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ナムジャイブログ

2022年11月28日

落ち葉の押し葉

 東京はいま、落ち葉の季節を迎えている。家の近くの寺の境内は、銀杏の黄色い葉で埋まっている。毎朝、寺の人が、なんというのかわからないが、風がブワーッと出る道具で落ち葉を掃除している。参道の落ち葉を吹き飛ばしても、次から次へと葉が落ち、黄色い世界が広がっている。
 沖縄で落ち葉の話を聞いたことがある。11月は沖縄は修学旅行のシーズンで、本土から多くの学生が沖縄にやってくる。この時期は沖縄の学生も修学旅行で本土へ行く。九州や関西が多いようだが、多くの学生が落ち葉を土産に拾うという。
「沖縄には紅葉はないからねー。きれいな落ち葉、つい拾っちゃう」
 修学旅行のしおりに押し花のように挟まれた落ち葉。なんだかいい話だと思った。
 コロナ禍の嵐が吹き荒れる前、遊びにきたタイ人の東京案内をしたことがある。時期は11月。タイ人が望む桜はない。夕暮れどき、神宮外苑を案内した。落ちた銀杏が道を埋める時期だ。すでに暗くなっていたが、黄に染まった世界がみごとにライトアップされ、屋台まで出ていた。
「桜よりきれい」
 とタイ人は落ち葉を拾っていたが、ちょっと負け惜しみ? 言葉にそんな響きが潜んでいた。
 何年前だろうか。僕も落ち葉の押し葉をノートに挟んでもち帰ったことがある。ニューヨークの落ち葉だった。
 2001年の同時多発テロ。崩れ落ちたビルの場所はグランドゼロと呼ばれ、そこに1本の木がある。サバイバーツリーと呼ばれているマメナシの木で、がれきのなかでも生きていた。訪ねたのは秋の終わりで、ばらばらと葉が落ちてきていた。紅葉というほどの色はなく、緑のなかにうっすら赤みが入るような落ち葉だった。その葉はいまでも、僕の部屋のノートに挟まれている。
 落ち葉はただ見るだけならいいのだが、掃除する人たちにとっては大変な存在だ。風は吹くと、自動扉が開くときにも店内に舞い込んでしまう。店員はそのつど、ほうきを手にすることになる。
 大学受験の浪人時代を京都ですごした。毎朝、自転車で予備校に通っていた。当時、京都の街はまだ路面電車が市民の足だった。京都が秋の色に染まる時期になると、よく脱線した路面電車を目にした。原因は落ち葉だった。線路の上に葉が落ち、そこに車輪が乗ると、ヌルッとすべってしまうのだ。大きな事故につながるような脱線ではないが、そのたびに電車は停まってしまった。
 戦前、多くの日本の街を走っていた路面電車は、車が増えるなかで消えていった。渋滞が原因だと聞いたことがあるが、落ち葉脱線も拍車をかけたような気がする。落ち葉は押し葉にすると味わい深いが、ときに厄介な代物になる。

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Posted by 下川裕治 at 14:02Comments(1)

2022年11月21日

ポストコロナで、旅への優しさが消えた?

 旅のポストコロナ……。旅は新型コロナウイルスの影響を強く受けたから、ポストコロナとは、「旅ができること」といい換えてもいい気がする。しかし現実の旅はそう簡単なものではない。
『歩くバンコク』をつくるために、しばらくバンコクに滞在していた。タイのホテル業界が口にするこんな愚痴を耳にした。
「せっかくスタッフをそろえたというのに、日本人観光客がやってこない」
 アジアの観光地はどこもこの傾向があるようだ。ほかの国に比べ、日本人観光客の回復速度が遅いという。その理由をある日本人はこういう。
「日本人のなかには、パスポートの有効期限がコロナ禍の間に切れてしまった人が少なからずいる。パスポートって、一度、期限が切れてしまうと、つくるときの必要書類が増えるんです。継続に比べてね。それに1万円から2万円ぐらいの費用がかかる。いざ、海外に行こうとすると、そこからスタートなんですよ」
 年に1~2回といった海外旅行のサイクルが途絶えてしまうと、なかなか元に戻らない理由のひとつがパスポートだというのだ。
 またある人は、ポストコロナの旅行手つづきをやり玉にあげる。
「いくつかの国が、ネットでの事前登録制をとり入れたんです。パスポート情報とか、ワクチン接種記録とかをね。その多くがスマホで操作することになる。そこで旅を諦めてしまうシニア層がかなりいるって話です」
 新型コロナウイルスがまだ勢いを保っていた頃、海外に出るためには、さまざまな書類が必要だった。PCR検査の陰性証明、ワクチン接種証明、感染した人は罹患証明……。それらをとり込むアプリが登場し、海外に出るときは、それをダウンロードし、書類をとり込み、必要事項を入力していくという作業が必要だった。スマホがない人や、そもそもネットとは無縁の生活をしている人はどうするのか……という議論が一時あった。しかし感染が拡大するなかでのドタバタした状況がつづき、そんな人たちはネット弱者になってしまった。
 しかし入国管理の世界では別の文脈が働いていた。
「多くの人がスマホで対応してきている。ポストコロナになっても、パスポート情報などをこの方法でとり込めば、入国審査はかなり楽になる」
 日本のヴィジットジャパンウエブもこの流れにある気がする。先日、タイから帰るときにこのシステムを使った。運用がはじまって間がないためなのかもしれないが、途中まで進んだところで、突然、よくわからないQRコードが出てきてしまい、かなり悩んだ。
 日本に住む台湾人女性から、こんな話も聞いた。
「両親は日本に遊びに来たいんだけど、ネックはヴィジットジャパンウェブ。70歳を超えた両親はたぶん自分では登録できない。私が台湾に戻ったときにやってあげないといけないと思う」
 コロナ禍の間に、旅への優しさがそがれてしまった気がしなくもない。

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Posted by 下川裕治 at 11:16Comments(0)

2022年11月14日

ブランドと詐欺が錯綜する美術館

 先月、河野元昭館長に招待されて、東京の丸の内にオープンした静嘉堂文庫美術館を訪ねた。見たいものがあった。そこに展示されている「唐物茄子茶入 付藻茄子」である。 付藻茄子は「つくもなす」と読む。ナスの形をした陶磁器の茶入れだ。茶入れは茶道具のひとつで、そこに抹茶の粉を入れた。
 もともとは足利義満がもっていた茶入れだという。それが転々とし、戦国時代の武将、松永久秀の手に渡る。松永はこれを織田信長に献上し、大和の国をわけ与えられている。ひとつの茶器が一国の価値をもつ。付藻茄子は一躍、有名になった。
 織田信長は茶会でいつもこの茶入れを使った。本能寺の変で焼失したと思われたが、なぜか豊臣秀吉の手に。最後は大坂夏の陣で割れてしまうが、徳川家康は当時の塗師に命じて、焼け跡のなかからそのかけらを拾い集めて修復させた。
 それが静嘉堂文庫美術館に展示されているのだ。館内に入り、真っ先に付藻茄子に向かう。その前に立った。
「これッ?」
 あまりに質素な陶器だった。専門家はバランスのいい形状や釉薬の美しさを評価するのだが、僕の目には、普通の茶入れにしか映らなかった。横に置かれていた棗のほうがはるかに立派に見えた。
 そういうことなのか。改めてあの時代に思いを馳せる。
 お茶というのは不思議な力をもっている。単なる飲み物では語れない世界を簡単につくりだしてしまう。台湾に行くと茶芸館という世界があり、中国茶に詳しい茶芸師という資格まである。日本でも、飲んだ茶を当てる闘茶が南北朝時代に流行し、それが茶会に発展していったともいわれる。
 日本の場合は、茶の世界は武将のステータスに絡んでくる。その世界は、千利休が完成させた「わび茶」と結びつき、政治に利用されていくわけだ。茶道具はとんでもない価値を生み、豊臣秀吉は「茶の湯御政道」という言葉まで残している。つまり茶の世界をブランド化して、都合のいいように使っていくのだ。
 しかし視点を変えれば、それは大嘘にも映る。戦国時代、流した血への見返りを架空世界で価値を高めた茶器で支払っていく。いくつかの状況が重ならないと成立はしないが、冷静になって考えれば詐欺に限りなく近い。ブランドというものは、どこかそういう要素をもっていて、ルイビトンのバッグの価値を誰も数値では表せない。
 旧統一教会である世界平和統一家庭連合の壺にしても、外から見れば詐欺に映っても、信者にしたらブランドである。
 付藻茄子を前に悩みつづける。詐欺とブランドはどう違うのか。付藻茄子が背負った歴史は、人間がもつ虚栄を越え、貴重なコレクションになった。その実物が目の前にある。美術館は奥深い世界である。

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Posted by 下川裕治 at 14:54Comments(0)

2022年11月07日

一兵卒になっていた

 台北の空港にいる。日本に帰る途中のトランジットだ。バンコクで、「歩くバンコク」の入稿作業を進めてきたが、ゲラをチェックしていく作業になると東京の事務所のほうが楽だ。急遽、帰ることにした。
 バンコクに入ってからほぼ10日、怒涛のような日々だった。毎日、毎日、入稿に追われた。足りない写真を撮りに、バンコク市内を駆けまわった……。
 僕はこのガイドの監修ということになっている。実際にそうだった。以前は。ダコというフリーペーパーを発行する会社に制作を依頼し、ゲラが出た段階で内容をチェックすればよかった。
 しかしそのダコは休刊になってしまう。日本人スタッフはばらばらになり、僕への負担が一気に増え、制作に直接かかわることになる。
 ダコはいま別の方が引き継いで発行はつづいているが、以前に制作にかかわった人はひとりもいない。
 ダコを休刊に追い込んだのは、大きな流れで見ればネット社会の広がりだった。フリーペーパーは企業や飲食店からの広告で成り立っていた。ネット社会は、広告主が独自に広告を行う道をつくっていった。フリーペーパーに頼る必要が少なくなっていった。
 そこを新型コロナウイルスが襲う。「歩くバンコク」も2年間、発行ができなかった。3年ぶりの発行という段階になったとき、頭を抱えた。制作を手伝ってくれる人がバンコクにいないのだ。
 バンコクでは多くのフリーペーパーが発行されていた。多いときで20誌を超えていた。その多くが消えていった。そしてその制作にかかわることで収入を得ていた人たちが帰国してしまったのだ。雑誌づくりを身につけた人たちだった。
「歩く~」シリーズはさまざまな国で発行していた。その関係もあり、アジアを中心に知人が多い。彼らから、いまもよく質問を受ける。「日本に帰国しても生きていけるだろうか」と。「日本も厳しいよ」と伝えるが、現地での仕事がなくなってしまえば帰らざるをえない。ビザの問題もある。
 海外から帰国した人のなかには、日本に戻っていることを伏せて原稿を書いている人も少なくない。現地にいなければその空気感のようなものが伝わらないと思うが、多くのネット記事はそこまで要求しない。ネット情報を集めただけで、記事の体裁は整ってしまうのだ。
 そんな状態である。さまざな人に声をかけて、地図のチェックや店選をしてもらった。しかしそこから先は、編集経験がないと難しい。その人がいない。世界の国々は現地編集者砂漠になってしまっていた。「やるしかないか」。僕が重い腰をあげるしかなかった。
 かつての監修者は、年を経るにつけ、仕事が減るどころか、ますます負荷が増し、今回は一兵卒になってしまった。街を歩き、写真を撮り、原稿を書く。店を選んでくれた人たちが寄せてくれた原稿をまとめるのも僕の仕事になった。
 きつかった。もうへとへとだ。しかし発行までは、まだまだ大変なことが待っている。気の重い帰国である。

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Posted by 下川裕治 at 12:47Comments(1)