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ナムジャイブログ

2017年12月25日

ネットで予約できない中国のホテル

 中国の庫車という街にいる。タクラマカン砂漠の北端にある街だ。辺境のイメージが強いが、いまの中国は違う。10階を超えるビルがいくつも建ち、車が渋滞を起こすほどの近代都市に変貌しつつある。
 中国は一般的なネットを使うことができない。Wi-Fiはつながるが、グーグルが使えないのだ。ヤフーも危うい。ライン、フェースブック、ユーチューブもつながらない。そこで今回はVPNルーターというものを日本で借りた。中国政府のブロックをかいくぐるかのように、ネットのやりとりができる。ラインも使うことができる。そのからくりはよくわからないが。
 これでうまくいったかと思ったが、ホテルでつまづいた。トルファンに1泊した。事前にホテルの予約サイトを通して、ホームインというチェーンホテルを予約した。このホテルは、おそらく中国で最大のホテルチェーンで、その数は1万軒にもなるという。
 トルファンに着き、マイナス10度を下まわる寒気のなかでホテルを探し、ホームインのフロントに立った。スタッフはコンピュータを叩きながらこういった。
「予約は入っています。でもうちのホテルは外国人を泊めることができないです」
 中国にはこの問題があった。北京や上海ではほとんどのホテルに泊まることができるのだが、地方にいくと、外国人が宿泊できるホテルが限られてしまうのだ。中国政府は、すべてのホテルを外国人にも開放した、という話もあるのだが、現実はだいぶ違う。地方のホテルにしても、面倒な外国人を受け入れるより、中国人で部屋が埋まるから、外国人対応への意識は薄い。国内は相変わらず好景気が続いている。
 つまり、中国の地方のホテルは、ネットを通じて予約が難しい。いや、予約はできるが、泊まることができるかわからないのだ。
 昨夜、庫車に着いた。以前、交通飯店というホテルに泊まった記憶があり、そこに行こうとすると、病院になったという。困って1軒のホテルに入り、外国人を受け入れるホテルを訊く。すると庫車飯店だけが宿泊可能だという。しかたなくそのホテルに行くと、5ツ星の高級ホテルだった。しかしフロントでこういわれた。
「裏に旧館があります。そこなら110元です」
 旧館は3ツ星ホテルだった。1泊1870円ほどだ。
 部屋に入ったが、僕好みの老舗ホテルだった。建物は古いが、部屋は広い。大きな木製の机もある。
 トルファンで泊まることができたのも高昌飯店という老舗ホテルだった。高昌はトルファンの別称の感がある。
「その街の名前に飯店をつけるといい?」
 中国のホテル事情に翻弄されながら、そんなノウハウも身に着いていく。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=インドネシアの列車旅。ジャワ島編からスマトラ編へ。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載がはじまった。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 13:18Comments(1)

2017年12月19日

アンコールワット37ドルの裏舞台

 今、ベトナムとカンボジアの本を書いている。アンコールワットの話を書いているとき、ふっとテレビのニュースを観ると北朝鮮が映っていた。金正日の命日だった。
 ちょうどアンコールワットと北朝鮮の話を書いているところだった。
 今年、アンコールワットの遺跡群の入場料が大幅に値あげされた。1日券は20ドルから37ドルになった。
 この値あげと関係があるのだろうか…。アンコールワット周辺には、最近、きな臭い話が多い。発端は新しいシェムリアップ空港の建設が決まったことだろう。シェムリアップから50キロほどのところに建設が決まったが、工事は当然、中国の会社は請け負うことになる。中国とカンボジアの蜜月ぶりはよく知られている。
 この情報が事前に伝わっていたのかどうかはわからないが、アンコールワットの入場券売り場が移転した。以前は、シェムリアップ市街からアンコールワットに向かう道の脇にあった。が、新しい場所は、新空港から市内に入ってくる道に沿っているのだという。
 そして新しい入場券売り場の前には、博物館ができあがった。これは北朝鮮がつくったもので、内部にはアンコールワット時代を描いた壁画のほかに、金日成も紹介されているという。
 北朝鮮からカンボジアに寄贈する形をとっているが、向こう10年の運営権は北朝鮮にある。博物館収入が、外貨となって北朝鮮に入っていく流れだ。
 核開発やミサイルの発射で、北朝鮮は厳しい経済制裁を受けている。外貨収入の道が残されているのは、アジアではカンボジアぐらいかもしれない。
 さらに強い経済制裁を主張するアメリカに対し、中国の足どりは重い。北朝鮮を孤立させないという主張の背後には、北朝鮮との関係が見え隠れする。
 新空港の建設を中国が受注し、それに合わせるかのようにアンコールワット入場券売り場が移転し、その前に北朝鮮の収入になる博物館。あまりに、露骨な話ではないか。
 アンコールワットの入場券売り場のすぐ後ろには、ソカアンコールリゾートという客室が700を超えるホテルが完成した。ソカホテルグループは、アンコールワットの入場券事業を運営している会社である。
 ここで空港とホテルをアンコールワットに絡めた導線ができあがったわけだ。ソカホテルグループはカンボジアの会社だが、背後ではベトナムに通じているとカンボジア人はいう。
 アンコールワットからあがる収入をめぐってさまざまな国が蠢く。
 その結果が37ドルへの値あげ?
 そういうことなのだろうか。

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Posted by 下川裕治 at 11:32Comments(0)

2017年12月11日

日本人は背もたれ倒さない派?

 日本だな……と改めて呟いてしまった。
 4日ほど前、11月に出版された『僕はLCCでこんなふうに旅をする』(朝日文庫)の発刊イベントがあった。話題は当然、LCCをめぐる話になる。そのなかで、シートの背もたれを後ろに倒すか、倒さないかというという話題になった。倒れるか、倒れないかという話ではない。倒すか倒さないか……。
 LCCは座席の前後間隔が狭い。少しでも多くの乗客を搭乗させるためだ。当然、背もたれを倒したときの、後ろの席はより狭くなってしまう。
 そのあたりから、日本では背もたれを倒す論争が起きているらしい。LCCがシェアをのばしてきたことから起きた話でもあった。
 会場に集まった人たちに訊いてみた。挙手をお願いすると、倒さない派が半分以上を占めていた。
 イベントが終わった後、参加者の間で話もあったらしい。こんな意見も出た。
「海外のLCCでは倒してもいいけど、日本は倒せない。それで定着しているみたい」
 そうなのだろうか。
 背もたれは倒すためにある。LCCでは狭さを考慮して、倒れる角度が少ない。それでも倒すと少し楽だ。飛行機がそうなっているわけだから、倒すことは乗客の権利でもある。しかし日本では倒さない派が増えている。
 機内の様子を思い出してみる。海外でLCCに乗ったとき、背もたれに関する機内放送はあまりない。いや、僕は聞いた記憶がない。ところが日本の国内線LCCに乗るとこんな放送が流れることが多い。
「背もたれを倒すときは、後ろの方にひとことお声がけをお願いいたします」
 この違いなのだろうと思う。
 僕は飛行機に乗る機会が多いから、背もたれを倒すことについてはいくつかの経験がある。前に座る人から、「Can I lean my seat back?」といわれたこともある。そこでこの英語を覚え、背もたれを倒すときに口にすると、後ろに座っていたインド系の男性から、「No」という言葉が返ってきたこともあった。夜行便で黙って背もたれを倒すと、後ろから「put the seat back please」という声が聞こえてきたこともあった。すぐに意味がわからなかったが、「シートバック」から想像して戻した。
 こんなことは珍しくない。そして、世界の人々は、後ろの席から、「戻して」といわれれば戻すだけのことで、それを気にする様子もない。つまり背もたれを倒していいのか、悪いのかという論争に発展しないのだ。なにも考えないのだ。
 日本人は他人の視線を見ながら生きる民族である。外国人も、気にしないわけではないのだが、その気遣いのエネルギーが違う。それは美徳でもあるが、ときにこの性格は煩わしい。

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Posted by 下川裕治 at 12:00Comments(2)

2017年12月04日

手錠をはめられていたタイ人

「楽になった……」
 渋谷の地下鉄で、あたり前のように自分で切符を買うタイ人をつい見つめてしまった。買い方を説明する必要もない。はじめて日本にきた初日。彼らはもう自分で切符を買う。
 画面を見ると、英語に切り替えている。こんなことがどうしてわかったのだろう。
 バンコクを走る、BTSやMRTに慣れたためだろうか。英語に対する抵抗感は薄くなった。難しい英語ではないが。
 久しぶりに日本にやってきたタイ人を案内した。以前はもう、手とり足とり状態。地下鉄の切符も買ってあげた。おそらく発券機には英語もあったと思うが、なにもかもわからない……という感じで、発券機に近づこうともしなかった。
 ここ5年ほどで、タイ人は大きく変わった。海外に出ても物怖じしなくなった。やってきたタイ人は8人だったが、そのひとりは、地下鉄の車内で日本人と英語で話していた。込み入った話は難しいが、「タイから来た」ぐらいの英語をしゃべる。
 おそらく海外旅行にでかけた日本人より気楽に現地の人と話をする。タイ人の社交性がプラスに働いていた。
 さまざまなシステムがバンコクに似ているから戸惑うこともないのだろう。エスカレーターの乗り方。料金を払う方法、トイレマークを見つけ、「ちょっと行ってきます」と声をかけて走っていく。そうトイレマークをいまのタイ人はすぐにわかる。コンビニやファストフードはそのシステムも同じだ。
 どこか歩き方も堂々としている。
「次はひとりでも来れそう」
 ひとりのタイ人がそういった。
 2日前、台北の空港にいた。隣の搭乗口はハノイ行きのベトナム航空だった。出発が近づき、30人ほどのベトナム人が台湾人につき添われて現れた。全員、手錠をはめられていた。若い男女の集団だった。おそらく皆、不法就労だろう。
 日本と同じだった。一度、テレビの収録に立ちあったことがある。不法就労のひとりのタイ人の帰国を追いかけた。その女性と同じ便を僕らもとった。
 その女性は入国管理局に出頭した。子どもを身ごもっていた。2週間ほど収監された。搭乗口で待っていると、その女性が、入国管理局の職員に付き添われて現れた。タイ人らしい笑みを送ってきた。しかし手錠がはめられていた。
 手錠をはずすのは搭乗券を切る直前だ。それまで横にぴったりと職員がつく。
 不法就労のベトナム人を本国に送還する台湾の段どりを見ながらあのシーンを思い出してしまった。
 あれから15年。

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Posted by 下川裕治 at 11:39Comments(1)