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ナムジャイブログ

2013年02月26日

鞄が重い

 どうしてそんなに鞄が重いのか……。昔からよくいわれる。旅に出るときは、できるだけ荷物の軽量化を考える。そんな内容の原稿も書いている。しかし日本で日々、持ち歩いている鞄はたしかに多い。自分でも嫌になることさえある。
 以前、酒を飲み、帰宅するタクシーで気分が悪くなったことがあった。自宅まで2、300メートルのところだったが、そこにある公園で降ろしてもらった。少し休み、歩いて帰宅しようとした。が、鞄が重い。それを持って歩く気力がなかった。そこで植え込みの奥に鞄を隠した。翌朝、早くにとりにこようと思っていた。すると朝、近くの警察署から電話がかかってきた。鞄が遺失物として届いているという。早朝に散歩をした老人がみつけたらしい。絶対にみつからないように隠したつもりだったが。
 公園の植え込みに隠すぐらいだから、たいしたものは入っていない。……というわけでもない。重さの元凶。本である。
 鞄のなかには、途中まで読んだ本が何冊も入っている。いま鞄のなかに入っている本は6冊ある。
 月刊の『文藝春秋』。司馬遼太郎のアジア観という特集があったので買った。
『神戸続神戸俳愚伝』。これは、「著者の東西三鬼が、僕と同じようなことをしているから読んでみろ」と編集者が送ってくれた。
『バウルを探して』。書評を新聞社から依頼されている。新聞社から届いた。
『上海時間旅行』。次の本を書くための資料として、出版社から届いた。
『バンコクごはん』。著者が知人で送っていただいた。どこかで紹介しなくては、と思っている。
『マレー蘭印紀行』。これはいつも鞄に入っている。
 実はそのほかに自分の本が2冊入っているから、計8冊。ここに本のゲラや資料などが加わってくる。重くなるわけだ。
 仕事が忙しくなると、家で本を読む時間もなくなってしまう。事務所へ向かう電車のなかで読むといっても、乗車時間は10分そこそこなのだ。1冊の本を読みはじめると、先に読まなくてはいけない本が届き、それを読んでいると、大急ぎで読まなくてはいけない本が机の上に置かれている。
 そんなことをしているうちに、鞄のなかの本が増えていってしまうのだ。
 電子書籍などというけれど、資料にする本はその流れには乗りにくい。鞄のなかは、本で占拠されていってしまう。
 本を書くことと、読むことに追いまくられているような気がしてならない。純粋に本を読むことを楽しめる日は、いつか来るのだろうか。
  

Posted by 下川裕治 at 11:29Comments(0)

2013年02月18日

成田空港のトイレに入るとき

 書店に入るとトイレに行きたくなる……という、ちょっと知られた話がある。オシッコではない。大きいほうの話である。本が発する匂いが、肛門の筋肉を刺激してしまうのだろうか。
 ただ僕は書店で催したことはない。本の匂いに反応しない鈍感な男ということかもしれない。
 僕が催す場所──。
 飛行機が到着した成田空港である。
 飛行機を降りたときは、トイレに行く人が多い。飛行機を降りて最初にあるトイレには長い列ができる。人間というものは、やはり乗り物のなかではゆっくりと用を足すことができないらしい。
 その伝でいえば、僕が成田空港で催すというのは、あたり前のように聞こえるかもしれない。しかしその感覚はちょっと違う。
 たとえば上海の空港に到着する。あるいはバンコク。僕はトイレに行くことはない。いってもオシッコぐらいだろうか。これだけ、飛行機や列車に乗る旅を続けていると、乗り物のなかでもゆっくり……という体質になってしまった気もする。
 たしかに海外のトイレは違う。とくに大国といわれる国のトイレはどこか殺伐としているものだ。アメリカ、中国、ロシア……。小国のトイレのような気遣いがない。しかし用を足すという目的を満たすという上で、とりたて問題があるわけではない。
 成田空港でのトイレは、そういうこととは別のことのように思うのだ。
 成田空港のトイレには、なんともいえない安心感がある。それは便器の微妙な高さなのだろうか。あるいは尻の当たる部分の湾曲と感触のような気もする。いろいろ考えてはみるが、適当な答えはみつかっていない。ときに、便意はないというのに座るときもある。なぜか心地いいのだ。
 日本に帰ったという安堵?
 それがないといったら、嘘になるだろう。しかし日本という国は厳しい。イミグレーションでスタンプをもらい、荷物を受けとって外にでると、いろんなことが一気に蘇ってくる。いまの時間だから、電車は混んでいるだろうか。バスは渋滞は何時発だろう。いや、日本円が財布のなかにあるだろうか……。日本人として、普通に振る舞わなくてはいけないプレッシャーに押し潰されそうになる。
 成田空港に吹く風も、ときに生きる自信がなくなるほど冷たい。
 だから成田空港のトイレなのかもしれなかった。日本社会に入る前の休息……。
 そんな気がしないでもない。
   

Posted by 下川裕治 at 12:26Comments(2)

2013年02月12日

公園カフェで日本人を知る

 バンコクのサパーンクワーイに不思議なカフェをみつけた。前から気にはなっていたのだが、入ってみると、やはり不思議だった。
 そこはいってみれば、歩道に沿った公園である。なかには、ベンチに座ったおばあさんの彫刻とか、自転車、動かなくなったトゥクトゥクなどが、無造作に、いや、見ようによってはアートっぽく配置されている。木々も多い。その間に、テーブルと椅子が置かれているのだ。
 入ったきっかけはネットだった。このカフェの入り口には、冷房の効いた普通のカフェがあり、パソコンを開いている人がいた。
 ひょっとしたら……と訊いてみた。
「室内より、屋外のカフェのほうが電波が強いんです」
 泊まっているホテルは、ネットの設備がなかった。1日に1回ぐらい、メールを見ないと、いろんな人から怒られる。ネットのつながるカフェを探していたのだ。
 丸いガラステーブルを選んで、そこに座った。教えてもらったパスワードを打ち込む。ネットは問題なくつながった。木陰で1杯40バーツというサパーンクワーイ価格のコーヒーを飲みながらメールを打つ。
 バンコクらしくない空間……と思っていたが、やはりバンコクだった。テーブルの下から、1センチもある大きなアリが、わらわらと出てきたのだ。
 アリと格闘が続く。モニターの上を歩く1匹を追い払い、キーボードに潜り込む1匹を息で吹き飛ばす。ズボンを這い上がる1匹を払い、コーヒーカップに上ってきた1匹をつまんで草むらに放る。
 しかし周りのタイ人は優雅だった。たぶんいろんな虫がいると思うのだが、顔色ひとつ変えずに仲間と話している。
 昔から思うのだが、タイ人は、屋外で飲んだり、食べたりすることが大好きである。タイ人の家に下宿させてもらっていたが、夕飯をよく物干しで食べた。外のほうが気持ちがいいというのだ。外には、蚊や毒蛇、ゲジゲジの一種、よくわからない毒虫がいっぱいいるから気をつけろ……というわりに、外で酒を飲んだり、食事をする。よくわからない人たちだった。
 夕暮れどき、公園カフェの前を通った。テーブルにロウソクの灯りが揺れている。ここは歩道の屋台から出前も頼めるらしい。食事会モードのテーブルもある。テント式の屋根付きテーブルの下では、カップルが蚊に刺された足を掻きながら、いい笑顔をつくっている。
 いまがいちばん、蚊が舞う時間帯。しかし彼らは、虫よりも屋外だった。
 僕は蚊が嫌いだ。刺されるといらいらしてしまう。すぐ蚊取り線香に頼ってしまう。毒虫にも弱い。これがタイ人と日本人の違いなのだろうか。
 公園カフェには、毎日通った。アリのいないテーブルもいくつか覚えた。やはり僕は日本人らしい。
  

Posted by 下川裕治 at 14:41Comments(0)

2013年02月04日

バンコクがカンヅメの街?

 バンコクでひとりカンヅメ状態になっている。本当はバングラデシュに行く予定だったのだが……。
 カンヅメというのは、原稿の締め切りに間に合わず、部屋にこもって集中的に原稿を書くことをいう。出版界の用語かもしれない。
 本来は出版社がホテルを確保し、そこにカンヅメ状態にする。目的は原稿を書かせることだが、編集者が管理して、他社の仕事はさせない状態をつくることでもある。
 最近の出版社の景気は悪い。僕のようなもの書きに、ホテル代を負担する余裕もない。結局自分から進んでカンヅメ状態になる、という自虐行為を冒すことになる。
 カンヅメ先は、1泊750バーツ、日本円で2500円ほどのサパンクワイのホテルである。そこに引きこもって4日目になる。
 以前、ある作家が、ひとりカンヅメの話をエッセイで書いていたが、その宿泊先はハワイのホテルだった。その話を思い出すと、なんだかいじけてしまうのだが、まあ、僕はサパンクワイのタイ人向けホテルがお似合いだろう。
 そもそもカンヅメになる場所は、劣悪な環境のほうがいいという人がいる。刑務所は厳しいところでなくてはならない。もう2度と入りたくないという思いが犯罪の抑止力になるともいう。病院の環境がよくなると、病気の治りが悪いという説もある。
 サパンクワイのホテルはネットがつながっていない。カンヅメという環境では、これはかなり重要なことである。つい連絡をとってしまうし、ゲームに走る人もいる。世間から閉ざされた環境をつくることがカンヅメである。ネットが通じないホテルのほうがいいわけだ。
 食事はサパンクワイの屋台ですます。それ以外は、ホテルの部屋にこもっている。寝る前にビールを1本。こういう暮らしをしている。1日の出費は、ホテル代を除けば150バーツほどである。日本円で500円以下。ずいぶん安あがりのカンヅメ生活である。
 一時、タイ料理に飽きてきたことがあった。どれも同じ味のように思えてしまった。しかし最近、サパンクワイの屋台でタイ料理を食べるようになって、認識が変わった。タイ料理は確実に進化していたのだ。毎日、違う店で食べることにしている。「こうきたか」。「これはいったいなんだ?」。孤独のグルメのようにひとりごとをくり返している。
 ここ半年ほどの間に、3冊の本を書いた。振り返ってみると、その半分ぐらいはバンコクで書いているような気がする。
 バンコクは僕にとって、カンヅメの街になりつつある。

  

Posted by 下川裕治 at 16:28Comments(1)