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ナムジャイブログ

2015年11月30日

メコンの村の水道

 カンボジアのメコン川に沿った村をときどき訪ねている。3年ほど前、近くに工業団地ができ、村の景気はずいぶんよくなった。メコン川に橋も架かった。道も整備され、いまはプノンペンから2時間ほどで着くようになった。
 村で水道を引いた家があると聞いた。見せてもらった。僕はメコン川の対岸から、水を引いているのかと思った。しかしカンボジアでは、そこまでの公共事業は難しかった。村の中に、メコン川の水を汲みあげる施設をつくり、そこから村に供給するというシステムだった。民間会社の事業で、昨年、営業をはじめたという。水道を引く費用は60ドルだった。
 家には立って調理や洗い物ができる台所らしきものができた。
「楽ですよ」
 奥さんは表情を崩した。雨水を貯める大きな瓶もある。それが足りなくなったときに水道を使うという。前月の水道代は5万5200リエル、1600円ほどだった。ご主人はその請求書を得意気に見せてくれた。しかし浴室はそのままだった。瓶から水をすくって浴びるスタイル。シャワー式にする必要を感じていないようだった。
 この水道水は飲むことはできない。が、一応、消毒はしているという。
 カンボジアの田舎は井戸水を使っているところが多い。しかし僕が訪ねる村はメコン川に面している。この村の暮らしの基本は水瓶だった。雨水を貯めているが、それが足りなくなると、給水車がやってきて補充する。それは汲みあげたメコン川の水だった。消毒などしていない。ただのメコンの水だった。
 メコン川で水浴びしたことは、何回かある。流れるメコンの水はどこか生臭い。生き物が棲んでいる水なのだ。それを汲みあげ、瓶のなかに貯めていると、生臭さは遠のく。
 僕は毎日、その水を浴びている。瓶のなかをのぞくと、濁っている。
「メコン川の水は、きれいなんだ。濁りは土。村の人はいままで、この水を浴び続けてきたんだから」
 そう思うことにしていた。
 しかし水道を引いた家の水を見ると、透明度が違うような気がする。濾過装置を通しているのかもしれなかった。
 水道──。それは便利さだけではない。透明な水ということなのだ。メコン川に沿った村も、透明な水という世界にしだいに入りつつあるということなのだろう。
 バンコクに戻った。ホテルでシャワーを浴びた。体から、かすかに川のにおいがした。カンボジアのメコン川に沿った村のにおいだった。タイの水がきれいだとは思わないが、ほぼ透明でにおいはしない。水道の文化圏に戻ったということ……。それは少し味気ないことでもあった。
  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(1)

2015年11月23日

ヘイズの空と油が多いタイ料理

 今年の後半、しばしばシンガポールとマレーシアを訪ねた。本を書く目的だったがいつも空はどんよりと曇っていた。とくにクアラルンプールはひどかった。かざす手の先がかすむほどだった。
「ツインタワーにあがっても、なにも見えないですよ」
 マレーシア人はそういった。
 ヘイズである。
 スマトラ島の大規模な野焼きや山火事の煙が、モンスーンに乗って、シンガポールやマレー半島の空を覆ってしまう煙害である。今年はとくにひどいらしい。
 野焼きはアブラヤシのプランテーションで行われる。いま、マレーシアやインドネシアでは、急速にアブラヤシのプランテーションが増えている。
 アブラヤシからはパーム油がとれる。多くが植物性油として料理などに使われる。プランテーションが増えているということは、油の消費量が増えているからだ。
 世界の植物性油の推移を見ると、ここ20年で2倍ほどに増えている。つまり、人間はここ20年で、2倍の油を口にするようになったわけだ。肥満が増えるのも当然だろう。
 バンコクにいる。ソイの奥にある食堂に入ることが多いが、使う油の量が増えていることは実感する。ちょっとした炒めものもオイリーになってきた。そのほうが安易においしさを引きだせるからだ。
 昔のタイ料理は、さらさらしていた。辛いのだが、そこには軽さがあった。しかし最近のタイ料理の辛さは重い。油が多くなっているのだろう。
 バンコクでタイ料理を習ったという女性がこんなことをいっていた。
「人気料理のプーパッポンカリーってあるじゃないですか。あれって、意外と簡単なんです。油に香辛料を入れてつくりはじめる。その油の多いこと。多くないとおいしくないんです」
 人気のタイ料理は、油が多めという傾向がある気がする。日本人がガパオという、パッパイガパオにしても、パッタイにしても。鶏肉を炭火で焼いたガイヤーンより、油は確実に多いはずだ。
 困ったことに、油の多い料理は癖になっていく。さっぱりした味にもの足りなさを感じてしまうようになる。昔に戻るのが難しいのだ。
 世界の人々が油の多い料理に走り、その結末の肥満に悩む。油をつくるためにアブラヤシのプランテーションが増え、その煙害にマスクを買う。世界は、あいも変わらず、この流れのなかで右往左往している。
  

Posted by 下川裕治 at 13:14Comments(2)

2015年11月16日

頭抜けた生徒たち

 信州の松本で高校の同級生と話をした。彼は互いの母校である高校に勤めていた。
 僕らが通っていたのは、進学校である。1学年の生徒数は320人ほどだ。
 松本という地方都市だから、東京の進学校ほどのレベルではない。しかし毎年、学年に2~3人、とんでもない能力をもった生徒がいるのだという。
 彼が在職中にいた生徒のひとりは、教科書の内容、教師が黒板に書いたことがらをすべて完璧に覚えてしまう生徒だった。
 教師たちはサヴァン症候群を疑った。知的な障害やある種の発達障害のある子供なかに、並はずれた記憶力をもつ人たちである。
『レインマン』という映画で、その存在は知られるようになった。ダイスティ・ホフマンが演じていた。しかしその生徒は、それ以外の学力や日常生活はいたって普通なのだという。自閉症でもなかった。
 高校1年のクラスで、英語の授業中に、数学の問題を解いている女子生徒がいた。先生が注意する意味を含めて、そのときに読んでいた英文について訊くと、すべて頭に入っていた。
 女生徒から訊くと、中学時代の英語をやっているうちに、英語が全部、わかるようになってしまったのだという。英語というものは、あるレベルを超えてしまうと、それ以上は学ばなくてもいいらしい。その生徒は人並みはずれの語学能力をもっていたのだ。試験はすべて100点だった。
 数学でも、すごい生徒がいた。教師よりわかっているのではないか……という答案を書くのだという。その教師は、採点する前に、その答案を見て参考にしていたという。
 たしかに人間には優れた能力をもった人がいる。しかしその割合は、信州の300人ほどの学校で2~3人もいるのだろうか。
 もしそうだとしたら、僕の周りにもそんな人がいることになる。
 そんな話を別の知人にすると、彼はこういうのだった。
「隠して生きているんだと思いますよ」
 人並みを超えた能力というものは、ときに生きていく上で足かせになる。学校でほかの生徒と一緒に勉強していくということは、そういう自分を知ることでもある。そうしなければ、一般人として生きていくことができないのだ。
 多くの生徒は、なんとか成績をあげようと勉強する。しかし少数だが、頭抜けた能力をもった生徒は、それを隠して生きていく処世術を学ぶ場が学校らしい。教育とはそういうもののようだ。
 そのシステムをつくった人間。それもまたすごい能力なのだろう。
  

Posted by 下川裕治 at 12:04Comments(3)

2015年11月09日

インターネットというガス抜き

 小学生のノートの表紙から昆虫が消えた話は寂しかった。僕は子供の頃、かなりの昆虫少年だった。いまでもそうかもしれない。
 長い間、入眠書は、『ファーブル昆虫記』だった。入眠書というのは、眠る前に布団のなかで読む本である。『ファーブル昆虫記』を読むと、心が穏やかになり、安らかに眠れるような気がした。
 しかしリアルな昆虫の写真は気持ちが悪いという人はいる。そういうクレームにメーカーは反応したのだが、それは過剰だったか、正しかったのか。
 インターネットが普及し、この種のクレームが増えたことはたしかだろう。不満を自由に発信できなかった時代を、インターネットというツールは変えてしまった。
 最近、このインターネットの効力が気になってしかたない。人間というものは、不満を文章にして発信することで、少なからずすっきりする。溜飲をさげるとまではいわないが、ストレスの解消にはなる。
 そこには、その内容を誰か読んでくれるという前提がある。しかし、どれだけの人が読んでくれているのかとはあまり考えない。書いたことで満足してしまう空気がある。
 個人が手にする発信ツールが少なかった時代、人々の不満は蓄積し、最後には大きなうねりになったことが多かった。
 しかし最近は、不満をブログやフェイスブック、ツイッターという手段で小出しにしてしまい、不満が蓄積しないのではないかと思えてしかたない。
 僕は文章を書いて暮らしているが、旅に出た後、一気に筆が進むことが多い。旅の間は原稿を書かないから、欲求が貯まってくるのだろうと思う。
 原稿を書くということは、そういうことだ。それを、小さなガス抜きばかりさせてしまうのがインターネットという気がしないではない。その内容は、ときに炎上するが、大きなうねりにはならない。きっと毎日、どこかで炎上が起きていて人はそれほど気にしなくなっているのかもしれない。
 インターネットというツールは、人々の不満の小さなはけ口になり、その結果、皆がなんとなく満たされてしまう社会をつくりつつあるようにも思う。情報というものは、そういう要素をもっているのだ。
 不満はもっているというのに、それを小出しにしてしまい、変革には結びついていかない。それが平和というのなら、なんだか首筋が寒くなってしまうのだ。

  

Posted by 下川裕治 at 15:45Comments(2)

2015年11月02日

日本人を手配する中国人たち

 何年か前、電気量販店でパソコンを買った話を書いた。早朝から並び、3万円台のノートパソコンを買った。そのパソコンの調子がおかしい。再び、朝の6時に起き、量販店に向かうことになった。
 同じ量販店だったので、方法はだいたいわかっていた。朝から並び、整理券をもらう。それを8時過ぎに抽選引換券に替え、福引のときのような抽選器をまわす。ガラガラと呼ばれる道具だ。
 抽選は建前である。そうしないと徹夜で並ぶ人が出て、周辺の店に迷惑がかかってしまうからだ。一応、朝の6時から並んでいいという案内がチラシに書かれていた。
 並ぶのはほとんどが中国人である。おそらく転売が目的だと思うのだが、量販店もそれを防ぐために、ひとり1台しか売らない。今回は4種類のパソコンが、各200台用意されていた。
 駅からの道を進むと列が見えた。先頭グループは折り畳み式の椅子まで持ち込んでいた。
「ん?……」
 前回は中国人だったが、今回は日本人が数十人、列をつくっていた。煤けた男たちだった。ホームレスとはいわないが、その境界線をうろうろしているタイプである。老人が目立つ。
 そこに手配師らしき男が現れ、ひとり、ひとりに4万円ほどの現金を渡していた。当選すると、その場でパソコンを買うことになるが支払いは現金。それを男たちに配っていた。
 そこを通りすぎ、列の最後尾についた。もらった整理券の番号は300番台だった。人気の機種は早くなくなってしまう。僕がほしい機種を皆が狙っているなら、難しい順位だった。
 8時半過ぎ、先頭から抽選が始まった。煤けた日本人、そして中国人が次々に当選したパソコンを手に、会場から出てくる。皆、ブルーレイ付きパソコンで、僕のほしい機種とは違う。なんとかゲットできそうだった。
 そのとき、ひとりの煤けた男から声をかけられた。
「コウさんの知り合い?」
「はッ?」
 手にしたパソコンを届ける先を探しているようだった。
 以前に列に並んだときも、8割以上が中国人だった。転売目的であることはわかったが、自分たちで並んでいた。今回、彼らは貧しい日本人を動員してきた。中国人の指示で、日本人が列に並び、手数料をもらうのだ。
 もうそういう時代なのだろう。
 しかしなぜ、あの男は僕に声をかけたのだろうか。
 締め切りに追われている。寝不足が続いている。床屋に行く時間もない。そんな僕の風体が声をかけた理由だろうか。
 これはなんとかしなくてはいけない。
  

Posted by 下川裕治 at 15:23Comments(3)