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ナムジャイブログ

2017年06月26日

荷物がない旅

 カナダにいる。カナディアン号という列車のなかで、この原稿を書いている。ここ2ヵ月ほど、ミャンマーの列車ばかり乗り続けていた。ひどい揺れのなかでは、原稿を書くことなどとてもできなかったが、カナダの列車は静かだ。スピードもそれほど速くないからだろうか。揺れも少ない。
 昨夜、バンクーバーを出発し、ひと晩が明けた。車窓に広がる風景はきらきらとしている。
 6月のカナダの気候はいい。日本からやってくると、悔しいほどに快適だ。低い湿度がありがたい。
 悔しいほどに……と感じてしまうのには理由がある。またしても、ロストバッゲージに遭ってしまった。預けた荷物が、バンクーバーの空港で出てこなかったのだ。航空会社のコールセンターに連絡をとっているが、いったいいつ、受けとれるのかもわからない。衣類がまったくない状態で、日本から同じものをずっと着ている。
 これまでも何回かロストバッゲージに遭っている。なにかそういう星のもとに生まれているような気になる。なるべく荷物は預けないように、と思うのだが、「まあ、大丈夫だろう」と思っていると遭ってしまう。
 荷物がないというのは、けっこう気分が落ち込むものだ。
 もともと着替えなどできない列車旅だとは思っていた。バンクーバーとトロントを結ぶこの列車は、寝台と椅子席に分かれる。寝台車は全食事付きで高額だ。シニア向けの豪華旅行といったところだろうか。僕の年齢は十分にシニアだが、その種の豪華な旅は苦手である。そもそもそんなお金もない。選んだのは椅子席の旅である。バンクーバーからトロントまで4泊5日。ずっと座り続ける旅である。もちろんシャワーなどないから、衣類を着替えることは難しいなとは思っていた。
 しかしそれは、着替える衣類がないこととは意味が違う。
 以前、タイの夜行バスで、荷物をすべて盗まれてしまったことがあった。あるのは身に着けていたパスポートとお金だけだった。市場で下着やシャツを買い、それを入れた紙袋を手に旅を続けたことがある。カメラマンも同行する取材の旅で、途中でやめるわけにはいかなかった。
 妙に身軽になって眺めるタイの風景は心に染みた。旅とはそういうものかと思ったものだった。
 列車はいまトンプソン川に沿って走り続けている。シラカバに似た木々に明るい日射しが降り注ぐ。広葉樹と針葉樹が入り混じった森が輝いている。草原を白い小さな花々が埋める。しばらくすれば、雪をかぶったロッキーの山並みが見えてくるだろうか。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=世界の長距離列車の旅。チベットの青蔵鉄道を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅が続く。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 11:50Comments(2)

2017年06月19日

8月のアジサイ

 梅雨である。東京は湿度の高い日が多くなった。道からのぞく家々の庭のアジサイも、いまが盛りといった感がある。
 日本各地には、アジサイで知られた寺や公園がある。休日には、スマホのシャッター音が響いているのだろう。
 アジサイをめぐる論争がある。論争というほどのことではないかもしれない。アジサイが好きか、嫌いかという話である。
 好き嫌いが分かれるのは、青や紫の色をつける6月のアジサイではない。7月、いや8月になっても咲いているアジサイのことだ。アジサイは花びらに見えるのがガクだから、長い期間、花が咲いているように見える。
 夏の暑い盛り、アジサイは色褪せ、場所によっては茶色に変色しながら、ぎりぎりで花のような形を保っている。それをどう感じるか……という話だ。
 桜にしろ、ぼたんにしろ、咲いた花が散っていくのは、日本人の美学に合っているといわれる。しかしアジサイは違う。みっともなくなっても、季節をすぎてしまっても、花としての形を維持していく。それは日本的ではないかもしれないが、そんな姿勢は美しいと感じる人たちがいる。
 つまり自分の老いに重ね合わせているわけだ。
「8月のアジサイは好きです。美しくなくなったら消えていければ、それは幸せかもしれません。でも、現実は違う。生きていかなくちゃいけない。美しく見せようと思っても無理がある。しかしその醜さもしっかり晒していく。美しい人生って、そういうことじゃないかって」
 40代になった女性は、自分の姿を8月のアジサイに投影する。
 鞄を整理していたら、昔、使っていた皮の鞄が出てきた。ところどころ壊れているが、適度にこすれ、年季が入っている。しかしこれを持ち歩くと、こんな声も聞こえてくる。
「そういう鞄を持ってかっこいいのは若い人たちです。年老いた人が持てば、みすぼらしさが募るばかり……」
 8月のアジサイが好きだという人たちは、そんな外野の声を無視し、「私はこの鞄が好きなんです」という人生を送りたいと思っている人のように思う。
「つまり頑固ってこと?」
 話は隘路に入り込む。
 シニア向けの旅の本を書き終えた。1ヵ月後には書店に並ぶだろう。そのタイトルをめぐっていろんな意見が出た。出版界では、シニアという文字が入った本はシニアが買わないという定説があるからだ。
 結局、シニアの文字はタイトルに入った。はたしてシニアは買ってくれるのか。それは8月のアジサイを美しいといい切る人がどれだけいるか……ということなのだろう。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=世界の長距離列車の旅。チベットの青蔵鉄道を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
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Posted by 下川裕治 at 17:32Comments(1)

2017年06月12日

軍事政権の宿命

 僕のパスポートに「①」という数字が書き込まれた。入国スタンプの脇である。
「こういうことか」
 パスポートを眺めた。
 昨年の末、タイへの陸路入国は1年に2回までというルールが発表された。ラオス人やカンボジア人、ミャンマー人などでパスをもっている人は、おそらく排除されていると思う。対象になるのは、欧米人や日本人、韓国人など近隣国の人を除いた外国人だ。観光ビザやビザなしの状態で入国しタイで働いている人たちだ。彼らは滞在を延長するために、交通費が安い隣国に陸路で出国し、陸路でタイに戻る。俗にビザランと呼ばれるものだ。それを規制することが目的に映る。
 実は今年の1月、僕はミャンマーから陸路でタイに入国している。そのときはなにもいわれなかった。またタイらしい話で終わっていくのかもしれない……と思った。
 5月末、ミャンマーのダウェイから陸路でタイに入国した。タイ側のイミグレーションには、数人のミャンマー人が列をつくっていた。審査官は中年の女性だった。いくつかの書類が足りないことを指摘していた。ミャンマー人が少しきつい口調で反論すると、パスポートを返しながらこういった。
「書類がなければ入国させません」
 そのとき、僕と目が合った。窓口まで来なさい、と手招きをした。
 パスポートと入国カードを渡した。彼女は僕のパスポートを丹念にめくった。
「何回も入国しているけど、働いているわけじゃないようね」
「はッ?」
 タイのイミグレーションで、こう訊かれたことははじめてだった。話好きのおばさんの風情すらあった。
 たしかに僕のパスポートには、タイの出入国のスタンプは多い。しかしタイの滞在日数は短い。1日か2日というケースが多いだろうか。タイからほかの国に向かってしまうからだ。それをチェックしていたようだった。滞在日数が短いわけだから、働いてはいない……と。
「でも、ごめんなさいね。ルールはルールだから」
 そういうと、入国スタンプの脇に「①」とボールペンで書き込んだのだった。次の陸路入国が今年最後ということになる。
<本当にやるんだ>
 パスポートを受けとりながら、ひとりごちた。
 労働許可なしに働くことは、タイにとっては問題かもしれない。しかしタイで働いてはいないが、陸路で出入国する人は少なくないだろう。たとえばビエンチャンで飲食店を経営する外国人。買いだしにノンカーイにしばしばでかけるはずだ。デング熱に罹った日本人も、ノンカーイの病院に通院していた。シェムリアップで働く日本人は、しばしばスリンの病院に通っていた。そういう人たちもいるのだ。
 タイには180日ルールがある。ビザがない人は180日以上滞在できないというものだ。しかし入国スタンプから滞在日数を計算する作業が大変で、実際にチェックすることは多くなかった。それに比べれば1年に2回は調べやすい。
 タイの軍事政権に対する外国人の反発が大きくなってきている気がする。大通りから屋台を撤去する方針にも外国人は批判的だ。タイらしさがなくなってしまう……と。
 たしかにタイはタイ人の国だ。しかし自国民の利害をあまりに優先させると軋轢を生む時代でもある。インドやバングラデシュを含め、近隣国で働く外国人にとって、タイは重要な国だ。その存在価値への評価が低い。
 軍事政権はどの国でも内政重視に傾く。政権成立の経緯が内政に起因していることが多いためだ。内政重視は宿命でもある。軍事政権の限界はそのあたりにもあるのかもしれない。

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Posted by 下川裕治 at 12:50Comments(1)

2017年06月05日

金がなくても生きる方法を知っている

 九州の椎葉村に行ってきた。九州山地のほぼ中央。日本三大秘境のひとつに数えられる村である。村としては、日本で5番目の広さがあるというが、平地は4パーセントしかないという。山しかない村と思っていい。
 宮崎県なのだが、熊本空港から車で向かった。そのほうが早いらしい。この辺りでは以前、五木村を訪ねたことがある。平家の落人伝説、ダムで水没した村の中心部……。九州山地の秘境は、似通った歴史を辿っている。
 人々は斜面に畑をつくって生活しているのだが、どこもシカやイノシシの被害に悩んでいる。農作物を食べてしまうのだ。
 その原因のひとつが植林だという。木材を切り出し、その後に植林をしたのだが、そのほとんどがスギだった。材木にすることが目的だったが、スギは山の動物の餌になる実がつかない。かつての雑木林は、実のなる木が多かった。結局、餌が不足し、畑の作物を荒らしてしまうのだという。
 イノシシは、この一帯では貴重なタンパク源だった。イノシシ狩りの方法は、以前五木村でも聞いた。
 猟犬と人が一体になってイノシシを追い込んでいく。道すらない斜面を走りまわる山の男たち。イノシシ狩りのシーズンになると、目つきが変わってくるのだという。
 椎葉村で、サカメグリというイノシシ狩りのルールを知った。狩りをする場をひとつ円に見たてる。そのなかで中心角が30度ほどの扇型の部分を決め、そこでは猟をしない。追われた動物が逃げ込むエリアを設定しているのだ。扇型部分が、時計とは逆方向でまわっていくことから、サカメグリと呼ばれるようになった。
 戦後、日本の行政は、山の動物を守るために「禁猟区」をつくった。それは一定のエリアを禁猟にするもので、面の発想だった。動物たちはそこに逃げ込めばよかったが、禁猟区に追い込まれる形になる。しかしサカメグリは面ではなく方向である。動物たちはその向きに逃げる。方向だから広さに制限は生まれない。動物の数を減らさない山に暮らす人々の知恵だった。
 面で管理する手法は、稲作文化をベースにしている。禁猟区や植林の発想もその延長線上にある。しかしそれは山の文化には通用しない。
 以前、平地の文化と山の文化は、交わることはないと思っていた気がする。しかし平地は山で支えられていることがわかってきた。そこで、山の自然の保護に動くのだが、その手法が平地の論理に裏打ちされていた。山の文化圏の切ない現実は、そんな行き違いの結末でもある。
 しかし椎葉村の人々は暗くない。村で暮らすひとりがこういった。
「大丈夫ですよ。山の人は金がなくても生きる方法を知っていますから」

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Posted by 下川裕治 at 11:53Comments(0)