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ナムジャイブログ

2015年08月31日

先着限定の冷蔵庫があっさり買える?

 突然、自宅の冷蔵庫の調子が悪くなった。そろそろ寿命なのかもしれない……。妻が新聞の折り込みチラシを眺めながらいう。
 たまたま改装された電気量販店のチラシが入っていた。1年前のモデルだが、15万円を超える冷蔵庫が7万円程で表示されていた。しかし先着20名──。
 また中国人と列に並ぶのか。
 何年か前、同じようなチラシに惹かれて、朝の7時から列に並んだことがある。狙いは3万円のパソコンだった。使っていたパソコンはトラブル続きで、「買い換えたほうがいい」と知人からいわれていたのだ。
 量販店の前に着くと、店員から並ぶ場所を指示された。店の周辺に連なる店舗に迷惑がかかるらしい。教えてもらったのは、近くの公園前の歩道だった。
 すでに長い列ができていた。半分以上が中国人だった。暑い夏の朝だった。
 目玉商品は、パソコン以外に、大型テレビやビデオ、デジカメ等、いくつかがあった。並んでいる中国人たちは、なにが欲しいのかはわからなかった。9時になり、ようやく列が動きはじめた。僕は運よく、パソコンを買うことができた。中国人の狙いはテレビだった。当たった商品を交換する中国人たちの姿が目についた。安売りの家電製品の転売が問題になっている時期だった。
 覚悟を決めて、家電量販店に妻と向かう。店舗の前に立ち、周囲を見渡す。
「列がない……」
 冷蔵庫を買う中国人は少ないだろう、と踏んで8時に出向いたのだが、どこにも列がなかった。警備員に訊いた。
「あそこのベンチに座って待ってください」
「はッ?」
 そこには5人の日本人が座っているだけだった。シャッターの前に短い列があった。そこには中国人がいたが10人ほどだ。訊くと、1万円のノートパソコンの列だという。
 いとも簡単に冷蔵庫を買うことができた。店員に訊くと、こんなことははじめて……と困ったように笑った。
 上海の株式相場に端を発した世界同時株安が話題になっていた。
 おそらく量販店は、中国人が目の色を変える商品を並べることができなかったのかもしれない。日本人が並ぶほどの安値をつけられなかったのだろうか。
 いや……。閑散とした量販店の前で考え込んでしまう。爆買いと日本人が揶揄していた時代はいい時期だったのかもしれない。日本は中国人のおかげで、多少なりとも潤っていたのだ。
 時代は大きく変わるのだろうか。
  

Posted by 下川裕治 at 13:11Comments(1)

2015年08月24日

朝鮮族と在日の狭間

 僕の韓国旅をまとめた、『週末ソウルでちょっとほっこり』が発売された。そのなかで朝鮮族について触れている。清の時代から戦前にかけた時代を中心に、朝鮮半島から中国に渡り、戦後も中国に留まった人々である。
 韓国の経済成長が進み、出稼ぎという形で韓国にやってきた。いまでは在日朝鮮・韓国人並みの資格を得ることができるようになったが。
 しかし彼らが働く場は恵まれているわけではない。ソウルの飲食店で働いている人も多い。韓国人と一緒に店に入ると、彼らは敏感に見分ける。発音が違うのだ。いまのソウルの飲食店では、中国からの留学生も働いている。彼が話す韓国語とも違う。
 日本の飲食店でも、中国人留学生が働いている。日本人は単純に判断すればいいが、韓国人は、留学生か朝鮮族かを区別する。
 そこには朝鮮族には親日派が多いという問題もある。台湾の人々と同じようなベクトルが働いているのだろうか。朝鮮族の多くは、現在の北朝鮮から中国に渡ったというしこりも消えない。
 韓国と中国──。その関係は、日本と中国のそれとは異質だ。南北に分断される前は、国境を接する国だった。
 中国からの観光客を、世界でいちばん最初に受け入れた国が韓国だった。いま、ソウルには夥しい数の中国人が訪れる。今年は年間800万人に近づくのではないか、と韓国観光公社は予測していた。日本の約3倍ほどになる。もっともその後、MARS騒動があり、空港のイミグレーションにできていた長い列もなくなってしまったが。
 済州島を中国人観光客はビザなしで訪ねることができる。日本でいったら、沖縄を訪ねる中国人観光客へのビザを免除するようなものなのかもしれない。それに乗じてか、中国の業者が済州島に中国人向けの老人ホームをつくる計画を打ち出し、韓国内ではずいぶん問題になった。
 日本と中国という、アクの強い国に挟まれた韓国は、その間をうまく泳ぎ切っていかなくてはならない。片方に与すれば、片方から抗議に晒される。
 その歴史のなかを歩んできた国である。その問題を人にあてはめれば、在日と朝鮮族ということになる。
 一冊の本を書きながら、そんなことを考えていた。戦後70年という節目もあり、編集者はその表現に神経を使う。それは日本から見た韓国像なのだが、日本語で書かれ、日本で販売される本だからしかたのない話でもあるのだ。翻弄されつつまとまった本を読み返してみる。少し答えに近づいた気がする。

  

Posted by 下川裕治 at 13:14Comments(1)

2015年08月17日

年金支給日と終戦の日

 旧盆は信州の実家に帰省することが多い。菩提寺の僧が檀家をまわるからだ。実家には80歳を超えた母がひとりで暮らしている。母ひとりで対応させるのも……と、安曇野の実家に向かうことになる。
 高校時代は松本市内に暮らしていたが、僕が大学に進学した後、両親は安曇野に家を建てた。帰省というと、安曇野に帰ることになる。
 8月14日、仏事が終わると、母から、銀行のATMからお金を引き出してくれるよう頼まれた。母は足が悪く、ひとりで銀行に行くことは難しい。いつもは知り合いの車に乗せてもらって引き出しているが、身内がいるときに、と思ったのだろう。
 安曇野の銀行のATMの前には、数人の列ができていた。老人ばかりだった。このあたりでは珍しい混み具合だった。過疎化と高齢化が同時に進む日本の地方では、銀行にやってくる人も少ないのだ。
「今日は混むかも。年金支給日だから。振り込み詐欺を防ぐために、銀行のスタッフが脇に立っていることもある」
 母親の言葉を思い出した。
 年金の支給日は、偶数月の15日である。8月は15日が土曜日になるため14日の金曜日になった。引き出し手数料がかからないようにという配慮なのだろう。だから、この日のATMには、いつになく列ができていたというわけだ。
 安曇野の実家に帰り、いつも思うことがある。地域が年金や介護でまわっているような気になるのだ。
 母も介護保険の世話になっている。家の掃除やマッサージなどだ。今年、トイレのドアを引き戸にした。車椅子になっても、出入りが楽になるためだ。その費用に介護保険の住宅介護修繕費を使った。20万円まで使えるという説明を受けた。
 業者が見積もりにやってきた。30代の男性だった。東京の建築会社に働いていたが、最近、安曇野に帰ってきたという。
「介護修繕の仕事がありますから」
 いま、地方に生まれる仕事は老人にかかわるものが多い。その原資は介護保険や年金なのだ。
 年金の支給日は、商店街も活気づくのだという。衣料品店は支給日に合わせてセールを組む。
 年金支給日の翌日は終戦の日だった。
 戦争の悲惨さを実体験として知っている世代の大多数は年金受給者だろう。そしてその年金で、日本の地方は支えられている。戦後70年とは、つまりそういう年月だった。
 ATMの列が教えてくれることでもある。
  

Posted by 下川裕治 at 11:28Comments(0)

2015年08月13日

【新刊プレゼント】週末ソウルでちょっとほっこり

下川裕治の新刊発売に伴う、プレゼントのお知らせです。今回の舞台は、ソウルです。

【新刊】



下川裕治(著) / 阿部稔哉(写真)


週末ソウルでちょっとほっこり
(朝日文庫)


◎ 本書の内容

日本とは時差がない韓国。日本との共通点は多いが、ハングルの壁も立ちはだかる。そのソウルで日本語メニューのない店に迷い込み、韓国人の飲みっぷりにつきあって今日も二日酔い。Kポップのコンサート会場で日韓関係を考える。そして韓国中華の謎を追って、たくあん工場へ。ソウルで心優しくすごす日々。


【プレゼント】


新刊本『週末ソウルでちょっとほっこり』を、

抽選で"3名さま"にプレゼントします!

応募の条件は以下です。

1.本を読んだ後に、レビューを書いてブログに載せてくれること。
(タイ在住+日本在住の方も対象です。)

応募は以下の内容をご記入の上、下記のお問合せフォームよりご連絡ください。応募受付期間は2015年8月31日まで。当選発表は発送をもってかえさせていただきます。

えんぴつお問合せフォーム
http://www.namjai.cc/inquiry.php


1.お問合せ用件「その他」を選んでください。

2.「お問い合わせ内容」の部分に以下をご記載ください。

 ・お名前
 ・Eメールアドレス
 ・ブログURL(記事を掲載するブログ)
 ・郵送先住所
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Posted by 下川裕治 at 16:52Comments(0)

2015年08月10日

インドシナ鉄道を制覇する?

 帰国し、『一両列車のゆるり旅』(双葉文庫)の発刊イベントがあった。その後の打ち上げの席では列車旅の話が多くなる。
「実はインドシナ半島の国の鉄道路線のほとんどに乗ってしまったんです。それも各駅停車で。マレーシアは全部乗って、残っているのはベトナムの1路線、タイで3路線、ミャンマーで5路線ほどだけなんです」
「やりましょうよ。全路線、制覇」
「……や、やりますか」
 鉄道に乗ることは好きだが、全路線を制覇するつもりなどなにもなかった。うろうろと旅を続けているうちに、こういうことになってしまったのだ。
 しかし残った路線を思い描いて、気が重くなった。たとえばタイ。残っているのは、ナコーンラーチャシーマーからウボンラーチャターニーの区間、東に向かう路線はカンチャナブリから先のナムトック……といった具合に、路線の先の方が残っている。それに乗るためには、バンコクからすでに乗った路線に乗らなくてはならない。
 ミャンマーのヤンゴン周辺にはダゴン大学支線とかレーロイン線といった短い区間の列車も乗っていない。ミャンマーだから本数は数えるほどだろう。1日1本という話もある。1往復で1日が終わっていく。
 制覇するには、とんでもなく日数がかかるのだ。
 宮脇俊三の『時刻表2万キロ』がそうだった。当時の日本の鉄道にすべて乗る話なのだが、最後のほうになると、地方の短い路線が残ってしまうのだ。それに乗るために、すでに乗車した区間を延々、列車に乗らなくてはならなくなる。
 前回、ミャンマーの列車旅の話をした。そのとき、カメラマンのほかに50代の同行者がいた。彼はアジアの旅には慣れてはいたが、こんなにも鉄道に乗り続けることははじめてのようだった。そして最後には腰を痛めてしまった。
 明日は我が身だと思った。アジアの列車には乗り慣れている。ミャンマーの列車のジャンピングにはなんとかついていったが、もう少しで腰にきたような気もする。
 インドシナの列車制覇は、老体に鞭打つような旅に映るのだ。
「なんて酔狂な……」
 そういわれても、返す言葉もない列車旅なのである。
 インドシナ列車の制覇旅をやることになるのだろうか。
 暑い東京で、ぼんやり考えている。

  

Posted by 下川裕治 at 13:06Comments(1)