インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2013年04月09日

笑顔の重さ

 バンコクに住む知人が、こんな話をしてくれた。彼女は毎朝、BTSという高架電車で通勤している。駅の手前にある屋台で、豆乳とコーヒー、そして水を買うことにしている。
 豆乳は好みがある。砂糖を入れるか、米の加工品やコーンなどを入れるか……など、人によって違う。コーヒーもそうだ。ミルクや砂糖を入れるかどうか……。ホットとアイスの違いもある。
 彼女はこの街に暮らしはじめた朝、豆乳の屋台とコーヒーの屋台に好みを伝えて、それぞれを買った。それを2日ほど続けただろうか。
 すると2軒の屋台の主人は、彼女の好みを覚えてしまった。なにもいわなくても、さっと豆乳とコーヒーを出してくれたのだった。
 僕にも経験がある。タイ人はよく客を覚えてくれる。2回、3回と通うと、注文を口にしなくてもよくなる。タイという国は、長く暮らすほど、タイ語の会話が減るような気になってしまう。
 これはちょっと嬉しい。
 海外暮らしには、常に不安がつきまとう。店の人が親切かどうか、日本にいる以上に心を砕く。言葉の壁もある。そんな不安をすっと消してくれるようなタイ人の優しさ。なにか心の隙間を埋めてくれるような気になるのだ。
 しかし暮らしは続く。毎日、豆乳とコーヒーを用意してくれるタイ人のサービスが、ちょっと重くなるときがある。
 人には体調の悪い朝もある。胃がもたれ、コーヒーを飲むことができないことだってあるのだ。しかしコーヒー屋台の主人は、歩道を歩く彼女の姿を見つけると、せっせとコーヒーをつくりはじめ、満身の笑みをつくって渡してくれる。とても断れない。しかし受けとったコーヒーは少し重い。
「それってタイ式の押し売りじゃない?」
話を聞いていた日本人が口を開いた。
「毎朝、買ってくれるお得意様を笑顔でひとりゲットっていう」
 いや、そこまでいわなくても、タイ人がもつ天性という気がしなくもない。優しさと商売上手は紙一重なのだ。
 しかし気になった。知り合いの何人かのタイ人に聞いてみた。すると、ひとりのタイ人男性は怒ってしまった。
「押し売りなんて考えちゃうから、日本人はせこいって嫌われるんですよ。タイ人の優しさに決まっているじゃないですか。タイ人はそれ以外のことを考えていませんよ」
 強い語気に気圧されるほどだった。
 なんだかこちらが恥じ入るような思いに包まれたが、そのタイ人男性の言葉を鵜呑みにすることもできなかった。
 タイ人と日本人の間に壁は、そんなところに潜んでいるのかもしれない。
  

Posted by 下川裕治 at 12:08Comments(1)

2013年04月01日

58歳の旅の重さ

 いま、バングラデシュのコックスバザールにいる。昨年はなんだか忙しく、この街を訪ねることができなかった。街なかにある仏教寺院のなかで、小学校を運営している。その資金が苦しく、これからどうしようか……という気が重い話を携えてやってきた。
 昨日、バンコクを発ち、ダッカから夜行バスに10時間近く揺られた。バングラデシュの景気は悪くない。車が急激に増え、ダッカでは大渋滞が起き、コックスバザールに向かう道も痛みが激しい。激しく揺れる夜行バスは久しぶりにアジアの旅を思い出させる。
 コックスバザールに朝の7時に着き、自転車リキシャに乗って知人の家に向かう。街は2年前とあまり変わらないようにも映る。
 この街に暮らす知人は多い。皆、ラカイン族という少数の仏教徒だ。それぞれの家に、日本に暮らすラカイン族からの土産を預かっていたからそれを携えてまわることになる。
 彼らの暮らしに変わりはないが、どの家も子供が増えていた。二人目の子供が生まれた家が多い。景気がいいなかで、物価がどんどん上がっている。生活は楽ではないが、ちゃんと子供が増えていく。
 なにか根っこのところに流れている健全さのようなものを感じてしまうのだ。子供が生まれ、その子供が親を支えていくというサイクルが崩れていない。
 街を包む停電は相変わらず頻繁だ。昼食を食べると、眠くなる。夜行バスはどうしても睡眠不足になってしまう。
 しかし天井の扇風機は動いてくれない。停電は続いている。
「きっと寝ているうちにまわりはじめる」
 天井の扇風機を見つめているうちに寝入ってしまった。
 2時間近く眠っただろうか。しかしまだ停電は続いていた。
 疲れが澱のように、腰や肩のあたりに溜まっている。かつては、ひと眠りすれば、すっきりしたものだが、なかなか体の重さが消えてくれない。
 バスの旅が応えたのだろうか。若かったときは、なんともなかったような旅の重さが、やけにずっしり体に居座ってしまう。
 年を重ねたということだろうか。
 もう58歳である。
 来月には59歳になる。
 来年は赤いちゃんちゃんこを着る歳なのだと、家人から冗談を投げかけられ、曖昧な笑いで返しているが、バングラデシュという国のバスに乗ると、その言葉が妙に身に沁みてしまうのである。
 バングラデシュという国の旅は、潜在的な体力が必要なのかもしれない。
  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(0)