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ナムジャイブログ

2023年01月30日

芭蕉の話はインターネットに辿り着く

 芭蕉を研究する和洋女子大学教授の佐藤勝明氏に会った。訊きたいことがあった。
 僕は一昨年、芭蕉の「おくのほそ道」を歩いた。その旅は、『「おくのほそ道」をたどる旅』(平凡社新書)にまとまったが、原稿を書きながら気になっていることがあったのだ。「おくのほそ道」を辿るわけだから、当然、「おくのほそ道」を何回も読む。そこでこの作品の構成の巧みさに接するのだ。芭蕉は本の構成というものをどう考えていたのだろうか。
「おくのほそ道」の前半は句というより、旅を描く分量が多い。半分をすぎ、少し飽きてくる頃、
「一家に遊女もねたり萩と月」
 というやや色っぽい句を載せる。この句は芭蕉の創作といわれている。遊女と出会っていないのだ。テレビの時代劇で半ばをすぎたあたりで女性の入浴シーンを挿入する発想に似ている。
 後半になると、旅の描写より句が多くなってくる。そして最後に、
「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」
 という句を登場させる。その句は、「おくのほそ道」冒頭の、
「行春や鳥啼魚の目に泪」
 の句にリンクする。行春から行秋なのだ。
 みごとな構成力……。
「そう、芭蕉は俳人ですが、すぐれた編集者でもあったと思うんです」
 佐藤氏も同じとらえ方をしていた。
 そこで考える。当時の出版事情である。僕がいま、本を書くとき、内容や文体と同時に構成を考える。面白い本は、やはり構成がしっかりしている。江戸の元禄時代の読者は本の構成まで読み込んでいたのだろうか。
「あの頃、木版印刷が一気に広がるんです。それはいまのインターネットに匹敵するほどの変革だったと思うんです」
 佐藤氏はそう指摘する。
 それまで限られた人のものだった本というものが、一気に一般の人々のものになっていくのだ。仮名草子、浮世草子、草双紙、黄表紙……。井原西鶴といった人物も登場してくる。その流れのなかに芭蕉もいた。つまり作家という人々が評価を得ていくのだ。寺子屋の発達という、識字率をあげていくシステムも絡んでいた。芭蕉の「おくのほそ道」を読んで、「この本の構成はいいねえ」などといった会話が交わされても不思議ではない。そんな環境が生まれていた可能性は高い。佐藤氏によると、当時、貸し本屋に近い形態の書店がかなりあったという。
 つまり本を書いて生きていくというジャンルが芽生えてくるわけだ。芭蕉は1689年に東北から北陸の道を歩いている。その頃から出版文化が広がっていく。いまでも僕らは出版社のことを版元というが、当時、木版印刷で本を出す所を版元といった。
 それから340年以上の年月が流れた。出版文化はその存在感を高めていったが、いま、その世界を凌駕しつつあるのがインターネットである。本の存在すら危うくなるという人もいる。先週、僕は『週刊朝日』の休刊についてこのブログで書いたが、いまの出版界は急速にその勢いを失いつつある。
 芭蕉の話は、最後には、出版事情の愚痴っぽい話に辿り着いてしまった。

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Posted by 下川裕治 at 18:00Comments(0)

2023年01月23日

いい時代だった

『週刊朝日』の休刊が発表された。雑誌の休刊は、今後もまず発刊されないことを意味している。事実上の廃刊である。
 僕を育ててくれた雑誌である。時代の流れとはいえ……言葉に詰まる。
『週刊朝日』とのかかわりは、デキゴトロジーというコラムページからはじまった。専属記者のような形になり、毎週、木曜日の夕方から、編集部の机で原稿を書いていた。隣には、その後、『日日是好日』を書く森下典子さんがいた。僕らふたりが書く記事の本数が多かった。
 僕らが書いた原稿はデスクに渡る。そこで赤字が入れられ、つまり原稿が直されてゲラになる。
 僕は大学を出て新聞記者になったから、取材の基本は身に着けていた。それからフリーランスになり、雑誌に原稿を書くようになるのだが、その世界は新聞とは違った。読ませる構成力やそのための取材、そして文章力といったものが問われた。『週刊朝日』のデスクが、駆け出しのライターに、週刊誌の原稿のノウハウを教えてくれたわけではない。僕らは直された赤字から、原稿の書き方を身に着けていく世界だった。
 森下さんの本を読むと、ときどき、「似てるな」と思うことがある。僕と森下さんの原稿に赤字を入れてくれたデスクは同じ人だから、僕らの原稿も似てきてしまったのかもしれない。
 デスクの赤字からさまざまなものを学んだが、読みやすい原稿を書く……ことはひとつのポイントだと思う。森下さんの本はたしかに読みやすい。わかりづらい部分は、読者目線で説明が加えられている。それを教えてくれたのが、僕同様、デスクだった。
『週刊朝日』は配属替えが多い編集部に映った。僕らの原稿を見てくれるデスクはときどき代わった。いってみれば、僕と森下さんは十数人になるデスクに育てられたようなところがあった。
 デキゴトロジーが縁で、僕は「12万円で世界を歩く」という『週刊朝日』のグラビア記事の連載を担当させてもらうようになる。やがてこれが本になり、デビュー作になった。
 連載は2年近くつづいた。最後はシルクロードを陸路で進む旅で、36日もかかった。旅を終え、成田空港に着くと、妻が半年ほど前に生まれた長女を抱いて待っていた。黒塗りのハイヤーも用意されていた。編集部が手配してくれた。ハイヤーは中野区の古びたアパートまで僕らを運んでくれた。
 いい時代だった。
 休刊を聞き、感謝の思いを伝えようと思っても、誰にいったらいいのかわからない。雑誌とはそういうものだ。1冊の週刊誌はあるが、それをつくった人々はめまぐるしく交代し、対象の人がいない。空に向かって、「ありがとう」というしかない。

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2023年01月16日

雑駁ロシアの自販機物語

 最近、しばしば西川口に行く。西川口といえば、いまや中国人色が強い街として知られているが、中国の料理を食べることが目的ではない。単純に仕事の打ち合わせである。駅とコーヒーショップを往復しているようなものだが、その間にも中国は目に入ってくる。路上を歩くと、大陸からやってきた人特有の強い巻き舌音の中国語が耳に届く。
 中国料理店が多いと聞くと、横浜や神戸の中華街を想像するかもしれないが、西川口は少し違う。1ヵ所に店が集まるというより、日本社会に染み込むように広がっいている。現代中国が日本に根を張っていく感覚。なにげなく入ったラーメン店で、周囲を見ると、皆、蘭州麺を啜っている。そんな浸透といったらいいだろうか。
 かつては池袋にこの雰囲気があった。いまはそれほど目立たない。西川口がそこを引き継いだということだろうか。首都圏の中国人の街は、確実に北上している。
 西川口らしい自販機もみつけた。一見、普通の自販機だが、そこに入っている飲料が違う。並ぶ飲料には、「王老吉」、「〇紅茶(〇は冫に水。氷の意味)、「八寶粥」……といった文字が躍る。そう、中国から直接もってきた飲料なのだ。このあたりが西川口らしいかもしれない。
 ふと思い、日本の自販機に並ぶ飲料を眺めてみる。意外と英語表記が少ない。大陸から来た人向けの簡体字はまったくない。日本は自販機大国だと思うが、日本にやってきた外国人は、自販機の前でかなり悩むのかもしれない。頼りになるのは、文字よりも、パッケージの果物の写真や飲料の色だろうか。そこから想像力を膨らましてボタンを押しているのだろう。
 日本に暮らす外国人のなかには、日本語がうまい人がかなりいる。しかし日常会話とは違い、自販機前での悩みは文字。多くがデザイン化されているから、漢字を勉強している外国人にとっても、かなりの難度になる。
 アジアのなかでは、台湾や韓国に比較的、自販機が多い気がする。僕もそこで買うことはあるが、想像した味と違うことは珍しくない。飲みたいものと違う……それはある種の旅のストレスだが、僕はさして気にしないタイプだ。だから旅がつづけられるのかもしれないが。
 以前、モスクワの地下鉄駅の出口で出合った自販機で悩んでしまったことがある。機械には「DyOo」という文字があった。日本の中古自販機だった。こういう機械はアジアでもときどき見かかる。しかしそこに並ぶ飲み物を目にして、固まってしまった。日本の街角に並ぶ自販機とまったく同じなのだ。「ゆずれもん」「さらっとしぼったオレンジ」「アイスココア」……。つまり街角自販機をそのまま船に積み込んで、モスクワの地下鉄出口に置いたようなものなのだ。
 そこでまた悩む。補充はどうしているのだろう。商品名ではなく、容器の形や色、デザインで判断しているのだろうか。
 自販機を前に立ち尽くしてしまったが、間もなくそこをどかなくてはならなかった。客が次々に現れるのだ。皆、少し悩むが、すっと50ルーブルや10ルーブル硬貨を投入している。旅先でよくわからい飲み物を買うのとは違うのだ。ここはモスクワで、彼らはロシア人……。
「なんて雑駁な人たちなんだ」
 氷点下の風が舞うモスクワで、つい呟いてしまった。


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Posted by 下川裕治 at 14:38Comments(0)

2023年01月09日

旅がはじまらない

 昨年の12月、ソウルの仁川国際空港に着いた。3年ぶりに韓国である。入国システムは変わっていた。K-ETAという、アメリカのESTAのようなビザシステムが導入されていた。1万ウォンの手数料がかかる。
 加えてQ-CODE。これは新型コロナウイルスに対する水際対策。QRコードを提示し、その場で体温を測った。
 ここまではそれほど違和感がなく進んだ。こういった手つづきは、コロナ禍の旅で慣れていた。感染が拡大している時期は、もっと多くの事前申請や空港でのチェックがあったからだ。
 しかしこのチェックをすぎれば、韓国もコロナ禍前に戻っていた。
 旅がはじまる。
 そんな思いがあった。しかし空港からソウル市内に向かう電車に乗るのに2時間もかかってしまった。かつての旅が戻ってこないのだ。いつも空港でシムカードを挿れるか、ルーターを借りていた。到着階には韓国の通信会社のブースがいくつかある。いつもどの会社で手つづきをしていただろうか。その記憶が3年の間に消えていた。
 残った韓国の紙幣を入れていた袋に、Tmoneyというカードが入っていた。スイカのようなICカード。地下鉄や電車に乗るとき、リーダーにかざせばいい。そのカードはあるのだが、どのくらいの金額が残っているかわからない。どうやって残額を確認するんだろうか。もう記憶がない。
 旅のノウハウをゼロからスタートさせなくてはならない。前のようにスムーズにはいかないのだ。ひとつ、ひとつ埋めていく。
 コロナ禍の旅は、さまざまなチェックやウイルス対策、そしてそのなかで休業してしまった店など街の様子を綴っていった。NoteやYouTubeでそれを紹介していった。そんな時期がようやく終わり、旅が戻ってくる。そこで僕はどんな旅を書くのだろう。そのスタンスがみつからず、noteやYouTubeも休載している
 ポストコロナの旅……。その糸口をみつけたくてソウルにきたようなところもある。
 空港からの電車がソウル駅に着いた。駅の周囲にある何軒かの安宿を知っていた。温泉マークが目印。モーテルという看板を掲げた宿が多い。その一軒を訪ねる。跡形もなく消えていた。その近くにある安宿へ。宿はあったが、ドアにはコードのようなものがぎりぎりと巻かれていた。そこから少し離れた2軒……。そこはドアがチェーンで封鎖されていた。コロナ禍の間に、僕の旅を支えてくれた宿が消えていた。
 ドアの前で立ち尽くす。
 旅がはじまる。
 いや、旅がはじまらない……。
 僕がソウル駅周辺で泊まった安宿はことごとく閉鎖されていた。しかたなく、かつての安宿をリノベーションした宿のドアを開けてみた。1泊6万ウォンだといわれた。そのときのレートで7000円ほどになる。
 旅が戻らない。マイナス15度の寒風のなかでただ立ち尽くす。

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Posted by 下川裕治 at 11:27Comments(0)