インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2019年01月28日

トレッキングは高度成長世代?

 原稿を書くことの効果のひとつに、自分の考えがまとまっていくという面がある。頭のなかでは、まとまっている気がするのだが、いざ原稿に書こうとすると書けないということはよくある。それを苦労しながら書いていくうちに、考えがまとまっていく。そんな感覚である。
 以前、このコーナーで、ネパールのトレッキングに出かける日本人が少ないという話をした。トレッキングだから、シニア層が多い世界なのだが、そのなかでも日本人が以前に比べると大幅に減っているのだ。
 それに対して中国人と韓国人の中高年層が増えている。中国人が増える理由は誰でもわかるだろう。首を傾げるのは韓国人だった。韓国の景気は悪い。ソウルに住む知人は、しばしばそんな話を伝えてくれる。しかしネパールにトレッキングにやってくる韓国人は増えていた。なぜだろうか。答えを見つけられずにいた。
 平凡社の新書の締め切りが、近づいている。そのなかで、ネパールのトレッキングについても書こうとした。ところが韓国人の話で止まってしまった。原稿用紙を前に悩んでいたのだが、ある瞬間、「ひょっとしたら」という思いがよぎった。
 小四龍の話だった。韓国、台湾、香港、そしてシンガポールは、日本に次いで高度経済成長の時代に入った。その年代を調べてみると、1960年から1980年にかけて、経済成長が続いた。日本の高度経済成長は1954年から1973年といわれる。ざっくりと眺めると、日本より10年遅れの経済成長だった。
 その10年……。ネパールのトレッキングに日本人シニアがこぞって出かけたのは10年ほど前である。団塊の世代といわれる人たちだった。それから10年がたって韓国人……。
 そういうことかもしれなかった。高度経済成長の時代、人々の意識もアグレッシブルだった。失敗を恐れずにやってみよう……その感覚が成長に結びついた。やがて退職。しかしその時代に刷り込まれた意識はそう変わるものではない。
 たとえば10年前の団塊の世代の飲み会。山好きが集まり、ヒマラヤのトレッキングの話が出る。そこですっとまとまってしまうのだろう。「日本の山ばかりのぼっていてもつまらない。ヒマラヤはきっとすごいよ」。「いいねえ。俺も行く」。そんな具合に。
 それがいまの韓国人。小四龍の世代ではないかと思うのだ。
 いま日本で団塊世代より若い、60代の人は、バブルの崩壊を知っている。ネガティブな発想に偏ってしまう。山好きが集まっても、話はヒマラヤには飛ばないのだ。
 その結果、ネパールでは日本人に代わって韓国人。トレッキングに向かうシニアは高度成長世代ではないか。そんなことを思いついた。これが原稿効果? 少なくとも原稿は進んだ。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=再び「12万円で世界を歩く」のシリーズがはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 14:38Comments(0)

2019年01月21日

ネット禁止系の店が増えていく?

『歩くパリ』というガイドの編集にかかわっている。ゲラを読んでいると、パリではパソコンもち込み禁止、Wi-Fiをあえて設置しないカフェがちらほら出てきている。
 せっかくの料理やコーヒーを「ながら」で味わってほしくない……という発想のようだ。料理をつくり、豆を選んでコーヒーを淹れる側にしたら、そういう心境になるのはよくわかる。主流になることはないかもしれないが、これから増えていきそうな気がする。
 さまざまな国のカフェに入るが、Wi-Fiはなかばあたり前のものになっている。それどころか、スマホが携帯電波を変換するようになり、Wi-Fiがなくてもインターネットにつながる状態に進んできている。
 しかし料理に力を入れる店にしたら、注文と同時にスマホをつなげる客を、忸怩たる思いで眺めているのは事実だろう。せめて食べている間ぐらい、スマホを切ってほしい……と。今後、スマホ禁止の店も出てくるかもしれない。
 通信技術の発達は、「ながら文化」を発展させた。それと拮抗するのがマナーというものである。「ものを食べながら電話をするのはやめなさい」と注意されて育った日本人は少なくない気がする。相手に失礼だ、という発想である。電車のなかで電話をかけないということもマナーの色合いが強い。
 しかしネットとなると、相手に状況はわからない。
 食事中であっても、トイレのなかにいても、相手には通常の連絡のように受けとられる。となるとマナー論は通用しなくなってくる。
 生活スタイルも「ながら文化」をつくりだす。生活が都市化するにつれ、ひとりで食事をとることが多くなる。注文をしてから、料理が出てくるまでの時間、ついスマホのスイッチを入れてしまう。そして、食べながらスマホの流れに入っていってしまう。
 ネット機能は、これからもその訴求力を強めていくのだろう。動画はますます「ながら文化」を増長させていく。
 人間の意志の力では、ネットを断ち切ることができない? そんなことはないのだろうが、そう思えてしまう状況はさまざまところで目にする。いま、バンコクにいるが、夕方に安い食堂に入ると、ほぼ全員がスマホをいじっていることがある。そして出てきた料理を、スマホを見ながら食べはじめる。日本でも、昼に食堂に入ると、ひとり客は全員スマホ組だったりする。だから、パリに増えてきたという、ネット禁止系のカフェ?
 ネット禁止系のカフェがあったら、僕は進んで入っていくような気がする。そういう時間がほしくてたまらないというのに、ついネットをつないでしまうからだ。
 問題はネット禁止系の店の採算?

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=再び「12万円で世界を歩く」のシリーズがはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 11:34Comments(0)

2019年01月14日

僕の新年は飛行機から?

 冬の東京が好きだ。日本の冬が好きという意味ではない。寒さが心地いいということでもない。
 冬の東京は晴天になる日が多い。朝の7時半頃、朝日が差し込んでくる。冷え冷えとした部屋が、急に色を帯び、しだいに暖かくなっていく。明るい日射しのなかで、窓の外を見る。裸になった木々も、その光を浴びている。
 年末から部屋にこもって原稿を書き続けている。本の締め切りが重なり、もう逃げ場がないほど追い詰められているのだが、朝日に当たると心が和んでくる。
 昨夜は4時ぐらいまで、原稿と格闘を続けていた。3時間ほどしか寝ていないというのに、決して強くはない冬の日射しがしっくりと馴染んでくる。
 冬の東京は空気が澄んでいる気がする。それは寒さのなかでの錯覚なのかもしれないのだが、なにか清冽なにおいがする。
 今日の夕方、電車に乗って帰宅した。ホームから夕焼けを眺めていた。西に連なる山々がくっきりと見える。小さいが富士山のピークがシルエットのように浮かびあがる。
 明日からタイに行く。飛行機に乗らなくてはならない。また旅の日々が戻っていくる。年末からこもった部屋から、その日々を疎ましげに眺める。空港をせかせかと歩き、チェックインをすませ、イミグレーションに向かう。必ずといっていいほど、忘れ物を思い出す。もう家に戻る時間はないから、その算段を考える。そんな日々が戻ってくる。
 5時間も飛行機に乗れば、バンコクである。タイの空気は優しいが、冬の東京のような控えめなところがない。そのなかをまた歩かなくてはならない。
 海外への旅を生業にしてしまったから、飛行機に乗る機会は多い。このところ、やけに忙しく、海外に出向く回数が増えた。ときに飛行機ばかり乗っているような気分になることがある。休暇で海外に向かう旅とは違うから、気分は軽くない。
 しかしその旅をまとめるために、部屋にこもらなくてはならない。それを繰り返しているだけだ。
 そんな心境のなかで眺める、冬の日射しを気に入っている。夏のような激しさはない。しかし確実に部屋を暖めてくれる。以前は猫が窓辺に座って外を眺めていた。しかしその猫も、癌を患い、じっとうずくまっているだけだ。もう冬の弱い日射しもつらくなってきてしまったのだろうか。
 僕にとっての新年は、年初に飛行機に乗るときなのかもしれない。また1年がはじまるわけだ。このブログも今年、どんな内容で埋まっていくのだろうか。
 今年の旅がはじまる。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=再び「12万円で世界を歩く」のシリーズがはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 13:22Comments(0)

2019年01月07日

新年から猫介護

 初詣にでかけ、手を合わせた。今年は願いごとがひとつ増えた。
「癌が良性でありますように……」
 我が家には2匹の猫がいる。その1匹が年末から餌を食べなくなった。9歳である。
 動物は死期を察すると姿を消すことはよく知られている。しかしおそらく、動物は死を認識していない。衰える体力を認識し襲われても戦えない……と身を隠す。その本能が植えつけられているからではないかといわれる。
 動物の中で、死を認識できるのは、おそらく人間だけだ。死んでしまったら、どうなるのだろう……。原始宗教を考えると、スタート地点は、そのあたりにある気がする。魂という架空の存在を生みだすのもそのひとつ。天国という場所も、実在はしない。
 しかし、そういう装置をつくらなくてはならないほど、死の認識は重い。人の苦悩は、死を認識したところからはじまる気がしないでもない。
 しかし欲という厄介なものを動物はもっている。人は死期が近づいたことを察しても、食欲はある。
 ではなぜ、猫は食べることを拒否してしまうのだろうか。あまりに潔い。人間を含めた動物の本能は、常に食べ物がある状況に設定されていない。身を隠すということは、食べ物がないことを想定した本能なのだろうか……などと考えてもみるのだが。
 欧米では癌に罹ってしまったペットを、安楽死に導くことが多いという。苦しまないで送ってあげたいという優しさなのだろうが、その根底にはプラグマティズム的な発想がある気もする。
 昨年末、往診専門の獣医さんにきてもらった。癌の可能性が高いことを、告げられた。とりあえず血液検査。癌であるとしても、良性なら……。昨日、血液検査の結果が届いた。──上皮性悪性腫瘍(癌)を強く疑う。
 それが診断結果だった。
 さまざまな治療法を告げられた。最近はレーザー治療もあるのだという。しかしそれを受けても余命は1年。
 猫介護の決断をした。僕は海外に出ることが多いので妻や娘たちがケアすることになるだが。なにも食べないから、液状の餌をスポイトで口に流し込む。そして目薬。
 猫の細胞のDNAが発するサインに抗うようなケアになってしまうが、野生を内包しながら家猫になった猫は、スポイトから流し込まれる餌をぴちゃ、ぴちゃと、おいしそうに飲み込む。だったら……と、皿に流動餌を入れて置くと逃げていってしまう。ほとんど食べていないから、もう体力もないのだが。
 今年は猫介護からはじまった。

■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=再び「12万円で世界を歩く」のシリーズがはじまります。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
  

Posted by 下川裕治 at 13:28Comments(0)