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ナムジャイブログ

2016年08月08日

バイクへの流れは止められない

 先週発売になった『週末ちょっとディープな台湾旅』の取材で、台湾の緑島に渡った。この島はかつて、監獄島と呼ばれていた。台湾に戒厳令が敷かれ、白色テロが吹き荒れた時代である。政治犯がこの島に送られた。本のタイトルにディープという文字がある。僕のなかでは、あの理不尽な時代を、島を歩きながら考えてみたかった。
 ところがフェリーが島に着き、港に降りたとたん、バイクに圧倒されてしまった。ちょうど週末ということもあったのだが、ツアー客は、次々にバイクに乗り、列をつくってホテルに向かうのだ。先頭を走るのは、小旗をとりつけた添乗員のバイクだった。
 周囲を見渡した。バスはなかった。緑島観光は、ほぼ全員、レンタルバイクでまわるようだった。
「バイクの運転ができない台湾人っていないんだろうか」
 台北の街を思い起こす。たしかにすごい数のバイクである。台湾にはバイクタクシーはない。つまり皆、自分のバイクを運転しているのだ。
 台湾では日本のように交通費を支給する企業は少ない。皆、節約のためにバイク通勤を選ぶのだと聞いたことがあった。たしかに、ほとんど人がバイクを運転するのなら、バスを用意するより効率はいい。なかにはバイクの運転が苦手という人もいるだろうが、後部座席に乗れば問題はない。
 僕らもバイクになった。僕は運転免許がないが、カメラマンはバイクの運転ができた。しかし国際免許はもっていない。島ではそういう細かいことはいいらしい。ついでに僕らはヘルメットもなかった。緑島はバイクの無法地帯だった。
 アジアはバイクで埋まっている……。いつもそう思う。東南アジアではバイクタクシーは日々の生活を支えている。
 ミャンマーのバイクタクシーは長距離もこなす。タイ国境に近いミャワディからヤンゴンまでのバスに乗ったことがあった。途中のパアンまでは峠越えの狭い未舗装路で、1日おきの一方通行になっていた。僕が乗ったバスは、そこで横転事故を起こしてしまうのだが、その横をすいすい通り抜けていったのが長距離バイクタクシーだった。バイクは一方通行も関係なく、乗客をふたりも乗せて峠を越える。パアンまでは5~6時間の道のりである。
 しばしば渋滞が起きるバンコクでも、バイクタクシーは欠かせない。約束の時間に着こうと思ったら、バイクタクシーしかない。
 僕は『歩くバンコク』というガイドの編集にかかわっているが、市内の交通を解説するページで、バイクタクシーを掲載するかどうかで、悩んだ。事故が多く、観光客に勧めていいものか……と。結局、掲載した。バイクへの流れは、東南アジアでは止められない。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=シンガポールからマレーシアの旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。ようやくタイの鉄道を完乗? マレーシアの鉄道の旅がスタート。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 13:09Comments(1)

2016年08月01日

ラオス人の祭りというスイッチ

『サーイ・ナームライ』という映画の試写を観た。日本とラオスの合作映画である。
 ラオスの祭りが印象に残った。ふたつの祭りが登場する。ひとつは家々の柵にろうそくを並べる祭り。もうひとつは、村人が部屋に集まり、互いの手首に願いを込めながら糸を巻いていく祭りだ。静謐な時間の流れがラオスのリアリティを生みだす。
「どうしてラオスには、こんなにたくさんの祭りがあるの」
「それは村の人々の心をつなぎ留めたいから……」
 正確な台詞ではないが、こんな会話の字幕を目にしながら、沖縄の祭りを思い起こしていた。
 沖縄にも祭りは多い。どうして多いのか沖縄で訊いたことがある。
「子供の頃ね、公民館に集まって、綱引きの祭りの縄を編んださ。ゆい、ゆいってかけ声を口にしながらね。ゆいって結ってことだって後で知った。縄を編むことで、村がひとつになったんだよ。祭りってそういうもんなんだよ。だから……」
 その言葉から漂ってくるものは、村のつながりがしだいに薄れていく不安だった。だからよけいに、祭りを大切にしようとする。
 ラオスの村もそうだった。ダム建設が村の将来に影を落としていた。
 ラオス人の役者は、それが意図したものかどうかはわからないが、こういう役を演じつと妙にうまい。表情のなかに、不安を隠しもちながら、明るい会話を口にする。きっと香港のアクション映画やタイのはちゃめちゃコメディには向かないのだろう。
 30年ほど前、ラオスの山のなかを走るトラックの荷台に揺られたことがある。トラックといっても、その一帯ではバス代わりで、周辺の村人が数人乗っていた。そのなかに5、6歳の子供がいた。僕はバッグのなかに入っていた飴をひとつ、その少年にあげようとした。しかし彼は受けとらなかった。横にいた母親や周りにいた人が、「ありがとう、ありがとう」といって笑顔をつくった。しかし飴は僕の手のなかにあるだけだった。
 彼らはわかっていた。村を変えていくものは、下界から伝わってくる文化だった。僕はその文化とやらを身にまとっていた。
 ラオスは海のない小国である。おそらく将来も、歴史の表舞台に出ることはない小国である。いつも、周辺国とわたりあっていかなくてはならない。タイ、ベトナム……。ときに日本。いまは中国だろうか。
 そしていつも守勢に追い込まれる。ラオス人が弱いわけではない。パワーもある。しかし祭りという言葉で、ひとつのスイッチが入る。その表情を見るだけで、この映画を観る価値がある。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=シンガポールからマレーシアの旅がはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。ようやくタイの鉄道を完乗? マレーシアの鉄道の旅がスタート。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 12:15Comments(0)