インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2015年02月02日

誰がいけなかったというのだろうか

 3週間ほど前のこのコーナーで、バングラデシュのコックスバザールに行くことを書いた。その目的のひとつが、ひとりの女子学生に会うことだった。
 日本人のひとりの女性が、女子学生の学費援助を続けていた。ラカイン族というバングラデシュ南部に住む、少数の仏教徒だった。学生は優秀で、医学部に合格。ラカイン族の医師が生まれる……とラカイン族たちは目を輝かせていた。ところが、その女子学生が結婚に走ってしまった。相手はイスラム教徒の青年だった。
 ラカイン族は東アジアから東南アジアに広がる仏教圏の西端に暮らしている。イスラム圏と接する仏教徒といってもいい。イスラム教を国教にするバングラデシュのなかで、自らの結束を強めなければ、やがては消えていく運命を背負っている。一億人を抱えるバングラデシュのなかで、ラカイン族は3万人ほどなのだ。
 しかしイスラム教は厳しい。異教徒との結婚を禁じている。つまり、女子学生は改宗することになる。
 コックスバザールの街に着き、細い糸をたぐり寄せようとした。街の人たちは、女子学生の連絡先を知らなかった。女子学生は連絡を絶っていた。しかし多くの若者が女子学生と結婚相手のツーショットの写真を携帯にとり込んでいた。結婚相手の男性がフェイスブックにアップしたのだという。しかしラカイン人は相手の男性を知らない。若者たちは必至に探したのだろう。彼らにとっては抜き差しならない問題だったのだ。そのフェスブックを見てみた。写真はすでに削除され、結婚の痕跡も消えていた。
 母親に会いにいった。市場に近い、貧しい人たちが暮らす一帯だった。母親は雑貨屋兼茶屋を営んでいた
 母親は4ヵ月前から娘と連絡がとれなくなった、といっていた。しかしそれは、ラカイン族という仏教コミュニティへの気遣いの言葉で、実は連絡先を知っているのではないあろうか……という気もした。母親は淡々と僕らにミルクティを淹れ、援助を続けている日本人女性と向きあったとき、こらえきれずに涙があふれ出てしまった。日本人女性の肩に顔を埋めた。互いに言葉は通じない。しかし母の思いが痛いほど伝わり、周りにいたラカイン人も皆、泣いてしまった。娘は母親とも連絡を絶っていた。
 娘が結婚したというのに、皆が涙を流してしまう。それが少数民族の宿命だった。幸せを願わない親はいない。しかし娘は、イスラムの社会に行ってしまった。
 守らなくてはならない民族と宗教。しかしそれは、ときに娘の愛や幸せとぶつかってしまう。
 切なかった。
 いったい誰がいけなかったというのだろうか。コックスバザールの路地で呟くしかなかった。
  

Posted by 下川裕治 at 11:36Comments(0)