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ナムジャイブログ

2015年12月28日

喫茶去

 中国にはこんな言葉がある。
──寧可三日無食 不可一日無茶
「食事は3日食べなくても、茶は1日も欠かせない」
 これは中国人のお茶好きを語ったものかと思っていたが、少し違うらしい。
 以前、中国では黒茶という茶をつくり、モンゴルや中央アジア、ロシアへ売っていた。緑茶を発酵させたもので、保存が効いた。プーアル茶に近い茶である。厳密にいうと、プーアル茶と黒茶は違うのだが、製法は近い。中国の周辺エリアに売ったことから、黒茶は辺境茶とも呼ばれている。ロンジン茶などに比べると、質は落ちるといわれていた。
 黒茶は緑茶を発酵させたものだから、癖がある。これをモンゴルや中央アジアの人々は飲み続けているうちに、この茶が欠かせなくなってしまったのだという。そこから生まれた言葉のようだ。
 雲南省から内モンゴル自治区のフフホトまで列車旅を続けて帰国したが、実はこの黒茶が運ばれたルートを辿るものだった。やがて本にまとめることになるが、湖南省一帯でつくられた黒茶がフフホトまで運ばれ、ラクダの背に積まれ、モンゴルの平原を北上していった。
 この輸送ルートはさまざまなものも運ばれた。やがてシベリア鉄道が完成し、役割を終えていくのだが、最後のシルクロードと呼ばれる道筋だった。
 いったん帰国したが、年が明けたら、そのルートを北上しようと思っている。
 最後のシルクロードの基地は、フフホトである。そこには黒茶を見直す動きが起きていた。さまざまな茶を味わう店もある。その一軒で、ひとつの言葉を見つけた。
──喫茶去
「茶を飲みに行け」という意味だという。こんなふうに訳してもいいらしい。
「悩みごとがあったら、茶を飲みに行け」
 いい言葉だと思った。中国という国は、社会主義の国になり、文化大革命の嵐もあり、こういった言葉の文化が途切れてしまった。最近になって歴史を見直す動きが出てきている。やはり豊かな層が増え、生活に余裕が出てきたのだろう。
 最近の中国には批判も多いが、歴史に興味を抱くことは悪いことではない。
「喫茶去」という言葉を呟きながら、黒茶を飲んでみる。なんとなく、その意味がわかったような気になってくる。
 茶を飲むことで、なにかが解決されるわけではない。しかし茶を飲む。ただ、茶を飲む。寂しさをふっと忘れさせてくれる瞬間を心のどこかで期待している。
 いい言葉だと思う。
  

Posted by 下川裕治 at 10:26Comments(3)

2015年12月21日

物価が堪える中国の旅

 中国の赤壁にいる。三国志で有名な街である。もっとも、この街にやってきた目的は、中国の紅茶なのだが……。
 その話は追って、このブログで伝えることになるかもしれない。今回は中国の物価である。いま、1中国元は19円から20円といったところである。わかりやすくするため、1中国元は20円とする。円安と中国元高が重なった結果である。
 この赤壁へは列車でやってきた。雲南省の大理から列車に乗り、長沙に寄ってやってきた。硬臥という2等寝台。車中泊が2日の旅だった。
 途中、車内販売の弁当を買った。30元。日本円に換算すると600円である。かつては列車の弁当は10元。中国元も安かったから、120円前後だった。1中国元が約12円という時代が長かった。それがもう、弁当ひとつ600円の中国なのである。
 昼、大衆食堂に入る。メニューに書かれた値段を見て溜息をつく。1品20元から40元もする。ここは湖南料理が有名だが、鶏肉に唐辛子を加えた料理が800円。日本より高いのではないかと思う。
 かつて中国は台湾よりは確実に安い国だった。いま、台湾の列車に乗り、駅弁を買うと1個100台湾元前後だ。日本円にすると約400円前後である。既に台湾より、中国のほうが確実に高くなってしまっている。
 日本から旅行者は、いま、台湾に向かう人が多い。政治的な問題があるかと思っていたが、台湾人気の一因はその物価でもあるような気がする。
 1億円を超えるマンションは、北京や上海では珍しくもない。九州の博多にあるマンションを買った中国人がこんなことをいっていたという。
「博多のマンション安いですよ。新築で5000万円ほど。北京のマンションを売って、2軒買いました」
 日本人は爆買いという。それは中国の富裕層の話だと思っているかもしれない。しかし中国の物価感覚からすると、富裕層ではなくても、日本での買い物は、それほど負担ではないのだ。日本に行った中国人旅行者は、その安さに、つい、大量に買ってしまうのかもしれない。
 かつて、中国の旅はかなり、安くあがった。そばは、50円前後で食べることができた。しかしいまは200円なのだ。列車代や雑貨類はまだまだ安いが、食べ物はいつの間にか、台湾より高くなり、日本に迫ろうとしている。かつては使い手のあった100元札が、どんどん消えていってしまう。
 中国の旅は物価高が堪える。


  

Posted by 下川裕治 at 14:14Comments(4)

2015年12月14日

オカマの話はスルメのよう?

 高校生の前で講演をした。事前にテーマの打ち合わせがあり、僕が話すことができる内容のなかから、彼らが選んだのは、オカマとイスラムだった。こういうことに最近の高校生は興味があるらしい。
 オカマという言葉は曖昧で、日本のテレビでよく見る「オネエタレント」は、オカマかゲイか……というところから、混乱する。僕の目から見ると、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブはゲイといっていい気がするのだが、高校生たちにとってはオカマらしい。オカマという言葉の市民権は強い。
 学校での講演だから、タレント話に終始するわけにもいかない。レズビアンやゲイの総称に使われるLGBTに沿って話をする。タイというゲイやレズビアンに寛容な社会も例に使った。学生たちは、こんな反応を示す。
「自分の本当の性を隠して生きていくのはよくないと思う。自由に生きるべき」
 しかしそこからが難しい。宗教や社会慣習がかかわってくる。
 キリスト教とイスラム教は、同性愛に対して否定的な見解を示した時期もあった。しかしキリスト教は、その後、認容に流れてきている。イスラム圏の人たちはまだ抵抗感があるようだ。同性愛について、なにも触れていないのが仏教である。
 この問題を人口という視点で見てみる。
 世界の人口のなかで、最も多いのはキリスト教徒である。次いでイスラム教徒だが人口増加率を見ると、イスラム圏の人口増加が急だ。このままいくと、2070年には、キリスト教徒とイスラム教徒の人口はほぼ同数になる。2100年には、イスラム教徒のほうが多くなるという。
 イスラム教徒の人口が増えている要因はさまざまだ。医療の進化もある。「子供は神様の贈り物」という教理のなかでは中絶は許されない。異教徒と結婚するとき、異教徒側がイスラム教に改宗しなくてはいけないことも人口の増加に結びつく。
 対してキリスト教圏は先進国が多く、人口の減少に悩んでいる。子供の数が減ってきているのだ。性のゆらぎも一因といわれる。ゲイやレズビアンは、子孫を残すことはできないのだ。
 やや強引にその面を結びつければ、性の自由は人口の減少を招くという公式が成りたってくる。
 講演を終え、ひとりで悩んでしまった。自由とはなんなのか。人口が増えることは必要なことなのか。講演を取材にきていた新聞社の記者からこういわれた。
「スルメのようなテーマですね。噛めば噛むほど味がでる。そこを進めていくと、リベラルな発想にもなり、保守にも傾いていく」
 オカマの話は、自由と発展ということを論じる入口なのだろうか。

  

Posted by 下川裕治 at 16:56Comments(2)

2015年12月07日

投票所で襟を正す

 ミャンマーの総選挙が終わった。アウンサン・スーチー率いるNLDが過半数を占める圧勝だった。
 選挙の前、東京にいるミャンマー人と話をした。当然、選挙の行方が気になる。
「NLDが過半数を占めたら、混乱すると思うな。もうちょっとで過半数といったところで収まるのがちょうどいい」
 そう話すミャンマー人が多かった。しかし結果はNLDの圧勝。日本に住むミャンマー人とミャンマーに住むミャンマー人の温度差ということだろうか。
 選挙当日、ミャンマーの人たちは、早朝の6時から投票所に列をつくった。その映像を目にしながら、20年以上前に行われたカンボジアの選挙を思い出していた。
 ポル・ポト政権が崩壊したカンボジアは混乱状態だった。国連カンボジア暫定統治機構が組織され、そのなかで総選挙が行われた。
 やはり朝から、カンボジアの人々は投票所に並んだ。皆、きちんとした身なりをしていた。正装だった。
 カンボジアの人たちにしたら、生まれてはじめて、自分たちの手で政府を選ぶ。誰が決めたわけではなかった。しかし、皆の意識は正装だったのだ。投票を前に襟を正す──。その姿を見たとき、鼻の奥が熱くなった。
 ミャンマーの投票所にも、同じような空気が流れていた気がする。ミャンマー人はこれまでも何回か選挙を経験していた。1990年の選挙では、NLDや民族政党が圧勝したが、軍事政権はその結果を受け入れず、逆に民主化勢力を弾圧した。しかし今回は違った。政権側は、「選挙結果を受け入れる」と公言していた。だから彼らは、投票所の前で襟を正した。
 こんな選挙は、どの国にも1回はあるのかもしれない。民主主義という言葉が輝く一瞬である。
 しかし、選挙はすぐに汚れていってしまう。期待が大きい分、その反動も大きい。選ばれた政党は、すべての期待に応えられるわけではない。やがて選挙は手垢にまみれていってしまうのだ。そんな選挙を、これまで何回、見てきただろうか。それが民主主義というものの悲しい現実でもある。やがて日本のように、投票率はさがっていく。
 しかしミャンマー人が羨ましかった。すぐに汚れていくのかもしれないが、僕はいまだかつて、投票所の前で襟を正すような選挙は体験したことがない。はじめて選挙をしたとき、日本の選挙はすでに色を失っていた。
 訳知り顔で民主主義を語ることしかできない自分が、少し寂しい。

  

Posted by 下川裕治 at 17:26Comments(3)