2017年05月29日
仮眠暮らしが続いている
ミャンマーから、東京に戻った。それ以来、仮眠ばかりしている。さまざまな仕事が一気に迫ってきて、しっかりと眠る時間がとれないのだ。原稿を書いていると、すーッと睡魔が襲ってくる。ゲラを読んでいると、どこかへもっていかれそうな気分になる。
本当はしっかり眠ればいいのだが、その時間がとれない。30分後に目覚ましをセットして、布団に潜り込む。目覚ましは冷酷に30分後に不快な機械音を発し、重い体を起こして机に向かう。仮眠と原稿、そして食事……。これだけで、1日がまわっていく。
よくない習慣だと思っている。これを何日か続けると、軽い睡眠障害のような状態に陥る。しっかり眠ることができなくなってしまうのだ。それがわかっていながら、仕事に追われると、仮眠を繰り返すことになってしまう。
しかしこの仮眠、50歳をすぎた頃から、少し様子が変わってきた。若い頃は、仮眠から目覚めると、そこそこの爽快感があった。ところがいまはそれがない。
寝つきも悪くなってきている。頭も体も疲れているのになかなか眠りに堕ちない。眠ったのか、眠らなかったのか……判然としない状態で目覚ましが鳴ってしまう。
30分のなかで、眠っている時間が短くなってきているのだ。その代わり、その短い時間に夢をみるようになった。
いい夢はまずみない。しかし、締め切りに間に合わず、編集者に謝るような、直接的な夢はみない。
今日は列車に乗り遅れる夢をみた。
ほぼ3週間、ミャンマーで列車に乗っていた日々を、まだ引きずっているらしい。
ミャンマーでもよく仮眠をとった。
あれはエーヤワディー川の河原だった。対岸に渡る船を待っていた。聞いた話はまちまちだった。午前4時台に船が出るという人もいた。6時説もあった。乗り逃さないために早めに河原まで来たのだ。
暗闇のなかで目を凝らす。渡し船の姿はどこにもなかった。そこまで乗せてくれたバイクタクシーの運転手は午前6時だという。船を待つしかなかった。
小屋の入り口に竹を渡しただけのベンチがあった。そこに体を横たえた。安定は悪かったが、なんとか腰をのばすことができる。
寝てしまった。短い時間だったが、その間にしっかり夢をみた。
それは乗った飛行機が、天候不良で引き返すというものだった。
なぜそんな夢をみたのかわからない。
夢などみない眠りに憧れてしまう。いったいこれから、どれほどの夢をみなくてはならないのだろう。
仮眠生活はまだ続く。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=タイからラオスへの旅。そして、世界の長距離列車旅を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
本当はしっかり眠ればいいのだが、その時間がとれない。30分後に目覚ましをセットして、布団に潜り込む。目覚ましは冷酷に30分後に不快な機械音を発し、重い体を起こして机に向かう。仮眠と原稿、そして食事……。これだけで、1日がまわっていく。
よくない習慣だと思っている。これを何日か続けると、軽い睡眠障害のような状態に陥る。しっかり眠ることができなくなってしまうのだ。それがわかっていながら、仕事に追われると、仮眠を繰り返すことになってしまう。
しかしこの仮眠、50歳をすぎた頃から、少し様子が変わってきた。若い頃は、仮眠から目覚めると、そこそこの爽快感があった。ところがいまはそれがない。
寝つきも悪くなってきている。頭も体も疲れているのになかなか眠りに堕ちない。眠ったのか、眠らなかったのか……判然としない状態で目覚ましが鳴ってしまう。
30分のなかで、眠っている時間が短くなってきているのだ。その代わり、その短い時間に夢をみるようになった。
いい夢はまずみない。しかし、締め切りに間に合わず、編集者に謝るような、直接的な夢はみない。
今日は列車に乗り遅れる夢をみた。
ほぼ3週間、ミャンマーで列車に乗っていた日々を、まだ引きずっているらしい。
ミャンマーでもよく仮眠をとった。
あれはエーヤワディー川の河原だった。対岸に渡る船を待っていた。聞いた話はまちまちだった。午前4時台に船が出るという人もいた。6時説もあった。乗り逃さないために早めに河原まで来たのだ。
暗闇のなかで目を凝らす。渡し船の姿はどこにもなかった。そこまで乗せてくれたバイクタクシーの運転手は午前6時だという。船を待つしかなかった。
小屋の入り口に竹を渡しただけのベンチがあった。そこに体を横たえた。安定は悪かったが、なんとか腰をのばすことができる。
寝てしまった。短い時間だったが、その間にしっかり夢をみた。
それは乗った飛行機が、天候不良で引き返すというものだった。
なぜそんな夢をみたのかわからない。
夢などみない眠りに憧れてしまう。いったいこれから、どれほどの夢をみなくてはならないのだろう。
仮眠生活はまだ続く。
■このブログ以外の連載を紹介します。
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○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
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15:47
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2017年05月22日
ずっとミャンマーの列車に乗っている
東京はいま、気持ちのいい天気が続いているらしい。妻からのメールにそう書かれていた。しかしここは連日、40度近い強い日射しに晒されている。雨季に入ったというのに、地面を叩く雨粒はまだ弱い。本格的な雨季に入れば、それはそれで大変なのだが、あまりに強い太陽の光を眺めると、雨が恋しくなってしまう。
相変わらず、ミャンマーにいる。約2週間、ミャンマーの北部と中部の列車に乗り続けいったんバンコクに。用事をこなし、途中には台北へ。再びバンコクに戻り、ミャンマーにやってきてもう4日。相変わらず、毎日、列車に乗り続けている。
ミャンマーの列車に全部乗る……という旅はなかなか思うようにいかない。
今日もひとつの路線に乗った。終点からバイクタクシーに乗って、別の路線の駅に向かい、そこから次の列車に乗るつもりだった。今日はなんとか、2路線は乗ろう……と意気込んで向かったのだが、最初に乗った列車が1時間近く遅れてしまった。もう乗り継げない。しかし、先の路線も遅れているかもしれないという、淡い期待を胸に、「急いで」とバイクタクシーに伝えると、運転手は田の畦道を走る近道を走ってくれたのだが、列車はすでに出発してしまっていた。
強い日射しに晒される小さな駅のベンチに座り込む。湯のようになってしまった水をぐびぐびと飲む。
いったいなにをしているのだろう。
晴れ渡った空を見あげる。
都合3週間近く、僕は列車にしか乗っていない。頭のなかは、常に想定問答が繰り返される。次の列車が運休になっていたらどうしようか。バスでつなぐことができるのだろうか。いや、バイクか。土地勘もなく、ミャンマー語は話すことも、書くこともできないから、想像力で補っていくしかない。
世間の人はもっと充実した3週間を送っているのではないか。しっかり仕事をこなしているのではないか。
しかし僕は、ミャンマーのとんでもなく遅い列車に、毎日、揺られているだけなのだ。
ひとりである。よくやったじゃないですか……と褒めてくれる人もいない。
駅のベンチから立ちあがり、ヤンゴンまでバスで戻った。ひとつの路線でも多く乗り潰していこうと、ヤンゴン駅を出発する大学行き路線に乗ろうとした。
「今日はもう列車がありあせん」
「2週間前に確認したとき、午後5時台まであったはず……」
「先週から途中駅で折り返すことにしたんです。最終は午後1時半です」
どうしてミャンマーの列車はこうよく変わるのか。動いているときに乗っておかないと運休してしまう。
ミャンマー国鉄から抜け出せずにいる。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=タイからラオスへの旅。そして、世界の長距離列車旅を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
相変わらず、ミャンマーにいる。約2週間、ミャンマーの北部と中部の列車に乗り続けいったんバンコクに。用事をこなし、途中には台北へ。再びバンコクに戻り、ミャンマーにやってきてもう4日。相変わらず、毎日、列車に乗り続けている。
ミャンマーの列車に全部乗る……という旅はなかなか思うようにいかない。
今日もひとつの路線に乗った。終点からバイクタクシーに乗って、別の路線の駅に向かい、そこから次の列車に乗るつもりだった。今日はなんとか、2路線は乗ろう……と意気込んで向かったのだが、最初に乗った列車が1時間近く遅れてしまった。もう乗り継げない。しかし、先の路線も遅れているかもしれないという、淡い期待を胸に、「急いで」とバイクタクシーに伝えると、運転手は田の畦道を走る近道を走ってくれたのだが、列車はすでに出発してしまっていた。
強い日射しに晒される小さな駅のベンチに座り込む。湯のようになってしまった水をぐびぐびと飲む。
いったいなにをしているのだろう。
晴れ渡った空を見あげる。
都合3週間近く、僕は列車にしか乗っていない。頭のなかは、常に想定問答が繰り返される。次の列車が運休になっていたらどうしようか。バスでつなぐことができるのだろうか。いや、バイクか。土地勘もなく、ミャンマー語は話すことも、書くこともできないから、想像力で補っていくしかない。
世間の人はもっと充実した3週間を送っているのではないか。しっかり仕事をこなしているのではないか。
しかし僕は、ミャンマーのとんでもなく遅い列車に、毎日、揺られているだけなのだ。
ひとりである。よくやったじゃないですか……と褒めてくれる人もいない。
駅のベンチから立ちあがり、ヤンゴンまでバスで戻った。ひとつの路線でも多く乗り潰していこうと、ヤンゴン駅を出発する大学行き路線に乗ろうとした。
「今日はもう列車がありあせん」
「2週間前に確認したとき、午後5時台まであったはず……」
「先週から途中駅で折り返すことにしたんです。最終は午後1時半です」
どうしてミャンマーの列車はこうよく変わるのか。動いているときに乗っておかないと運休してしまう。
ミャンマー国鉄から抜け出せずにいる。
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11:41
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2017年05月15日
アジアの田舎がロサンゼルス化する
アジアの地方都市に向かうことが多い。首都は巨大化し、そこに暮らすアジア人はここ10年、急速に増えた中間層が多い。彼らは世俗化し、保守化の道を進んでいる。それはなにもアジアに限ったことではないが、守りに入ってしまった人々の街はつまらない。無鉄砲な、弾けるエネルギーが薄れていく。気が遠くなるようなゆるさも入り込まない。
しかし最近のアジアの地方都市で困ることがある。車社会が広まってきていることだ。ミャンマーもその傾向が強い。タイなどは車がなかったら、食事にも行けない街がある。
旅行者は困るのだ。かつては市場の周りに規模こそ小さいが、アジアのにおいを振りまく店が集まっていた。
知らない街を訪ねるから、ホテルの場所もわからない。ミャンマーは外国人が泊まってもいいホテルは限られているから、どうしてもバイクタクシー頼みになる。そのホテルの周りに、1軒の店もないと悩んでしまう。ホテルのフロントに訊くと、バイクで10分ほどのところにおいしい店がある……などと教えてくれるのだが。
車社会で車がない旅行者は、自分で店を探すことができない。かつてはよく、市場の周りをうろうろしたものだった。どの店にしようか……。勘が頼りだった。混み合っているからおいしいのかもしれない。あのテーブルに置かれているのはどんな料理だろう。そうして入った店で、ときに失敗もするが、絶品に出合うこともある。失敗したときは、こう思う。明日は隣の店だ……。
車社会はそういうことができない。教えられた店しか選択肢がない。
アメリカのロサンゼルスがそんな街だ。何回か訪ねているが、いまだに街の感じがつかめない。店の情報はあるが、車がないから、チェーン店のジャンクフードのテイクアウトで終わってしまう。
アジアの地方都市は、こぞってロサンゼルス化が進んでいるということか。
車社会はインターネット社会によく似ている。はっきりした目的があるときは的確な情報が手にはいるが、1軒の店を訪ね、隣のほうがよさそうだ……といって違う店に入る偶然性がない。手に入る情報は他人が発信したものだ。自分でみつけた店ではない。街全体の姿が見えにくく、点の情報だけが入ってくる。
車社会の旅は、インターネットに頼る旅になっていってしまう。もし、自分好みの店を探したいのなら、店が集まっている都会に腰を据えるしかない。
保守化した大都市を嫌って地方に出てもそこには車社会が待っている。
これから、どうやって旅をしたらいいのか。バイクの後部座席に座りながら悩んでいる。
■このブログ以外の連載を紹介します。
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しかし最近のアジアの地方都市で困ることがある。車社会が広まってきていることだ。ミャンマーもその傾向が強い。タイなどは車がなかったら、食事にも行けない街がある。
旅行者は困るのだ。かつては市場の周りに規模こそ小さいが、アジアのにおいを振りまく店が集まっていた。
知らない街を訪ねるから、ホテルの場所もわからない。ミャンマーは外国人が泊まってもいいホテルは限られているから、どうしてもバイクタクシー頼みになる。そのホテルの周りに、1軒の店もないと悩んでしまう。ホテルのフロントに訊くと、バイクで10分ほどのところにおいしい店がある……などと教えてくれるのだが。
車社会で車がない旅行者は、自分で店を探すことができない。かつてはよく、市場の周りをうろうろしたものだった。どの店にしようか……。勘が頼りだった。混み合っているからおいしいのかもしれない。あのテーブルに置かれているのはどんな料理だろう。そうして入った店で、ときに失敗もするが、絶品に出合うこともある。失敗したときは、こう思う。明日は隣の店だ……。
車社会はそういうことができない。教えられた店しか選択肢がない。
アメリカのロサンゼルスがそんな街だ。何回か訪ねているが、いまだに街の感じがつかめない。店の情報はあるが、車がないから、チェーン店のジャンクフードのテイクアウトで終わってしまう。
アジアの地方都市は、こぞってロサンゼルス化が進んでいるということか。
車社会はインターネット社会によく似ている。はっきりした目的があるときは的確な情報が手にはいるが、1軒の店を訪ね、隣のほうがよさそうだ……といって違う店に入る偶然性がない。手に入る情報は他人が発信したものだ。自分でみつけた店ではない。街全体の姿が見えにくく、点の情報だけが入ってくる。
車社会の旅は、インターネットに頼る旅になっていってしまう。もし、自分好みの店を探したいのなら、店が集まっている都会に腰を据えるしかない。
保守化した大都市を嫌って地方に出てもそこには車社会が待っている。
これから、どうやって旅をしたらいいのか。バイクの後部座席に座りながら悩んでいる。
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○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
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13:59
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2017年05月08日
旅の勘はあっても体力が……
前回、この原稿を書いてから1週間がすぎようとしている。まだミャンマーにいる。ということは、ずっと列車に揺られる旅が続いているということだ。いま、マグウェイという街にいる。
ミャンマーの全鉄道路線に乗る──という企画を軽はずみにはじめてしまった。いま、その深みにずっぽりとはまっている。
ミャンマー人に協力してもらい、路線はある程度わかってきたが、その運行スケジュールはなかなかわからない。さまざまな資料を集めたが、実際に駅に行くと、違っていることが多い。そこでまた日程がずれてしまう。
旅の経費もあるから、できるだけ効率的に列車を乗りこなしていこうと思う。そこでポイントになるのは、列車以外の交通機関。列車の終着駅のカレーミューという街に着いたときも、さて、これからどうやってパッコクに戻ろうか……と悩んだ。街のいろんな人に訊く。僕はミャンマー語ができないから、なかなかすぐにはわからない。ミャンマー人もいい加減で、「モンユワ経由のバスは15時間ぐらいかかる」とか、「マンダレーに出たほうがいい」などという。訊き歩いて、パコックへ直接向かう乗り合いバンがあることがわかる。これが正解だった。列車で2日かかった道のりを、10時間でつないでしまった。そんなことはわかっていたが、ミャンマーはもう車の社会なのだ。それをどうつないでいくか。勘が頼りになる。
いまのミャンマーは猛烈に暑い。締め切りの関係で、この時期の列車旅になってしまったが、気温が40度を軽く超えてしまう気候は堪える。ミャンマーの列車には冷房がない。午後1時をすぎたあたりから、吹き込む風は熱波に変わっていく。頬に当たる風が、暑さを超えて痛くなってくる。
魔の時間と勝手に名づけた。午後1時から午後4時頃まで、ひたすら耐えなくてはならないのだ。
20代から30代半ばにかけ、僕はいつもひとりで旅をしていた。しかしそれが流れだったのか、旅を仕事に売ってしまった。それ以来、カメラマンと一緒に旅をすることが多くなった。
そして60歳をすぎ、またひとり旅に戻ってしまった。理由のひとつは出版不況である。カメラマンと同行する経費が出ないのだ。
これも運命なのかもしえないとは思う。ひとり旅は気晴らしが難しい。若い頃、どうやって旅を続けていたのか、記憶も朧げた。
旅を続けてきたおかげで、旅の知識は多くなった。勘も備わってきたのかもしれない。しかし体力がなくなってきている。
なかなかうまくいかないのだ。
今日は午後の魔の時間に、バイクに1時間も乗らなくてはならない。
まだ旅は続く。
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○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
ミャンマーの全鉄道路線に乗る──という企画を軽はずみにはじめてしまった。いま、その深みにずっぽりとはまっている。
ミャンマー人に協力してもらい、路線はある程度わかってきたが、その運行スケジュールはなかなかわからない。さまざまな資料を集めたが、実際に駅に行くと、違っていることが多い。そこでまた日程がずれてしまう。
旅の経費もあるから、できるだけ効率的に列車を乗りこなしていこうと思う。そこでポイントになるのは、列車以外の交通機関。列車の終着駅のカレーミューという街に着いたときも、さて、これからどうやってパッコクに戻ろうか……と悩んだ。街のいろんな人に訊く。僕はミャンマー語ができないから、なかなかすぐにはわからない。ミャンマー人もいい加減で、「モンユワ経由のバスは15時間ぐらいかかる」とか、「マンダレーに出たほうがいい」などという。訊き歩いて、パコックへ直接向かう乗り合いバンがあることがわかる。これが正解だった。列車で2日かかった道のりを、10時間でつないでしまった。そんなことはわかっていたが、ミャンマーはもう車の社会なのだ。それをどうつないでいくか。勘が頼りになる。
いまのミャンマーは猛烈に暑い。締め切りの関係で、この時期の列車旅になってしまったが、気温が40度を軽く超えてしまう気候は堪える。ミャンマーの列車には冷房がない。午後1時をすぎたあたりから、吹き込む風は熱波に変わっていく。頬に当たる風が、暑さを超えて痛くなってくる。
魔の時間と勝手に名づけた。午後1時から午後4時頃まで、ひたすら耐えなくてはならないのだ。
20代から30代半ばにかけ、僕はいつもひとりで旅をしていた。しかしそれが流れだったのか、旅を仕事に売ってしまった。それ以来、カメラマンと一緒に旅をすることが多くなった。
そして60歳をすぎ、またひとり旅に戻ってしまった。理由のひとつは出版不況である。カメラマンと同行する経費が出ないのだ。
これも運命なのかもしえないとは思う。ひとり旅は気晴らしが難しい。若い頃、どうやって旅を続けていたのか、記憶も朧げた。
旅を続けてきたおかげで、旅の知識は多くなった。勘も備わってきたのかもしれない。しかし体力がなくなってきている。
なかなかうまくいかないのだ。
今日は午後の魔の時間に、バイクに1時間も乗らなくてはならない。
まだ旅は続く。
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21:08
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2017年05月01日
ミャンマーの列車は馬が牽く?
ミャンマーのカンゴーという街にいる。マンダレーの西に、パコックという街がある。そこからカレーミョーを結ぶ線の途中あたりにある。山あいの小さな街だ。
朝5時にパコックを発つ列車に乗り、昼すぎにヂョーという街に着いた。列車の車掌が乗り合いバン乗り場までバイクで運んでくれた。それから2時間。この街に着いた。
明日の列車でカレーミョーに向かう。
かつてパコックとカレーミョーは列車でつながっていた。しかしヂョーとカンゴーの間が水害で線路や鉄橋が流されてしまったという。この間が不通区間なのだ。
僕はてっきり、パコックとカレーミョーの全線で、列車の運行をやめたと思っていた。
しかしミャンマーの国鉄はしぶとい。不通区間以外の路線に列車を走らせていたのだ。
明日、乗ることになるカンゴーとカレーミューの路線は、どこにもつながっていない。水害のとき、とり残されてしまった車両を使って運行しているのだ。もしこの車両が壊れてしまったら、新しい車両をもち込むことは難しい。線路はどこにもつながっていないからだ。
今回、ミャンマーに来て以来、そんなローカル線ばかり乗っている。車両はもちろん、涙が出そうになるほど古い。ドアはない。森林鉄道のようなものだ。線路は修復されず、みごとに波打っている。そこを、老朽化したディーゼル機関車が牽引するのだが、時速は、10キロほどではないかと思う。先頭で馬が牽いているといってもおかしくはない。横の農道を走る自転車に追い抜かされる。
日本、いや、世界の列車という概念にはとても及ばない。しかしミャンマーでは、列車というもののレベルをずっとさげて、いまでも走らせているのだ。
毎日、そんな列車ばかり乗っていると、いとおしさすら覚えてしまう。軍事政権時代、ミャンマーの経済は完全に停滞した。援助もわずかだった。そうなれば、いまあるものを使ってなんとかしなくてはならない。ミャンマーの列車の進化は止まり、むしろ後退していったのに、まだ列車を走らせているのだ。
これは遺物以前の列車のように思う。
これほどひどい列車に乗ることのできる国は、もうないような気がする。
しかしミャンマーの田舎の人たちは、それが当たり前かのように今日も列車に乗っているのだ。
民政化以降、ミャンマーは変わった。いまや新しいバスや乗り合いバンが我が物顔で走りはじめている。しかし運賃は列車の10倍ぐらいはする。今日乗った列車は、8時間乗って運賃は100円ほどだった。
それは、ミャンマーに急速に生まれている格差社会そのものでもある。結局、話はそこに収斂してしまう。ミャンマーの列車のいとしさとは、そういうことなのだろうか。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=タイからラオスへの旅。そして、世界の長距離列車旅を連載中。
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○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
朝5時にパコックを発つ列車に乗り、昼すぎにヂョーという街に着いた。列車の車掌が乗り合いバン乗り場までバイクで運んでくれた。それから2時間。この街に着いた。
明日の列車でカレーミョーに向かう。
かつてパコックとカレーミョーは列車でつながっていた。しかしヂョーとカンゴーの間が水害で線路や鉄橋が流されてしまったという。この間が不通区間なのだ。
僕はてっきり、パコックとカレーミョーの全線で、列車の運行をやめたと思っていた。
しかしミャンマーの国鉄はしぶとい。不通区間以外の路線に列車を走らせていたのだ。
明日、乗ることになるカンゴーとカレーミューの路線は、どこにもつながっていない。水害のとき、とり残されてしまった車両を使って運行しているのだ。もしこの車両が壊れてしまったら、新しい車両をもち込むことは難しい。線路はどこにもつながっていないからだ。
今回、ミャンマーに来て以来、そんなローカル線ばかり乗っている。車両はもちろん、涙が出そうになるほど古い。ドアはない。森林鉄道のようなものだ。線路は修復されず、みごとに波打っている。そこを、老朽化したディーゼル機関車が牽引するのだが、時速は、10キロほどではないかと思う。先頭で馬が牽いているといってもおかしくはない。横の農道を走る自転車に追い抜かされる。
日本、いや、世界の列車という概念にはとても及ばない。しかしミャンマーでは、列車というもののレベルをずっとさげて、いまでも走らせているのだ。
毎日、そんな列車ばかり乗っていると、いとおしさすら覚えてしまう。軍事政権時代、ミャンマーの経済は完全に停滞した。援助もわずかだった。そうなれば、いまあるものを使ってなんとかしなくてはならない。ミャンマーの列車の進化は止まり、むしろ後退していったのに、まだ列車を走らせているのだ。
これは遺物以前の列車のように思う。
これほどひどい列車に乗ることのできる国は、もうないような気がする。
しかしミャンマーの田舎の人たちは、それが当たり前かのように今日も列車に乗っているのだ。
民政化以降、ミャンマーは変わった。いまや新しいバスや乗り合いバンが我が物顔で走りはじめている。しかし運賃は列車の10倍ぐらいはする。今日乗った列車は、8時間乗って運賃は100円ほどだった。
それは、ミャンマーに急速に生まれている格差社会そのものでもある。結局、話はそこに収斂してしまう。ミャンマーの列車のいとしさとは、そういうことなのだろうか。
■このブログ以外の連載を紹介します。
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○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
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09:23
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