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ナムジャイブログ

2014年08月25日

日本の各駅停車は早い

 まだ痛い。前回まで続いた「ローカル国境を越えて東南アジアを一周する旅」。すでに原稿を書き終え、ゲラになるのを待っている段階なのだが、ミャンマーで遭ったバスの横転事故で折れた肋骨3本は、まだしっかりとつながってはいないらしい。
 治りが遅い。やはり年ということか。
 日本のシニアの間には、骨折談義というものがあるらしい。階段を踏みはずしたり、道で転んだだけで簡単に骨が折れる年齢ということなのだろう。
 だから……買うときは少し恥ずかしいのだが、最近、『青春18切符』をよく使う。JRが期間限定で発売する切符で、各駅停車の列車に限り、1日乗り放題。5枚綴りで1万1850円という値段。1枚2370円になる。
 使いはじめたのは2年ほど前だった。母が信州にいるため、しばしば松本に行く。この路線は、JRの特急『あずさ』が走っているのだが、運賃が高い。そこで高速バスをよく使っていたのだが、ときどき渋滞に巻き込まれる。ときに事故渋滞も起きる。そんなときに、各駅停車……と思った。時刻表を見てみると、東京の都心から5時間ほどかかった。高速バスは3時間半ほどなのだが、渋滞に遭うと5時間ほどかかることがある。
 乗ってみることにした。5時間の長さはさして気にならなかった。途中下車は何回でもできるから、適当な駅で降りて昼食を食べることもできる。なんだか旅に出ているような気分だった。
 8月からひとつの企画がスタートした。駅前旅館に泊まりながら、各駅停車に乗って進む旅である、ここでも頼りは『青春18切符』である。
 毎週のように各駅停車に乗って気づいたことがある。この列車は意外に早いということだった。日本の列車は時刻に正確だから、遅れることはまずない。特急との待ち合わせ時間も短くなったような気がする。
 以前、アジアの各駅停車によく乗っていた時期があった。中国、ベトナム、タイ、マレーシアなどが多かった。しかしアジアの各駅停車は衰退傾向で、朝と夕方の通勤や通学用にしか走っていない路線が多かった。それに比べると、日本の各駅停車は、昼間の時間もしっかり走っている。
 旧暦のお盆の時期にも乗ったが、かなり混み合っていた。同じ時間帯の特急より混んでいた。各駅停車が意外に早いことを日本人は知りはじめているらしい。
 今週も各駅停車に乗る。水郡線から只見線に抜けるルートだ。
 目的地までの移動手段と考えると、特急の3時間は退屈だが、列車旅と意識を変えると各駅停車の5時間は楽しい。
 日本人のなかにそんな意識変化が起きているような気もするのだが。
  

Posted by 下川裕治 at 13:30Comments(2)

2014年08月18日

【新刊プレゼント】週末沖縄でちょっとゆるり

またまた下川裕治の新刊が発売されました。
今回は、この新刊「週末沖縄でちょっとゆるり」プレゼントのご案内です。

【新刊】


下川 裕治 / 阿部 稔哉 写真


週末沖縄でちょっとゆるり


◎ 本書の内容

 アジアが潜む沖縄そば、脊髄反射のようにカチャーシーを踊る人々、マイペースなおばぁ、突っ込みどころ満載の看板……日本なのになんだかゆるい沖縄には、いつも甘い香りの風が吹く。基地問題で揺れ、LCCが離島にも就航した沖縄。島の空気をいっぱいに吸い込む週末旅へ。



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新刊本「週末沖縄でちょっとゆるり」を、

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応募の条件は以下です。

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(タイ在住+日本在住の方も対象です。)

応募は以下の内容をご記入の上、下記のお問合せフォームよりご連絡ください。応募受付期間は2014年8月31日まで。当選発表は発送をもってかえさせていただきます。

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Posted by 下川裕治 at 14:12Comments(1)

2014年08月18日

旅は終わった

【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこダウェイ。メルギー諸島を船で南下。ミャンマー最南端のコータウンからラノーンでタイに入国した。

※ ※

 ラノーンの温泉に浸かったが、バスの横転という事故で負った背中の痛みが薄らいだわけではなかった。なにも変わらない……。それが正直なところだった。
 その日の夜行バスでバンコクに向かって北上する。
 最後のバス旅だった。タイのバンコクを出発し、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーと、ローカルな国境だけを越えた陸路旅の最後だった。
 しかし旅の最後の感傷に浸るほどの余裕がなかった。バス……。そう思っただけで、ミャンマーの夜行バスが蘇ってきてしまった。細かく、絶えることがない振動が背中に響くあの夜行バスである。望みといえば、タイの道だった。ミャンマーよりはいいことはわかっていたが、まったく振動がないというわけではないだろう。ときどき伝わる振動に反応するように背中が痛み、脂汗をかくことになるのかもしれなかった。
 晴れない面もちでバスに乗る。振動が少ないことを祈るしかない。
 タイだった。ミャンマーの道に比べれば、それは鏡のようにも感じた。ときおり振動はある。しかしそれはやわらかで、激痛が背中を走るようなことはなかった。楽だった。道さえよければ、バス旅はこんなにも快適なものなのかと、小さな灯りに絞られた車内で呟いていた。
 朝焼けのバンコクに着いた。到着したのはバンコクの南バスターミナルだった。
 旅は終わった。
 予想以上に日数がかかってしまった。思ったルートをバスで走破できたわけではない。しかしなんとか一周することができた。そこには、アジアの問題が渦巻いてもいたが、少なくとも陸路で国境を越えながらの旅はこなすことができた。
 ホテルに荷物を置き、バンコク病院に向かった。アフガニスタンでアメーバ赤痢を患ったときも、最後はバンコクのこの病院にお世話になった。
 X線写真を撮ってもらった。30代の若い医師は、パソコンに送られてきたX線画像を見ながらこういった。
「折れてますね」
「骨折?」
「そう。第9肋骨と第10肋骨が2本」
 パソコンの画面を見せてくれた。たしかに骨がつながっていなかった。打ち身などではなかったのだ。肋骨が折れていたのだ。
 診断書を書いてもらうために、待合室で座っていた。すると、診察室から件に医師が出てきた。僕の脇に立った。
「もう少しよく見たら、もう1本、折れていました」
「3本折れていたってことですか」
「そう」
 これといった治療法はなかった。痛み止めを飲みながら、つながるのを待つだけだ。
 日本に帰国しても、背中の痛みは消えなかった。東京の医師の診断も、バンコクとまったく同じだった。治療法も変わらない。
 痛み止めを飲み続ける日々が続いた。3週間、4週間……。そうこうしているうちに、60歳の誕生日を迎えてしまった。
 この年になると、肋骨がつながるのにも時間がかかるらしい。(終わり)

※この連載は新潮文庫にまとまり、今年の秋には出版予定です。

(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
 


  

Posted by 下川裕治 at 14:00Comments(0)

2014年08月12日

旅の最後にラノーン温泉の贅沢

【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこダウェイ。メルギー諸島を船で南下。ミャンマー最南端のコータウンに着いた。

※ ※

 ミャンマーのコータウンからタイのラノーンまで乗った船は、その日の最終船だった。乗客は8人。小ぶりの船はコータウンの港を横切るように進んでいった。
 途中で船頭がライフジャケットを着るようにいった。タイの海に入ったことを、こうして教えられた。
 コータウンからラノーンまでは遠くない。船で30分ほどだろうか。ラノーン港の入り口にイミグレーションがあった。船が着く。降りようすると、船頭に止められた。残りの6人だけが降りていく。彼らが手に持っていたのは、ミャンマーのパスポートだった。ミャンマー人専用のイミグレーションだった。僕とカメラマン以外は皆、ミャンマー人だったのだ。
 ラノーンの街に入ってわかったのだが、街で働いているミャンマー人はかなりの数だった。市場はミャンマー人で支えられているかのようだった。
 ミャンマー人以外のイミグレーションは、魚市場の脇の小さなオフィスだった。
 東南アジアのローカル国境を越えながら進む旅。最後のイミグレーションを通過する。
 ラノーンといえば温泉だった。朝、宿の窓から眺めると、山側に水蒸気が昇っているのが見えた。そこまで行けば温泉があるかもしれない……。散歩のつもりで歩きはじめたのだが、なかなか温泉はみつからなかった。
 困って道端の花屋に訊いてみた。おばさんは、道を説明しはじめたのだが、あの角を曲がって……などといっているうちに、自分でもわからなくなってしまったようだった。するとおばさんはこういった。
「ちょっと待っていなさい。送ってあげるから」
 こういう厚意にはすぐに甘えるタイプなので、しばらく待っていると、夫なのか使用人なのかわからないおじさんがバイクで戻ってきた。横には荷台がサイドカーのようについていた。ここに花を積むのだろう。
 おじさんは二つ返事で笑顔をつくった。タイの田舎の人たちは、やはり親切である。
 バイクの荷台で5分ほど揺られると、温泉パークのようなところに着いた。入り口にラクサワリン温泉と書いてあった。
 ラノーン市が運営している温泉パークのようで、入場料はもちろん、入浴料も無料だった。日本の温泉に比べると、タイは太っ腹である。65度と45度の浴槽があった。ぬるいほうに入ってみた。
 イオウのにおいが仄かに香るいい温泉だった。露天風呂だが、水着は着けなくてはならない。どこか温泉プールに入っているような気分だが、久しぶりの温泉である。
 そっと背中を触ってみた。ミャンマーでバスの横転事故にあった。それ以来、背中の痛みに耐える旅が続いていた。この温泉に浸かれば、きっとよくなるのに違いない。祈るような気持ちで湯に浸かる。肋骨が折れていることを知らない僕は、打ち身だと思っていたわけだから、温泉の効果に期待を抱いてしまうのである。
 いい天気だった。谷間につくられた温泉に浸かると、山の緑が目に染みた。
 旅の最後に温泉──。なんだかそれは、とんでもない贅沢のような気にもなる。
 その日の夜行バスの切符を買っていた。明朝にはバンコクに着く。
「一応、病院で診てもらおうか」
 温泉のなかでそんなことを考えていた。
(以下次号)

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2014年08月06日

メルギー諸島という神の贈り物

【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこダウェイに。そこから船でメルギー諸島を南下していく。

※ ※

 こんな海だとは知らなかった。メルギー諸島という名前は知っていた。しかしそれは自給自足に近い海洋民族が暮らす島というものでしかなかった。しかしこれほどきれいな海だったとは……。
 朝の4時半近くに出航した船は、8時過ぎにメルギーの港に着いた。アジアらしい賑やかな港だった。船着き場には100人を超えるミャンマー人が待っていた。この船は12時間近く走るのだが、メルギー諸島ではバスのような役割を担っていることを知ることになる。
 船は再び南下を開始した。太陽が高くなりはじめ、海の色が変わっていった。ややくすんだ藍色の中から、刻々と黒い色素が抜けていく。気がつくと、船は翡翠色の海を南に、南にと進んでいた。
 はじめ1階にいたのだが、2階の甲板ですごす時間が多くなった。甲板にはベンチひとつないのだが、輝く海を目にしてしまうと、しばらくぼーッとしてしまうのだ。ここまで汚れがない海に、ときに気が遠くなる。
 メルギー諸島には大小200ほどの島があるというのだが、船から眺めると、その数はもっと多いような気になってくる。船は小島の間を縫うように進んでいく。海は穏やかで、揺れもほとんどない。
 ときおり船が減速する。見ると島から小船が弱いエンジンを残しながら近づいてくる。そして翡翠色の海の上で、2隻の船は縁がぶつかるほどに接近する。そこを僕らの船から何人かの乗客が乗り移っていくのだ。そして小船は、数人の客を乗せて、近くの島に向かってゆっくりと進んでいく。
 その色を眺めているだけで満たされるものがあった。
 ミャンマーという国は、長く、海外との接点が少なかった。海外からの資本も、この国にはなかなか届かなかった。それは政府が意図したことで、その結果、ミャンマーという国は、大きく遅れていく。だが、それがメルギー諸島を守ってもくれた。これはミャンマーに限ったことではないが。
 もし早くからミャンマーが、海外からの資本を受け入れていたら、メルギー諸島は世界一流のリゾートになっていただろう。
 しかしいまのメルギー諸島は静かで美しかった。
 東南アジアのローカル国境を越えてまわる旅は、終点に近づいていた。いろいろなことがあった。ミャンマーではバスの横転事故に遭い、相変わらず背中は痛かった。しかし旅の終わりに、神は笑ってくれた気がした。海は静かで、振動はほとんどない。バスに乗っていたら、背中の痛さで油汗を出していたのかもしれないが、船は快適だった。そして翡翠色の海は、贈り物だった。
 午後2時をまわり、少しずつ漁船を目にするようになった。やがて午後4時過ぎ、船はコータウンの港に着いた。
「ダウェイからやってきた外国人はめったにいない」
 ミャンマーのイミグレーションの職員にいわれた。コータウンから小船に乗り、タイのラノーンに向かう。このポイントが、旅の最後の国境になる。(以下次号)

(写真やルートはこちら)
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