2013年11月26日
増水したメコン川をボートは滑るように下っていった
【2013年11月04日号から、通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。タイのスリンからカンボジアに入国し、シュムリアップを経てプノンペンに到着した。
※ ※
プノンペンからホーチミンシティへ。一般的には国際バスに乗る。しかし裏国境の旅。外国人が通過できるようになってそう年月がたっていないメコン川を下るコースをとることにした。
船の出航は午後1時だった。その日の朝、この切符を買ったのだが、35ドルもした。国際バスよりも高い。嫌な予感があった。ひょっとしたらこの船は……。
船に乗り込み、その予感は当たってしまった。最新型の12人乗りボート。船内に入るとちゃんと冷房まで効き、ガイドが待ち構えていた。そして、コーヒーを勧めてきた。
「無料?」
「もちろん」
そういうことだった。このボートは、メコン川を下るというツアーのような形態をとっていたのだ。高い理由がわかった。
裏国境の旅……。ローカルな国境を越えていくイメージのなかにいた。しかし外国人向けツアーをつくるために開く国境というものもあるらしい。
乗客は僕とカメラマン以外に欧米人のカップルだけだった。4人の客とガイドを乗せたボートは、滑るようにメコン川を下っていった。
快適な船旅だった。後ろにデッキがあり、川風に吹かれながら、増水したメコン川を眺めていると、気が遠くなりそうだった。
膨大な水量だった。水没した周辺の村がいくつもある。しかし村の人たちは想定内といった面もちで小舟を繰り、網を投げる。そんな風景をぼんやり眺める船旅である。
カンボジアのイミグレーションに着いたのは午後4時半だった。ガイドの促され、陸にあがる。
「ここ?」
そこは寺の境内だった。犬が寝そべっている。庫裡からが音楽も流れている。しかし参拝客は誰もいない。ただゆるい空気だけが流れているのだ。左手に一軒家のような建物があった。そこがイミグレーションだった。
ほとんどチェックもなしに出国スタンプが捺された。再びボートは5分ほど下る。と、そこがベトナムの入国ポイントだった。カンボジアのイミグレーションはメコン川の東岸だった。僕はてっきり川を横切ってベトナムに入国すると思っていた。しかしベトナムのイミグレーションも東岸だった。その間に国境があるということなのだ。
ベトナムの入国は、カンボジア出国以上に簡単だった。ガイドが4人分のパスポートを預かり、ものの3分ほどで戻ってきた。
ボートはカンボジアの国旗をはずし、ベトナムの船になった。そこからメコン川に支流に分け入っていく。しだいに日が落ち、川面も色を失っていく。左手に街の灯りが見えてきた。あそこがチャドックの街らしい。
(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。タイのスリンからカンボジアに入国し、シュムリアップを経てプノンペンに到着した。
※ ※
プノンペンからホーチミンシティへ。一般的には国際バスに乗る。しかし裏国境の旅。外国人が通過できるようになってそう年月がたっていないメコン川を下るコースをとることにした。
船の出航は午後1時だった。その日の朝、この切符を買ったのだが、35ドルもした。国際バスよりも高い。嫌な予感があった。ひょっとしたらこの船は……。
船に乗り込み、その予感は当たってしまった。最新型の12人乗りボート。船内に入るとちゃんと冷房まで効き、ガイドが待ち構えていた。そして、コーヒーを勧めてきた。
「無料?」
「もちろん」
そういうことだった。このボートは、メコン川を下るというツアーのような形態をとっていたのだ。高い理由がわかった。
裏国境の旅……。ローカルな国境を越えていくイメージのなかにいた。しかし外国人向けツアーをつくるために開く国境というものもあるらしい。
乗客は僕とカメラマン以外に欧米人のカップルだけだった。4人の客とガイドを乗せたボートは、滑るようにメコン川を下っていった。
快適な船旅だった。後ろにデッキがあり、川風に吹かれながら、増水したメコン川を眺めていると、気が遠くなりそうだった。
膨大な水量だった。水没した周辺の村がいくつもある。しかし村の人たちは想定内といった面もちで小舟を繰り、網を投げる。そんな風景をぼんやり眺める船旅である。
カンボジアのイミグレーションに着いたのは午後4時半だった。ガイドの促され、陸にあがる。
「ここ?」
そこは寺の境内だった。犬が寝そべっている。庫裡からが音楽も流れている。しかし参拝客は誰もいない。ただゆるい空気だけが流れているのだ。左手に一軒家のような建物があった。そこがイミグレーションだった。
ほとんどチェックもなしに出国スタンプが捺された。再びボートは5分ほど下る。と、そこがベトナムの入国ポイントだった。カンボジアのイミグレーションはメコン川の東岸だった。僕はてっきり川を横切ってベトナムに入国すると思っていた。しかしベトナムのイミグレーションも東岸だった。その間に国境があるということなのだ。
ベトナムの入国は、カンボジア出国以上に簡単だった。ガイドが4人分のパスポートを預かり、ものの3分ほどで戻ってきた。
ボートはカンボジアの国旗をはずし、ベトナムの船になった。そこからメコン川に支流に分け入っていく。しだいに日が落ち、川面も色を失っていく。左手に街の灯りが見えてきた。あそこがチャドックの街らしい。
(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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Posted by 下川裕治 at
12:00
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2013年11月18日
プノンペンの危うい夜
【2013年11月04日号から、通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。そこからスリンへ。外国人がほとんど通過しない国境を越えてカンボジアのシュムリアップに着いた。
※ ※
カンボジアのシェムリアップに1泊。バスでプノンペンに出ることにした。
シェムリアップからプノンペンまでは、バスとトンレサップ川を下るボートがある。
「ボートは高いけど渋滞はないよ」
現地でそういわれた。このルートは、これまで何回か通っていた。渋滞の記憶はなかった。そこでバスを選んだのだが、プノンペンの手前で大渋滞に巻き込まれてしまった。バスは遅々として進まなかった。
アンコールワットを思い出していた。いつもは中国人ツアー客の声が耳にうるさい世界遺産なのだが、その日はカンボジア人が目立った。彼らは20ドルの入場料もいらない。遺跡の上でカンボジア式弁当を広げる。遺跡群はピクニックの目的地だった。いつもと違うアンコールワットに、「こうじゃなきゃ」と思ったものだが、その日はカンボジアの連休に当たっていた。翌日、大挙してプノンペンに帰る……。
バスは出発から遅れた。9時発予定のバスが動きはじめたのは11時。午後の6時ぐらいにプノンペンに着くかと思っていたが、市街に入ったのは午後10時をまわっていた。
プノンペンからベトナムのホーチミンシティに向かうことにしていた。普通はバスを選ぶ。モクバイの国境を通るルートである。
しかし今回は、メコン川を下り、メコンデルタのチャドックでベトナムに入国しようと思っていた。とりあえず、船着き場まで行ってみることにした。出航時間を確認したかったのだ。しかし、夜の10時をまわった時刻に船会社のオフィスが開いているわけがなかった。近くにいた男に訊くと、翌朝の6時にこの船着き場に来い、という。
船着き場の近くで宿を探そうと向かいを見ると、ネオンが輝いている一画がある。その通りに入って、足が止まってしまった。
「なんですか、これは」
周囲を女性のいるバーがぎっしりと埋めていたのだ。
プノンペンの川沿いの一帯は再開発が進んでいる。近代的なビルが建ち、欧米人向けのカフェもオープンしていた。ケンタッキー・フライドチキンもある。そういうエリアができると、「これは女性を置くバーでひと儲けだ」とステレオタイプの発想に危うい将来を夢みるのが、カンボジアの男らしい。するすると歓楽街ができあがっていた。しかし夜も遅い。バー街に宿があると助かる。
見まわすと、一軒のバーにゲストハウスと書いてある。店内に入った。レセプションらしきものはない。欧米人の男たちが、カンボジア女性をくどき続けるカウンター脇に向かった。
「ビール?」
「いや、今晩、泊まれる?」
カメラマンとふたりでツインが28ドル。まあしかたないか……と鍵を受けとった。
階段をあがると、欧米人の酒飲みたちドアを開けたまま飲んだくれていた。バーで飲む金がないらしい。行き場のない男たちの巣窟だった。これがいまのプノンペンということだろうか。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
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裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。そこからスリンへ。外国人がほとんど通過しない国境を越えてカンボジアのシュムリアップに着いた。
※ ※
カンボジアのシェムリアップに1泊。バスでプノンペンに出ることにした。
シェムリアップからプノンペンまでは、バスとトンレサップ川を下るボートがある。
「ボートは高いけど渋滞はないよ」
現地でそういわれた。このルートは、これまで何回か通っていた。渋滞の記憶はなかった。そこでバスを選んだのだが、プノンペンの手前で大渋滞に巻き込まれてしまった。バスは遅々として進まなかった。
アンコールワットを思い出していた。いつもは中国人ツアー客の声が耳にうるさい世界遺産なのだが、その日はカンボジア人が目立った。彼らは20ドルの入場料もいらない。遺跡の上でカンボジア式弁当を広げる。遺跡群はピクニックの目的地だった。いつもと違うアンコールワットに、「こうじゃなきゃ」と思ったものだが、その日はカンボジアの連休に当たっていた。翌日、大挙してプノンペンに帰る……。
バスは出発から遅れた。9時発予定のバスが動きはじめたのは11時。午後の6時ぐらいにプノンペンに着くかと思っていたが、市街に入ったのは午後10時をまわっていた。
プノンペンからベトナムのホーチミンシティに向かうことにしていた。普通はバスを選ぶ。モクバイの国境を通るルートである。
しかし今回は、メコン川を下り、メコンデルタのチャドックでベトナムに入国しようと思っていた。とりあえず、船着き場まで行ってみることにした。出航時間を確認したかったのだ。しかし、夜の10時をまわった時刻に船会社のオフィスが開いているわけがなかった。近くにいた男に訊くと、翌朝の6時にこの船着き場に来い、という。
船着き場の近くで宿を探そうと向かいを見ると、ネオンが輝いている一画がある。その通りに入って、足が止まってしまった。
「なんですか、これは」
周囲を女性のいるバーがぎっしりと埋めていたのだ。
プノンペンの川沿いの一帯は再開発が進んでいる。近代的なビルが建ち、欧米人向けのカフェもオープンしていた。ケンタッキー・フライドチキンもある。そういうエリアができると、「これは女性を置くバーでひと儲けだ」とステレオタイプの発想に危うい将来を夢みるのが、カンボジアの男らしい。するすると歓楽街ができあがっていた。しかし夜も遅い。バー街に宿があると助かる。
見まわすと、一軒のバーにゲストハウスと書いてある。店内に入った。レセプションらしきものはない。欧米人の男たちが、カンボジア女性をくどき続けるカウンター脇に向かった。
「ビール?」
「いや、今晩、泊まれる?」
カメラマンとふたりでツインが28ドル。まあしかたないか……と鍵を受けとった。
階段をあがると、欧米人の酒飲みたちドアを開けたまま飲んだくれていた。バーで飲む金がないらしい。行き場のない男たちの巣窟だった。これがいまのプノンペンということだろうか。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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14:03
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2013年11月11日
誰も越境しない国境
【2013年11月04日号から、通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを周遊する旅。前号はバンコクを夜行バスで出発しスリンへ。そこからカンボジア国境をめざした。
※ ※
スリンのバスターミナルを出発したロットゥー(乗り合いバン)は40分ほどで国境に着いた。タイ側はチョンチョムという。
国境のバー周辺は、越境してきたカンボジア人で混みあっていた。タイ側にあるマーケットに行くのだという。皆、パスをもっているのか、自由に出入りしている。その脇を通って、タイ側のイミグレーションの建物に入る。通過する人は誰もいない。暇な国境だ。しばらく歩いていくと、カンボジア側のビザオフィスがあった。はたしてこの国境でビザをとることができるだろうか。ひとつの不安だった。
しかし職員はすっと申請用紙を渡してくれる。ビザ代は20ドルだった。
同行したカメラマンが顔写真をもっていなかった。そういうと、なかに入れられ、スマホでカシャ。
「これでいいのか」
つい口を挟みたくなる。ただ写真代は100バーツ。職員のポケットに入っていく金である。その向かいのイミグレーションでスタンプを捺してもらう。タイ側のイミグレーションを出てから15分ほど。なにしろ正式に国境を通過する人が誰もいないのだ。
アランヤプラテーとから抜ける国境が脳裏をよぎる。午後に越境しようものなら、イミグレーションの前に長い列ができる。それに比べると、気が抜けてしまうほどの越境だった。
さて、これからどうやってシェムリアップに……。カンボジア側の村はオスマックといった。売店が2、3軒あるだけだ。訊いても、シェムリアップまで行くバスはないという。車が数台停まっている。シェムリアップまで行くというのだが、1台50ドル……。
これが裏国境の辛いところだった。バス便はない。タクシーは相乗りなのだが、越境する人がほとんどいない。1台を借り切るしかないのだ。
30分ほど待っただろうか。しかし国境を越えてくる人は誰もいなかった。
「行くしかありませんかね」
「今日は誰も国境を越えてこないのかもしれない……」
50ドルの車に乗るしかなかった。
洪水が迫っていた。カンボジアの道は数段よくなった。舗装路が続いた。これは楽勝かと思っていたら、その道に水が入りはじめていた。車は水しぶきをあげなから進んでいくが、あと20~30センチも水かさが増せば、通行が難しくなる。
しかし、周囲の村のカンボジア人はのんきなものだ。水が流れる路上に座って酒盛りをする奴もいる。農民は冠水した水田の上に、投網を手にして小舟を出す。突然、漁師になってしまうのだ。
そんな暮らしのなかでは、車は脆弱な乗り物である。
しかしなんとかシェムリアップまで辿り着いた。4時間ほどかかった。もう1週間遅れていたら、冠水の前で途方に暮れていたかもしれない。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を選んで下さい。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを周遊する旅。前号はバンコクを夜行バスで出発しスリンへ。そこからカンボジア国境をめざした。
※ ※
スリンのバスターミナルを出発したロットゥー(乗り合いバン)は40分ほどで国境に着いた。タイ側はチョンチョムという。
国境のバー周辺は、越境してきたカンボジア人で混みあっていた。タイ側にあるマーケットに行くのだという。皆、パスをもっているのか、自由に出入りしている。その脇を通って、タイ側のイミグレーションの建物に入る。通過する人は誰もいない。暇な国境だ。しばらく歩いていくと、カンボジア側のビザオフィスがあった。はたしてこの国境でビザをとることができるだろうか。ひとつの不安だった。
しかし職員はすっと申請用紙を渡してくれる。ビザ代は20ドルだった。
同行したカメラマンが顔写真をもっていなかった。そういうと、なかに入れられ、スマホでカシャ。
「これでいいのか」
つい口を挟みたくなる。ただ写真代は100バーツ。職員のポケットに入っていく金である。その向かいのイミグレーションでスタンプを捺してもらう。タイ側のイミグレーションを出てから15分ほど。なにしろ正式に国境を通過する人が誰もいないのだ。
アランヤプラテーとから抜ける国境が脳裏をよぎる。午後に越境しようものなら、イミグレーションの前に長い列ができる。それに比べると、気が抜けてしまうほどの越境だった。
さて、これからどうやってシェムリアップに……。カンボジア側の村はオスマックといった。売店が2、3軒あるだけだ。訊いても、シェムリアップまで行くバスはないという。車が数台停まっている。シェムリアップまで行くというのだが、1台50ドル……。
これが裏国境の辛いところだった。バス便はない。タクシーは相乗りなのだが、越境する人がほとんどいない。1台を借り切るしかないのだ。
30分ほど待っただろうか。しかし国境を越えてくる人は誰もいなかった。
「行くしかありませんかね」
「今日は誰も国境を越えてこないのかもしれない……」
50ドルの車に乗るしかなかった。
洪水が迫っていた。カンボジアの道は数段よくなった。舗装路が続いた。これは楽勝かと思っていたら、その道に水が入りはじめていた。車は水しぶきをあげなから進んでいくが、あと20~30センチも水かさが増せば、通行が難しくなる。
しかし、周囲の村のカンボジア人はのんきなものだ。水が流れる路上に座って酒盛りをする奴もいる。農民は冠水した水田の上に、投網を手にして小舟を出す。突然、漁師になってしまうのだ。
そんな暮らしのなかでは、車は脆弱な乗り物である。
しかしなんとかシェムリアップまで辿り着いた。4時間ほどかかった。もう1週間遅れていたら、冠水の前で途方に暮れていたかもしれない。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を選んで下さい。こちらは2週間に1度の更新です。
Posted by 下川裕治 at
22:06
│Comments(0)
2013年11月04日
裏国境の旅がはじまった
【2013年11月04日号から、通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
今年の夏。タイとミャンマーの国境4ヵ所が開いたことを知った。それらの国境は、これまで通過できないわけではなかった。しかし、ビザをもっていても、いくつかの入域制限があった。その制約がなくなった。
ミャンマーとバングラデシュの国境は開いていないため、陸路でタイからミャンマーを通り、バングラデシュに抜けることはできない。しかしメーソトから国境を越え、いったんヤンゴンに行き、南部のラノーンでタイに戻るといったルートは可能になった。
東南アジアの地図を開き、ぼんやりと眺めてみる。あの国境はどうだろうか……。調べてみると、外国人も通過できるようになったことがわかる。以前、地元の人しか通過できなかったローカル国境というか、裏国境が次々に開いたことがわかってきた。ここ2、3年のことだった。
東南アジアの情況は安定している。当然、人や物の越境が盛んになる。これまでのメイン国境ではさばけなくなり、次々にサブ国境が開いているようだった。
行ってみようか。
タイのバンコクを出発し、バンコクに戻る旅……。ルートは反時計まわりと決めた。旅の最後はミャンマー陸路入国の旅になる。
※ ※
バンコクからカンボジアに向かう。一般的な国境は、アランヤプラテートからポイペトに抜けるルートだ。しかしこの国境はいつも混んでいる。越境が午後になってしまうと、カンボジア側のイミグレーションで2時間待ちといったことは珍しくない。このボーダーには、越境者からひと儲け組が手ぐすね引いて待ち構えている。カンボジア側は会社ぐるみだからたちが悪い。
のんびりのどかに国境を越えられるポイントはないだろうか……。そこで東北タイのスリンを選んだ。
バンコクのモチット2から夜行バスで向かうことにした。最近はネットで予約し、コンビニで支払うと、切符の引換券を受けとることができるようになった。タイも便利になった……と感心していると、ひとりのタイ人がこんなことをいうのだった。
「スリン? 洪水ですよ」
「はッ?」
「腰のあたりまで水がきているみたい」
「でも、バスは動いてるんでしょ。スリン県も広いから、スリン市内や国境は大丈夫じゃない?」
「日本人はどうしてそんなに楽観的なの?」
大きなお世話である。しかし不安は募る。サンダルや短パンまで用意して夜行バスに乗ったのだった。
タイ人の話は大嘘だった。いや、スリン県のどこかは洪水なのだろうが、市内は大丈夫だった。
早朝のスリンバスターミナルに着いた。すると、目の前に国境行きのロットゥー(乗り合いバン)が停まっていた。国境まで60バーツ、約180円。裏国境の旅は順調にスタートしたかにみえた……。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を選んで下さい。こちらは2週間に1度の更新です。
今年の夏。タイとミャンマーの国境4ヵ所が開いたことを知った。それらの国境は、これまで通過できないわけではなかった。しかし、ビザをもっていても、いくつかの入域制限があった。その制約がなくなった。
ミャンマーとバングラデシュの国境は開いていないため、陸路でタイからミャンマーを通り、バングラデシュに抜けることはできない。しかしメーソトから国境を越え、いったんヤンゴンに行き、南部のラノーンでタイに戻るといったルートは可能になった。
東南アジアの地図を開き、ぼんやりと眺めてみる。あの国境はどうだろうか……。調べてみると、外国人も通過できるようになったことがわかる。以前、地元の人しか通過できなかったローカル国境というか、裏国境が次々に開いたことがわかってきた。ここ2、3年のことだった。
東南アジアの情況は安定している。当然、人や物の越境が盛んになる。これまでのメイン国境ではさばけなくなり、次々にサブ国境が開いているようだった。
行ってみようか。
タイのバンコクを出発し、バンコクに戻る旅……。ルートは反時計まわりと決めた。旅の最後はミャンマー陸路入国の旅になる。
※ ※
バンコクからカンボジアに向かう。一般的な国境は、アランヤプラテートからポイペトに抜けるルートだ。しかしこの国境はいつも混んでいる。越境が午後になってしまうと、カンボジア側のイミグレーションで2時間待ちといったことは珍しくない。このボーダーには、越境者からひと儲け組が手ぐすね引いて待ち構えている。カンボジア側は会社ぐるみだからたちが悪い。
のんびりのどかに国境を越えられるポイントはないだろうか……。そこで東北タイのスリンを選んだ。
バンコクのモチット2から夜行バスで向かうことにした。最近はネットで予約し、コンビニで支払うと、切符の引換券を受けとることができるようになった。タイも便利になった……と感心していると、ひとりのタイ人がこんなことをいうのだった。
「スリン? 洪水ですよ」
「はッ?」
「腰のあたりまで水がきているみたい」
「でも、バスは動いてるんでしょ。スリン県も広いから、スリン市内や国境は大丈夫じゃない?」
「日本人はどうしてそんなに楽観的なの?」
大きなお世話である。しかし不安は募る。サンダルや短パンまで用意して夜行バスに乗ったのだった。
タイ人の話は大嘘だった。いや、スリン県のどこかは洪水なのだろうが、市内は大丈夫だった。
早朝のスリンバスターミナルに着いた。すると、目の前に国境行きのロットゥー(乗り合いバン)が停まっていた。国境まで60バーツ、約180円。裏国境の旅は順調にスタートしたかにみえた……。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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