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ナムジャイブログ

2023年09月27日

日本でもアジアでも雨カッパ

 鞄のなかに雨カッパを入れておくようになったのはいつ頃からだろうか。20年ほど前からのような気がする。急に雨が降ったときに備えることが目的だが、それまで僕は折り畳み傘すらもっていなかった。
 きっかけはキャセイパシフィック航空だった。香港で乗り換えてバンコクに向かう便に乗った。空港でボーディングブリッジではなく、バスで飛行機まで向かうことを告げられた。香港らしい重い雨が降っていた。
 搭乗口でバスを待っていると、キャセイパシフィック航空のスタッフが、ビニールの小袋を配りはじめた。なにかと思って開けてみると雨カッパだった。
 バスで飛行機に向かうということは、タラップをのぼって乗り込むことになる。タラップは屋根があるが、バスからタラップまでの数メートル、雨に濡れることになる。そのための雨カッパだった。あの頃の航空会社は、そんなサービスをしてくれたのだ。
 僕はその雨カッパを鞄に入れた。数メートルの距離である。小走りでタラップに向かえば、さして濡れはしないだろうと思った。
 実際、ほとんど濡れずに僕は飛行機に乗り込んだ。
 そのとき、バンコクではいろいろな打ち合わせや取材をこなさなくてはならなかった。2日目の夕方だった。ある日本人の会社を訪ねることになっていた。ところが雨が降りだしてしまった。雨季は終わりかけていた。この時期は雨脚こそ強くないが、だらだらと降りつづける雨が多い。
 路上で逡巡していた。雨が降ると、バンコクの道は渋滞がひどくなる。タクシーに乗ったら間に合わないかもしれない。目の前が屋根がついたバス停で、そこにバイクタクシーの運転手が客を待っていた。
 ふと、香港の空港でもらった雨カッパを思い出した。薄っぺらの雨カッパだが、この程度の雨ならしのげるかもしれない……。
 運転手に訊くと、「行く」という。僕は雨カッパを羽織って、バイクの後部座席に座った。ズボンはかなり濡れたが、あとはほとんど濡れずに目的地に着いた。
 バンコクの渋滞は年を追って激しくなっていった。停車した車の間をすり抜けるバイクは渋滞知らずである。バイクタクシーは僕にとって欠かせない交通手段になった。
 キャセイパシフィックからもらった雨カッパは、翌年には破れてしまった。もともと長く使う目的でつくられてはいない。
 バンコクの量販店で新しい雨カッパを買った。それをいまでも使っている。そう頻繁に着るわけではない。いまだ破れてもいない。
 雨季にアジアに滞在するときは鞄のなかにこのカッパを入れているが、日本ではさすがに部屋に置いていた。バンコクで買った雨カッパはかさばるからだ。
 しかし昨年、傘をさして自転車に乗り、警察に捕まってしまった。阿佐ヶ谷駅前。ちょっと急いでいた。信号の変わり際で道を横断すると、警察官に停められた。傘をさして自転車に乗ったことと信号無視。しっかり調書をとられてしまった。そして後日、簡易裁判所に出頭することになった。はじめてということで罰金はなかったが、一連の手つづきはとにかく面倒である。
 それ以来、雨が降りそうなときは鞄に雨カッパを入れることになってしまった。日本にいても、アジアへ行っても雨カッパなのである。
 時間に余裕があれば、雨カッパなど着ずに傘をさして歩けばいい。僕は高校時代、番傘を使っていた。縁があって、上高地の五千尺ホテルにあった番傘を譲ってもらった。太めの竹の骨に油紙を張ったものだ。時代劇によく登場する。番傘は重く、雨があたる音は半端なく大きい。それをさして信州の高校に通っていた。あの頃のほうが、はるかに心に余裕があったということか。


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Posted by 下川裕治 at 11:59Comments(2)

2023年09月18日

空港歩きは登山の歩数に匹敵する?

 僕はスマホに「Coke ON」というアプリを入れている。1週間で3万5000歩を歩くとスタンプがひとつもらえ、それを15個貯めると、日本コカ・コーラの自販機に入っている飲料をひとつもらえるというアプリである。
 月曜から日曜までの1週に3万5000歩。僕のいまの生活からすると、それほど難しいことではない。毎日、事務所に行く。最寄り駅までは自転車か徒歩になるが、普通にすごしていると、金曜日あたりに3万5000歩を超える。
 日々、このアプリで歩いた歩数をみていると、急に増えるときがある。
 空港である。
 気づかないうちにかなりの歩数を稼いでいる。
 木曜日にバンコクから東京に戻った。いまは「歩くバンコク」の編集を進めているが、今号から、スワンナプーム空港の免税店フロアーの詳細マップを載せることになった。免税店、有名ブランド店、タイの土産店、飲食店……。それを網羅した。日本に帰る飛行機に乗る前、買い忘れた土産物を買ったり、ブランド店を見て歩いたり……。「そのためのフロアー地図がほしい」という要望が届いていた。そこで免税亭フロアーの全店を掲載することにした。
 免税店エリアだから、バンコクから出国するときにチェックするしかない。前回、日本に帰るときに全店を掲載する地図の元をつくった。今回はそのチェックである。
 イミグレーションでスタンプをもらい、つくった地図を片手にチェックをはじめる。最初につくったのは1ヵ月ほど前。その時点からどれほど店が代っているのか。
 1軒1軒確認していくから時間がかかる。チェックが終わるまで1時間ほどかかった。
 やはりスワンナプーム空港は広い。
 歩き終え、Coke ONを見た。2万歩ほど増えていた。
 たとえば日本で山にのぼる。今年の初夏、北アルプスの唐松岳にのぼった。のぼりだけでは2万歩には届かなかった。それがスワンナプーム空港を歩いただけで、2万歩に達してしまう。歩数から換算すると、ひとつの山をのぼったことになってしまう。今回は店舗チェックがあったから隈なく歩いたが、通常の空港利用でも、搭乗口が遠いと1万歩近く歩くことになる。
 空港歩きは登山に匹敵する?しかしそれほど歩いた実感はない。唐松岳にのぼったときは、辿り着いた山頂に近い山小屋でへたり込んでしまった。しかし空港歩きはそれほど疲れない。平坦な通路を歩いたからだろうか。
 世界の空港の巨大化が進んでいる。広さでみると、アメリカ、中東、中国などの空港になるが、これは滑走路を含めた敷地面積。ターミナルの広さではない。国際線の利用客数は、ドバイ、ロンドン、アムステルダム、パリ、イスタンブールとつづく。利用客数はターミナルの広さに直結はしないが、ある程度の予測はつく。
 しかしタイのスワンナプーム空港は、そのどちらにも入ってこない。それでも隅から隅にまで歩くと2万歩を超えてしまう。1年半ほど前、イスタンブール空港を使ったが、気が遠くなるような広さだった記憶がある。乗り継ぐだけで2万歩を超えてしまうかもしれない。
 年をとり、足の筋肉量が減ってきたことを痛感している。海外に出る。空港では登山並みに歩くことを覚悟しなくてはいけないということだろうか。高低差がないことでなんとか凌いでいるが。

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2023年09月11日

アウンサンスーチー氏は朝の歯磨き派?

 ユーチューブで週1回、ミャンマー速報を配信している。クーデターが起きてからもう2年半。ほぼ休みなく公開してきた。毎週日曜日、ミャンマー在住の知人たちと、できるだけ発覚しない通信手段で連絡をとり、その内容をまとめてアップしている。
 今週、そのなかにアウンサンスーチー氏の健康状態の話題があった。その真相が少しずつわかってきた。彼女は歯が悪いらしい。歯科医の治療を希望しているようだが、国軍が首を縦に振らない。歯が痛く、食事をとるのも大変らしい。体調を壊している一因のようだった。
 アウンサンスーチー氏は歯が悪いのか。
 僕も歯には苦労してきた。いや、いまも不自由な思いをしている。小さい頃から虫歯が多かった。歯科医にいわせると、歯の形が悪いらしい。歯科医には数えきれないほど通った。20歳の頃、ほぼすべての歯になんらかの形で歯科医の手が入っていた。
 そして年とともに、歯茎が後退していく。40歳をすぎた頃だろうか。歯槽膿漏になってしまった。そのとき通った歯科医が僕の歯を救ってくれた。歯や歯茎のブラッシングの練習を何回も繰り返し、夕食の後で歯磨きをする習慣がついた。歯磨き粉は使わない。夕食後、テレビでも見ながら、歯ブラシを動かしている。そのお陰か、なんとか僕の歯はもちこたえた。一部は入れ歯になっているが。
 子供の頃から、歯磨きは朝にするものだと思っていた。僕の世代は皆、そうだった気がする。
 インドの夜行列車に乗る。朝、目が覚め、ぼんやり車窓を眺める。インドの男たちが、土手に座って木の枝を口に突っ込んでいる。それが歯磨きだと耳にしたとき、木の枝にインドを感じたが、朝、歯磨きをすることは当然のことだと思っていた。
 しかし僕が通った歯科医は、夜の食事の後の歯磨きの重要さを強調した。時間がなければ、朝は省略しても、夜は……。歯科医の間でも、歯磨きへの考え方が変わってきたのだろう。
 しかし旅先ではなかなか夜の歯磨きができない。夜行バスや夜行列車に乗ることが多いのが僕の旅。とくにバスは水もないし、歯ブラシをする時間もない。列車にしても、僕が選ぶ席は最も安いクラスが多いから、かなり混みあっている。歯ブラシをする余裕もなかった。子供の頃から、夜の歯磨きはせずに育った。夜行バスや列車で夜の歯磨きができなくても抵抗感はなかった。
 一時期、週刊で発売される鉄道関係の本の編集デスクを任されていたことがある。そのなかにさまざまな列車の乗車体験を載せるページがあった。夜行寝台列車の体験記がライターから届いた。その内容をチェックするのが僕の役割のひとつだった。こんな記述があった。
──夜、歯を磨いて寝台にもぐった。
「歯を磨いて」という記述が気になった。列車旅とは基本的に関係がない。僕より若いライターはそれほど気にせずに書いたのだろうが……。この一文を削るべきかでかなり悩んだ。寝る前に歯を磨くことは、当然のことになっていた。
 民主派を押さえ込む中国の政策に反発し、香港の若者たちが路上占拠に打って出たことがあった。雨傘革命と呼ばれるものだ。その取材に出かけ、写真を撮り、学生たちの声を集めた。なにげなく公衆トイレに入った。洗面台にずらりとコップと歯ブラシが並んでいた。夜、トイレに入ると男子学生たちが歯を磨いていた。その夜、彼らが寝るのは路上である。時代は変わったと改めて思った。
 アウンサンスーチー氏は78歳。その年齢から考えると、朝の歯磨き派だったのかもしれない。

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Posted by 下川裕治 at 16:45Comments(0)

2023年09月04日

飛行機の申し子世代

 土曜日(9月2日)、羽田空港から飛行機で札幌に向かった。苫小牧から出る仙台行きフェリーに乗るためだった。
 羽田空港の搭乗待合室は混みあっていた。週末である。旅というより、東京での仕事が終わって札幌に帰るような人が多かった。
 改めて飛行機の時代だと思った。
 僕は1954年生まれである。子供の頃、飛行機の存在は知っていたが関心もなかった。縁遠いものだった。住んでいたのは信州。東京にいたら、もう少し身近に思えたかもしれないが、当時、信州には空港もなかった。
 大学に入り、高校受験を翌年に控えた中学生の家庭教師をしていたことがあった。雑談で飛行機の話になった。その中学生は国内線だが、すでに飛行機に乗っていた。
「飛行機のなかで1回もトイレにいったことがないんです」
 その少年はそんな話をした。金もちの息子の生きている世界は違うと思った。
 家庭教師の協会から紹介された家だった。父親は電気店を何軒も経営する会社の社長だった。母親が病死し、「話し相手にもなってほしい」と父親から頼まれた。
 家庭教師の協会から紹介される家は富裕層が多かった。僕に支払われる金額の倍ほどを協会に払っているという話だった。そういう家は国内旅行に飛行機を使ったのだろう。僕はまだ1回も飛行機というものに乗ったことがなかった。
 僕がはじめて飛行機に乗ったのは大学2年のときだった。エアーサイアムという会社の飛行機に乗ってバンコクに向かった。初飛行機が国際線だった。乗るまでの数日、神経性の下痢がつづくほど緊張した。
 その後、飛行機は瞬く間に庶民の乗り物になっていく。やがて国内では列車と肩を並べる交通手段になっていく。国際線も格安航空券という団体向け航空券のばら売りという値さげがはじまり、僕はその安い航空券を駆使して何回となく海外に出向くようになった。そんな旅を本に書いたことが縁で、「格安航空券ガイド」という雑誌の編集長を務めることになる。振り返ってみれば、僕の半生は飛行機とともに歩んだ気にさえなってくる。
 僕の世代は飛行機の大衆化の申し子世代である。かつては特別な人の乗り物だっだ飛行機が、庶民レベルに降臨してくる時代とともに生きてきた世代だ。
 コロナ禍で2年、3年と海外旅行が封印され、やっと海外に出ることが可能になり、同世代の知人も馴染みの国に向かう。
「いやー、飛行機が新鮮で。荷物チェックやイミグレーションでなにか感動してしてしまって」
 海外の街に着いた知人からメールがラインが届く。いまいる国のことなどなにも話題にのぼってこない。飛行機に乗れたことだけで満足している節すらあった。「海外旅行は訪ねる国ではなく、飛行機に乗ること」といい換えてもいい気すらする。
 それが僕らの世代だった。どこの街で航空券を買うと安いか。イミグレーションをどうスムーズに通過するか。イラク航空が激安だそうだ……。そんな話が飛び交う時代を生きてきた世代なのだ。
 しかし僕らよりひと世代若くなると、飛行機に乗る道は平坦で、特別な感情を抱かないのかもしれない。
 札幌行きの飛行機に乗り込む。僕の脳裡にはさまざまな過去が蘇ってきてしまう。金属類をすべてはずしても、赤いランプが点灯したロシアの空港。チェックインが終わっているというのに、共産党の幹部が乗るからと搭乗を拒否された中国の空港。滑走路を走りはじめて急に片側のエンジンが止まったパキスタン航空……。飛行機の申し子世代は、それが国内線であっても心が揺れる。旅の因果といえばそれまでなのだが。

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