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ナムジャイブログ

2012年11月26日

湯に浸かってさっぱりする?

「バンコクにできたという『湯の森』という温泉に行きませんか」
 知人に誘われた。いつも屋台で、そばばかり啜っていないで……といっているようにも聞こえた。バンコクのなかの日本は、どんどん進化しているのだと。
 温泉に浸かった。日本の温泉地帯にある日帰り温泉とほとんど同じだった。都心なら健康ランドと呼ぶのだろうか。
 最近のバンコクにお目見えする「日本」に戸惑うことが多い。かつてはタイ人に合わせてアレンジしたものが多かった。が、最近は日本のままの姿でバンコクに出現する。そこにタイ人がやってくるのだ。
『湯の森』もそうだった。湯船からはタイ語が聞こえてくるのだ。温泉恋しさでやってくるバンコク在住日本人だけを狙っているのではなかった。
 しかし日本風の風呂に浸かることは、刺身を食べることとはわけが違う。人前で裸になる世界なのだ。
 上海か北京にも、この種の温泉があるというが、中国には銭湯がある。しかしタイ人にとって、入浴は個室の世界である。昔は川で体を洗ったかもしれないが、ちゃんと体には布を巻いていた。
 ところが『湯の森』に入るタイ人は、日本人のように裸なのだ。水着をつける人など誰もいない。タイ人の順応には、しばし言葉を失ってしまう。
 大きな浴槽に体を沈めながら、ふと考えてしまった。タイとのつきあいは40年近くにもなるが、こうして湯に浸かったのははじめてではないか。いや、以前、チェンマイの温泉に行ったことがある。とすると、2回目か……。
 バンコクで泊まるホテルは、タイ人向けの600~700バーツレベルのホテルが多い。そういうホテルには、なぜか浴槽がある。しかしそこに湯を溜めた記憶はない。だいたい栓がないところが多い。
 日本に帰ると、さすがに湯に浸かる。しかし自分でいうのもなんだが、入浴時間はすごく短い。俗にいう「カラスの行水」である。だからタイに来ても、シャワーだけでなんの気にもならないのかもしれない。
 僕はときどき、新潮社にカンヅメになる。新潮社は一軒家を使っていて、夜、管理人のおばさんから、きまって「お風呂はいつ頃?」と訊かれる。暑い夏場など、「シャワーですませますから」というと、おばさんは必ず首を横に振ってこういう。
「お湯に浸かるとさっぱりしますから」
 そういえば、妻も風呂上りに、「さっぱりした」ということがある。
 こういってはなんだが、湯に浸かって、「さっぱりした」という感覚がよくわからない。シャワーだって、さっぱりするではないか。
 僕の体は、やはり東南アジア向きということなのだろうか。

  

Posted by 下川裕治 at 15:37Comments(0)

2012年11月19日

最後は石と生きる?

 一軒の飲み屋で、ひとりの老人と会った。63歳。会社を定年退職して3年になる。
 会社に勤めていた期間が短かったのだという。年金はそれほど多くない。しかし、退職金を使ったのだろうか。資産を運用を続け、毎月、30万円近い利益を得ていた。
 年金と合わせて40万円弱。恵まれた老後を維持している。
「生活は月に20万円もあればできる。ひとり暮らしですから。残った金を貯めて、年に何回かの海外旅行。楽しみは、それぐらいかなぁ」
 そして、バッグのなかから、資産運用の証書を何枚もとり出した。あまり知らない運用商品の名前が並び、支払い額が記入されている。それから延々と、資産運用のノウハウ話が続いた。いま、銀行には、3000万円近い預金があるという。
 日本にはこんな老人が多い。老後の不安が先に立ち、日々、貯金に励んでいるのだ。俗にタンス預金と呼ばれる。振り込め詐欺が多発する原因のひとつでもある。
 経済アナリストは、こんな老人たちのタンス預金を批判する。この資金がもっと流動化したら、日本経済はいまほど悪い状態にはならなかった……と。件の老人は、その見解も十分に知っていた。
「私のような老人が批判されるのは、よくわかっています。でもね、もう人といろいろやるのは嫌なんです。いろいろ投資話はありますよ。カンボジアの貧しい子供たちの学校に援助するとか、ね。なかには1%ぐらいの利益をくれる話もある。でも、信用できないじゃないですか。その人を信ずることができるかどうか……そういうことに気をもむことがもう嫌なんです。つきあうのは、証券会社の社員だけです。あとは自分で判断していく。このほうが楽なんです。そりゃ、寂しいですよ。有効に金を使うわけじゃない。ただの資産運用です。でもね……」
 きっとそういうことなのだろう。多くの人が、毎日の株価を気にしながら、資金を運用していく生活が好きというわけではい。もっと生きた金として使いたい……という思いはある。しかしその先に待っているのは、人間関係なのだ。そういうことに疲れてしまった老人は、貯まっていく預金額だけにわずかな楽しみを見いだしていくしかない。
 以前、こんな話を聞いたことがある。人の興味の変遷話である。若い頃は人間への興味が強い。恋愛はその典型だろう。その時期をすぎると、動物に関心は移る。ペットを飼うわけだ。その次は植物。家庭菜園やベランダ栽培の世界だ。そして最後には石に辿り着くのだという。自分が発散するエネルギーが減っていくのに呼応して、命のあるものとのつきあいに疲れていくのだろう。
 資産運用というのは、その最後の石にも似た世界なのだろうか。
 老人は63歳。命のない金とともに生きていく老後はあまりに長い。
  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(0)

2012年11月14日

初雪のソウル

 寒くなってきた。
 昨夜、ソウルの東大門を歩いていた。吐く息が白い。夜空を見あげると、白い粒が街灯に映しだされた。
「雪。ソウルの初雪です」
 ソウル在住の知人がいった。
 季節はどんどんめぐっていく。暑いとばかり思っていたら、いつの間にか、空は晴れ渡っていた。もう秋か……。そう呟いていたら、ソウルでは雪が舞う季節になっていた。
 東京が雪雲に覆われるのは、そう遠くないのだろう。
 寒さは辛いが、冬空は好きだ。東京の空がいちばん透き通る時期だと思う。どうも、その気候はソウルも似ているようで、今朝、東大門のモーテルで目を覚ますと、小さな窓に透明度の高い空が広がっていた。
 陽だまりがありがたい空である。
 ソウルへの便が安くなった。日本のエアアジアジャパンが就航したからだ。1週間ほど前に見ると、往復で1万7000円ほどだった。それに引きずられるように、既存の航空会社も運賃を下げている。往復で2万円前後。こんな時期がしばらく続くのだろうか。
 飛行時間も運賃も、日本国内移動のような感覚である。日本の物価は、もうそこまで下がってきたということなのだろう。アジアの国々のなかで、日本だけ突出して物価が高い時代は、着実に終わりに近づいている。
 先週まで、アジアで「ほどほど」に暮らす日本人の原稿を書いていた。12月に新書になって発売されるが、そこに登場する人の多くが闘っていた。敵は、「日本人は豊かで、金をたくさん持っている」というアジアの人々の認識だった。
 アジアに暮らす日本人は、ひとつの状況を突きつけられている。日本人はもうそれほど豊かではない……という事実である。しかし日本のいる日本人は、まだそのギアチェンジが難しい人が多い。相変わらずアジアの経済大国という世界に肩まで漬かっている。
 やはり海外に出なければいけない。かつては海外から、いろんなものを吸収した日本かもしれないが、いまは、「日本はもう、普通の国になった」という感触を身につけなくてはいけないのだろう。誇りとか自尊心を捨てていくことだから、辛い日々かもしれないが、それが現実でもある。
 言葉は通じないが、日本とほぼ同じ値段のソウルのカフェでコーヒーを飲みながら、痛感するのだ。
 今日、東京に戻る。
  

Posted by 下川裕治 at 16:23Comments(1)

2012年11月05日

タイで死んでいく日本人たち

 チェンマイを中心にしたタイ北部で、今年に入って20人の日本人が死んだ。チェンマイで知らされた。
 その多くがロングステイ組だという。突然の発症。日本に帰ることも難しかった人がほとんどだという。
 タイ北部はバンコクに比べれば気候に恵まれている。日本に似た四季もある。バンコクに比べれば物価も安い。それでいて、チェンマイやチェンラーイには量販店が何軒もあるから生活に苦労しない。日本料理屋も少なくない。そんな理由からだろうか。ロングステイの土地に選ぶ日本人は多い。
 タイがロングステイを受け入れてから10年以上の年月が流れた。60代前半で、タイでのロングステイをはじめた人も70歳代になったわけだ。タイで死亡する人が増えてくるのは当然のことかもしれない。
 タイでのロングステイがはじまったとき、こんな人生プランをよく目にした。
「60代をタイで過ごし、その間は出費を抑えて年金を貯蓄にまわし、70代以降の日本での本格的な老後に備える」
 タイの物価もじりじりと上がり、日本での本格老後への資金がなかなか貯まらなかったのだろうか。しかし70代のロングステイ組と会うと、むしろタイの生活が気に入ってしまったタイプが多い。
 タイに5年も暮らせば、生活面での不自由さはなくなる。それなりの方法をみにつけるものだ。最近は日本料理店も急増し、だいぶ楽になってきた。物価が高くなってきたといっても、日本に比べればまだまだ安い。住めば都といった感覚もある。
 先日、バンコクのタニヤ通りにあったグラバー亭という居酒屋のご主人が亡くなった。僕も何回かお世話になった。シーロム通り界隈のオフィスで仕事があり、午前1時をまわってやっと終わったというとき、酒と一緒に食事もとれる店はここしかなかった。
 体調がよくないことは聞いていた。退院したときに1回、店で会った。顔が変形するぐらいに腫れているというのに、がんがんと酒を飲んでいた。すでに自分の死を覚悟していたのかもしれない。
 昨日、チェンマイでひとりの日本人ホームレスと会った。新しくなったアーケードバスターミナルをねぐらにしていた。バンコクに向かうバスが何台も停まるターミナルの椅子に座っていろんな話をした。
「明日はどうなるかわかりませんから」
 彼は何回もそう口にした。
 別れ際、なんといったらいいのかわからなかった。
「じゃあ、また」
 と言葉を濁すと、
「生きていたら」
 と男は頼りない笑みを浮かべた。
 タイとかかわっていくこと。それはこれから何回も、日本人の死と出合っていくことを意味するのだろうか。

  

Posted by 下川裕治 at 12:27Comments(2)