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ナムジャイブログ

2017年10月30日

100冊の本を書いたらしい

 11月の7日、朝日文庫から『僕はLCCでこんなふうに旅をする』が発売になる。その見本誌が今日、宅配便で自宅に届いた。
 本が刊行されると妻に1冊渡す。新刊の報告なのだが、読んだ妻から、ときに厳しい批判も受けることもある。
「ちょうど100冊目じゃない? 正確じゃないかもしれないけど」
 リストを渡された。妻は渡した本を記録していたようだった。僕には編著とか共著もあるのでカウントが難しい。一応、編著と共著を除外した冊数のようだが。
 本を書いていながら、何冊書いたのかがわかっていない。編著は別にして、共著にはいろいろなパターンがある。9割以上、僕が書いた本もあるが、半分程度の本もある。どうカウントするか……ルールを決めなくてはならない。
 発刊された本をきちんと振り返ればいいのだが、いまの僕にはそんな余裕がない。常に本の締め切りに追われているからだ。
 旅先で本は書かない。日本にいるときに原稿用紙に向かう。だから、日本にいるときは忙しい。これまで書いた本をチェックする時間がないのだ。
 おそらく100冊ぐらいは発刊されている気がする。
 30歳代の半ば。本を書きはじめたとき、先輩の物書きからこういわれた。
「戦後10年ぐらいまでは、10冊、本を書けば印税暮らしができたらしい。しかしいまは100冊書かないと、印税暮らしは無理だね」
 印税暮らしというのは、原稿を1行も書かなくても、印税で生活ができることをいう。
 それから30年近くが経った。なんとか100冊近い本を書いたのだが、印税暮らしにはほど遠い。それどころか絶版といって、これ以上は印刷しないという判断がくだされる本も多い。いつまでも本を書き続けていないと生活はできないのだ。
 本をとり巻く環境が、ここ30年で大きく変わってしまった。30年前、どれほどの日本人が、これほど本が売れない時代を想像していたのだろうか。
 1冊の本を書くのに何年も費やし、その本が数十万部は確実に売れる……というタイプの物書きがいる。羨ましいと思う。しかし僕は、そんなサイクルには到達できなかった。
「そんな物書きが日本に何人いると思っているの? 本を書かせてもらうだけありがたいと思わなくちゃいけない時代ですよ」
 物書きの知人が諭すようにいう。たしかにそうだと思う。これだけ本が売れない時代に仕事があるだけでもありがたい。
 ただその歯車のなかに入ると、やはりつらい。明後日からベトナムに向かう。その前の締め切りラッシュ。泥濘に足をとられそうな自分がいる。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=インドネシアの列車旅。ジャワ島編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。難関のミャンマーの列車旅。いまは番外編を連載。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 10:55Comments(3)

2017年10月23日

不謹慎な好奇心

 衆議院の総選挙が行われた昨日、日本列島を台風が直撃した。いま台風の中心は東北地方で、東京にも不穏な強風が吹いている。これから南風が一気に吹き込み、気温もあがっていくだろう。台風一過……。そんな言葉が夜のニュースでは流れるのかもしれない。
 台風や大雪が降った朝、なぜか早くに目が覚める。どうなったか……と気になる、といえば聞こえはいいが、心中、わくわくする思いがある。不謹慎だとは思う。台風の被害に遭った人がいる。昨夜の台風では犠牲者も出ている。それなのに、増水した川を眺めて満足するようなところがある。
 小学校の低学年の頃、台風が過ぎた朝、近くのクルミの木に急いだ。強風に煽られて落ちたクルミの実を拾いにいったのだ。近くにある家のクルミの木だったが、落ちたものは拾っていい、という不文律があった。
 別に、食料がなかったわけではないが、落ちたクルミの実を拾う時間はわくわくした。
 バングラデシュでも同じような話を聞いたことがある。サイクロンがやってくると住民はマンゴーの畑に入る。風で落ちたマンゴーはもち去ってよかったからだ。マンゴーはウルシ科の植物である。まだ熟していない実を食べると腫れることがある。サイクロンが去った朝、目を赤く腫らした人々が村や市場を埋めていたという。
 貧しい人たちにとって、サイクロンは天の恵だった。一歩間違えば、水害や強風で犠牲者も出してしまうのだが、強風の中、マンゴー畑に入る人々の目は輝いていたはずだ。
 不謹慎と思いながらも、人は好奇心を抑えられないところがある。火事の現場に集まる野次馬というのはその典型だろう。
「おーッ、あそこに火が移った」
 などという声があがる。
 台風が去った朝も同じで、意味もなく街を歩き、折れた枝の前で立ち止まったりしてしまう。
 好奇心とは、ときに不謹慎なものだ。
 昨夜、総選挙の開票速報をぼんやり眺めながら、そんなことを考えていた。選挙にしても、まじめに日本の将来を考えて票を入れた人もいるだろうが、この人が当選したら面白そうだ……という好奇心で投票する人もいる。1票は貴重かもしれないが1票の影響力というものも人はわかっている。無党派層をとり込むなどというが、その票の一部は好奇心に左右されるような気がする。
 開票速報を映しだすテレビ画面の右隅には天気図がいつも出ていた。台風の進路がそれでわかる。選挙の1票をめぐる好奇心に比べれば、台風の好奇心は等身大だ。天候というものは偉大で、すべての人を平等に支配していく。
 総選挙では風は吹かなかった。台風の被害も我が家の周りにはない。また締め切りに追われる普通の日々がはじまる。

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Posted by 下川裕治 at 15:46Comments(1)

2017年10月16日

タイ式トイレの謎が解けた

 ひょっとしたら、いや、確実に、僕は間違いを犯していた。そして多くの日本人も僕と同じように誤解している気がする。
 前号で、東南アジアの多くのトイレに備えられているハンドシャワーについて触れた。インドネシアのハンドシャワーの水圧は弱く、カンボジアのそれは、肛門の皮膚がめくれるのではないと思うほど強いと……。
 そう書いたのはハンドシャワーの水を、直接、肛門にあてる洗浄法を誰もが実践していると思っていたからだ。しかし、それは間違いだった。いや、直接、あててもいいのかもしれないが、タイ人はそんな使い方をしていなかった。
 原稿を書いた後、僕はタイに向かった。やはり気になっていたのだ。これはもう、訊いてみるしかなかった。
 まず日本人に訊いた。彼はバンコクに20年近く暮らしている。僕と同じ使い方だった。つまりハンドシャワーの水を、直接、肛門にあてていたのだ。ところが、タイ人に訊くとこんな答が返ってきた。
「なにをいってるんですか。ハンドシャワーの水を当てるのは手ですよ。水を流しながら指で洗います。そうじゃないと、きれいになったかわからないじゃないですか」
 すべてが氷解し、なんだかすっきりした気分だった。タイでも田舎に行くと、しゃがむスタイルのトイレになることがある。脇には水をためる水槽がある。洗うときは桶で水を掬い、それを流すようにして、指で洗う。そのスタイルが発展したのがハンドシャワーだったのだ。水槽と桶の代わりのシャワーになっただけで、タイ人の洗い方はまったく変わっていなかった。
 トイレに置かれたゴミ箱も納得できる。タイ人は洗った尻の水滴を拭きとるためにティッシュを使う。そのゴミ箱。捨てられたティッシュは汚れていないのだ。
 ところが、日本は水で洗わない。紙で拭く。だからトイレのゴミ箱には、便がこびりついたティッシュが捨てられていると思ってしまうのだ。
 日本は紙拭き文化から一気に発展してウォッシュレットをつくりだした。もともと指で洗う文化がないから、肛門に直接、水をあてる方式になった。その素地がある日本人は、ハンドシャワーを目にしたとき、直接、肛門に水を吹きかけるものだと思ってしまう。そこからはじまった、誤解だった。
 あるタイ人はこんなこともいった。
「日本のウォッシュレット、あれ使いにくいです。ノズルが邪魔して、手がうまく入らないんです」
 たしかにそうだった。
 ハンドシャワーは水で流す文化圏の産物だった。そしてウォッシュレットは紙拭き文化圏が生んだものだった。妙にすっきりして、タイのトイレに今日も座る。

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Posted by 下川裕治 at 14:03Comments(3)

2017年10月09日

トイレのハンドシャワーの謎

 インドネシアのスマトラ島で列車に乗り続け、今朝、帰国した。スマトラは3回目だった。はじめて訪ねたのは30年も前で、メダンからスマトラ南端まで陸路で移動しジャワ島へ渡った。つらいバス旅だった。2日目はメダンのみ。今回はスマトラを縦断し、メダンの北にも行った。10日の滞在になった。
 スマトラでひとつの料理に出合った。ブブルである。インドネシア風粥なのだが、スマトラで口にしたそれは、僕好みの味だった。
 ブブルはブブルアヤムが一般的だ。鶏ガラスープを使う。スマトラのブブルも鶏ガラスープなのだが、酸味がある。その味が新鮮だった。
 スマトラ南部の、タンジュン・カランのホテルに泊まった。簡単な朝食がついていた。そこにもブブルがあったが、いままで口にしたブブルと違う。柔らかく炊いた米の上にスープをかけるスタイルだった。そのスープが深緑色なのだ。ひと口食べてみる。酸味が効いている。なにかのハーブの風味が鼻孔に届いた。これもブブル? ひょっとしたら違うのかもしれない。しかし粥だ。インドネシアのお粥は奥深い。
 インドネシア料理といえば、ナシゴレンというチャーハンや、ミーゴレンという焼きそばが知られている。しかしその味は、どこか中華のにおいがする。インドネシア料理と中華の融合料理ではないか。それに比べると、ブブルは独自の世界がうかがえる。
 もうひとつ、スマトラで気になったことがある。トイレのハンドシャワーの水圧が弱いのだ。
 ハンドシャワーというのは、東南アジアのトイレにはどこにもあるお尻の洗浄器具だ。大便をした後、このノズルから噴出する水で肛門を洗う。タイではサーイチットチャムラとか、ファックブアラーンコンというらしいのだが、一般的な呼び方ではない。
 この水圧はトイレによっても違うが、国によっても差がある。いちばん強いのはカンボジアではないかと思う。すごい勢いで水が噴出する。洗浄どころか、肛門の皮膚がめくれてしまうのではないか……と不安になるほどだ。
 それに比べると、スマトラのそれは弱かった。ジャカルタのトイレのハンドシャワーも弱かったから、インドネシアに共通することなのかもしれない。ハンドルを押しても、水はちょろちょろといった感じで、これで本当にきれいになるのだろうか……と首を傾げてしまった。
 ひょっとしたら、水で洗い流すという発想ではなく、水を肛門付近にあてて、指で洗うことを想定しているのかもしれなかった。
 インドネシアは、なにかが違う。ジャカルタから帰る飛行機のなかで悩んでしまった。

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Posted by 下川裕治 at 16:48Comments(0)

2017年10月02日

列車に家庭用エアコンというアジア

 インドネシアのスマトラにいる。この島を走る鉄道に乗るためだ。東南アジアの鉄道を制覇する旅はまだ続いていて、時間をみては、アジアの列車に揺られているわけだ。
 昨日、メダンからランタウ・プラパットという街まで列車に乗った。乗り込むと車内はひんやりと涼しい。首元に冷風があたる。
 見あげると、そこにシャープの家庭用のエアコンがとりつけられていた。そこから冷気が出ていた。エアコンは1車両に6台とりつけられていた。
 以前、ジャワ島の列車でも、このスタイルの冷房を体験した。やはり機種はシャープだった気がする。車内は涼しく、快適だった。
 列車の車両に家庭用エアコンをつけてしまう。アジアらしい発想だった。これを思いついたインドネシア人は、いったいどんな人なのだろうか。
 アジアの列車の車両を冷房化するには、どれだけの費用がかかるのだろうか。冷房つきの車両をつくるか、購入することになる。その費用を考えれば、家庭用エアコンはかなり安くあがる気がする。
 しかし家庭用エアコンには室外機が必要になる。いったどこに……と停車駅で見てみると、車両の下にしっかり室外機があった。ホースは壁を伝っているのだろう。車内にはところどころ、銀色の板で覆われた柱がある。おそらくその裏をホースが通っているのにちがいない。
 今年の春まで、ミャンマーの列車に乗りまくっていた。大変な列車旅だった。それはタイの列車と一緒に一冊の本にまとまった。そのなかでも触れているが、ミャンマーには、日本から無償譲渡された旧JR車両などが送られている。車両に、「キハ」などという文字が躍っている。日本を走っていた時代は冷房があったはずだが、ミャンマーでは使っていなかった。いや、壊れてしまったのか。ミャンマーの人たちは、列車に冷房がつくことなど考えていないからなんの問題もなかったが。
 先月、カンボジアの列車に乗った。修復が目的で長い間運休していた。やっとプノンペンとシアヌークビルの間を走りはじめた。
 その車両にのったが、そこにも家庭用エアコンがとりつけられていた。パナソニックだった。おそらくインドネシアの列車に倣ったのだろう。
 これからひとつのブームになっていく気がする。東南アジアの列車は、冷房がないものが少なくない。タイも各駅停車はすべて窓を開け放って走る。暑く、ディーゼルオイルのにおいが体にまとわりつく。冷房もありがたいが、体が汚れないことも助かる。
 そんな日も遠くない気がする。
 家庭用エアコンの新しい使い道……。アジアの旅に少し心が軽くなる。

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Posted by 下川裕治 at 14:16Comments(1)