2015年05月25日
もう少し旅を続けてみようと思う
このブログが1冊の本になった。『僕はこんな旅しかできない』(キューハンブックス)である。サブタイトルが、「アジア行ったりきたり」。アジアをうろうろと行ったりきたりしながら毎週、書き綴ってきた内容である。
ブログがはじまったのが2009年4月。それから昨年の12月までのブログのなかから66編を選んだ。300編近いなかから選ぶことはなかなか大変だった。読者の方々から、「その後はどうなったんですか」という連絡を何回か頂いていた。選んだ66編すべてに、その後を加筆して1冊の本になった。
後日談といっても、ひとことですまされない話が多い。本の3割ぐらいは書き下ろしの内容になってしまった。
僕は原稿を書くということでは、とことん不器用な人間らしい。本来なら日記を書くような気軽さで書くべきものなのだが、人に読んでもらうことを前提にすると、そうもいかなくなってしまうのだ。通常の連載を書くように、毎回、20字詰めで60行ほどの原稿を書いてきた。
はじめるとき、ブログを運営する「ナムジャイブログ」に、僕のわがままを聞いてもらった。できるだけ20字詰めで読めるように設定してほしい、という内容だった。ブログはパソコン以外にもスマホなどでも読むことができる。それぞれの機械に設定がある。そのすべてに20字詰め……。
「完全に20字詰めになるようにするのは難しいかもしれませんが、できるだけやってみます」
担当者は嫌な顔もせずに、画面に工夫を加えていってくれた。
このブログを書く綴られた5年は、やはり長い。読み返してみてそう思った。僕の意識が変わったわけではないが、確実に年齢が重ねられ、アジアではそのエネルギーのなかに潜む不穏なものが顔をのぞかせてきた。
僕が愛したアジアは、街が再開発されるように姿を消していく。そこを訪ねる僕の歩調も少し重い。アジアの若者の発想にはついていけないことも多くなってきた。
しかしそんなアジアを見続け、汗を流して歩きまわってきた。僕にしか書けないことも少しはあるような気もするのだ。
もう少し旅を続けてみようと思う。
そしてその旅に寄り添うように綴るこのブログも、僕なりの流儀でもう少し続けてみようと思っている。
ブログがはじまったのが2009年4月。それから昨年の12月までのブログのなかから66編を選んだ。300編近いなかから選ぶことはなかなか大変だった。読者の方々から、「その後はどうなったんですか」という連絡を何回か頂いていた。選んだ66編すべてに、その後を加筆して1冊の本になった。
後日談といっても、ひとことですまされない話が多い。本の3割ぐらいは書き下ろしの内容になってしまった。
僕は原稿を書くということでは、とことん不器用な人間らしい。本来なら日記を書くような気軽さで書くべきものなのだが、人に読んでもらうことを前提にすると、そうもいかなくなってしまうのだ。通常の連載を書くように、毎回、20字詰めで60行ほどの原稿を書いてきた。
はじめるとき、ブログを運営する「ナムジャイブログ」に、僕のわがままを聞いてもらった。できるだけ20字詰めで読めるように設定してほしい、という内容だった。ブログはパソコン以外にもスマホなどでも読むことができる。それぞれの機械に設定がある。そのすべてに20字詰め……。
「完全に20字詰めになるようにするのは難しいかもしれませんが、できるだけやってみます」
担当者は嫌な顔もせずに、画面に工夫を加えていってくれた。
このブログを書く綴られた5年は、やはり長い。読み返してみてそう思った。僕の意識が変わったわけではないが、確実に年齢が重ねられ、アジアではそのエネルギーのなかに潜む不穏なものが顔をのぞかせてきた。
僕が愛したアジアは、街が再開発されるように姿を消していく。そこを訪ねる僕の歩調も少し重い。アジアの若者の発想にはついていけないことも多くなってきた。
しかしそんなアジアを見続け、汗を流して歩きまわってきた。僕にしか書けないことも少しはあるような気もするのだ。
もう少し旅を続けてみようと思う。
そしてその旅に寄り添うように綴るこのブログも、僕なりの流儀でもう少し続けてみようと思っている。
Posted by 下川裕治 at
19:33
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2015年05月18日
これが旅の代償?
蔵前仁一さんと、元フジテレビアナウンサーの益田由美さんと3人での対談があった。ともに60歳前後。還暦である。
益田由美さんは、『なるほど・ザ・ワールド』のレポーターを務めた。
彼女の話で面白かったのは、この番組がつくられた頃の空気だった。それまでの海外紹介番組といえば、『兼高かおる世界の旅』が名を馳せていた。僕も何回か見ている。秘境ともいえる場所も登場していたが、番組のつくりは、紹介だった。「世界にはまだ、こんなところがある」という正攻法のつくり。そこにはある格式のようなものが流れていた。
しかし、『なるほど!~』は違った。世界を紹介することに変わりはなかったが、そこには、面白さを優先させるポリシーが満ちていた。海外紹介番組のバラエティといえばそれまでだが、海外に勝手に行き、体を張って面白がるようなテンションがあった。
「テレビも同じだったんだ」
改めてそう思った。僕や蔵前さんもそういう存在だった。僕らの前の時代の海外旅行記は、選ばれた人が派遣されて書くものが多かった。やはり紹介だったのだ。
しかし僕らは、なんやかやと理由をつけて海外に勝手に出向き、安宿に泊まり、夜行バスに揺られて、そのひどさやつらさ、ときにちょっとした幸せを書き綴っていった。道案内人は誰もいなかった。自分の体力と気力だけで前に進む旅だった。
その国を大局的に紹介するわけでもなく、世界が抱える貧困や矛盾にはあまり触れなかった。その手法に対しての批判もあったが、僕らの世代なりの自負もあった。
自分が見て、五感に響いたことしか、面白いことはないのではないか。そんな思いもあった。
そういった旧世代への反発を支えたのが体力だった。まあ、いってみれば突撃型である。
益田さんも蔵前さんも、そして僕も若かった。向う見ずなところはあったが、どこか必死で番組や本をつくっていったような気がする。マスコミという世界のなかで、僕らはそんな位置にいた。偉くはないが、体力と感性だけはあった。世代論で話をまとめたくはないが、それが1950年代の半ばに生まれた僕らの宿命だったのかもしれない。
しかしそんな3人も60代になった。益田さんは海外取材がたたったのかヘルニアに悩んだ。蔵前さんも腰痛を抱えている。僕は不整脈になり、いつも薬を持参しなくてはいけない身である。
若い頃の旅の代償?
そうなのかもしれない。
益田由美さんは、『なるほど・ザ・ワールド』のレポーターを務めた。
彼女の話で面白かったのは、この番組がつくられた頃の空気だった。それまでの海外紹介番組といえば、『兼高かおる世界の旅』が名を馳せていた。僕も何回か見ている。秘境ともいえる場所も登場していたが、番組のつくりは、紹介だった。「世界にはまだ、こんなところがある」という正攻法のつくり。そこにはある格式のようなものが流れていた。
しかし、『なるほど!~』は違った。世界を紹介することに変わりはなかったが、そこには、面白さを優先させるポリシーが満ちていた。海外紹介番組のバラエティといえばそれまでだが、海外に勝手に行き、体を張って面白がるようなテンションがあった。
「テレビも同じだったんだ」
改めてそう思った。僕や蔵前さんもそういう存在だった。僕らの前の時代の海外旅行記は、選ばれた人が派遣されて書くものが多かった。やはり紹介だったのだ。
しかし僕らは、なんやかやと理由をつけて海外に勝手に出向き、安宿に泊まり、夜行バスに揺られて、そのひどさやつらさ、ときにちょっとした幸せを書き綴っていった。道案内人は誰もいなかった。自分の体力と気力だけで前に進む旅だった。
その国を大局的に紹介するわけでもなく、世界が抱える貧困や矛盾にはあまり触れなかった。その手法に対しての批判もあったが、僕らの世代なりの自負もあった。
自分が見て、五感に響いたことしか、面白いことはないのではないか。そんな思いもあった。
そういった旧世代への反発を支えたのが体力だった。まあ、いってみれば突撃型である。
益田さんも蔵前さんも、そして僕も若かった。向う見ずなところはあったが、どこか必死で番組や本をつくっていったような気がする。マスコミという世界のなかで、僕らはそんな位置にいた。偉くはないが、体力と感性だけはあった。世代論で話をまとめたくはないが、それが1950年代の半ばに生まれた僕らの宿命だったのかもしれない。
しかしそんな3人も60代になった。益田さんは海外取材がたたったのかヘルニアに悩んだ。蔵前さんも腰痛を抱えている。僕は不整脈になり、いつも薬を持参しなくてはいけない身である。
若い頃の旅の代償?
そうなのかもしれない。
Posted by 下川裕治 at
14:13
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2015年05月11日
がんばれお父さん
先日、ソウルで韓国人向け日本風居酒屋に入った。日本と韓国の間には、さまざまな問題があるが、それぞれの文化が、互いに深く入り込んでいるという面もある。それは食生活や、居酒屋でも同じだ。
世界には日本人向けの居酒屋は多いが、現地人向けに現地人が経営する日本風居酒屋の充実度では、韓国がトップを走っている気がする。独自のメニューも開発している。
その日本風居酒屋で、いちばん人気の日本酒といえば、『がんばれお父さん』なのである。だいたいどの店にもある。新潟県の酒造メーカーがつくっているのだが、日本では知っているのは新潟県の人たちぐらいかと思うのだが、韓国の知名度……となると。
僕らはビールを飲んでいた。隣にカップルがやってきて、まず頼んだのが、『がんばれお父さん』だった。出てきたのはハーフパックの日本酒だった。この店は、アイスペールに氷を入れ、そこに空のお銚子を入れるセットがついてきた。カップルは慣れているようだった。女性が封を開け、それをお銚子に移して、しばらく待ち、冷えたところで、小さなグラスで乾杯。のっけから日本酒なのだ。
「だいたい日本の若い女性が、日本酒をあんなに普通に飲みます?」
同行していたカメラマンが、戸惑いがちに呟く。たしかにそうだった。
韓国の女性は酒に強い。ソジュという焼酎に鍛えられているからだろう。ソジュは20度前後。女性たちも割らずに飲む。それに比べれば、日本酒は弱い酒だ。
「しかしどうして『がんばれお父さん』なんだろう?」
こちらが悩んでいるうちに、カップルはつまみを頼み、ぐいぐい日本酒を飲む。ハーフパック、つまり5合を飲み干すと、平然とした顔で店を出ていった。
カメラマンと顔を見合わせた。日本人の沽券? それほどでもなかったが、僕らも頼んでみた。普通の日本酒だった。しかし5合の酒はかなり酔う。韓国人は、男も女もかなりの酒飲みである。
『がんばれお父さん』のハーフパックは4万ウオン弱だった。つまり4000円。
「日本の安めの居酒屋で、5合で4000円の日本酒、高くて頼む人、あまりいない気がするな。韓国人って金ありますね」
実際、飲食の世界では、日本はかなり安い国だ。そこに円安が重なり、最近、アジアに出向くと、現地の人のほうが豊かに見えてしかたない。
しかしなぜ、『がんばれお父さん』?
現地や日本でいろいろな人に訊いてみたのだが、その理由になると、話に霧がかかってきてしまのである。
世界には日本人向けの居酒屋は多いが、現地人向けに現地人が経営する日本風居酒屋の充実度では、韓国がトップを走っている気がする。独自のメニューも開発している。
その日本風居酒屋で、いちばん人気の日本酒といえば、『がんばれお父さん』なのである。だいたいどの店にもある。新潟県の酒造メーカーがつくっているのだが、日本では知っているのは新潟県の人たちぐらいかと思うのだが、韓国の知名度……となると。
僕らはビールを飲んでいた。隣にカップルがやってきて、まず頼んだのが、『がんばれお父さん』だった。出てきたのはハーフパックの日本酒だった。この店は、アイスペールに氷を入れ、そこに空のお銚子を入れるセットがついてきた。カップルは慣れているようだった。女性が封を開け、それをお銚子に移して、しばらく待ち、冷えたところで、小さなグラスで乾杯。のっけから日本酒なのだ。
「だいたい日本の若い女性が、日本酒をあんなに普通に飲みます?」
同行していたカメラマンが、戸惑いがちに呟く。たしかにそうだった。
韓国の女性は酒に強い。ソジュという焼酎に鍛えられているからだろう。ソジュは20度前後。女性たちも割らずに飲む。それに比べれば、日本酒は弱い酒だ。
「しかしどうして『がんばれお父さん』なんだろう?」
こちらが悩んでいるうちに、カップルはつまみを頼み、ぐいぐい日本酒を飲む。ハーフパック、つまり5合を飲み干すと、平然とした顔で店を出ていった。
カメラマンと顔を見合わせた。日本人の沽券? それほどでもなかったが、僕らも頼んでみた。普通の日本酒だった。しかし5合の酒はかなり酔う。韓国人は、男も女もかなりの酒飲みである。
『がんばれお父さん』のハーフパックは4万ウオン弱だった。つまり4000円。
「日本の安めの居酒屋で、5合で4000円の日本酒、高くて頼む人、あまりいない気がするな。韓国人って金ありますね」
実際、飲食の世界では、日本はかなり安い国だ。そこに円安が重なり、最近、アジアに出向くと、現地の人のほうが豊かに見えてしかたない。
しかしなぜ、『がんばれお父さん』?
現地や日本でいろいろな人に訊いてみたのだが、その理由になると、話に霧がかかってきてしまのである。
Posted by 下川裕治 at
19:09
│Comments(2)
2015年05月04日
仏像さんのつぶやき
追いつめられている。
日本はゴールデンウイークである。ニュースでは必ず行楽地が映し出される。しかし僕は原稿とゲラの格闘が続いている。ゴールデンウイーク明けまでに、400字詰めで約100枚の原稿と本1冊分のゲラのチェックを渡さなくてはならない。
今年に入って、たて続けに本が刊行されている。『週末香港・マカオでちょっとエキゾチック』、『「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦』。自著ではないが、編集を担当した『本社はわかってくれない 東南アジア駐在員はつらいよ』。これから7月にかけ、『僕はこんな旅しかできない』、『一両車両のゆるり旅』、そしてタイトルはまだ決まっていないが、ソウルに関する本が1冊出る。いま、『一両車両のゆるり旅』のゲラを読み、ソウルの本を書き進めている。半年で6冊というのは、やはりきつい。
あと5日しかない。締め切りに間に合うのかどうかわからない。5月のさわやかな天気のなか、30分だけ布団にもぐり、3時間原稿を書くようなことを続けている。このブログを書いている時間などない状態なのだが。
目覚しの音で起きると、スマホに、「仏像さんのつぶやき」と打ち込む。すると今日の仏像の写真が出てきて、その下に、短い言葉が添えられている。5月3日の今日は、「うぬぼれとは、ちっぽけな人間がもらった神の贈り物」と書かれていた。昨日は、「ヘビのように死なない」という文章だった。
ときどき、なにをいっているのかわからないこともあるが、仏像の顔をみながら考えていると、なんとなくわかったような気になってくる。
その時間がありがたい。原稿を急がなくては……という焦りのなかで、平常心を導いてくれるようなところがある。
実はこのサイト、製作にかかわっている。僕が撮った写真や見つけた言葉も載っているのだ。しかしこのサイトを製作しているときには、自分で世話になるとは思ってもみなかった。
「電車のなかでじっと仏像を眺めている人がいたら、かなり病んでますね」
などとうそぶいていた。それが5ヵ月前の話だ。その頃は、ずいぶん心に余裕があったということだろうか。
こういうサイトを見ずに、仕事をはじめることができたら、どんなにいいだろうとは思う。しかしいま、「仏像さんのささやき」にずいぶん支えられている。
自分でつくったサイトに自分で救われる。
かなり病んでいるということだろうか。
日本はゴールデンウイークである。ニュースでは必ず行楽地が映し出される。しかし僕は原稿とゲラの格闘が続いている。ゴールデンウイーク明けまでに、400字詰めで約100枚の原稿と本1冊分のゲラのチェックを渡さなくてはならない。
今年に入って、たて続けに本が刊行されている。『週末香港・マカオでちょっとエキゾチック』、『「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦』。自著ではないが、編集を担当した『本社はわかってくれない 東南アジア駐在員はつらいよ』。これから7月にかけ、『僕はこんな旅しかできない』、『一両車両のゆるり旅』、そしてタイトルはまだ決まっていないが、ソウルに関する本が1冊出る。いま、『一両車両のゆるり旅』のゲラを読み、ソウルの本を書き進めている。半年で6冊というのは、やはりきつい。
あと5日しかない。締め切りに間に合うのかどうかわからない。5月のさわやかな天気のなか、30分だけ布団にもぐり、3時間原稿を書くようなことを続けている。このブログを書いている時間などない状態なのだが。
目覚しの音で起きると、スマホに、「仏像さんのつぶやき」と打ち込む。すると今日の仏像の写真が出てきて、その下に、短い言葉が添えられている。5月3日の今日は、「うぬぼれとは、ちっぽけな人間がもらった神の贈り物」と書かれていた。昨日は、「ヘビのように死なない」という文章だった。
ときどき、なにをいっているのかわからないこともあるが、仏像の顔をみながら考えていると、なんとなくわかったような気になってくる。
その時間がありがたい。原稿を急がなくては……という焦りのなかで、平常心を導いてくれるようなところがある。
実はこのサイト、製作にかかわっている。僕が撮った写真や見つけた言葉も載っているのだ。しかしこのサイトを製作しているときには、自分で世話になるとは思ってもみなかった。
「電車のなかでじっと仏像を眺めている人がいたら、かなり病んでますね」
などとうそぶいていた。それが5ヵ月前の話だ。その頃は、ずいぶん心に余裕があったということだろうか。
こういうサイトを見ずに、仕事をはじめることができたら、どんなにいいだろうとは思う。しかしいま、「仏像さんのささやき」にずいぶん支えられている。
自分でつくったサイトに自分で救われる。
かなり病んでいるということだろうか。
Posted by 下川裕治 at
11:59
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