2014年05月26日
チャイントンの人が抱える闇
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーからラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントンに入った。
※ ※
ミャンマーのチャイントンにバスが着いたのは昼過ぎだった。すぐにタウンジー行きのバスターミナルに急いだ。バンタイプの車がずらりと並んでいた。これらが明日の朝、タウンジーに向かうのだろう。道が悪いのだろうか。大型バスが通行できないらしい。
オフィスがいくつも並んでいた。最初の1軒に入る。「タウンジー」という地名を口にしたとたん、申し訳なさそうに、
「外国人は乗せられない」
という言葉が返ってきた。そして外国人に許されているのは空路だけ、と続けた。とりつくしまがなかった。隣に続く3軒のバス会社のオフィスに訊いたが、返事はまったく同じだった。
「なにか方法はないんだろうか」
阿部稔哉カメラマンと手にした地図に視線を落とした。バス会社の男がひとり近づいてきた。僕らは地図を示した。それはチャンントンとタウンジーの中間あたりの街だった。
チャイントンとタウンジーを結ぶ道は、サルウイン川を渡らなくてはならなかった。そこに架かる橋はひとつしかなかった。チャイントンからタウンジーに行く人も、北部で生産されたアヘンもこの橋を通るという話だった。ミャンマー軍は、この橋にチェックポイントを置けば、簡単に人と物資の動きを監視することができた。
僕らが示したのは、その橋の手前の街だった。そこまでならチェックがないかもしれなかったのだ。
バス会社の男が電話をかけた。そして首を横に振った。
「チャイントンを出たところでチェックされるから、無理だそうです」
公共のバスは難しそうだった。街に戻り、英語が通じる人に訊いてまわる。ブラックタクシーを探そうとしたのだ。しかし誰もがとりあってくれなかった。皆、軍が怖かったのだ。シャン族にしたら、外国人が通行できないことを心苦しく思っていた。それは、もう政府に反旗を翻すつもりなどない、といっていることと同じだった。しかしそれをミャンマー軍は認めなかった。シャン族とミャンマー軍の間には、憎しみに縁どられた暗い過去が横たわっている。
東京で話をしたシャン族の青年の話を思い出した。
「父は警察官。けっこう偉い位まであがったんです。しかしその父が、日本に行けっていったんです。ミャンマーではシャン族はけっしてあるところより上にはいけない。将来もこのそれは変わらないって」
シャン族はいまも、その状況のなかで声を潜めて生きていた。そんなチャイントンで、タウンジーへ行く方法を問い質していくことは、彼らを追いつめていくことだった。
彼らはミャンマー軍を怖れている。
諦めるしかなさそうだった。
湖を囲むように広がるチャイントンの街は美しい。しかし彼らが抱える抑圧は考える以上に深かった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーからラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントンに入った。
※ ※
ミャンマーのチャイントンにバスが着いたのは昼過ぎだった。すぐにタウンジー行きのバスターミナルに急いだ。バンタイプの車がずらりと並んでいた。これらが明日の朝、タウンジーに向かうのだろう。道が悪いのだろうか。大型バスが通行できないらしい。
オフィスがいくつも並んでいた。最初の1軒に入る。「タウンジー」という地名を口にしたとたん、申し訳なさそうに、
「外国人は乗せられない」
という言葉が返ってきた。そして外国人に許されているのは空路だけ、と続けた。とりつくしまがなかった。隣に続く3軒のバス会社のオフィスに訊いたが、返事はまったく同じだった。
「なにか方法はないんだろうか」
阿部稔哉カメラマンと手にした地図に視線を落とした。バス会社の男がひとり近づいてきた。僕らは地図を示した。それはチャンントンとタウンジーの中間あたりの街だった。
チャイントンとタウンジーを結ぶ道は、サルウイン川を渡らなくてはならなかった。そこに架かる橋はひとつしかなかった。チャイントンからタウンジーに行く人も、北部で生産されたアヘンもこの橋を通るという話だった。ミャンマー軍は、この橋にチェックポイントを置けば、簡単に人と物資の動きを監視することができた。
僕らが示したのは、その橋の手前の街だった。そこまでならチェックがないかもしれなかったのだ。
バス会社の男が電話をかけた。そして首を横に振った。
「チャイントンを出たところでチェックされるから、無理だそうです」
公共のバスは難しそうだった。街に戻り、英語が通じる人に訊いてまわる。ブラックタクシーを探そうとしたのだ。しかし誰もがとりあってくれなかった。皆、軍が怖かったのだ。シャン族にしたら、外国人が通行できないことを心苦しく思っていた。それは、もう政府に反旗を翻すつもりなどない、といっていることと同じだった。しかしそれをミャンマー軍は認めなかった。シャン族とミャンマー軍の間には、憎しみに縁どられた暗い過去が横たわっている。
東京で話をしたシャン族の青年の話を思い出した。
「父は警察官。けっこう偉い位まであがったんです。しかしその父が、日本に行けっていったんです。ミャンマーではシャン族はけっしてあるところより上にはいけない。将来もこのそれは変わらないって」
シャン族はいまも、その状況のなかで声を潜めて生きていた。そんなチャイントンで、タウンジーへ行く方法を問い質していくことは、彼らを追いつめていくことだった。
彼らはミャンマー軍を怖れている。
諦めるしかなさそうだった。
湖を囲むように広がるチャイントンの街は美しい。しかし彼らが抱える抑圧は考える以上に深かった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
Posted by 下川裕治 at
20:03
│Comments(0)
2014年05月19日
【お知らせ下川裕治スライド&トークショー「アジアの日本人町歩き」&「バンコク街歩き」の楽しみ方
「アジアの日本人町歩き」&「バンコク街歩き」の楽しみ方
新刊『アジアの日本人町歩き旅』(角川文庫)と『読むバンコク』(メディアポルタ)の発売を記念して、旅行作家の下川裕治さんをお招きして、アジアの日本人町とバンコクの街歩きの楽しみ方についてスライドを眺めながらたっぷりと語っていただきます。
アジアの日本人町で訪ねたのは、韓国、台湾、中国、沖縄、マレー半島。日本人町のテーマパーク化が進む韓国や台湾。上海では李香蘭が戦後、監禁されていた興業坊や金子光晴が住んだ余慶坊、アヘン王の里見甫が住んだピアスアパートを探し歩く旅。ハリマオの妹の墓を探しにマレー半島へ。そして沖縄の日本人町。そんな旅を紹介しています。
バンコクは、旅行でバンコクを訪れる日本人観光客は年々増加し、バンコク在住日本人は10万人を超えるともいわれていますが、バンコクは実は、アユタヤのレプリカだったとか、イスラム系貴族との権力抗争など、大半の日本人はバンコクという街 の成り立ちをあまり知りません。本書は、そんなバンコクのそれぞれの街の由来や、そこに息づく空気を、バンコクの達人である下川さんが解き明かし、タイの人々との間 にある垣根を取り払い、バンコクをより深く知るための歴史散策読本になっています。
下川ファンの方はもちろん、アジアの街歩きやバンコクが大好きな方はぜひご参加ください!
※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。
【開催日時】
5月29日(木) 19:30~ (開場19:00)
【参加費】
900円
※当日、会場入口にてお支払い下さい
【会場】
旅の本屋のまど店内
【申込み方法】
お電話、ファックス、e-mail、または直接ご来店のうえ、お申し込みください。TEL&FAX:03-5310-2627
e-mail :info@nomad-books.co.jp
(お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください)
※定員になり次第、締め切らせていただきます。
【お問い合わせ先】
旅の本屋のまど TEL:03-5310-2627
(定休日:水曜日)
東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F
http://www.nomad-books.co.jp
主催:旅の本屋のまど
協力:角川書店、メディアポルタ
新刊『アジアの日本人町歩き旅』(角川文庫)と『読むバンコク』(メディアポルタ)の発売を記念して、旅行作家の下川裕治さんをお招きして、アジアの日本人町とバンコクの街歩きの楽しみ方についてスライドを眺めながらたっぷりと語っていただきます。
アジアの日本人町で訪ねたのは、韓国、台湾、中国、沖縄、マレー半島。日本人町のテーマパーク化が進む韓国や台湾。上海では李香蘭が戦後、監禁されていた興業坊や金子光晴が住んだ余慶坊、アヘン王の里見甫が住んだピアスアパートを探し歩く旅。ハリマオの妹の墓を探しにマレー半島へ。そして沖縄の日本人町。そんな旅を紹介しています。
バンコクは、旅行でバンコクを訪れる日本人観光客は年々増加し、バンコク在住日本人は10万人を超えるともいわれていますが、バンコクは実は、アユタヤのレプリカだったとか、イスラム系貴族との権力抗争など、大半の日本人はバンコクという街 の成り立ちをあまり知りません。本書は、そんなバンコクのそれぞれの街の由来や、そこに息づく空気を、バンコクの達人である下川さんが解き明かし、タイの人々との間 にある垣根を取り払い、バンコクをより深く知るための歴史散策読本になっています。
下川ファンの方はもちろん、アジアの街歩きやバンコクが大好きな方はぜひご参加ください!
※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。
【開催日時】
5月29日(木) 19:30~ (開場19:00)
【参加費】
900円
※当日、会場入口にてお支払い下さい
【会場】
旅の本屋のまど店内
【申込み方法】
お電話、ファックス、e-mail、または直接ご来店のうえ、お申し込みください。TEL&FAX:03-5310-2627
e-mail :info@nomad-books.co.jp
(お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください)
※定員になり次第、締め切らせていただきます。
【お問い合わせ先】
旅の本屋のまど TEL:03-5310-2627
(定休日:水曜日)
東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F
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主催:旅の本屋のまど
協力:角川書店、メディアポルタ
Posted by 下川裕治 at
16:44
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2014年05月19日
ブラックタクシーがあるらしい
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーからラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーに入った。
※ ※
ミャンマーのタチレクに入った。この街は完全にタイバーツの世界だった。ホテルを探して宿代を訊くと、タイバーツで金額を伝えられた。食堂のメニューも金額はタイバーツだった。
タチレクに入ったのは、その先のルートが許されたからだった。
昨年、ミャンマーの陸路入国のルールが変わった。それ以前の陸路入国は、国境の街に限られるのが原則だった。つまり1日でタイに戻らなくてはならなかった。
理由はミャンマー政府に反旗を翻していた少数民族の存在だった。タイとの国境付近は治安的に安定していないとミャンマー政府は発表していた。
話がついた──。そういうことなのだろうか。そんな簡単なことではないのだが、国境が開放された。ミャンマーへの越境ポイントは4カ所が決められた。そこから入国し、ミャンマー内を移動し、別の国境からタイに戻ることもできた。
メーサイからタチレクに入る国境もそのひとつだったのだ。
このルートは、以前から例外的な扱いだった。ビザをもっていれば、チャイントンまでは行くことができたのだ。しかし、昨年の発表を読み下せば、チャイントンからタウンジー、そしてヤンゴンまでも陸路でいくことができるはずだった。
だがミャンマー国内はそう簡単に話が進まないようだった。現地を訪ねた旅行者から、チャイントンとタウンジー間の陸路移動は許可されず、飛行機だけという話が聞こえてきたのだ。
今回の旅に出る前、東京にいるミャンマー人に調べてもらった。さまざまな話が聞こえてきた。
「正式には許されないが、朝、ターミナルでバスに乗ってしまえばいいらしい」
「高くなるが、違法覚悟で乗せてくれるブラックタクシーがあるらしい」
「中国系のミャンマー人になりすませば大丈夫だよ」
どれもあやふやな話ばかりだった。
行ってみるしかなかった。タチレクやチャイントンがあるのは、シャン州だった。ミャンマーのなかでは最も人口の多い少数民族だった。政府とシャン族との関係は、ミャンマーの将来を左右していた。
はたしてチャイントンから、陸路でタウンジーまで行けるのだろうか。
タチレクに着いた翌朝、チャイントン行きのバスに乗った。かつては悪路が続く山のなかの道だったが、最近は整備され、4時間半ほどで着いてしまうという。
バスはタチレクの街を抜けた。するとすぐに検問が待っていた。以前はこれほど近くに検問はなかった。
嫌な予感がした。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーからラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーに入った。
※ ※
ミャンマーのタチレクに入った。この街は完全にタイバーツの世界だった。ホテルを探して宿代を訊くと、タイバーツで金額を伝えられた。食堂のメニューも金額はタイバーツだった。
タチレクに入ったのは、その先のルートが許されたからだった。
昨年、ミャンマーの陸路入国のルールが変わった。それ以前の陸路入国は、国境の街に限られるのが原則だった。つまり1日でタイに戻らなくてはならなかった。
理由はミャンマー政府に反旗を翻していた少数民族の存在だった。タイとの国境付近は治安的に安定していないとミャンマー政府は発表していた。
話がついた──。そういうことなのだろうか。そんな簡単なことではないのだが、国境が開放された。ミャンマーへの越境ポイントは4カ所が決められた。そこから入国し、ミャンマー内を移動し、別の国境からタイに戻ることもできた。
メーサイからタチレクに入る国境もそのひとつだったのだ。
このルートは、以前から例外的な扱いだった。ビザをもっていれば、チャイントンまでは行くことができたのだ。しかし、昨年の発表を読み下せば、チャイントンからタウンジー、そしてヤンゴンまでも陸路でいくことができるはずだった。
だがミャンマー国内はそう簡単に話が進まないようだった。現地を訪ねた旅行者から、チャイントンとタウンジー間の陸路移動は許可されず、飛行機だけという話が聞こえてきたのだ。
今回の旅に出る前、東京にいるミャンマー人に調べてもらった。さまざまな話が聞こえてきた。
「正式には許されないが、朝、ターミナルでバスに乗ってしまえばいいらしい」
「高くなるが、違法覚悟で乗せてくれるブラックタクシーがあるらしい」
「中国系のミャンマー人になりすませば大丈夫だよ」
どれもあやふやな話ばかりだった。
行ってみるしかなかった。タチレクやチャイントンがあるのは、シャン州だった。ミャンマーのなかでは最も人口の多い少数民族だった。政府とシャン族との関係は、ミャンマーの将来を左右していた。
はたしてチャイントンから、陸路でタウンジーまで行けるのだろうか。
タチレクに着いた翌朝、チャイントン行きのバスに乗った。かつては悪路が続く山のなかの道だったが、最近は整備され、4時間半ほどで着いてしまうという。
バスはタチレクの街を抜けた。するとすぐに検問が待っていた。以前はこれほど近くに検問はなかった。
嫌な予感がした。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
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16:34
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2014年05月12日
40年前、この国境に立っていた
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーからラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ国境へ。
※ ※
タイに入国した。国境を出発したロットゥーという乗り合いバンは、軍や警察のチェックを3回も受け、ナンのバスターミナルについた。日本人の僕らのチェックはほとんどなかった。車窓からぼんやりと、タイの風景を眺めていた。
「垢抜けるってこういうことをいうんだろうなあ」
同行する阿部カメラマンに声をかけた。バスターミナルでバスを待つ女性。バイクタクシーの若者……。ラオス人とは肌の色、着ているもの、髪型……とすべてが少しずつ違っていた。タイだった。
タイ語には、「垢抜ける」という日本語に近い意味合いの言葉がある。「ヘビが脱皮する」といういい方だ。田舎からバンコクに出てきた若者が脱皮するわけだ。「垢抜ける」よりなにかしっくりくる表現でもある。
ナンからチェンラーイに出、ミャンマーに入る予定だった。
タイのバス網は、すべてバンコクを中心にルートがつくられている感がある。ナンにしても、バンコク行きのバスは頻繁に運行しているというのに、チェンラーイ行きは1日に1便しかなかった。朝の便だけだった。
ナンからチェンラーイに向かうバスは、ラオスとの国境に沿った山道を進んだ。少数山岳民族の村を結んだ道なのだろう。山の稜線につくられた道が続いた。そして一気に坂道をくだってチェンラーイに出た。そこからロットゥーで国境の街、メーサイに出る。
メーサイのバスターミナルは、国境から少し離れたところにあった。国境までは乗り合いトラックになる。荷台に座席をつくったソーンテオという乗り物だ。
発車して間もなく、テスコロータスの前で停まった。テスコロータスは、タイ全土でチェーン展開をする大型量販店である。
そこからわらわらとミャンマー人が乗り込んできた。皆、テスコロータスの袋を提げている。国境を越えた買い物というより、今日の買い物の風情だった。
40年近く前、はじめて見た国境が、ここだった。当時、タイとミャンマーの間は、正式に通過することはできなかった。しかし国境の橋の脇に立つと、地元の人たちは平気でバーをあげて越境していた。日本という島国で育った僕は、そこで戸惑うことになる。その不可解さが、その後、アジアに足繁く通うようになるきっかけでもあった。アジアの流儀に魅了されていったといってもいいのかもしれない。
何回かこの国境には来ている。メーサイ川が境界なのだが、大きな川ではない。ミャンマーのおばちゃんは、川をばしゃばしゃと渡って、タイ側に醤油を買いにくる光景もよく見た。それがいまは、テスコロータス。時代は変わった。
国境の手前は大渋滞だった。路上で週末のナイトマーケットが開かれるようだった。しかし国境は開いているわけだから、通過する車もある。僕らはソーンテオを降り、歩いて国境に向かうことにした。ひさしぶりに通過するメーサイの国境だった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーからラオスに入国し、ルアンパバーン、ホンサーを経てタイ国境へ。
※ ※
タイに入国した。国境を出発したロットゥーという乗り合いバンは、軍や警察のチェックを3回も受け、ナンのバスターミナルについた。日本人の僕らのチェックはほとんどなかった。車窓からぼんやりと、タイの風景を眺めていた。
「垢抜けるってこういうことをいうんだろうなあ」
同行する阿部カメラマンに声をかけた。バスターミナルでバスを待つ女性。バイクタクシーの若者……。ラオス人とは肌の色、着ているもの、髪型……とすべてが少しずつ違っていた。タイだった。
タイ語には、「垢抜ける」という日本語に近い意味合いの言葉がある。「ヘビが脱皮する」といういい方だ。田舎からバンコクに出てきた若者が脱皮するわけだ。「垢抜ける」よりなにかしっくりくる表現でもある。
ナンからチェンラーイに出、ミャンマーに入る予定だった。
タイのバス網は、すべてバンコクを中心にルートがつくられている感がある。ナンにしても、バンコク行きのバスは頻繁に運行しているというのに、チェンラーイ行きは1日に1便しかなかった。朝の便だけだった。
ナンからチェンラーイに向かうバスは、ラオスとの国境に沿った山道を進んだ。少数山岳民族の村を結んだ道なのだろう。山の稜線につくられた道が続いた。そして一気に坂道をくだってチェンラーイに出た。そこからロットゥーで国境の街、メーサイに出る。
メーサイのバスターミナルは、国境から少し離れたところにあった。国境までは乗り合いトラックになる。荷台に座席をつくったソーンテオという乗り物だ。
発車して間もなく、テスコロータスの前で停まった。テスコロータスは、タイ全土でチェーン展開をする大型量販店である。
そこからわらわらとミャンマー人が乗り込んできた。皆、テスコロータスの袋を提げている。国境を越えた買い物というより、今日の買い物の風情だった。
40年近く前、はじめて見た国境が、ここだった。当時、タイとミャンマーの間は、正式に通過することはできなかった。しかし国境の橋の脇に立つと、地元の人たちは平気でバーをあげて越境していた。日本という島国で育った僕は、そこで戸惑うことになる。その不可解さが、その後、アジアに足繁く通うようになるきっかけでもあった。アジアの流儀に魅了されていったといってもいいのかもしれない。
何回かこの国境には来ている。メーサイ川が境界なのだが、大きな川ではない。ミャンマーのおばちゃんは、川をばしゃばしゃと渡って、タイ側に醤油を買いにくる光景もよく見た。それがいまは、テスコロータス。時代は変わった。
国境の手前は大渋滞だった。路上で週末のナイトマーケットが開かれるようだった。しかし国境は開いているわけだから、通過する車もある。僕らはソーンテオを降り、歩いて国境に向かうことにした。ひさしぶりに通過するメーサイの国境だった。(以下次号)
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14:32
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2014年05月06日
タイに入国。世界が変わった
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーからラオスに入国し、ルアンパバーン、サラブリを経てホンサー。タイ国境へ。
※ ※
ラオスとタイの国境。
朝……。
ラオス側のイミグレーションにいた。職員はぱらぱらとページをめくる。ラオスの入国スタンプを探しているようだった。何ページ目かにみつけると、なにも考えていないような呆けた面もちで、ポンとスタンプを捺してくれた。
「大丈夫……」
後ろで待つ阿部カメラマンに目配せを送った。なんだか晴れ晴れとした気分だった。
イミグレーションを出ると、目の前に舗装された坂道があった。山に向かって道は延びている。
「山の方」
近くにいたラオス人が指で示した。
そろいのジャージを着た若者が十数人、坂道を登っていた。どうもタイに働きにいくようだった。女性も多い。なにがおかしいのだろう。笑い転げながら坂道を登っていく。
なんだか朝のウォーキングを楽しんでいるような光景だった。彼らを追い抜いたり、追い抜かれたりしながら坂を登っていく。
1キロほど歩いただろうか。前方の坂の中腹に人だかりが見えた。車止めもある。タイ側のイミグレーションのようだった。
小さな小屋だった。そこに数人のラオス人が集まっていた。皆、パスポート以外の書類を手にしている。出稼ぎの許可証だった。女性の職員が僕らと目があった。手招きされ、パスポートを出すと、入国カードを手渡してくれた。
タイに入国した。
なんの問題もなかった。
さらに坂道を登ると、土産物屋を兼ねたような食堂があった。コーヒーを頼んだ。
すると店のおばさんはコーヒー豆を機械に入れて挽きはじめた。そして出てきたのはカプチーノだった。
世界が変わった。
ベトナムコーヒー、そしてラオスのコーヒー。それぞれがまずいわけではない。しかしバニラのフレーバーが効き、コンデンスミルクがたっぷり入るスタイルが多かった。しかし、目の前の出てきたのは、バンコクのコーヒー店で出るコーヒーだった。いや、日本のカプチーノと同じ味といってもよかった。こんな辺境の店にも、カプチーノなのである。
脇にロットゥーという乗り合いバンが待っていた。ナンまでひとり100バーツ、約300円だという。旅が急にスムーズに進みはじめているのがわかる。
しかしナンまでの道で、ロットゥーは3回も検問を受けた。ラオス人たちは、パスポートと書類を手に別室に入っていく。
「君たちはここで待ちなさい」
タイの兵士にいわれる。見ていると、兵士は乗客の鞄を入念に調べていた。麻薬? それとも銃火器? のんびりとした風景にはそぐわない検問だった。(以下次号)
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
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※ ※
ラオスとタイの国境。
朝……。
ラオス側のイミグレーションにいた。職員はぱらぱらとページをめくる。ラオスの入国スタンプを探しているようだった。何ページ目かにみつけると、なにも考えていないような呆けた面もちで、ポンとスタンプを捺してくれた。
「大丈夫……」
後ろで待つ阿部カメラマンに目配せを送った。なんだか晴れ晴れとした気分だった。
イミグレーションを出ると、目の前に舗装された坂道があった。山に向かって道は延びている。
「山の方」
近くにいたラオス人が指で示した。
そろいのジャージを着た若者が十数人、坂道を登っていた。どうもタイに働きにいくようだった。女性も多い。なにがおかしいのだろう。笑い転げながら坂道を登っていく。
なんだか朝のウォーキングを楽しんでいるような光景だった。彼らを追い抜いたり、追い抜かれたりしながら坂を登っていく。
1キロほど歩いただろうか。前方の坂の中腹に人だかりが見えた。車止めもある。タイ側のイミグレーションのようだった。
小さな小屋だった。そこに数人のラオス人が集まっていた。皆、パスポート以外の書類を手にしている。出稼ぎの許可証だった。女性の職員が僕らと目があった。手招きされ、パスポートを出すと、入国カードを手渡してくれた。
タイに入国した。
なんの問題もなかった。
さらに坂道を登ると、土産物屋を兼ねたような食堂があった。コーヒーを頼んだ。
すると店のおばさんはコーヒー豆を機械に入れて挽きはじめた。そして出てきたのはカプチーノだった。
世界が変わった。
ベトナムコーヒー、そしてラオスのコーヒー。それぞれがまずいわけではない。しかしバニラのフレーバーが効き、コンデンスミルクがたっぷり入るスタイルが多かった。しかし、目の前の出てきたのは、バンコクのコーヒー店で出るコーヒーだった。いや、日本のカプチーノと同じ味といってもよかった。こんな辺境の店にも、カプチーノなのである。
脇にロットゥーという乗り合いバンが待っていた。ナンまでひとり100バーツ、約300円だという。旅が急にスムーズに進みはじめているのがわかる。
しかしナンまでの道で、ロットゥーは3回も検問を受けた。ラオス人たちは、パスポートと書類を手に別室に入っていく。
「君たちはここで待ちなさい」
タイの兵士にいわれる。見ていると、兵士は乗客の鞄を入念に調べていた。麻薬? それとも銃火器? のんびりとした風景にはそぐわない検問だった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
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14:15
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