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ナムジャイブログ

2015年10月26日

旅行者が寝る場所

 9月21日に書いたブログの続報である。そのなかで、シンガポールのチャンギ空港での寝る場所について触れた。じゅうたんが敷かれた独立したスペースがあり、そこで熟睡してしまった話である。
 3日前やはり深夜のチャンギ空港にいた。バンコクを発った飛行機は、深夜の零時すぎにチャンギ空港に着いた。乗り継ぐ飛行機のチェックインは午前4時頃にはじまる。
 それまで約4時間──。
 なにも心配はなかった。僕は熟睡できる場所を知っていたからだ。各ターミナルに同じような場所があるのかもしれないが、僕が知っているのは、第3ターミナル。航空会社のラウンジがある階にエスカレーターであがると、その奥に寝場所があった。
 すでに先客が何人かいた。僕は適当な場所を探し、バッグを枕にして横になった。
 このスペースに寝る人の多くは、自分用の睡眠グッズを用意していた。まずじゅうたんの上に敷く布。そして枕に体にかける布。なかには寝袋を用意している人もいた。夜中の空港というものは冷える。
 ここで寝るのはインド系の男が多かった。しかしマレー系や中華系もいる。皆、空港で働いている人たちだった。始発のバスや電車が出るまで、ここで寝ていくのだ。
 僕は敷く布や上がけはもっていない。ただじゅうたんの上に横になるだけだ。それでもことりと寝てしまった。
 ところが僕は起こされてしまった。「すいません」という声で目を開けると、そこには制服姿の警官がふたり、僕をのぞき込むようにしゃがんでいた。威圧感はなかった。穏やかな顔でこういった。
「パスポートと航空券を見せてください」
 手渡すとそれをチェックし、立ち去ってしまった。周りにはいびきをかきながら寝入っている男たちがいるというのに、僕だけが起こされてしまった。時計を見ると午前3時だった。
 ここで寝ることを咎めていたのではなかった。空港内を巡回していたのだ。そこで僕の寝姿が目に留まった。不審者?
 一般の旅行者はここでは寝ない……。
 ここは旅行者が寝る場所ではないということだった。そういうルールがあるわけではないのだが、空港で働く人たちが仮眠する場所という暗黙の了解の上に成り立つスペース。そんな気がした。
「またまわってくる警官に起こされるかもしれないな」
 僕は身を起こしてエスカレーターを下り、搭乗口に近いベンチに体を横たえた。数は少ないが、そこで寝ている旅行者もいる。
 分相応というものがあるのかもしれない。旅行者は旅行者らしくベンチで寝る。空港で働く人の場所を侵害してはいけない。いくら寝心地がよくても……。

  

Posted by 下川裕治 at 12:43Comments(2)

2015年10月19日

鳩の卵を捨てる

 いまマレーシアの東海岸のドゥングンという街にいる。ビーチリゾートなのだが、泊まっているのは福建会館という1泊1600円の安宿である。目の前はビーチだが。
 夕暮れどきである。海岸の木に戻ってきた小鳥たちがにぎやかだ。マレーシアの夕暮れどきはこれがいい。マラッカでも、うるさいほどの鳥の声のなかでぼんやりしていた。
 マレーシアに来る前、バンコクに寄った。かかわっている東京の事務所が、バンコクに部屋を借りている。そこで仕事をさせてもらった。
 倉庫のように使っている部屋だから、人の出入りは多くない。そのためだろうか。ベランダに鳩が巣をつくってしまった。僕がベランダに出ると、親鳥が驚いて逃げていった。巣には卵がふたつあった。親鳥は卵を温めていたのだ。
 どうしようか。
 部屋を借りているマンションの管理室に相談をもちかけた。
「わかりました。すぐ人を向かわせます」
 やってきたタイ人の男の子は、なんのためらいもなく、巣を卵ごととり除き、ビニール袋に入れた。
「それ、どうするの?」
「ゴミ箱に捨てます」
「……」
 ベランダには巣をつくるために鳩がもってきた木の枝や葉が残っていた。糞もある。僕は水を流しながら掃除したが、その最中に親鳥が戻ってきてしまった。その声がなんだか切なく聞こえる。
 バンコクに暮らす日本人にその話をした。
「下川さん、何を甘いこといってるんです。バンコク暮らしは鳩との闘いですよ」
 皆、ベランダにやってきて巣をつくる鳩には苦労しているらしい。だいぶ昔だが、僕もバンコクに足かけ2年暮らした。ベランダのついたアパートを借りたが、鳩はやってこなかった。最近、鳩が増えているのだろうか。彼らが巣くう木々や公園が、減ったのだろうか。
「あれだけの鳩に日々、悩まされていたら、卵を、捨てるなんて、どうってことないですよ。雛が孵ってしまったら、もっとつらいでしょ」
 たしかにそうなのだが、殺生を禁じる仏教とはどう折り合いをつけているのか。
 タイ人は動物好きだが、それは可愛いときだけである。年老いてきたり、粗相をしたりすると、一気に熱が冷める人が多いという。なかには犬を捨ててしまう人もいる。
 タイ人は幼い子供には満身の笑みで受け入れる。が、少し大きくなると、手のひらを返したように表情から色が変わる。
 バンコクに暮らしていると、年を追って仏教の教えから離れていく?
  

Posted by 下川裕治 at 12:42Comments(2)

2015年10月13日

本が読めない

 ある新聞社から、本棚についての取材を受けた。僕の家にある本棚……つまりはどんな本が並んでいるのかということになる。
 そのインタビューを受けながら、苛立たしさが募った。記者に対してではない。僕自身に向かって。
 最近、本が読めない。いや、読んではいるのだが、本を読むという楽しみがない。原稿を書く仕事に追われている。読むのは資料としての本である。ときに書評も依頼される。読まなくては原稿も書けない。週に1~2冊の本が送られてくる。知人や出版社からだ。やはり読まなくてはいけないと思う。
 昔に比べ、本を読む量が減っているわけではない。読みたい本を読んでいないのだ。
 なんとかしなくては……。
 先日、信州の実家に帰った。80歳を越える母がひとりで暮らしている。実家は安曇野にある。高尾駅から各駅停車に乗った。
 安曇野に行くときは、まず松本に向かう。東京から松本までは「あずさ」や高速バス、そして各駅停車の列車がある。各駅停車は5時間ぐらいかかるが、本が読める。運賃も安い。それにバスのように渋滞で遅れることがない。
 特急や新幹線に比べると遅いから本が読みやすい。老眼が進んでいるせいか、高速の列車のなかで本を読むと疲れてしまう。
 しかし、高尾駅のホームに入線する列車を目にして、愕然とした。ボックス席型ではなく、通勤電車のようなロングシートなのだ。この座席では本が読みにくい。
 僕はしばしば飛行機に乗る。機内で本を読もうとするのだが、最近はシートテレビというものがついている機材が多い。映画の誘惑に負けてしまうのだ。LCCはその点優れているのだが、長距離路線の運賃がやけに高い。既存の航空会社のほうが安いことが多い。しかし既存の航空会社は映画がある。
「快適でスピーディな乗り物って、読書に向いていない」
 そうもいえない。本というものは、本当に読みたいなら、どんな環境でも読むものだ。
「いま、どんな本が読みたいですか」
 記者が口を開いた。
「そうですね。まず、昆虫や動物の本。昔、よく寝る前に読んだんです。ファーブル昆虫記は愛読書でした」
 そう答えながら唇が寂しい。毎夜、原稿を書くのに疲れ、倒れるように寝てしまっている。本を書く人間が本を読めない。
 なんとかしなくては……。

  

Posted by 下川裕治 at 12:47Comments(2)

2015年10月05日

駅のホームから眺める月

 僕のなかでは、月は鉄道に繋がっている。月をぼんやり眺めた記憶を辿っていくと、いつも列車や駅が蘇ってくる。
 以前、長い列車旅に出たことがあった。ユーラシア大陸の東端から西端まで列車で旅をするという企画だった。夜行列車に乗り続ける旅である。
 眠れない夜、デッキに立って空を眺める。半分ほどに欠けた月が出ていた。そのとき、列車はカザフスタンの乾燥地帯を西に向けて走っていた。
「そういえば、北京から乗った列車から見た月は満月だったな……」
 などと呟く。
 もう半月も旅を続けている。
 月というものは、どこか感傷を誘うようなところがある。
 2年をかけ世界を一周した知人と話をしたことがあった。
「夜、ゲストハウスかなにかの庭で月を眺めるでしょ。この月を日本人も見ているのかなぁなんて考えちゃいますよね」
 その気分は僕にもわかる。
 乾燥地帯の旅を続けていると、太陽の強さにへとへとになる。列車の車内に差し込む光は痛いほどだ。そして太陽が西に傾いていくと、車内にほっとした空気が流れはじめる。
 満月の夜、その光に照らされた砂漠をぼんやりと眺める。岩やオアシスの木々が青白く浮かび上がる。
 砂漠を進む隊商たちは、暑い時期には夜に移動したという話を聞いたことがある。
 乾燥地帯だから雲は少ない。満月の夜は、灯などなくても歩くことができる。
 先週、スーパームーンを眺めた。月が地球にいちばん近づき、大きくなる。その月をそう呼ぶようだ。
 夕暮れどき、東京の阿佐ヶ谷駅のホームにいた。少し気になって東の空を見ると、赤みを帯びた大きな月が、ぽっかりと浮かんでいた。
 たしかに大きな気がするが……。
 月や太陽は地平線近くでは大きく見える。しかしその理由ははっきりしない。家やビルと比較して見るため、大きく見える目の錯覚ともいわれている。
 ビルが多い東京では、地平近くの月を見ることができる場所は限られてしまう。駅のホームはそのひとつだ。
 やはり僕にとっての月は、鉄道につながっている。

  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(2)