2019年04月29日
長生きすれば多数派になれる?
日本は10連休である。今日は天気のいい行楽日和だった。そんな1日、なにをしていたかというと、机に向かって再校ゲラと格闘していた。6月に刊行される『シニアひとり旅インド、ネパールからシルクロードへ』(平凡社新書)である。連休にはそぐわない時間がすぎていく。
先週、知人と会った。契約で働いているのだが、10連休に頭を抱えていた。その間の収入がなく、月給が減ってしまうのだという。
「なにかバイトを探さないと……」
僕の周りにはサラリーマンが少ない。彼らの口から聞こえてくるのは、10連休への不満ばかりだ。
フリーランスというものは、基本的に会社から仕事を受けている人が多い。サラリーマンたちは、連休明けの締め切りを設定して休んでしまう。ただ仕事をするだけの連休になってしまうのだ。
僕も原稿を書いて暮らしている。ゴールデンウィークに休んだという記憶がない。そもそも今年、10連休になることを、半月ほど前まで知らなかった。どうせ、ゴールデンウィークは休めない……と思っていたからだ。
知ったのは飛行機の予約を入れるときだった。軒並み満席で運賃も高い。
「今年は10連休ですからね」
旅行会社からそういわれて連休の長さを知った。
僕にとっても、10連休はいいことがなにもない。そんなとき、日本はサラリーマン社会であることを改めて教えられるのだ。
原稿を書いて暮らしているというと、羨ましいといわれることはある。しかしその内実には少数派の不遇が潜んでいる。長い連休にしても、その恩恵を受ける人たちは黙って休暇をとっている。文句をいうのは非サラリーマンが多い。少数派の意見は晴れた青空のなかで消えていってしまう。
明日も明後日も原稿を書かなくてはいけない。そしてその翌日には、やっととった航空券でバンコクに向かう。そしてまた仕事。ニュースで楽しそうに行楽地を歩く日本人の姿を見ると、どうしてもいじけてきてしまう。
連休前の平日、ぽっかりと締め切りのない1日を手に入れた。思い立ってひとりで高尾山にのぼった。登山道で行き交うのはシニアばかりだった。皆、混みあう週末や連休を避けて山にきているのだ。
そういうことではないか。そんな気もするのだ。退職し、毎日が日曜日になったシニアには、連休は意味がない。ということは、彼らはどんどん少数派に流入する。推計では2036年、3人にひとりは高齢者になる。長い連休に文句をいう人々は、もう少数派ではなくなるのだ。
それまで生きていたら、僕もやっと多数派になる?
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=再び「12万円で世界を歩く」のシリーズが連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
先週、知人と会った。契約で働いているのだが、10連休に頭を抱えていた。その間の収入がなく、月給が減ってしまうのだという。
「なにかバイトを探さないと……」
僕の周りにはサラリーマンが少ない。彼らの口から聞こえてくるのは、10連休への不満ばかりだ。
フリーランスというものは、基本的に会社から仕事を受けている人が多い。サラリーマンたちは、連休明けの締め切りを設定して休んでしまう。ただ仕事をするだけの連休になってしまうのだ。
僕も原稿を書いて暮らしている。ゴールデンウィークに休んだという記憶がない。そもそも今年、10連休になることを、半月ほど前まで知らなかった。どうせ、ゴールデンウィークは休めない……と思っていたからだ。
知ったのは飛行機の予約を入れるときだった。軒並み満席で運賃も高い。
「今年は10連休ですからね」
旅行会社からそういわれて連休の長さを知った。
僕にとっても、10連休はいいことがなにもない。そんなとき、日本はサラリーマン社会であることを改めて教えられるのだ。
原稿を書いて暮らしているというと、羨ましいといわれることはある。しかしその内実には少数派の不遇が潜んでいる。長い連休にしても、その恩恵を受ける人たちは黙って休暇をとっている。文句をいうのは非サラリーマンが多い。少数派の意見は晴れた青空のなかで消えていってしまう。
明日も明後日も原稿を書かなくてはいけない。そしてその翌日には、やっととった航空券でバンコクに向かう。そしてまた仕事。ニュースで楽しそうに行楽地を歩く日本人の姿を見ると、どうしてもいじけてきてしまう。
連休前の平日、ぽっかりと締め切りのない1日を手に入れた。思い立ってひとりで高尾山にのぼった。登山道で行き交うのはシニアばかりだった。皆、混みあう週末や連休を避けて山にきているのだ。
そういうことではないか。そんな気もするのだ。退職し、毎日が日曜日になったシニアには、連休は意味がない。ということは、彼らはどんどん少数派に流入する。推計では2036年、3人にひとりは高齢者になる。長い連休に文句をいう人々は、もう少数派ではなくなるのだ。
それまで生きていたら、僕もやっと多数派になる?
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○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
12:22
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2019年04月23日
いつの間にか機内映画通
先週、「響」という映画を観た。その次に「家族のはなし」の途中で台北に到着。帰路にその続きを観て、「キスができる餃子」を観終わる頃、飛行機は成田空港に向けて下降をはじめた。
先週、台湾に出かけた。安いことと、貯まるマイルを考えてエバー航空を選んだ。最近のレガシーキャリアは、多くの路線にシートテレビ付きの機材を使っている。モニターで映画を観ることができる。放映される日本の映画も多い。いつの間にか、僕は映画通になりつつある。
台湾往復で3本の映画を観た。バンコク往復では4~5本の映画を観てしまう。アメリカとなると、往復で6本以上。いつもレガシーキャリに乗るわけではない。シートテレビがないLCCにもよく乗る。しかしざっと数えると、1年に40本近い映画を観ている気がする。飛行機が生んだ映画通になってしまうわけだ。
今年の3月だろうか。日本映画のアカデミー賞の発表があった。優秀作品として、「万引き家族」「カメラを止めるな!」「北の桜守」「孤狼の血」「空飛ぶタイヤ」が選ばれていた。そのなかから最優秀作品が選ばれるのだが、そのすべてを僕は観ていた。考え込んでしまった。
日々、原稿に追われている。もし、飛行機に乗らなかったら、映画を観にいく精神的な余裕などないだろう。
飛行機の中で観ることができる映画は、過度な暴力シーンやセックスシーンがないものだと聞いたことがある。今回観た、「キスができる餃子」や「家族のはなし」等はその典型で、「キスが~」は宇都宮や栃木県の宣伝映画ではないかと思った。「家族~」は、僕の故郷の信州が舞台だった。ストーリーは凡庸だったが、父親役の時任三郎が、いい味を出していた。若い頃はパイロット役とか、リゲインのコマーシャルなど、はつらつとしたイメージだったが、年をとり、決して大声を出したりしないいまの時代の父親を演じるといい雰囲気が出る。
「響」で売れない作家という役どころの小栗旬も雰囲気があった。強い役より、弱いキャラクターについ、目が行ってしまうのは僕の性格だろうか。
漫画が原作という映画が多いのは、いまの日本映画の傾向だろうか。「響」「家族~」は原作が漫画である。漫画のストーリーは展開が強引なところがある。そのテンポが映画向きなのだろう。どうしてこのセリフが出てくるのだろう、と悩んでいるうちに次のシーンになってしまう。それでいて違和感がほとんどない。活字の世界は緻密だから、そうはいかないのだ。機内で観る映画はこのほうがいいのかもしれない。そこへいくと、「万引き家族」はいくつもの伏線が潜んでいる。いい映画だが、機内で観るには少し重い。
いつの間にか、機内映画評になってしまった。今回はこのへんで。
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○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
先週、台湾に出かけた。安いことと、貯まるマイルを考えてエバー航空を選んだ。最近のレガシーキャリアは、多くの路線にシートテレビ付きの機材を使っている。モニターで映画を観ることができる。放映される日本の映画も多い。いつの間にか、僕は映画通になりつつある。
台湾往復で3本の映画を観た。バンコク往復では4~5本の映画を観てしまう。アメリカとなると、往復で6本以上。いつもレガシーキャリに乗るわけではない。シートテレビがないLCCにもよく乗る。しかしざっと数えると、1年に40本近い映画を観ている気がする。飛行機が生んだ映画通になってしまうわけだ。
今年の3月だろうか。日本映画のアカデミー賞の発表があった。優秀作品として、「万引き家族」「カメラを止めるな!」「北の桜守」「孤狼の血」「空飛ぶタイヤ」が選ばれていた。そのなかから最優秀作品が選ばれるのだが、そのすべてを僕は観ていた。考え込んでしまった。
日々、原稿に追われている。もし、飛行機に乗らなかったら、映画を観にいく精神的な余裕などないだろう。
飛行機の中で観ることができる映画は、過度な暴力シーンやセックスシーンがないものだと聞いたことがある。今回観た、「キスができる餃子」や「家族のはなし」等はその典型で、「キスが~」は宇都宮や栃木県の宣伝映画ではないかと思った。「家族~」は、僕の故郷の信州が舞台だった。ストーリーは凡庸だったが、父親役の時任三郎が、いい味を出していた。若い頃はパイロット役とか、リゲインのコマーシャルなど、はつらつとしたイメージだったが、年をとり、決して大声を出したりしないいまの時代の父親を演じるといい雰囲気が出る。
「響」で売れない作家という役どころの小栗旬も雰囲気があった。強い役より、弱いキャラクターについ、目が行ってしまうのは僕の性格だろうか。
漫画が原作という映画が多いのは、いまの日本映画の傾向だろうか。「響」「家族~」は原作が漫画である。漫画のストーリーは展開が強引なところがある。そのテンポが映画向きなのだろう。どうしてこのセリフが出てくるのだろう、と悩んでいるうちに次のシーンになってしまう。それでいて違和感がほとんどない。活字の世界は緻密だから、そうはいかないのだ。機内で観る映画はこのほうがいいのかもしれない。そこへいくと、「万引き家族」はいくつもの伏線が潜んでいる。いい映画だが、機内で観るには少し重い。
いつの間にか、機内映画評になってしまった。今回はこのへんで。
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Posted by 下川裕治 at
16:35
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2019年04月15日
突然、現れた日本という壁
日本で働くミャンマー人の知人たちが、会社をつくり、寿司店を出店しようとしている。皆、日本在住10年以上。永住権をもっている人もいる。長く寿司店で働いてきた。自分たちで独立しようとしているわけだ。
しかしその物件探しで難航している。
条件はすべて満たしている。保証人関係も問題はない。仲介不動産屋はこういっているという。
「日本人よりしっかりしている」
しかしなかなか借りることができない。
店舗を借りる場合、最後の関門は大家になる。不動産屋はすべての書類をそろえ、提出しながら大家に打診する。
「ところが大家がなかなか首を縦に振らないんです」
その理由は明かされない。しかし雰囲気から伝わってくるものがある。
外国人だからなのだ。
ミャンマー人たちは、大家との面接を望んでいる。彼らには自信があるのだろう。会ってくれれば、自分たちのことをわかってくれる……と。しかし、日本の大家は面会を拒む人が多い。そのあたりは、不動産屋に任せてある……の一点張りなのだという。
つまりは、イメージだけの問題なのだ。外国人に貸した場合のトラブルが心配なのだ。うまく言葉が通じないとも思っているのかもしれない。いくら不動産屋が説得しても、腰があがらない。
これが東京という街らしい。
日本の会社で働くタイ人がアパートを借りようとした。書類を出したところ、大家からこういわれた。
「保証人協会を通してほしい」
彼が勤めている会社の日本人が保証人になっているのだが、それでは安心できないということらしい。
2ヵ月ほど前、僕はバングラデシュ南部の村で家を借りようとした。しかしなかなか難しかった。理由は、「外国人に貸したことがない。だいたいその村で外国人が暮らしたことがないので、どうしたらいいのかわからない」ということだった。
家や店舗を借りることは簡単ではないかもしれないが、バングラデシュの田舎と東京を同じ土壌で語っていいのだろうか。
僕はこれまで、バンコクで何回かアパートを借りている。保証金を払い、パスポートなどのコピーを渡すだけで、簡単に借りることができた。タイ人の大家は、なにひとつ不安を抱いていないようだった。僕の知人は海外で暮らす人が多いが、大家に断られたという話はあまり聞かない。
日本もアパートはそれほどでもないとも聞く。しかし店舗となると、突然、日本という壁が現れる。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=再び「12万円で世界を歩く」のシリーズが連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
しかしその物件探しで難航している。
条件はすべて満たしている。保証人関係も問題はない。仲介不動産屋はこういっているという。
「日本人よりしっかりしている」
しかしなかなか借りることができない。
店舗を借りる場合、最後の関門は大家になる。不動産屋はすべての書類をそろえ、提出しながら大家に打診する。
「ところが大家がなかなか首を縦に振らないんです」
その理由は明かされない。しかし雰囲気から伝わってくるものがある。
外国人だからなのだ。
ミャンマー人たちは、大家との面接を望んでいる。彼らには自信があるのだろう。会ってくれれば、自分たちのことをわかってくれる……と。しかし、日本の大家は面会を拒む人が多い。そのあたりは、不動産屋に任せてある……の一点張りなのだという。
つまりは、イメージだけの問題なのだ。外国人に貸した場合のトラブルが心配なのだ。うまく言葉が通じないとも思っているのかもしれない。いくら不動産屋が説得しても、腰があがらない。
これが東京という街らしい。
日本の会社で働くタイ人がアパートを借りようとした。書類を出したところ、大家からこういわれた。
「保証人協会を通してほしい」
彼が勤めている会社の日本人が保証人になっているのだが、それでは安心できないということらしい。
2ヵ月ほど前、僕はバングラデシュ南部の村で家を借りようとした。しかしなかなか難しかった。理由は、「外国人に貸したことがない。だいたいその村で外国人が暮らしたことがないので、どうしたらいいのかわからない」ということだった。
家や店舗を借りることは簡単ではないかもしれないが、バングラデシュの田舎と東京を同じ土壌で語っていいのだろうか。
僕はこれまで、バンコクで何回かアパートを借りている。保証金を払い、パスポートなどのコピーを渡すだけで、簡単に借りることができた。タイ人の大家は、なにひとつ不安を抱いていないようだった。僕の知人は海外で暮らす人が多いが、大家に断られたという話はあまり聞かない。
日本もアパートはそれほどでもないとも聞く。しかし店舗となると、突然、日本という壁が現れる。
■このブログ以外の連載を紹介します。
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○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
17:43
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2019年04月08日
「令和」が空まわりする
4月3日に帰国した。東京の桜はもう終わっていると思っていたが、まだ枝に花が留まっている。気温がさがったためらしい。
知人に誘われて、皇居の乾通りの桜を観た。以前は入ることができなかった皇居の一画にある桜を鑑賞できるのだという。5年ほど前から一般公開されるようになったらしい。
入り口で荷物検査とボディチェックを受けた。乾通りはかなりの人だった。しばらく進むと、左手に宮内庁の建物が見えた。
「ここだったのか」
記者時代に昭和から平成に変わった。秋篠宮が結婚するときも、タイ好きだったこともあり、取材に走っていた。2回ほど、宮内庁に出向いたことがある。特別に入ることが大変だった記憶はない。記者でなくても、宮内庁に用があれば入ることができるエリアだ。
知人は、「普通、入ることができないところに春と秋に特別に歩けるんだ」と説明してくれたが、どこかぴんとこなかった。
日本に帰国すると、「令和」話でもちきりだった。新しい年号が「令和」になったことは、帰国の当日に知った。発表から3日もたっていた。新年号が4月1日に発表されることも知らなかった。
海外にいると、日本のニュースに関心がなくなる。別に、避けているわけではないが、若い頃からバックパッカー流の旅を続けてきたから、日本からの情報がないことに不安はない。泊まるホテルは日本の放送どころか、欧米の番組も観ることができないことが多かった。インターネットもなかった。そんな時代に旅のスタイルがセッティングされてしまった。
外国にいると、年号を使うことはない。そもそも日本にいるときも西暦で通している。「令和」と聞いたときも、なにも感じなかった。
日本のテレビを観ていたら、20代の青年がこう答えていた。
「なるべく元号を使うようにしています。日本人ですから」
日本人はそういう意識なのだろうか。日本人は元号を使うのが筋?
もしそうだとしたら僕は困ってしまう。平成の時代も、今年が平成の何年かがわかっていなかった。というか、忘れてしまっていた。ときに、なにかの書類で、平成が表記されるとずいぶん困った。急いでネットで調べるなどして、なんとか書類を埋めた。
令和にしても、今年の令和1年ぐらいは覚えるだろうが、その先は危うい。意図的ではない。使わないから、すぐに忘れてしまうだろう。
こういうことではいけないのだろうか。僕のなかでは、令和という年号は、春風にまわる風車のように空まわりしている。
■このブログ以外の連載を紹介します。
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○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
知人に誘われて、皇居の乾通りの桜を観た。以前は入ることができなかった皇居の一画にある桜を鑑賞できるのだという。5年ほど前から一般公開されるようになったらしい。
入り口で荷物検査とボディチェックを受けた。乾通りはかなりの人だった。しばらく進むと、左手に宮内庁の建物が見えた。
「ここだったのか」
記者時代に昭和から平成に変わった。秋篠宮が結婚するときも、タイ好きだったこともあり、取材に走っていた。2回ほど、宮内庁に出向いたことがある。特別に入ることが大変だった記憶はない。記者でなくても、宮内庁に用があれば入ることができるエリアだ。
知人は、「普通、入ることができないところに春と秋に特別に歩けるんだ」と説明してくれたが、どこかぴんとこなかった。
日本に帰国すると、「令和」話でもちきりだった。新しい年号が「令和」になったことは、帰国の当日に知った。発表から3日もたっていた。新年号が4月1日に発表されることも知らなかった。
海外にいると、日本のニュースに関心がなくなる。別に、避けているわけではないが、若い頃からバックパッカー流の旅を続けてきたから、日本からの情報がないことに不安はない。泊まるホテルは日本の放送どころか、欧米の番組も観ることができないことが多かった。インターネットもなかった。そんな時代に旅のスタイルがセッティングされてしまった。
外国にいると、年号を使うことはない。そもそも日本にいるときも西暦で通している。「令和」と聞いたときも、なにも感じなかった。
日本のテレビを観ていたら、20代の青年がこう答えていた。
「なるべく元号を使うようにしています。日本人ですから」
日本人はそういう意識なのだろうか。日本人は元号を使うのが筋?
もしそうだとしたら僕は困ってしまう。平成の時代も、今年が平成の何年かがわかっていなかった。というか、忘れてしまっていた。ときに、なにかの書類で、平成が表記されるとずいぶん困った。急いでネットで調べるなどして、なんとか書類を埋めた。
令和にしても、今年の令和1年ぐらいは覚えるだろうが、その先は危うい。意図的ではない。使わないから、すぐに忘れてしまうだろう。
こういうことではいけないのだろうか。僕のなかでは、令和という年号は、春風にまわる風車のように空まわりしている。
■このブログ以外の連載を紹介します。
○クリックディープ旅=再び「12万円で世界を歩く」のシリーズが連載中。
○どこへと訊かれて=人々が通りすぎる世界の空港や駅物。
○東南アジア全鉄道走破の旅=苦戦を強いられている東南アジア「完乗」の旅。いまは番外編を連載中。
○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
Posted by 下川裕治 at
12:46
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2019年04月01日
人はそれほど立派ではない
ミャンマーに行ってきた。バンコクから往復したのだが、行きも帰りも、白い服装でそろえたタイ人の団体客が機内を埋めていた。そういう時期なのだろうか。仏教の巡礼ツアーのようだった。
『ディープすぎる中央アジアシルクロードの旅』(中経の文庫)が発売になっている。中国の僧、玄奘三蔵が歩いたルートを辿った旅行記だ。玄奘三蔵の旅は脚色され、西遊記という物語になっている。中国の長安からシルクロードを通って、インドに経典を求めた旅だ。
シルクロードを歩きながら、彼が求めた仏教の本を読み続けていた。唯識と呼ばれる仏教理念である。
仏教は上座部仏教から分派する形で大乗仏教が生まれた。当時のインドは、大乗仏教のなかの唯識が全盛だった。
この唯識が、遣唐使によって日本にも伝わった。以来、日本は大乗仏教の国になった。しかし唯識の本は、いくら読んでもなかなかわからない。どちらかというと、哲学の要素が多いからだ。
日本に渡った唯識だが、その後、衰退していく。やはり難しいのだ。そこで最澄や空海といった僧が現れ、念仏を唱えればいいという簡単なものに姿を変えていく。
玄奘三蔵がシルクロードの苦しい旅までしてもち帰ったものは、中国や日本でもあまり日の目を見なかったわけだ。
タイやミャンマーなどで信仰されているのは、俗に、小乗仏教と呼ばれる上座部仏教。原始的な教理だ。大乗仏教に比べると宗教色が強い。大乗仏教が哲学に走ったのに対し、元々の教理を忠実に守っている。
どちらがいいという問題ではない。例えば飲酒。平常心を乱すものとして、どちらも否定的だ。その否定の方法が違う。上座部仏教では戒律としてとらえる。対して大乗仏教は意識として対応しようとする。人間というものは、それほど立派ではない。意識として飲酒を否定する論理は、やがて薄れていく。戒律としてルール化したほうが理解しやすい。つまり実行されるのだ。
全員が白い衣装で飛行機に乗るタイ人を見ているとそう思う。上座部仏教のほうが精神的に楽なのだ。自分の意識に走る大乗仏教は苦しさが残る。だから日本では、白装束の巡礼はすっかり廃れてしまった。
玄奘三蔵が歩いたルートを辿る旅はなかなか大変だった。とくに中国の新疆ウイグル自治区では、ウイグル人への弾圧のなかで旅を続けなくてはならなかった。社会主義という宗教への評価が低い理論が幅を利かす中国では、イスラム教徒との軋轢が生まれる。その旅は精神的にもつらかった。そして中央アジア、パキスタン、インド……。玄奘三蔵が歩いたルートは、どこも宗教に揺れていた。
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『ディープすぎる中央アジアシルクロードの旅』(中経の文庫)が発売になっている。中国の僧、玄奘三蔵が歩いたルートを辿った旅行記だ。玄奘三蔵の旅は脚色され、西遊記という物語になっている。中国の長安からシルクロードを通って、インドに経典を求めた旅だ。
シルクロードを歩きながら、彼が求めた仏教の本を読み続けていた。唯識と呼ばれる仏教理念である。
仏教は上座部仏教から分派する形で大乗仏教が生まれた。当時のインドは、大乗仏教のなかの唯識が全盛だった。
この唯識が、遣唐使によって日本にも伝わった。以来、日本は大乗仏教の国になった。しかし唯識の本は、いくら読んでもなかなかわからない。どちらかというと、哲学の要素が多いからだ。
日本に渡った唯識だが、その後、衰退していく。やはり難しいのだ。そこで最澄や空海といった僧が現れ、念仏を唱えればいいという簡単なものに姿を変えていく。
玄奘三蔵がシルクロードの苦しい旅までしてもち帰ったものは、中国や日本でもあまり日の目を見なかったわけだ。
タイやミャンマーなどで信仰されているのは、俗に、小乗仏教と呼ばれる上座部仏教。原始的な教理だ。大乗仏教に比べると宗教色が強い。大乗仏教が哲学に走ったのに対し、元々の教理を忠実に守っている。
どちらがいいという問題ではない。例えば飲酒。平常心を乱すものとして、どちらも否定的だ。その否定の方法が違う。上座部仏教では戒律としてとらえる。対して大乗仏教は意識として対応しようとする。人間というものは、それほど立派ではない。意識として飲酒を否定する論理は、やがて薄れていく。戒律としてルール化したほうが理解しやすい。つまり実行されるのだ。
全員が白い衣装で飛行機に乗るタイ人を見ているとそう思う。上座部仏教のほうが精神的に楽なのだ。自分の意識に走る大乗仏教は苦しさが残る。だから日本では、白装束の巡礼はすっかり廃れてしまった。
玄奘三蔵が歩いたルートを辿る旅はなかなか大変だった。とくに中国の新疆ウイグル自治区では、ウイグル人への弾圧のなかで旅を続けなくてはならなかった。社会主義という宗教への評価が低い理論が幅を利かす中国では、イスラム教徒との軋轢が生まれる。その旅は精神的にもつらかった。そして中央アジア、パキスタン、インド……。玄奘三蔵が歩いたルートは、どこも宗教に揺れていた。
■このブログ以外の連載を紹介します。
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○タビノート=LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記
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