、急病人もタクシーで運ぶもんな」
「じゃあ、皆、豊かになって、高い救急車で運ぶようになったってこと?」
「さあ……。でもね、あれ、私立病院の宣伝の手段だっていう話も聞いたことがある。サイレンを鳴らすと、皆、見るじゃない」
なんだか治安とは無縁の、タイらしい話に流れていく。タイはやはり、そんな国のような気もする。
Posted by 下川裕治 at
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