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ナムジャイブログ

2016年07月25日

日本に戻る日本人たち

 ここ1年ほどの間に、アジアで暮らしていた知人、3人が帰国した。当分の間、拠点を日本に移す帰国である。国や仕事はまちまちだが、共通していることがある。3人とも現地の人と結婚し、小学校にあがる年齢や小学校低学年の子供がいることだ。そして帰国した理由も共通している。現地の学費が高すぎるのだ。
 アジアの小学校は、地元の公立学校とインターナショナルスクールに分かれる。日本人学校も、現地から見ればインターナショナルスクールである。地元の公立学校は安いが、学習レベルや指導に問題がある、という日本人は多い。そこでインターナショナルスクールということになるのだが、アジアの好景気のせいなのか、学費が高くなってきている。カンボジアですら、インターナショナルスクールの学費は、年間1万ドルを超えるのだという。もちろん、通うとなると、学費以外にさまざまな費用がかかる。
 バンコクの日本人学校は、授業料の全額か一部を企業が負担してくれる駐在員なら……という声が聞こえてくる。中国は加熱する教育熱も一因らしい。有名校の場合、塾通いは当然で、その種の塾では、母親も一緒に授業を受けるのだという。家で母親が教えることができるようにするためだという。
 そんな状況では、日本の公立小学校の魅力が増してくる。日本の公立小学校のレベルは低くない。そして無料。勉強だけでなく、生活態度も指導してくれる。
 そこで親は悩む。生活の基盤が現地にあるからだ。皆で日本に帰れば、新しい仕事をはじめなくてはならない。ご主人や奥さんの言葉の問題もある。しかし知人の3人は、日本の学校を選んだ。
 皆、忸怩たる思いがある。日本の社会に閉塞感を抱き、アジアに渡ったからだ。アジアの暮らしに、人間らしさを感じとった人もいる。そこで働き、結婚をした。しかし子供の教育を前に……。
 ここ10年でアジアは大きくかわった。格差社会が広まり、インターナショナルスクールと現地の公立学校の差が開いてきている。日本とアジアの経済格差も縮まり、インターナショナルスクールが大変な負担になってきてしまった。
 結局はそういうことか……。
 鼻白む思いはある。
 日本の小学校に通っていると、日本の子供になっていく。そして進学し、やがて仕事に就いていく。その社会の風通しの悪さが、海外暮らしを選ぶ一因だったのだが、結局、子供は日本の社会で育てることになる。
 それを日本の求心力と見る向きもいるのかもしれない。が、相対的な日本の経済力の低下という説明のほうが説得力がある。日本の国際化とは、つまりそれだけのことだったのか、と……。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=シンガポールからマレーシアの旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。ようやくタイの鉄道を完乗? マレーシアの鉄道の旅がスタート。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 12:21Comments(4)

2016年07月18日

バックパッカーの知恵

 7月1日にバングラデシュのダッカでテロが起きた。外国人が多く集まるレストランが狙われ、7人の日本人が犠牲になった。皆、JICAのスタッフとして派遣された人たちだった。
 14年ほど前のアフガニスタンを思いだしていた。当時のアフガニスタンの治安もけっしてよくなかった。欧米からの援助組織のスタッフがしばしば襲われた。襲撃するのは、タリバンという、イスラム教徒の原理主義系のグループだった。
 そのなかで旅をした。パキスタン側からジャララバードに入った。翌朝、市内の相乗りタクシー乗り場に向かった。目的地はカブール。当時のアフガニスタンにはバスがなく、タクシーの相乗りが移動手段だった。
 危険を避けるために作戦を練ったわけではなかった。いつものように運転手と運賃を交渉し、客が集まるまで待つスタイルだった。
「それがいちばん安全」
 カブールで会った人たちにいわれた。襲われる援助団体のスタッフは、事前に車をチャーターしていた。運転手が信用できるかどうかもチェックしていた。しかし、この種の情報は洩れることがあった。襲撃グループにしたら、またとない情報だった。
 しかし、僕とカメラマンの行動は気まぐれだった。朝、いったいどの車に乗るのかも、その場で決まるのだから、事前に伝わりようがなかったのだ。
 僕は日本政府や団体から派遣されたわけではなかった。勝手に出向いただけだ。だからいつものように旅を続けた。アフガニスタンを一周し、パキスタンに戻った。僕はアメーバ赤痢を患い、つらい思いをしたが、襲われるようなことはなかった。
 外国人が狙われやすい場所で、どう身を守るか。いちばんの方法は、現地の人たちと一緒に行動することだ。
「現地の人が入る食堂を使い、移動は現地の人たちに紛れることがいちばん安全」
 スタッフを派遣する日本の団体に、こんな提案をしたところで、一蹴されてしまうだろう。安全対策をなにもしていないことと同じなのだ。それでは困るのだ。しかし安全対策をすることで、その情報が洩れ、より危険に晒される面はたしかにある。外国人が集まる店は安全ではない。
 ダッカのテロを機に、危機管理を見直す組織も多いだろう。しかし厳重にすればするほど目立つことも避けられない。
 危険なエリアに派遣される人々に、バックパッカースタイルで任務に就くべき……などといったら嘲笑されることはわかっている。しかし現地の人に紛れるように続ける旅から学ぶこともあるはずだ。治安の悪い国での組織的な安全対策というものの理論矛盾。そこに気づいてほしいのだ。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=ユーラシア大陸最南端から北極圏の最北端駅への列車旅。最終回です。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまはタイ南部をうろうろしてます。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 14:55Comments(2)

2016年07月11日

最後の試合になってしまった

 先ほどまで、那覇のセルラースタジアムにいた。夏の甲子園の沖縄大会。ベスト8まで進んだ八重山商工は、嘉手納高校と当たった。延長11回、八重山商工は負けた。2対1だった。
 ちょうど10年前になる。石垣島の八重山商工が夏の甲子園に進んだ。沖縄の離島の高校初だった。沖縄の予選、そして甲子園の試合を観戦し、監督や選手、石垣の人々から話を聞き、『南の島の甲子園』という一冊の本をまとめた。
 それ以来、毎年、夏の甲子園の沖縄県予選を観戦するようになった。沖縄県の大会は早くはじまる。7月下旬になると台風が沖縄を襲う。その前に優勝校を決めなくてはならないためだ。高校はまだ夏休みに入っていないから、試合は週末に限られる。それに合わせて那覇に来るようになった。
 本土は梅雨である。しかし沖縄は盛夏。僕の夏は、沖縄ではじまる気がした。
 今年限りで、八重山商工の野球部の伊志嶺監督が引退する。甲子園に出場したときの監督である。本を書いたときはずいぶんお世話になった。その後も、石垣島を訪ねると会うことはあったが、やはり僕が好きな伊志嶺監督は、グランドで、ユニホームを着て選手に檄を呼ばす姿だった。
 10年の間、毎年のように、那覇の球場で伊志嶺監督を眺めていた。彼の姿に、僕自身や父の姿が重ねていた。
 父はすでに他界しているが、長く高校野球の監督や部長を務めていた。僕の家は、高校野球一色だったのだ。ある年の夏、監督を務めていた高校が、惜しい負け方をした。その夜、眠ることができない父の姿を見た。
「球場には野球の神がいる」
 酒に酔ったときの、父の口癖だったという。
 伊志嶺監督も、よく、野球の神の話をした。
 今日の試合にも、何回か神のいたずらがあった。延長11回の表。ランナーは3塁。高いバウンドのピッチャーゴロに投手が飛びついたが、ボールが嫌ったかのようにグラブを弾く。それを見た3塁ランナーがスタートを切った。弾いたボールを拾いあげたショートが本塁に送球するが、間一髪、セーフ。これが決勝点になった。
 こんなことで勝敗が決まる野球。父や伊志嶺監督は、この野球の神に憑かれてしまったような人生を歩んだ男だった。
 伊志嶺監督は62歳。僕と同じ年である。厳しいことで知られる彼の野球指導を続けるには、やはり年をとったのだろうか。引退を前に、彼はこうインタヴューに答えている。
「人間が丸くなった」
 昨日、八重山商工がベスト8に進む試合を観て、僕は10年ぶりの甲子園を描いていた。しかしそれはかなわなかった。彼の最後の試合を見届けてしまった。

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Posted by 下川裕治 at 18:58Comments(0)

2016年07月04日

治安とテロの混同を招くこと

「いままで訪ねた国のなかで、いちばん治安のいい国はどこです?」
 インタヴューや講演の後の質問コーナーでときどき訊かれる。
「バングラデシュ」
 そう答えることにしている。僕の感覚にすぎないが、日本より治安がいいと思う。
 理由は単純で、人である。バングラデシュという国は、とにかく人が多い。北海道の2倍ほどの土地に約1億6000万人。実際はそれより多いという人もいる。狭い土地にこれだけの人が暮らすということは、田舎や街の路地裏を歩いても、必ず人の姿……ということになる。夜行バスに乗り、午前3時ごろにふと目を覚ます。バスは、鬱蒼とした森のなかの道を走っているというのに、道端を歩く人や自転車を漕ぐ人たちがいる。いったいなにをしているのか、とぼんやりと眺めることが多い。
 バングラデシュの街は自転車リキシャが多い。彼らの多くは貧しく、家がない人も少なくない。彼らの寝床は、リキシャの座席である。夜中の路地裏で、彼らはリキシャの座席でうとうとしている。声をかけると、ちゃんと乗せてくれる。
 いつも誰かが見ている。バングラデシュはそういう国だ。彼らは普通の国民だからひったくりなどが起きると、黒目がちな瞳に好奇心の光を宿らせて、すぐに集まってくる。
 バングラデシュという国を訪ね、写真を撮ったことがある人ならわかると思う。カメラを構えると、誰ともなく人が集まり、被写体の手前は、いつも同じような髭面の男たちいで埋まってしまうのだ。日本のテレビ局の人からこんな話も聞いたことがある。
「バングラデシュでは、カメラの周りに集まってくる人を排除するスタッフを雇わないとなかなか撮影が進まないんです」
 犯罪を企てる人にしたら、なんだかとてもやりにくい国なのだ。
 ダッカでテロが起きた。7人の日本人が犠牲になった。ISに共鳴する過激派とみられている。こういう事件がおきると、すぐにバングラデシュの治安、という話になる。
 しかしISが起こすテロと、その国の治安は異質なものだ。
 少し前にイスタンブールの空港でもテロが起きた。世界の空港はセキュリティチェックを強めているが、そのチェックポイントを、攻撃して侵入するという手口の前では、防ぎようがない。それは世界の空港に共通することだ。ダッカで起きたようなテロにしても、防ぐ手立ては世界の国々にもない。銃火器の規制は間接的なことだ。治安とテロはやはり次元が違う。
 バングラデシュの治安が悪化したわけではない。その誤解を招こうとすることが、ISの狙いのひとつでもある気がする。

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Posted by 下川裕治 at 11:44Comments(1)