2018年10月29日
マレーシア鉄道がなくなった
30年ほど前、『12万円で世界を歩く』という本を出版した。僕のデビュー作ということになっている。その旅をなぞる企画がもちあがり、その1回目、赤道をめざす旅に出ている。昨夜、赤道を通過し、ブキティンギという街に着いた。
旅はバンコクからはじまった。バスでハジャイまで南下した。そこからロットゥーという乗り合いバンで、タイとマレーシアの国境の街、バタンベサールに出た。昔の国境とずいぶん違う。かつて車専用の国境ゲートがあった場所に一本化され、そこを人も通るようになっていた。
歩いて越境する人は、ほとんどいなかった。マレーシア人は、タイのイミグレーションの手前にバイクを停めていて、それに乗ってマレーシアのイミグレーションに向かってしまう。僕は歩くしかなかった。15分ぐらい炎天下を歩いただろうか。やっとマレーシアのイミグレーションに出た。
そこの職員に、「バターワースに行きたいんですが」と訊いてみた。すると、
「出たところにバタンベサール駅があるから、そこから列車です」
「列車?」
マレーシアの鉄道には、何回か乗っていた。本数も少なく、遅れも多い。できればバスにしたかった。バイクタクシーに乗って、バス停らしきところに行ったが、昼までバスはないという。しかたなく駅に行ってみた。
駅に掲げられている時刻表に、目を疑った。バタンベサール駅からバターワースまで、1日に10本以上の列車があるのだ。
なんだか世界が変わっていた。2年ほど前に、バターワースからバンコク行きの列車に乗ったことがあった。俗にマレー鉄道と呼ばれるものだ。そのとき、バターワースとバタンベサールの間には、1日に2、3本の列車しかなかった。それが10本以上。
切符売り場の近くに案内人のおじさんが立っていた。
「クアラルンプールからバタンベサールまで電化されたんです。クアラルンプール近郊を走っていた電車がここまで乗り入れるようになりました。快適ですよ。昔のディーゼル機関車の列車はもうないですから」
「じゃあ、マレー鉄道は?」
「もう、ありません」
バターワースとバンコクを結ぶ列車は、電化のあおりを受けて消えてしまったらしい。バンコクを結ぶ列車は、タイ側のバタンベサール駅が始発駅になるのだろうか。
バターワースまで冷房の効いた電車に乗って進んだ。車内にはクアラルンプールの近郊の路線図が掲げてあった。都市型の電車がバタンベサール駅まできていたのだ。
マレー鉄道に憧れる人には、ちょっと味気ない電車だろうか。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまはインドから中国に戻る帰路編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
旅はバンコクからはじまった。バスでハジャイまで南下した。そこからロットゥーという乗り合いバンで、タイとマレーシアの国境の街、バタンベサールに出た。昔の国境とずいぶん違う。かつて車専用の国境ゲートがあった場所に一本化され、そこを人も通るようになっていた。
歩いて越境する人は、ほとんどいなかった。マレーシア人は、タイのイミグレーションの手前にバイクを停めていて、それに乗ってマレーシアのイミグレーションに向かってしまう。僕は歩くしかなかった。15分ぐらい炎天下を歩いただろうか。やっとマレーシアのイミグレーションに出た。
そこの職員に、「バターワースに行きたいんですが」と訊いてみた。すると、
「出たところにバタンベサール駅があるから、そこから列車です」
「列車?」
マレーシアの鉄道には、何回か乗っていた。本数も少なく、遅れも多い。できればバスにしたかった。バイクタクシーに乗って、バス停らしきところに行ったが、昼までバスはないという。しかたなく駅に行ってみた。
駅に掲げられている時刻表に、目を疑った。バタンベサール駅からバターワースまで、1日に10本以上の列車があるのだ。
なんだか世界が変わっていた。2年ほど前に、バターワースからバンコク行きの列車に乗ったことがあった。俗にマレー鉄道と呼ばれるものだ。そのとき、バターワースとバタンベサールの間には、1日に2、3本の列車しかなかった。それが10本以上。
切符売り場の近くに案内人のおじさんが立っていた。
「クアラルンプールからバタンベサールまで電化されたんです。クアラルンプール近郊を走っていた電車がここまで乗り入れるようになりました。快適ですよ。昔のディーゼル機関車の列車はもうないですから」
「じゃあ、マレー鉄道は?」
「もう、ありません」
バターワースとバンコクを結ぶ列車は、電化のあおりを受けて消えてしまったらしい。バンコクを結ぶ列車は、タイ側のバタンベサール駅が始発駅になるのだろうか。
バターワースまで冷房の効いた電車に乗って進んだ。車内にはクアラルンプールの近郊の路線図が掲げてあった。都市型の電車がバタンベサール駅まできていたのだ。
マレー鉄道に憧れる人には、ちょっと味気ない電車だろうか。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまはインドから中国に戻る帰路編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
12:11
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2018年10月22日
『日日是好日』というあの時代への反発
『日日是好日』という映画を観た。平日の午後。それほど混んではいないだろうと思ったが、席は最前列から3列分しかあいていなかった。「見あげるようになりますが」。係員の説明がちょっとうれしかった。
知人の森下典子さんのエッセイを原作にした映画だ。人気がある証。やはりうれしい。
彼女とは週刊朝日で同じページを担当していた。デキゴトロシーというコラムのページである。映画の中でも、実家を出、ライターとして働いているシーンがあるが、あの頃だろうと思う。僕らは毎日のように会っていた。僕はその後、旅をしては原稿を書くというなんだかばたばたとした世界に入ってしまったが、彼女は不器用に自分の世界を描き続けていた。
茶道という世界を軸に、彼女の日々を綴ったエッセイ『日日是好日』はロングセラーになった。
試写会の案内をもらったが忙しくて時間がとれなかった。
観客は女性が多かった。それもシニアと呼ばれる世代。茶道がテーマだからだろうか。
エッセイを映画に仕立てるのは難しいことだと思う。本には1冊を通したストーリーがないからだ。一般的に考える映画らしい映画にならない。話題も地味である。
しかし、いい映画だった。監督は無理やりストーリーをつくることをしなかった。なにか人生の教訓を押しつけるところもない。話は淡々と進む。
「水の音が違う」というシーンがある。お茶をたてるために湯を沸かす。それを注ぐのだが、その音が違うという。季節によって、湯の音が変わるのだ。
ある意味、環境映画のように観てもいいのかもしれないと思った。茶道は、日本の自然に辿り着く。そこが丁寧に描かれている。
だいぶ昔、高倉健が出演するヤクザ映画を観た客は、映画館を出たとき、自分が強くなったような錯覚に陥るという話を聞いたことがある。僕はヤクザ映画を観ないので、その感覚がわからないが、『日日是好日』を観た人々は、映画館を出ると、空を見あげ、街路樹に視線を集めるのかもしれない。
「もう秋か……」
そんな心境に導いてくれる映画だった。
高度成長の時代、日本人は体からエネルギーぱちぱちとを発散させて生きていた。そのうねりが去り、ようやく自然の繊細な営みに目が向くようになったという流れなのかもしれない。
森下さんと一緒に仕事をしていたとき、世間はバブルのただなかだった。そのなかで僕は、『12万円で世界を歩く』という貧乏旅行の連載をはじめた。それはバブル時代というものに居心地の悪さを感じていたからかもしれない。
その頃、森下さんは週に1回、お茶を習っていた。それもあの時代へ反発だったような気がする。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまはインドから中国に戻る帰路編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
知人の森下典子さんのエッセイを原作にした映画だ。人気がある証。やはりうれしい。
彼女とは週刊朝日で同じページを担当していた。デキゴトロシーというコラムのページである。映画の中でも、実家を出、ライターとして働いているシーンがあるが、あの頃だろうと思う。僕らは毎日のように会っていた。僕はその後、旅をしては原稿を書くというなんだかばたばたとした世界に入ってしまったが、彼女は不器用に自分の世界を描き続けていた。
茶道という世界を軸に、彼女の日々を綴ったエッセイ『日日是好日』はロングセラーになった。
試写会の案内をもらったが忙しくて時間がとれなかった。
観客は女性が多かった。それもシニアと呼ばれる世代。茶道がテーマだからだろうか。
エッセイを映画に仕立てるのは難しいことだと思う。本には1冊を通したストーリーがないからだ。一般的に考える映画らしい映画にならない。話題も地味である。
しかし、いい映画だった。監督は無理やりストーリーをつくることをしなかった。なにか人生の教訓を押しつけるところもない。話は淡々と進む。
「水の音が違う」というシーンがある。お茶をたてるために湯を沸かす。それを注ぐのだが、その音が違うという。季節によって、湯の音が変わるのだ。
ある意味、環境映画のように観てもいいのかもしれないと思った。茶道は、日本の自然に辿り着く。そこが丁寧に描かれている。
だいぶ昔、高倉健が出演するヤクザ映画を観た客は、映画館を出たとき、自分が強くなったような錯覚に陥るという話を聞いたことがある。僕はヤクザ映画を観ないので、その感覚がわからないが、『日日是好日』を観た人々は、映画館を出ると、空を見あげ、街路樹に視線を集めるのかもしれない。
「もう秋か……」
そんな心境に導いてくれる映画だった。
高度成長の時代、日本人は体からエネルギーぱちぱちとを発散させて生きていた。そのうねりが去り、ようやく自然の繊細な営みに目が向くようになったという流れなのかもしれない。
森下さんと一緒に仕事をしていたとき、世間はバブルのただなかだった。そのなかで僕は、『12万円で世界を歩く』という貧乏旅行の連載をはじめた。それはバブル時代というものに居心地の悪さを感じていたからかもしれない。
その頃、森下さんは週に1回、お茶を習っていた。それもあの時代へ反発だったような気がする。
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○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
11:15
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2018年10月15日
生々しい家族
突然タイ人の知人から連絡が入った。彼は中部タイのナコンサワンに住んでいる。いま、どんな仕事をしているのかは知らない。年齢は、そう50歳ぐらいだろうか。内容はこんなものだった。
ビザが降りたので、アメリカに行く。仕事はなんなのかよくわからないが、娘がすべて手配してくれた。1年ほどアメリカに住んだら、妻と息子を呼ぶつもりだ。息子をアメリカの大学に入れようと思う。
唐突な話だった。彼は英語をほとんど話すことができないと思う。その彼がアメリカで働くのだという。
「ビルの掃除、ゴミの回収……どんな仕事でもするよ。なんとか息子をアメリカの大学に通わせたいんだ」
なんだか中国人と話しているような気分になった。
優秀な娘がいるという話は、彼の口から聞いていた。オーストラリアに留学し、そこで知り合ったアメリカ人と結婚。いまはアメリカの西海岸で車関係の仕事をしているようだった。なんでも年収は1000万円を超えているのだという。
子供をペンション、つまり年金だと考えるタイ人は多い。子供を立派に育て、その子供が親を養う発想だ。
そして家族の誰かが成功したら、その人が家族を支えていくと考えるタイ人も少なくない。その誰かが、女性というあたりがタイらしい。タイ人のことだから、うまくいかなかった……と、あっさりアメリカから帰ってくるかもしれないが、娘を頼りに父親が渡米することは確かだった。
支えあう家族──。知人のイギリス人はその姿に感激してタイ人女性と結婚した。家族のつながりで悩む男にとっては、タイをはじめにする東南アジアの国々は鬼門なのだろうか。
そこには、国家と個人の関係が潜んでいる。社会保障というものは、個人が国家を信用しているから成立する。だから日本の年金制度は問題なのだ。日本人の多くは、一時期、老後の暮らしは国家が保証してくれると思っていた。
タイの社会保障は脆弱だ。それを国家の成熟度の低さに結びつける専門家はいる。しかしその一方で、社会保障が充実しているという国の男たちが、アジア人に刷り込まれた家族が支えあう姿に老後の幸せを重ねる。
「家族があえば国家はいらない」
とでもいいたげに。
日本人の老人の多くは、家族に迷惑をかけずに生きたいと考える。家族愛のようなものはあるのかもしれないが、金銭的なやりとりは嫌われる。愛情と金銭は別のものという発想なのだ。それに比べると、アジアの家族は生々しい。しかしそれだからこそ、彼らの家族には、夢がいっぱい詰まっている。少々頼りないが。
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○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
ビザが降りたので、アメリカに行く。仕事はなんなのかよくわからないが、娘がすべて手配してくれた。1年ほどアメリカに住んだら、妻と息子を呼ぶつもりだ。息子をアメリカの大学に入れようと思う。
唐突な話だった。彼は英語をほとんど話すことができないと思う。その彼がアメリカで働くのだという。
「ビルの掃除、ゴミの回収……どんな仕事でもするよ。なんとか息子をアメリカの大学に通わせたいんだ」
なんだか中国人と話しているような気分になった。
優秀な娘がいるという話は、彼の口から聞いていた。オーストラリアに留学し、そこで知り合ったアメリカ人と結婚。いまはアメリカの西海岸で車関係の仕事をしているようだった。なんでも年収は1000万円を超えているのだという。
子供をペンション、つまり年金だと考えるタイ人は多い。子供を立派に育て、その子供が親を養う発想だ。
そして家族の誰かが成功したら、その人が家族を支えていくと考えるタイ人も少なくない。その誰かが、女性というあたりがタイらしい。タイ人のことだから、うまくいかなかった……と、あっさりアメリカから帰ってくるかもしれないが、娘を頼りに父親が渡米することは確かだった。
支えあう家族──。知人のイギリス人はその姿に感激してタイ人女性と結婚した。家族のつながりで悩む男にとっては、タイをはじめにする東南アジアの国々は鬼門なのだろうか。
そこには、国家と個人の関係が潜んでいる。社会保障というものは、個人が国家を信用しているから成立する。だから日本の年金制度は問題なのだ。日本人の多くは、一時期、老後の暮らしは国家が保証してくれると思っていた。
タイの社会保障は脆弱だ。それを国家の成熟度の低さに結びつける専門家はいる。しかしその一方で、社会保障が充実しているという国の男たちが、アジア人に刷り込まれた家族が支えあう姿に老後の幸せを重ねる。
「家族があえば国家はいらない」
とでもいいたげに。
日本人の老人の多くは、家族に迷惑をかけずに生きたいと考える。家族愛のようなものはあるのかもしれないが、金銭的なやりとりは嫌われる。愛情と金銭は別のものという発想なのだ。それに比べると、アジアの家族は生々しい。しかしそれだからこそ、彼らの家族には、夢がいっぱい詰まっている。少々頼りないが。
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○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
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14:02
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2018年10月08日
薄気味悪い電波
中国の柳園という小さな町にいる。辿り着いたといったほうがいいかもしれない。ここから列車で西安に向かう。
今回の旅は、新疆ウイグル自治区のカシュガルからはじまった。和田(ホータン)へは列車で向かった。そこからバス旅になる。まず且末(チャルチャン)へ。さらに若羌(ルオチャン)と進む。そこからチベットにつながる山道になり、新疆ウイグル自治区を抜けて青海省に入った。最初に泊まった街は、花土溝(ホアトゥゴウ)だった。そこから敦煌を経由して柳園に出た。1週間近くかかってしまった。
情報の少ないルートだった。バスターミナルで地図を広げて、ルートを探っていく日々だった。
こういう旅で困ることは、到着した街の宿だった。中国は外国人が泊まることができる宿が限られている。とくに新疆ウイグル自治区は厳しく管理されている。しかしその情報を現地の人たちは知らない。外国人にそんな制限があることを知らないからだ。
若羌を出発するとき、困って公安に訊いてみた。
「新疆ウイグル自治区と内地は制限が違います。内地は新疆ウイグル自治区より厳しきはありませんが……」
内地といういい方をはじめて知った。新疆ウイグル自治区から眺めると、そういう表現になるのだろうか。しかし、めざす花土溝の宿についてはまったくわからなかった。
行くしかなかった。
幸い、花土溝には泊まることができる宿が2軒あった。
部屋に入り、試しにと思い、ルーターのスイッチを入れてみた。僕は世界の多くの国で接続できるルーターを使っている。
新疆ウイグル自治区でもつながるのだがその先に問題があった。中国はグーグルなどをブロックしているのため、VPNに接続できないと通常のインターネットは使えない。新疆ウイグル自治区では、そこがうまく接続しなかった。
青海省に入ったのだから、と接続してみると、簡単につながってしまった。3週間ほど前のこのブログで、その件に触れている。やはり新疆ウイグル自治区ではつながらず、成都に着いたとたん接続できた。それは都市と辺境の問題のように映ったが、実は違ったらしい。中国は新疆ウイグル自治区だけ、別の電波を流しているようだった。
ウイグル人は、厳しい抑圧のなかで生活している。1日バスに乗ると7回も検問がある。そこでチェックするのはウイグル人だけなのだ。漢民族はフリーである。バザールの入口や公園……ウイグル人が行く場所はどこも厳しいチェックが待っている。しかし中国の管理はそれだけではなかったらしい。ウイグル人が日々使うスマホや携帯の電波も変えていた。花土溝のホテルで、簡単につながるVPNを使いながら、薄気味悪ささえ覚えていた。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
今回の旅は、新疆ウイグル自治区のカシュガルからはじまった。和田(ホータン)へは列車で向かった。そこからバス旅になる。まず且末(チャルチャン)へ。さらに若羌(ルオチャン)と進む。そこからチベットにつながる山道になり、新疆ウイグル自治区を抜けて青海省に入った。最初に泊まった街は、花土溝(ホアトゥゴウ)だった。そこから敦煌を経由して柳園に出た。1週間近くかかってしまった。
情報の少ないルートだった。バスターミナルで地図を広げて、ルートを探っていく日々だった。
こういう旅で困ることは、到着した街の宿だった。中国は外国人が泊まることができる宿が限られている。とくに新疆ウイグル自治区は厳しく管理されている。しかしその情報を現地の人たちは知らない。外国人にそんな制限があることを知らないからだ。
若羌を出発するとき、困って公安に訊いてみた。
「新疆ウイグル自治区と内地は制限が違います。内地は新疆ウイグル自治区より厳しきはありませんが……」
内地といういい方をはじめて知った。新疆ウイグル自治区から眺めると、そういう表現になるのだろうか。しかし、めざす花土溝の宿についてはまったくわからなかった。
行くしかなかった。
幸い、花土溝には泊まることができる宿が2軒あった。
部屋に入り、試しにと思い、ルーターのスイッチを入れてみた。僕は世界の多くの国で接続できるルーターを使っている。
新疆ウイグル自治区でもつながるのだがその先に問題があった。中国はグーグルなどをブロックしているのため、VPNに接続できないと通常のインターネットは使えない。新疆ウイグル自治区では、そこがうまく接続しなかった。
青海省に入ったのだから、と接続してみると、簡単につながってしまった。3週間ほど前のこのブログで、その件に触れている。やはり新疆ウイグル自治区ではつながらず、成都に着いたとたん接続できた。それは都市と辺境の問題のように映ったが、実は違ったらしい。中国は新疆ウイグル自治区だけ、別の電波を流しているようだった。
ウイグル人は、厳しい抑圧のなかで生活している。1日バスに乗ると7回も検問がある。そこでチェックするのはウイグル人だけなのだ。漢民族はフリーである。バザールの入口や公園……ウイグル人が行く場所はどこも厳しいチェックが待っている。しかし中国の管理はそれだけではなかったらしい。ウイグル人が日々使うスマホや携帯の電波も変えていた。花土溝のホテルで、簡単につながるVPNを使いながら、薄気味悪ささえ覚えていた。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
13:53
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2018年10月01日
ついつい急ぎ旅
急ぎ旅のベトナムだった。3泊4日だったが、ホテルに泊まったの1泊だけ。あとは車中1泊、駅で1泊。64歳にもなって、こんな旅をしていいのかと思うが。
ハノイに着いたのは夕方だった。バスでハノイ駅に向かい、ラオカイまでの夜行列車を訊くと、席があるという。その場で切符を買ってしまった。早朝にラオカイに着き、相乗りバンでサパへ。乗らなくてはならない列車があった。その後、サパのバスターミナルに行くと、ハノイ行きはまだあるという。所要6時間ほど。僕は再びハノイ駅にいた。
ハノイに泊まってもいいと思っていたが試しにパソコンを開き、ネットにつないでみた。午前零時にハノイからホーチミンシティに向かうベトジェット航空があった。到着は午前2時……。
少し迷ったが、予約を入れてしまった。
午前3時。ホーチミンシティのサイゴン駅にいた。この時刻に到着する列車があるようで、駅舎は開いていた。待合室を見ると、到着した列車に乗っていた客が、ベンチで次々に寝はじめた。朝になるまで、駅で寝るらしい。
僕もそれに倣った。
ファンティアットまでの列車に乗らなくてはならなかった。その列車が出るのが6時40分。ホテルに行ったところで、眠れるのは1時間か2時間である。それぐらいなら……と駅のベンチを選んだ。
しかしハノイ駅の待合室は暑かった。ハエがいて、しばしば腕に止まる。ベンチは金属製で硬い。腰をのばすことはできるがそう眠れるものではない。
それでも1時間ほど寝ただろうか。コンビニで買ったコーヒーを飲む。窓口が開きファンティアットを往復する切符は簡単に買うことができた。夕方にはホーチミンシティに戻ることができる。
暇なので、その夜のホテルをスマホで予約した。デタム通りに近い常宿だった。いつも、ホテルの予約はしないのだが。
昼前にファンティアットに着いた。戻る列車は3時間後。そこで翌日、バンコクに向かうエアアジアをスマホで予約した。これまで航空券の予約はパソコンを使っていた。画面が大きいからだ。スマホは初体験だったが、それほどトラブルもなく、予約を進めることができた。
LCCやホテルの予約は、以前に比べればずいぶん楽になった。予約を進めていて戸惑うことが少ない。そして20分も待てば、必ず返信がくるようになった。予約サイトは試行錯誤を重ね、不安を解消させてくれる。今回、はじめてスマホで予約し、改めてそう感じてしまった。
だから旅をせかされてしまう? お門違いの文句をファンティアット駅の待合室で呟いてみる。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
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○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
ハノイに着いたのは夕方だった。バスでハノイ駅に向かい、ラオカイまでの夜行列車を訊くと、席があるという。その場で切符を買ってしまった。早朝にラオカイに着き、相乗りバンでサパへ。乗らなくてはならない列車があった。その後、サパのバスターミナルに行くと、ハノイ行きはまだあるという。所要6時間ほど。僕は再びハノイ駅にいた。
ハノイに泊まってもいいと思っていたが試しにパソコンを開き、ネットにつないでみた。午前零時にハノイからホーチミンシティに向かうベトジェット航空があった。到着は午前2時……。
少し迷ったが、予約を入れてしまった。
午前3時。ホーチミンシティのサイゴン駅にいた。この時刻に到着する列車があるようで、駅舎は開いていた。待合室を見ると、到着した列車に乗っていた客が、ベンチで次々に寝はじめた。朝になるまで、駅で寝るらしい。
僕もそれに倣った。
ファンティアットまでの列車に乗らなくてはならなかった。その列車が出るのが6時40分。ホテルに行ったところで、眠れるのは1時間か2時間である。それぐらいなら……と駅のベンチを選んだ。
しかしハノイ駅の待合室は暑かった。ハエがいて、しばしば腕に止まる。ベンチは金属製で硬い。腰をのばすことはできるがそう眠れるものではない。
それでも1時間ほど寝ただろうか。コンビニで買ったコーヒーを飲む。窓口が開きファンティアットを往復する切符は簡単に買うことができた。夕方にはホーチミンシティに戻ることができる。
暇なので、その夜のホテルをスマホで予約した。デタム通りに近い常宿だった。いつも、ホテルの予約はしないのだが。
昼前にファンティアットに着いた。戻る列車は3時間後。そこで翌日、バンコクに向かうエアアジアをスマホで予約した。これまで航空券の予約はパソコンを使っていた。画面が大きいからだ。スマホは初体験だったが、それほどトラブルもなく、予約を進めることができた。
LCCやホテルの予約は、以前に比べればずいぶん楽になった。予約を進めていて戸惑うことが少ない。そして20分も待てば、必ず返信がくるようになった。予約サイトは試行錯誤を重ね、不安を解消させてくれる。今回、はじめてスマホで予約し、改めてそう感じてしまった。
だから旅をせかされてしまう? お門違いの文句をファンティアット駅の待合室で呟いてみる。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=玄奘三蔵が辿ったシルクロードの旅。いまは中央アジア編を連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。インドネシアの列車旅の連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
12:58
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