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ナムジャイブログ

2016年03月28日

ロシアの後の空白

 旅には空白というものがある。いや、本を書くための旅にはエアーポケットがあるといったほうが正確か。
 たとえば今である。モスクワからトルコ航空で帰国しようとした。しかしモスクワからイスタンブールまでの便が遅れ、日本行きの便に乗り継ぐことができなかった。丸1日後の便ならとれるが、できればもっと早い便……。その返事を、トルコ航空が用意したホテルの1室で待っている。
 なにもすることがない。書かなくてはいけない原稿は山ほどあるのだが、手をつける気力がない。
 ホテルの窓から、鈍色の海が見える。昨夜空港から送迎のバスに10分ほど揺られ、このホテルに送り届けられた。イスタンブールのどのあたりにいるのか、見当がつかない。
 もちろん、フロントで訊けば、場所を教えてくれるだろう。目の前の海についても地図で示してくれるかもしれない。しかしそれを訊こうとも思わない。
 トルコ航空から連絡を待つ身だが、ホテルの周辺を散歩するぐらいなら許される。いや、元気があるのなら、1日後の便にして、イスタンブールを歩くこともできた。
 しかし、中国からロシアのムルマンスクまでの旅を終えたばかりだ。何年ぶりかになるイスタンブールを歩いたところで、今回の旅の原稿に書き加えられるわけではない。
 ただホテルの部屋でぼんやりしている。
 ロシアの旅は手ごたえがあった。はじめて自由に動いた旅だった。これまでのロシアは、行程をすべて決め、交通費やホテル代をすべて支払ってはじめてビザをとることができた。しかし昨年から、個人でビザをとることができるようになった。いったん、入国してしまえば、勝手気ままに移動することができるようになったのだ。自分で列車の切符を買い、街に着いたら自分でホテルを探すことができる。普通の国になったのだ。
 ロシアのルーブルも下落していた。4年ほど前と比べると約半分の価値。外国人旅行者にはありがたい。ホテル代にしても、以前は手配会社の手数料などが加わり、定価の3倍ほども支払っていた。それがなくなり、ルーブルが安くなり……そう、以前に比べると6分の1ほどの値段でホテルに泊まることができる。
 いまのロシアは「行きどき」である。
 以前、短期間だが、自由に旅ができることができた。しかし旅の手配代収入を失う業界からの反発があったのか、いつの間にか自由旅ができなくなってしまった。
 ロシアは苦しい経済状況が続いている。街には両替屋が目立つ。ロシア人は少しでもルーブルが貯まるとドルやユーロに替えている。ルーブルはさらに下落すると読んでいる。外国人が落とす外貨にいまのロシアは期待しているのかもしれない。だとすれば、自由な旅はしばらく続く気がする。
 ロシアの旅に少し興奮した。
 そのあとのイスタンブールの1日は、やはり空白である。
  

Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(1)

2016年03月21日

最北端の駅の真贋

 いまロシアのムルマンスクにいる。昨夜遅くに、サンクトペテルスブルグからの列車で到着した。ユーラシア大陸の最南端駅から最北端駅まで、列車で縦断するという企画である。
 ユーラシア大陸の最南端の駅はシンガポール。そこを出発したのは、昨年の夏。マレー半島を北上し、ミャンマーをさらに列車で北に向かった。中国は雲南省から内モンゴル自治区へ列車で移動し、モンゴルを列車で抜け、シベリア鉄道に揺られた長い旅だった。途中、3回、日本に帰国した。
 ムルマンスク駅は北緯68度58分。北極圏である。ここまで北上すれば十分……という思いはったのだが、鉄道地理に詳しい人たちはそれでは許してくれない。日本人は厳密な人たちなのだ。
 そんな人たちが調べたところでは、ここからさらに100キロほど先の、ムルマンスク・ニケリ駅が、乗客が乗り降りする駅としては最北端なのだという。
 そこまで、いかなくてはいけないのか……。
 最後のシベリア鉄道は長かった。イルクーツクから列車に乗り、途中、クラスノヤルツクという街で1泊した。そこから再度シベリア鉄道に揺られた。3泊4日、列車に乗り続けてモスクワに。モスクワに着いた足でサンクトペテルスブルグ。ここで、揺れることがないベッドで眠りたかったのだが、翌日の列車は満席。しかたなく、そのまま列車で北上を続けた。
 クラスノヤルツクから列車に乗っている時間は70時間近くに達していた。かなり疲れていた。到着したムルマンスク駅の窓口で訊いてみた。
「あの……ムルマンスク・ニケリまでは?」
「列車はなくなりました。バスがあるだけですよ」
 やった。
 ということは、このムルマンスク駅が最北端駅ではないか。発券窓口のおばさんの背後に後光が射していた。
 おそらく乗客が少なく、ムルマンスクから先は貨物専用線になってしまったような気がする。いつもなら、こうして鉄道路線が少なくなっていくことに寂しさを感じるのだが、このときばかりは違った。駅前で万歳のポーズで写真を撮った。
 5日ぶりにシャワーを浴び、揺れないホテルのベッドで眠った。
 不快な目覚めだった。ムルマンスク・ニケリ駅が最北端ではなくなったことで、そう、ノルウェーのどこかの駅が最北端だ、と鉄道に詳しい人からいわれる夢を見てしまったのだ。
「仮にそうだとしても、ノルウェーまで行く気力はありません」
 夢のなかで訴えていた。
 誰に対して?
 相手の顔はよくわからない。僕に似ていたような気がする。

  

Posted by 下川裕治 at 13:10Comments(2)

2016年03月14日

シベリアに春がきた

 北京から北上し、モンゴルを縦断し、いま、ロシアのキャフタという街にいる。モンゴルとの国境に接した街で、泊まっているホテルの窓の下には国境のフェンスが見える。
 途中、モンゴルのウランバートルとスフバートルに泊まった。
 寒かった。
 ウランバートルは標高が高いため、気温はマイナス20度を下まわった。10分も歩いているとつらくなってくる。手はポケットに突っ込む作戦でしのいだが、頬や耳が痛くなり、しだいに頭もずきずきしてくる。意味もなく、雑貨屋に入り、体を暖めて、また街に出ることを繰り返していた。
 経済的には破たんしているというモンゴルだが、ビルが急激に増え、しゃれた店が並んでいる。レストランに入ると、メニューにはパスタとかステーキといった欧米料理しかないところが多い。モンゴル料理は片隅に追いやられている。
 モンゴル料理に詳しいわけではないが、中国からやってきたせいか、そのバリエーションは多くない。駅前の食堂に入ると、皆が食べているのは羊肉を具にした水餃子ばかりだったりする。
 中央アジアの国々や、アフリカに似ていた。その国の料理のバリエーションが少ないから、すごい勢いで外国料理が入ってきてしまう。自分たちの料理がなかなか進化しない。
 人々の意識も外国に傾いていく。経済成長を迎える前に国際化してしまったということだろうか。旅人にしたら、少し寂しいが、これも現実なのだろう。どうしてモンゴルまで来て、フライドポテトがいっぱいのステーキや韓国焼肉を食べなくちゃいけないのか……と呟いてしまうのだ。
 モンゴルから陸路で国境を越えた。ロシアに入ると、食事をする店が極端に少なくなる。スーパーや雑貨屋にある惣菜が充実していて、それを買ってホテルの部屋で食べたほうが、ロシア料理は充実する。
 いま滞在しているキャフタという街は、国境に隣接したエリアと、バスターミナル周辺エリアに分かれている。国境に隣接したエリアに泊まっているが、社員食堂のようなカフェテリア方式のレストランが1軒あるだけだった。ロシアの最初の街だから……とボルシチを食べてみたが、貧しいシベリアの味がした。
 今日からシベリアの列車旅がはじまる。モンゴルに比べると標高が低い分、だいぶ気温があがってきた。シベリアも春を迎えようとしている。東北を襲った津波から5年。日本は桜の季節が近づきつつある。それに比べれば脆弱な春なのだが……。
  

Posted by 下川裕治 at 13:46Comments(1)

2016年03月07日

ポケットに両手を突っ込む

 このブログが配信される頃中国にいる。今回はモンゴル、ロシアと列車で進む。
 東京はだいぶ春めいてきた。いまも春の雨が降っている。しかしモンゴルやロシアはそういうわけにはいかないだろう。
 昨年の12月、内モンゴル自治区のフフホトにいた。寒かった。マイナス10度近くになっていた気がする。このくらい寒いと、足先と指先が痛くなってくる。
 街を歩く人を観察してみた。厚い防寒具は着ているが、ズボンのポケットに手を突っ込んで歩いている人が、ときどきいる。ときに手を出すと、手袋もはめていなかった。
「あれで大丈夫?」
 試してみた。
 これが意外と暖かい。指が太ももの熱を受けて暖まる。痛くはならないのだ。
 もっと寒くなるとこの技を使うことができないかもしれないが、マイナス10度ぐらいなら、両手を素手でズボンのポケットに入れたほうが暖かい。
 ポケットに両手を突っ込む……。
 この言葉をこれまで、何回か目にしている。
 知人のひとりがバンコクでの事業に失敗した。それなりの資金をもって日本からやってきたのだが、さまざまなトラブルが重なり、すべてを失ってしまった。
 メールのやりとりがあった。彼はいろいろ努力したが、結局は諦めた。700万円ほどの金がバンコクの空に消えた。
「ポケットに両手を突っ込んで、口笛を吹いて日本に帰りますよ」
 そう彼はメールを送ってきた。大変だとは思うが、どこか潔さがあって、好感がもてた。彼も悔しいだろう。強がりだとわかる。しかし、泣きごとをいってもしかたない。
 ポケットに手を突っ込むということは、なにももっていないことを示す。なにもなくなってしまった。かえって、さばさばした気分といったら、知人はどう思うだろうか。
 一度、荷物を全部盗られてしまったことがある。タイのメーサイに向かう夜行バスでのことだった。パスポートと金は大丈夫だったが、それ以外、荷物がなにもない。警察には一応、届けたが……。
 僕は鞄もザックもなく、そう、両手をポケットに突っ込んで、ミャンマーに向かう国境を越えた。悔しかったが、妙に気楽でもあった。荷物がなくても旅はできる──そこまではいえないが。
 欲がないわけではない。しかし、金や物がなくなったことは、もうり返しがつかない。なにもなくなると、目に入る風景が変わってくる。妙に瑞々しく映るものだ。
 皆さんがこのブログを読む頃、僕はポケットに両手を突っ込んで、北京の街を歩いている。
  

Posted by 下川裕治 at 14:14Comments(1)