2018年07月30日
列車旅というもの
『鉄路2万7千キロ 超長距離列車を乗りつぶす』(新潮文庫)という、長いタイトルの本が発売になった。
インド、中国、ロシア、カナダ、アメリカという国を走る長距離列車に乗りぬいた旅行記である。短い路線でも4000キロを超え、最も長いシベリア鉄道は9000キロを超える列車旅である。
ひと口に長距離列車といっても、それを決めることに苦労した。世界の列車は、乗り継いでいけば延々と続くわけで、長距離という列車旅の定義からはじめなくてはならなかった。列車名が変わらないというひとつのルールを決めた。その結果、大国といわれる国を走る列車になっていった。
この旅には、もうひとつの決めごとがあった。途中下車不可というものだった。編集者との打ち合わせのなかから、なんとなくそういうことになってしまった。
その行程が長くなるほど、旅のなかに生活が生まれる。たとえばシベリア鉄道は6泊7日。来る日も、来る日も列車に乗り続けることになる。「退屈じゃないですか?」。人からよく訊かれた。乗り終えた感覚からすれば、退屈ではなかった。しかし単調だった。人は長い列車旅のなかでどんな行動をとるものなのか。僕の原稿はどこか車内での生活づくりに彩られていく。朝、マイナス20度のホームで飲むコーヒー。コンパートメントのなかの人間関係……。それは旅というより、旅の日常である。
弾丸旅行の対極にあるような旅。日々、気になるのは些細なことだ。明日の昼はなにを食べようか。今夜は枕の位置を変えるとよく眠ることができるかもしれない。
こうして列車旅は続いていく。
僕はときどき思うことがある。旅の本質とは、そんな些細なことの積み重ねではないか……と。頭のなかが白くなるトラブルがそう起きるわけではない。列車が停まってしまうような天候にしばしば見舞われるわけではない。
淡々と続く旅のなかに、旅の本質は潜んでいる気がする。それは、贅沢な旅でもある。時間だけはたっぷりあるのだ。
今回は途中下車ができないなかで、その時間感覚に浸れた気がする。そんな旅を、読者の方々がどれだけ楽しんでもらえるかは、別の問題かもしれないが。
5つの超長距離列車のなかで、どれがいちばんお薦めですか? そんな質問もよくいただく。それぞれ一長一短といったところなのだが、やはり、シベリア鉄道だと思う。
6泊7日──。ただ列車に揺られ続ける。列車旅の本質がそこに横たわっている。そんな時間が、一生のなかに1回ぐらいはあっても間違いではない気がするのだ。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
インド、中国、ロシア、カナダ、アメリカという国を走る長距離列車に乗りぬいた旅行記である。短い路線でも4000キロを超え、最も長いシベリア鉄道は9000キロを超える列車旅である。
ひと口に長距離列車といっても、それを決めることに苦労した。世界の列車は、乗り継いでいけば延々と続くわけで、長距離という列車旅の定義からはじめなくてはならなかった。列車名が変わらないというひとつのルールを決めた。その結果、大国といわれる国を走る列車になっていった。
この旅には、もうひとつの決めごとがあった。途中下車不可というものだった。編集者との打ち合わせのなかから、なんとなくそういうことになってしまった。
その行程が長くなるほど、旅のなかに生活が生まれる。たとえばシベリア鉄道は6泊7日。来る日も、来る日も列車に乗り続けることになる。「退屈じゃないですか?」。人からよく訊かれた。乗り終えた感覚からすれば、退屈ではなかった。しかし単調だった。人は長い列車旅のなかでどんな行動をとるものなのか。僕の原稿はどこか車内での生活づくりに彩られていく。朝、マイナス20度のホームで飲むコーヒー。コンパートメントのなかの人間関係……。それは旅というより、旅の日常である。
弾丸旅行の対極にあるような旅。日々、気になるのは些細なことだ。明日の昼はなにを食べようか。今夜は枕の位置を変えるとよく眠ることができるかもしれない。
こうして列車旅は続いていく。
僕はときどき思うことがある。旅の本質とは、そんな些細なことの積み重ねではないか……と。頭のなかが白くなるトラブルがそう起きるわけではない。列車が停まってしまうような天候にしばしば見舞われるわけではない。
淡々と続く旅のなかに、旅の本質は潜んでいる気がする。それは、贅沢な旅でもある。時間だけはたっぷりあるのだ。
今回は途中下車ができないなかで、その時間感覚に浸れた気がする。そんな旅を、読者の方々がどれだけ楽しんでもらえるかは、別の問題かもしれないが。
5つの超長距離列車のなかで、どれがいちばんお薦めですか? そんな質問もよくいただく。それぞれ一長一短といったところなのだが、やはり、シベリア鉄道だと思う。
6泊7日──。ただ列車に揺られ続ける。列車旅の本質がそこに横たわっている。そんな時間が、一生のなかに1回ぐらいはあっても間違いではない気がするのだ。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
11:25
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2018年07月23日
ゲストハウスブームに終焉
名古屋でゲストハウスを経営している知人と会った。日本は民泊新法が施行され、宿泊施設が一気に減った。多くが認可をとれなかったからだ。彼の宿のようなきちんとした施設は問題ないのだが、どうも沈んでいる。
「宿を人に譲ろうと思いましてね。新法になって急に忙しくなったってこともあるんですけど。なにか疲れちゃって。もう、いいって感じなんです」
彼は元、バックパッカーだった。30歳をすぎ、生きていくために実家を建て直してゲストハウスをはじめた。それが15年前。ひとりが生きていくぐらいの収益はあげてきたのだが……。
きっかけはここ数年、急増したアジアの若者たちだという。彼がつくろうとしたゲストハウスは、バックパッカー時代に海外で泊まったゲストハウスだった。大きなテーブルが置かれた共有スペースには、昼となく夜となく旅行者が集まる。情報交換の場では、ときに飲み会が開かれる。もちろん出会いも生まれる。
ところが最近のアジアからの若者は、共有スペースに現れない。自分のベッドでスマホをいじっているばかりで、ほかの旅行者と接しようとしないのだという。選んだ理由は値段だけというタイプだ。
そこに拍車をかけたのが、日本人の若者だった。仕事やアパートを探す間、ゲストハウスに泊まる日本人は多いのだが、クレームを口にするのが彼らだった。うるさくて眠れな……。ものがなくなった……。その対応にオーナーの彼は疲弊した。
「予約が入るでしょ。外国人だとホッとします。言葉の問題もあるけど、外国人客はクレームが少ないですから」
しかしその外国人の多くは、ただおとなしい。人と接しようとしない。ゲストハウスのすごし方を知らないわけではない。どうして旅先で、人と接しなくてはいけないの? といったオーラが体を包んでいる。
国際交流──。海外から日本にやってくる外国人が増え、しばしば美しい交流の姿が報じられる。しかしその裏というか、内実はどこか寒い風が吹きはじめた世界のようにも思う。民泊という新しい形の宿泊スタイルのピークはすぎたということだろうか。残ったものは、ただ安いという料金だけ……。
バンコクでも同じような話を聞いた。ゲストハウスが増え、競争が激しくなるなかで、オーナーや管理人のモチベーションがさがってきている、と。淘汰の時代に入っているようだ。そのなかでどこに活路を見出すか。最近は宿の食堂を充実させ、宿泊客以外の収益を増やそうとしているところも多いらしい。
民泊やゲストハウスブームは、それほど薄っぺらなものだったのか。オーナーたちは悩みはじめている。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
「宿を人に譲ろうと思いましてね。新法になって急に忙しくなったってこともあるんですけど。なにか疲れちゃって。もう、いいって感じなんです」
彼は元、バックパッカーだった。30歳をすぎ、生きていくために実家を建て直してゲストハウスをはじめた。それが15年前。ひとりが生きていくぐらいの収益はあげてきたのだが……。
きっかけはここ数年、急増したアジアの若者たちだという。彼がつくろうとしたゲストハウスは、バックパッカー時代に海外で泊まったゲストハウスだった。大きなテーブルが置かれた共有スペースには、昼となく夜となく旅行者が集まる。情報交換の場では、ときに飲み会が開かれる。もちろん出会いも生まれる。
ところが最近のアジアからの若者は、共有スペースに現れない。自分のベッドでスマホをいじっているばかりで、ほかの旅行者と接しようとしないのだという。選んだ理由は値段だけというタイプだ。
そこに拍車をかけたのが、日本人の若者だった。仕事やアパートを探す間、ゲストハウスに泊まる日本人は多いのだが、クレームを口にするのが彼らだった。うるさくて眠れな……。ものがなくなった……。その対応にオーナーの彼は疲弊した。
「予約が入るでしょ。外国人だとホッとします。言葉の問題もあるけど、外国人客はクレームが少ないですから」
しかしその外国人の多くは、ただおとなしい。人と接しようとしない。ゲストハウスのすごし方を知らないわけではない。どうして旅先で、人と接しなくてはいけないの? といったオーラが体を包んでいる。
国際交流──。海外から日本にやってくる外国人が増え、しばしば美しい交流の姿が報じられる。しかしその裏というか、内実はどこか寒い風が吹きはじめた世界のようにも思う。民泊という新しい形の宿泊スタイルのピークはすぎたということだろうか。残ったものは、ただ安いという料金だけ……。
バンコクでも同じような話を聞いた。ゲストハウスが増え、競争が激しくなるなかで、オーナーや管理人のモチベーションがさがってきている、と。淘汰の時代に入っているようだ。そのなかでどこに活路を見出すか。最近は宿の食堂を充実させ、宿泊客以外の収益を増やそうとしているところも多いらしい。
民泊やゲストハウスブームは、それほど薄っぺらなものだったのか。オーナーたちは悩みはじめている。
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○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
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12:00
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2018年07月16日
バンコクが静かになった
インドネシアのジャカルタから、バンコク。3日ほど滞在して東京に戻った。
アジアからの飛行機が東京に着き、ターミナルビルを出たとき、いつも浮かぶ言葉がある。
「音がない……」
成田空港に音がないわけではない。バスが走り、荷物を積み込むスタッフの声が聞こえる。バスを待つ乗客の話し声も耳に届く。
しかしその音はくぐもったように控えめなのだ。音を出すことがはばかられるかのような空気があたりを支配している。
そう感じはじめたのは、そう、かれこれ20年ほど前だろうか。それ以来、日本に帰国するたびに、この静けさに包まれ、僕もまた黙ってしまった。
僕は、物を書くことを生業にしているから、その音のない世界を分析しようする。街に流れるエネルギーの違いを感じとり、経済成長のピークをすぎた国といまが盛りの国々の違いという枠組みに落とし込んでいった。
それが正しいのかどうかはわからない。
しかし今回、ジャカルタからバンコクに着き、ドーンムアン空港のターミナルを出たとき、同じ感覚に陥った。
「バンコクには音がない……」
ちょうど雨あがりだったから? と自問してみる。目の前にはモーチット行きのバス停があり、車が動いていく。しかしジャカルタに比べると、やはり音がない。
インドネシアでは、人の多さに振りまわされていた。バンコクに戻る前日は日曜日だった。そして僕は、朝7時のテガル駅で天を仰いでいた。
インドネシアの全鉄道を制覇するという旅を続けていた。地方の鉄道にいくつか乗り、テガルからジャカルタに帰ろうとしていた。テガルはジャカルタとスラバヤを結ぶ、インドネシアいちばんの幹線の途中駅である。ジャカルタ行き列車は1日に20本近くある。ジャカルタ行きの列車は週末、混みあうことは知っていた。しかし20本もあるのだ。1席ぐらいあるだろうと思っていた。しかし甘かった。切符売り場で、「今日は1日中、満席」と伝えられた。急いでバスターミナルに向かって混みあうバスになんとか乗ったが。
インドネシアはいま、高度経済成長のただなかにいる。街行く人は体からエネルギーを発散させている。交通というインフラは経済発展についていけない。人々は席の確保に奔走する。
かつての日本がそうだった。そしてしばらく前のタイがその空気を孕んでいた。
ジャカルタからバンコクに着いて感じとった街の静けさ。それはタイという国の成熟を示しているのだろう。いたずらに音を発しない社会……。同時にその事実は、タイという国の成長が終わったことを示していた。タイとかかって40年。僕はあるものを見てしまったのかもしれない。
■このブログ以外の連載を紹介します。
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○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
アジアからの飛行機が東京に着き、ターミナルビルを出たとき、いつも浮かぶ言葉がある。
「音がない……」
成田空港に音がないわけではない。バスが走り、荷物を積み込むスタッフの声が聞こえる。バスを待つ乗客の話し声も耳に届く。
しかしその音はくぐもったように控えめなのだ。音を出すことがはばかられるかのような空気があたりを支配している。
そう感じはじめたのは、そう、かれこれ20年ほど前だろうか。それ以来、日本に帰国するたびに、この静けさに包まれ、僕もまた黙ってしまった。
僕は、物を書くことを生業にしているから、その音のない世界を分析しようする。街に流れるエネルギーの違いを感じとり、経済成長のピークをすぎた国といまが盛りの国々の違いという枠組みに落とし込んでいった。
それが正しいのかどうかはわからない。
しかし今回、ジャカルタからバンコクに着き、ドーンムアン空港のターミナルを出たとき、同じ感覚に陥った。
「バンコクには音がない……」
ちょうど雨あがりだったから? と自問してみる。目の前にはモーチット行きのバス停があり、車が動いていく。しかしジャカルタに比べると、やはり音がない。
インドネシアでは、人の多さに振りまわされていた。バンコクに戻る前日は日曜日だった。そして僕は、朝7時のテガル駅で天を仰いでいた。
インドネシアの全鉄道を制覇するという旅を続けていた。地方の鉄道にいくつか乗り、テガルからジャカルタに帰ろうとしていた。テガルはジャカルタとスラバヤを結ぶ、インドネシアいちばんの幹線の途中駅である。ジャカルタ行き列車は1日に20本近くある。ジャカルタ行きの列車は週末、混みあうことは知っていた。しかし20本もあるのだ。1席ぐらいあるだろうと思っていた。しかし甘かった。切符売り場で、「今日は1日中、満席」と伝えられた。急いでバスターミナルに向かって混みあうバスになんとか乗ったが。
インドネシアはいま、高度経済成長のただなかにいる。街行く人は体からエネルギーを発散させている。交通というインフラは経済発展についていけない。人々は席の確保に奔走する。
かつての日本がそうだった。そしてしばらく前のタイがその空気を孕んでいた。
ジャカルタからバンコクに着いて感じとった街の静けさ。それはタイという国の成熟を示しているのだろう。いたずらに音を発しない社会……。同時にその事実は、タイという国の成長が終わったことを示していた。タイとかかって40年。僕はあるものを見てしまったのかもしれない。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
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11:44
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2018年07月09日
鶏の唐揚げはご飯のおかず?
鶏の唐揚げの話である。日本に限らず、アジアでは鶏の唐揚げが人気だ。タイ料理のカオマンガイにしても、茹で鶏と唐揚げを半分ずつにしてもらう人が増えている。
以前、タイ人が日本にきたとき、鶏の唐揚げにはまっていた。タイは唐揚げの上からたれをかける。日本はそのまま食べるから、唐揚げに味がついている。それが気に入ったらしい。
鶏の唐揚げは嫌いではないが、ご飯のおかずというとり合わせがしっくりこない。
いまインドネシアのボゴールにいる。夜に着いた街で、まだやっている食堂に入ると、「アヤム?」と訊かれることが多い。鶏である。出てくるのは、鶏の唐揚げ、サンバルソース、ビーナツと小魚を痛めたもの、野菜がセット料理のように出てくる。鶏の唐揚げとご飯をどう食べようか……と悩む。
鶏の唐揚げは、ビールのつまみにするとうまく味があう。パンとも相性がいいだろか。しかし僕の場合、どうしてもご飯との折り合いが悪い。
インドネシアの定食では、鶏の唐揚げとご飯をつなぐソースがある。ピーナツや小魚も間をとりもってくれる。店によっては鶏の煮込みを出してくれるから、この場合は、なにもなくてもご飯のおかずになる。
しかし……。インドネシアでは鉄道に乗るためにきている。東南アジア全鉄道を乗るという企画がまだ終わっていない。駅弁を食べることも多い。乗客たちも街や駅で買った弁当を持ち込んでくる。今日もそうだった。前に座った青年が、鶏の唐揚げ、それもケンタッキー・フライド・チキンのような、クリスピータイプを買ってきていた。それと白いご飯なのだ。ソースはケチャップだけだ。
おいしそうに食べている顔を見ながら、どうしようもない距離感を味わっていた。それぐらいなら、鶏の唐揚げだけを食べたほうがいい。
沖縄の人も鶏の唐揚げが大好きだ。お祝いの贈り物に使われたりする。それを沖縄の人はご飯のおかずにして食べるという。そのとき、鶏の唐揚げとご飯をつなぐものはないのだろうか。もしないとしたら、沖縄の人はインドネシアの人と同じ味覚をもっているということだろうか。
一度、沖縄で、鶏の唐揚げを使った親子丼を食べたことがある。しっくりときた。沖縄料理の逸品だと思った。半年ほどして同じ店で親子丼を頼むと、本土のような親子丼が出てきた。店の人にいうと、「前のほうがよかったですか? 頼むときにいってくれればそうしますから」
知人によると、主人は客からの指摘を耳にして、本土の親子丼を知ったという。
しかし、鶏の唐揚げを使った親子丼はおいしかった。それを発想した味覚の持ち主が、鶏の唐揚げを白いご飯のおかずにするのだろうか。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
以前、タイ人が日本にきたとき、鶏の唐揚げにはまっていた。タイは唐揚げの上からたれをかける。日本はそのまま食べるから、唐揚げに味がついている。それが気に入ったらしい。
鶏の唐揚げは嫌いではないが、ご飯のおかずというとり合わせがしっくりこない。
いまインドネシアのボゴールにいる。夜に着いた街で、まだやっている食堂に入ると、「アヤム?」と訊かれることが多い。鶏である。出てくるのは、鶏の唐揚げ、サンバルソース、ビーナツと小魚を痛めたもの、野菜がセット料理のように出てくる。鶏の唐揚げとご飯をどう食べようか……と悩む。
鶏の唐揚げは、ビールのつまみにするとうまく味があう。パンとも相性がいいだろか。しかし僕の場合、どうしてもご飯との折り合いが悪い。
インドネシアの定食では、鶏の唐揚げとご飯をつなぐソースがある。ピーナツや小魚も間をとりもってくれる。店によっては鶏の煮込みを出してくれるから、この場合は、なにもなくてもご飯のおかずになる。
しかし……。インドネシアでは鉄道に乗るためにきている。東南アジア全鉄道を乗るという企画がまだ終わっていない。駅弁を食べることも多い。乗客たちも街や駅で買った弁当を持ち込んでくる。今日もそうだった。前に座った青年が、鶏の唐揚げ、それもケンタッキー・フライド・チキンのような、クリスピータイプを買ってきていた。それと白いご飯なのだ。ソースはケチャップだけだ。
おいしそうに食べている顔を見ながら、どうしようもない距離感を味わっていた。それぐらいなら、鶏の唐揚げだけを食べたほうがいい。
沖縄の人も鶏の唐揚げが大好きだ。お祝いの贈り物に使われたりする。それを沖縄の人はご飯のおかずにして食べるという。そのとき、鶏の唐揚げとご飯をつなぐものはないのだろうか。もしないとしたら、沖縄の人はインドネシアの人と同じ味覚をもっているということだろうか。
一度、沖縄で、鶏の唐揚げを使った親子丼を食べたことがある。しっくりときた。沖縄料理の逸品だと思った。半年ほどして同じ店で親子丼を頼むと、本土のような親子丼が出てきた。店の人にいうと、「前のほうがよかったですか? 頼むときにいってくれればそうしますから」
知人によると、主人は客からの指摘を耳にして、本土の親子丼を知ったという。
しかし、鶏の唐揚げを使った親子丼はおいしかった。それを発想した味覚の持ち主が、鶏の唐揚げを白いご飯のおかずにするのだろうか。
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○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
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Posted by 下川裕治 at
14:15
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2018年07月02日
バンコクは時計が少ない街だった
腕時計が壊れた。気づいたのは、パキスタンのペシャワールだった。ふと見ると画面の文字が消えていた。電池がなくなってきたのかもしれない。しかし太陽に当てると画面に文字が浮き出てくる。しかし時刻の変更などの機能が、反応しなくなっていた。
最近、おかしなことが起きるようになっていた時計だった。使いはじめてから10年近く経っているような気がする。買い替えの時期なのかもしれない。
同行するカメラマンに訊いてみた。
「腕時計は嫌いなんで、いつもは鞄の中。時間を測ったり、必要なときに使うだけですよ」
「普段は?」
「スマホ。ときどき見れば、時刻わかります。国が変われば、時刻も自動的に修正されるから楽ですよ」
そういうものらしい。
パキスタンからインドを経てタイに。タイでは講演や講座が待っていた。それぞれ時間が決まっている。いつもは途中、何回も腕時計を見る。とくに講演のときは、腕から時計をはずして壇上に置く。しかし今回は時計が壊れている。
知人に腕時計を貸してくれないかと訊いてみた。
「腕時計? もう何年もはめてないな。スマホを使うようになってから、はずすようになってね。この前、アパートにあった腕時計を見たら止まってました」
3人ほどに訊いてみたが、皆、腕時計は使っていなかった。スマホ派だった。スマホは腕時計までも、凌駕してしまったらしい。
講演当日。会場はホテルだった。主催者の方に、会場には柱時計があるか訊いてもらった。ないという。僕の前に話をする方に訊いてみた。その人も腕時計をしていなかった。
するとホテル側から連絡が入った。ボーイが会場の後ろで時計を掲げるという。なんだか恐縮してしまったが。
壇上に立つ。たしかにボーイが客席の背後で時計を掲げていてくれたが、壇上との距離がありすぎ、時刻がよくわからない。ぼんやりとした時計針を頼りに話を進めるしかなかった。
それ以来、バンコクという街の時計が気になりはじめた。バンコクは時計の少ない街だった。スーパー、食道、コンビニ……僕が見た限りほとんど時計がない。道行く人の腕にも視線が動く。腕時計をはめている人は10人にひとりといった感じだった。もともと少なかったのか、スマホを持つようになって減ったのか……。タイ人は時間にルーズだと、僕は何回も著作で書いてきた。そういうことではないのかもしれなかった。彼らは今の時刻を知らない。いや、そんなことはない気もするのだが。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
最近、おかしなことが起きるようになっていた時計だった。使いはじめてから10年近く経っているような気がする。買い替えの時期なのかもしれない。
同行するカメラマンに訊いてみた。
「腕時計は嫌いなんで、いつもは鞄の中。時間を測ったり、必要なときに使うだけですよ」
「普段は?」
「スマホ。ときどき見れば、時刻わかります。国が変われば、時刻も自動的に修正されるから楽ですよ」
そういうものらしい。
パキスタンからインドを経てタイに。タイでは講演や講座が待っていた。それぞれ時間が決まっている。いつもは途中、何回も腕時計を見る。とくに講演のときは、腕から時計をはずして壇上に置く。しかし今回は時計が壊れている。
知人に腕時計を貸してくれないかと訊いてみた。
「腕時計? もう何年もはめてないな。スマホを使うようになってから、はずすようになってね。この前、アパートにあった腕時計を見たら止まってました」
3人ほどに訊いてみたが、皆、腕時計は使っていなかった。スマホ派だった。スマホは腕時計までも、凌駕してしまったらしい。
講演当日。会場はホテルだった。主催者の方に、会場には柱時計があるか訊いてもらった。ないという。僕の前に話をする方に訊いてみた。その人も腕時計をしていなかった。
するとホテル側から連絡が入った。ボーイが会場の後ろで時計を掲げるという。なんだか恐縮してしまったが。
壇上に立つ。たしかにボーイが客席の背後で時計を掲げていてくれたが、壇上との距離がありすぎ、時刻がよくわからない。ぼんやりとした時計針を頼りに話を進めるしかなかった。
それ以来、バンコクという街の時計が気になりはじめた。バンコクは時計の少ない街だった。スーパー、食道、コンビニ……僕が見た限りほとんど時計がない。道行く人の腕にも視線が動く。腕時計をはめている人は10人にひとりといった感じだった。もともと少なかったのか、スマホを持つようになって減ったのか……。タイ人は時間にルーズだと、僕は何回も著作で書いてきた。そういうことではないのかもしれなかった。彼らは今の時刻を知らない。いや、そんなことはない気もするのだが。
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○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
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