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ナムジャイブログ

2018年06月25日

気温44度の列車旅

 パキスタンのペシャワールからインドのコルカタまで列車とバスで横断した。そしてまたしても、気温44度という猛暑を経験してしまった。このエリアから、熱波で100人を超える死者が出たというニュースが届くことがある。できるだけ避けようとはしていたのだが……。
 はじめてこの高温の世界に放り込まれたのはアフガニスタンだった。カイバル峠を越えたジャララバード。宿には竹の枝に沿って水を流し、その背後から扇風機で風を送るという冷風機があった。しかし部屋の湿度を高めるだけ。気温は一向にさがらない気がした。そのときは、翌日、標高が1700メートルほどあるカブールに向かった。猛暑は1日だけの体験だった。
 しかし、今回は……。
 パキスタンとインドの国境。ラホールから乗った車を降りた。1キロほど先にパキスタンのイミグレーションが見える。気合を入れて炎天下を歩きはじめたが、200メートルも進めない。日陰で息を整える。苦しいのだ。これはまずいと思った。しかしなんとか国境を越えなくては……。カートがやってきて救われた。
 インドに入国し、列車でデリーへ。昼をすぎると、車内に吹き込む風が痛くなる。午後1時から4時ごろまでが、いちばんつらい。そのときの気温をネットで調べると、最高気温が44度、最低気温が33度──。
 日本では、最高気温が35度を超えると猛暑日といい、夜の最低気温が25度を超えると熱帯夜という。インドのこの時期は、最低気温が日本の猛暑日に近い。
 デリーからガヤまでの列車も、高温のなかを進んだ。前日よりきつい。昼をすぎると、車窓から人も牛も姿を消す。畑に出ることは危険なのだろう。
 前夜、猛暑をどうやりすごすか……作戦を立てた。寝るのがいちばん。午後1時。熱風をかきまわす扇風機の風がよくあたる場所を選んで体を横にする。
 30分ほど眠った。気持ちが悪くて目が覚めた。体を起こすと、頭痛と吐き気。それほど強くはなかったが、これはまずいと、まじめに考えた。これが熱中症なのだろうか。
 水を手にとり、顔や首筋に塗る。なんとか気化熱で体温をさげようとする。
 45度近い高温のなかでは寝てはいけないのかもしれない。雪山で遭難したとき、眠ってはいけないというように。ただただ、じっと気温がさがっていくのを待つしかない。眠らずに。
 午後の4時をすぎた。
 少しは体が楽になってきた。鋭角の風の角度が広がった感じだ。といっても、気温が40度を切ったぐらいだろうが。
 列車は6時間遅れで進んでいた。暑さとは関係ない話だ。いつも思う。インドの旅はつらい。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 15:45Comments(0)

2018年06月18日

治安に戸惑う

 パキスタンのラホールにいる。というか今、ホテルに着いた。こちらの時刻で午前1時。バンコクは午前3時、日本は午前5時である。
 久しぶりのパキスタンだが、街はにぎやかだ。飛行機は空席が目立った。別の文化圏に入った気がしないでもない。
 バンコクからの便だったが、検索すると多くがドバイやオマーンの経由便だった。運賃も高い。一番安い便は、週に何便かあるタイ国際航空のラホール行きだった。
 乗ってみると、座席の2割も埋まっていなかった。体を横にして眠ることができたが、やがて運休になってしまう気がする。
 東南アジアと東アジアはひとつの文化圏をつくっている。人の往来も激しい。僕は日本とタイを結ぶ便によく乗るが、どの航空会社の便に乗っても、ほぼ満席に近い。しかしバンコクからパキスタンに向かう便になると、急に密度が薄くなる。パキスタンは中東の文化圏に入っているわけだ。
 東南アジアとパキスタンの間には、インドというややこしい大国がある。ここが境界というっことだろうか。
 パキスタンにやってきたのは、玄奘三蔵が中国からインドに向かった道を辿っているからだ。前回、ウズベキスタンに向かいアフガニスタン国境の、テルミズまで行った。そのまま越境できればよかったのだが昨年あたりから、アフガニスタンへ入国することが難しくなってしまった。そのため一旦帰国し、パキスタンにやってきた。明日、ペシャワルに向かい、そこからブッダガヤをめざすことになる。
 アフガニスタンへの入国が難しくなったのは、日本政府の横やりである。アフガンスタン政府は、以前と同じように日本人に対しても国を開いているのだが、日本政府が危険と判断した。ビザをとるためには、外務省が発行する許可証が必要になってしまった。その背後には、日本特有の自己責任論とのせめぎあいがある。
 アフガニスタンはそれほど危ない国ではない。たしかにテロは起きているが、その数が特別に多いわけではない。以前、アフガニスタンやパキスタン周辺を歩いた経験からすると、パキスタンのほうが不穏な気がした。ラホールの食堂に入ると、隣にいた男が、自動小銃をどんとテーブルの上に置いて食事をしていた。アフガニスタンでは目にしないことだった。アフガニスタン問題にしても、パキスタンが深くかかわっている。もともとタリバンはパキスタンで生まれた組織だった。
 しかし夜のラホールはネオンが輝き、人々が普通に歩いている。繁華街を見るかぎり、不穏な空気は伝わってこない。
 海外に出るたびに、治安とはなんなのかと自問する。日本で得る情報とのずれに悩んでしまう。明日からパキスタンを歩く。治安というものに戸惑いながらの旅になる予感がする。

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○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
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Posted by 下川裕治 at 17:02Comments(0)

2018年06月11日

ホッとする寂しさ

 バンコクで、誕生日を迎えた。64歳である。
 毎年、誕生日はバンコクにいる。僕が監修を務める『歩くバンコク』というガイドの内容をチェックする時期なのだ。今年はトラブルがあり、編集作業にもかかわっている。誕生日を忘れてしまいそうになるほどの忙しさのなかにいる。
 タイ人の知人に、誕生日の話をすれば、大変になることはわかっている。レストランに何人もが集まり、ケーキがもち込まれロウソクに火がともる。タイ人の従業員たちも、この誕生パーティには妙に乗ってくる。
「どのタイミングで電気を消しましょか」
「音楽もセットできますが」
 しかし、タイの誕生パーティは内容が薄い。どこの国でも、そうなのかもしれないが、特別に祝う内容が乏しいのだ。ましてや僕は64歳という中途半端な年齢である。
 なんだか鬱陶しく、タイ人にも伝えなかった。ただ仕事に追われる日々。それもまた味気ないものだ。年相応の誕生日の祝い方はないのだろうか。
 最近、体力の衰えを実感する。
 今日もそうだった。BTSの駅に着いたのだが、激しいスコール。いつもはバイクタクシーに乗ってしまうが、こんなときは1台もいない。タクシーの空車も見つからない。
 たまには歩くか……と宿へのお道を進みはじめたのだが、途中で疲れてしまった。雨脚は強いが気温が高く、びっしょりと汗もかいていた。コンビニで水を買い、雨宿りを兼ねて、休業中の店の入り口に腰をおろした。
 水をぐびぐびと飲みながら、呟いてしまう。
「以前だったら、途中で休むなんてことはなかったけどな……」
 足の筋力が確実に落ちているのだろう。
 人はいつ、かつては平気で歩いていた距離を、「歩くことができない」と判断をくだすのだろうか。骨折をしたのならいざしらず、衰えは気がつかないうちに確実に進んでいくものなのだ。気だけは若くても、体がついてこない。その境界をいつ知るのだろうか。
「あるとき、ガクッときますよ」
 と70歳代の知人はいうが、そのあるときとは、振り返ってみればあのとき……ということではないかと思う。
 いや、いま、こうして雨宿りをしているときが、「あるとき」なのか……。
 雨脚が弱くなったのをしおに、また歩きはじめる。突然、携帯電話が鳴った。タイ人の知人からだった。
「誕生日、おめでとう」
「2日前だったけど」
「そうか。最近、もの忘れが多くて」
 互いに笑った。彼も60歳代である。彼の口から、パーティの話は出なかった。
 ホッとしたが、少し寂しかった。

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Posted by 下川裕治 at 19:58Comments(0)

2018年06月06日

ウズベキスタンの空への渇望

 5月末にウズベキスタンから韓国経由で日本に戻った。ソウルの空港に着いたときその湿気に顔をしかめた。空気が体にまつわりついてくる。
 ソウルは雨模様だった。気温はそう高くはないが、地下鉄に乗っていると、じんわりと汗をかく。訊くと湿度は90パーセント近かった。ソウル在住の日本人は、「昨日より涼しくてすごしやすい」といった。僕の体は、ウズベキスタンに滞在した数日のうちに、乾燥した空気にセッティングされてしまったようだった。
 5月のウズベキスタン──。天国のような気候だった。日射しは強いが、木陰に入るとひんやりとする。空気が乾いているからだ。
 ぶどう棚の下にテーブルが並ぶ。そこに彼らは座り、安物のお茶を飲む。僕も、それに倣った。ぶどう棚の葉の密度は高くない。その間から、光が差し込む。テーブルの上に落ちた光はゆらゆら揺れる。木漏れ日である。
 ウズベキスタンの気候が、優しくないことは知っている。7月、8月になると気温は40度を超える。冬には雪も降る。その帳尻を合わせるかのように、春と秋は天国のような気候に包まれる。
 ソウルに1泊した。翌朝はよく晴れた。湿度もかなり低くなった。昼前の飛行機で東京に帰った。そこでまた、僕は顔をしかめることになる。ソウルよりひどい湿気だった。空気が重い。すでに九州は梅雨入りしたと聞いた。
 僕らはこんなにも高い湿気の国に暮らしているのだ。ウズベキスタンの乾いた空を渇望した。
 今日、家族で山梨県にあるぶどう園を訪ねた。勝沼や塩山の周りにはぶどう畑が広がり、そのなかにワイナリーが点在している。
 一軒のワイナリーの庭にぶどう棚がつくられていた。そこのベンチに座ると、やはり木漏れ日が体をまだらに照らす。
「ここでテーブルが並べば……。そうワインを飲んでもいい」
 しかし日本である。山梨県のこの一帯は東京に比べればはるかに湿度が低い。しかしぶどう棚の下に座っていると汗ばんでくる。そのワイナリーで食事をとったが、冷房の効いたレストランが用意され、ワインはそこで飲むスタイルになっていた。
 この1週間、僕はぶどうに縁がある日々を過ごしたが、ぶどう棚の下は、ウズベキスタンのほうがはるかに快適だった。
 ウズベキスタンはイスラムの国だから、ワインはあまりない。ロシアの影響で、ビールやウォッカは浴びるように飲むが、ワインはあまり見かけない。
 冷房の効いたレストランで白ワインを飲みながら、やはりウズベキスタンの空を渇望していた。

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Posted by 下川裕治 at 00:41Comments(0)