2023年12月25日
シニア割引の蚊帳の外
今年最後のブログになる。なんだかセコい話で恐縮なのだが、シニア割引の話である。
いまバンコクにいる。4ヵ月ほど前だろうか。「歩くバンコク」の確認もあって、MRTという地下鉄のシニアカードをつくった。65歳以上は運賃が半額になる。BTSの割引は外国人には適用されないが、MRTはOK。パスポートを窓口に持参してつくった。
バンコクにしばらく滞在するとわかると思うが、MRTやBTSはバンコクの物価を考えると高い。少し乗っただけでも30バーツ、40バーツが消えていく。日本より若干安い程度だ。それがMRTだけだが半額になる。使ってみると、「これは得」という実感。ちょっとうれしい。
僕はさまざまなシニア割引を享受できる年齢だが、調べていくと、鼻白んでしまうことが多い。
たとえば日本のホテル。シニア割引で検索すると、食事つきで7万円のホテルが5万円になる、といった類の案内がぞろぞろ出てくる。こういうと寂しい話になるが、食事つきで7万円といったホテルなど泊まったことがない。5000円を下まわるビジネスホテルでなんの不満もない。
日本に7万円クラスのホテルになんのわだかまりもなく泊まる人はいるから、的外れのシニア割引ではないとは思うが、僕の感覚からすれば、還暦や古希の祝いに子供がプレゼントするような世界にも映る。まあ僕はバックパッカー旅をフィールドにしている旅行作家だから、宿のストライクゾーンは相当に広いことが事実なのだが。
飛行機の国内線にもシニア割引がある。日本航空の「当日シニア割引」、全日空の「スマートシニア空割」だ。スカイマークやソラシドエアにもある。ないのはジェットスターやピーチアビエーションといったLCCだ。
日本航空や全日空は65歳以上で、それぞれの会社のカードに加入することが条件だが、当日の午前零時以降とか4時間前からでしか予約が入らない。空席待ちチケットにも似ている。
その運賃を全日空で見てみる。たとえば東京―札幌。来年3月末までの片道運賃は通常期で1万7600円。しかしこの路線にはLCCも飛んでいる。1月10日の運賃を検索して観ると、ジェットスターが5290円と出てくる。どれほどの人が全日空のシニア割引を利用するのかと思ってしまう。いや、シニアは乗るのだろうか。
LCCが就航していない空港も見てみた。東京ー稚内。やはり1月10日で調べると、札幌までLCCで向かい、札幌から稚内までは全日空という組み合わせで2万2860円。シニア割引は2万300円。その差は2500円ほど。「これは安い」と飛びつくほどではない。
結局、そういうことなのだ。僕のような旅行者は、日本のシニア割引の恩恵を受けられない。
安い旅ばかり標榜してきた僕がいけないのだろうか。
こうして僕は歳ばかりとっていく。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
*次週は元日のためお休みします。
いまバンコクにいる。4ヵ月ほど前だろうか。「歩くバンコク」の確認もあって、MRTという地下鉄のシニアカードをつくった。65歳以上は運賃が半額になる。BTSの割引は外国人には適用されないが、MRTはOK。パスポートを窓口に持参してつくった。
バンコクにしばらく滞在するとわかると思うが、MRTやBTSはバンコクの物価を考えると高い。少し乗っただけでも30バーツ、40バーツが消えていく。日本より若干安い程度だ。それがMRTだけだが半額になる。使ってみると、「これは得」という実感。ちょっとうれしい。
僕はさまざまなシニア割引を享受できる年齢だが、調べていくと、鼻白んでしまうことが多い。
たとえば日本のホテル。シニア割引で検索すると、食事つきで7万円のホテルが5万円になる、といった類の案内がぞろぞろ出てくる。こういうと寂しい話になるが、食事つきで7万円といったホテルなど泊まったことがない。5000円を下まわるビジネスホテルでなんの不満もない。
日本に7万円クラスのホテルになんのわだかまりもなく泊まる人はいるから、的外れのシニア割引ではないとは思うが、僕の感覚からすれば、還暦や古希の祝いに子供がプレゼントするような世界にも映る。まあ僕はバックパッカー旅をフィールドにしている旅行作家だから、宿のストライクゾーンは相当に広いことが事実なのだが。
飛行機の国内線にもシニア割引がある。日本航空の「当日シニア割引」、全日空の「スマートシニア空割」だ。スカイマークやソラシドエアにもある。ないのはジェットスターやピーチアビエーションといったLCCだ。
日本航空や全日空は65歳以上で、それぞれの会社のカードに加入することが条件だが、当日の午前零時以降とか4時間前からでしか予約が入らない。空席待ちチケットにも似ている。
その運賃を全日空で見てみる。たとえば東京―札幌。来年3月末までの片道運賃は通常期で1万7600円。しかしこの路線にはLCCも飛んでいる。1月10日の運賃を検索して観ると、ジェットスターが5290円と出てくる。どれほどの人が全日空のシニア割引を利用するのかと思ってしまう。いや、シニアは乗るのだろうか。
LCCが就航していない空港も見てみた。東京ー稚内。やはり1月10日で調べると、札幌までLCCで向かい、札幌から稚内までは全日空という組み合わせで2万2860円。シニア割引は2万300円。その差は2500円ほど。「これは安い」と飛びつくほどではない。
結局、そういうことなのだ。僕のような旅行者は、日本のシニア割引の恩恵を受けられない。
安い旅ばかり標榜してきた僕がいけないのだろうか。
こうして僕は歳ばかりとっていく。
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2023年12月18日
ユナイテッド航空の27年
毎年、12月になると、ユナイテッド航空のサイトをよく開くようになる。今年1年でどれほど搭乗したか……で、翌年のステイタスが決まるからだ。ステイタスというのは、マイレージプログラムに加入し、搭乗マイルを加算して得るもの。シルバー、ゴールドなどといったクラスに分かれていて、ステイタスが高いほど、いろいろな特典を得ることができる。
先日もユナイテッド航空のサイトを開くとある文面が現れた。英語だが、その文言を日本語にするとこんな感じだろうか。
「27年間、ご愛顧ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
溜め息が出た。
もう27年か……。
自分からユナイテッド航空のマイレージプログラムに加入したわけではない。このプログラムが登場した頃、東京とバンコクの間をよく往復していた。航空券はバンコクで買っていた。日本で買うより安かったからだ。そのなかでも比較的安かったのがユナイテッド航空だった。当然、乗る機会が多くなる。当時、僕はバンコクのメディア・インターナショナルという旅行会社でよく航空券を買っていた。そこの女性オーナーのマユリーさんがこういった。
「ユナイテッド航空がマイレージプログラムをはじめたんです。搭乗すればマイルが貯まって、タダで飛行機に乗れるプログラム。入会金もいらないから申し込んでおきますね」
かくして僕は会員になった。何回か乗っているうちにマイルが貯まった。そしてはじめて無料航空券を手に入れた。これは得だと思った。それがユナイテッド航空の策略だとも知らずに……。
そうこうしているうちに、ユナイテッド航空は東京とアジアを結ぶ路線から撤退してしまう。僕のような旅行者を乗せても儲からないことがわかったのだろう。ところがそのとき、僕はマイレージプログラムにからめとられていた。マイレージプログラムはアライアンスというグループ化が進んでいて、そこに加盟している航空会社に乗ってもマイルが貯まるようになっていた。
仕事が忙しくなり、東京とバンコクを往復する回数は年を追って増えていった。するとあるとき、ユナイテッド航空からカードが入った手紙が届いた。
「おめでとうございます。あなたがゴールドのステイタスを獲得しました」
手紙にはさまざまな特典が書かれていた。
ゴールドというステイタスはなかなかのものだった。あるとき、モスクワからトルコ航空で帰国しようとした。しかしモスクワから乗り継ぎ空港のイスタンブールに向かう便が遅れ、東京行きのトルコ航空の便に間に合わなかった。すると同じアライアンスのルフトハンザ航空の東京行きに切り替えてくれた。
しかしそれがまたしてもユナイテッド航空仕かけた策略だった。その後、ユナイテッド航空そのものに4フライト乗らなくてはいけないという条件が加わり、ゴールドを維持するために貯めなくてはならないマイル数が年を追ってあがっていった。
ユナイテッド航空の4フライトに乗るために、用もないのにアメリカに行かなくてはならない。マイルを増やすために予約クラスをあげる……出費は増えるばかりだ。
もう27年か。
ユナイテッド航空に振りまわされつづけた27年……。
来年はどうなるのか。
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先日もユナイテッド航空のサイトを開くとある文面が現れた。英語だが、その文言を日本語にするとこんな感じだろうか。
「27年間、ご愛顧ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
溜め息が出た。
もう27年か……。
自分からユナイテッド航空のマイレージプログラムに加入したわけではない。このプログラムが登場した頃、東京とバンコクの間をよく往復していた。航空券はバンコクで買っていた。日本で買うより安かったからだ。そのなかでも比較的安かったのがユナイテッド航空だった。当然、乗る機会が多くなる。当時、僕はバンコクのメディア・インターナショナルという旅行会社でよく航空券を買っていた。そこの女性オーナーのマユリーさんがこういった。
「ユナイテッド航空がマイレージプログラムをはじめたんです。搭乗すればマイルが貯まって、タダで飛行機に乗れるプログラム。入会金もいらないから申し込んでおきますね」
かくして僕は会員になった。何回か乗っているうちにマイルが貯まった。そしてはじめて無料航空券を手に入れた。これは得だと思った。それがユナイテッド航空の策略だとも知らずに……。
そうこうしているうちに、ユナイテッド航空は東京とアジアを結ぶ路線から撤退してしまう。僕のような旅行者を乗せても儲からないことがわかったのだろう。ところがそのとき、僕はマイレージプログラムにからめとられていた。マイレージプログラムはアライアンスというグループ化が進んでいて、そこに加盟している航空会社に乗ってもマイルが貯まるようになっていた。
仕事が忙しくなり、東京とバンコクを往復する回数は年を追って増えていった。するとあるとき、ユナイテッド航空からカードが入った手紙が届いた。
「おめでとうございます。あなたがゴールドのステイタスを獲得しました」
手紙にはさまざまな特典が書かれていた。
ゴールドというステイタスはなかなかのものだった。あるとき、モスクワからトルコ航空で帰国しようとした。しかしモスクワから乗り継ぎ空港のイスタンブールに向かう便が遅れ、東京行きのトルコ航空の便に間に合わなかった。すると同じアライアンスのルフトハンザ航空の東京行きに切り替えてくれた。
しかしそれがまたしてもユナイテッド航空仕かけた策略だった。その後、ユナイテッド航空そのものに4フライト乗らなくてはいけないという条件が加わり、ゴールドを維持するために貯めなくてはならないマイル数が年を追ってあがっていった。
ユナイテッド航空の4フライトに乗るために、用もないのにアメリカに行かなくてはならない。マイルを増やすために予約クラスをあげる……出費は増えるばかりだ。
もう27年か。
ユナイテッド航空に振りまわされつづけた27年……。
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2023年12月11日
自由というものの底なしの不安
先週、小豆島を訪ねた。俳人の尾崎放哉の話を本にまとめるためだった。放哉は41歳で死亡する前の8ヵ月を小豆島の南郷庵という小さな庵で暮らしていた。
放哉は山頭火と並び、自由律俳句を代表する俳人である。僕は10年以上、ある句会で俳句をつくっている。そこでつくる俳句は有季定型という制約がある。季語をひとつ入れ、上五中七下五、つまり17文字で句をつくらなくてはならない。自由律俳句は、そういう制約をすべてとり払ったものだ。
──咳をしても一人(放哉)
──入れものが無い両手で受ける(放哉)
──どうしようもない私が歩いている(山頭火)
──まつすぐな道でさみしい(山頭火)
どれも季語がなく、17文字を無視している句だ。
ふたりはもともと有季定型で句をつくっていたが、自由律の世界に飛び込む。そしてふたりとも酒で身をもち崩し、放哉は小豆島、山頭火は愛媛の庵で死んでいく。ふたりとも困窮を極めた寂しい死だった。
山頭火は晩年の日記にこう書いている。
「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」
自由律俳句は魔物だという人がいる。定型を離れ、自由になったとたん、底なしの不安に苛まれるからだという。そこで酒に手がのびる。放哉は東大出というエリートから足を踏み外し、山頭火は泥酔し数々のトラブルを起こす。世間から見放され、放哉はお遍路さんが落とすわずかなろうそく代にすがり、山頭火は物乞いに身を落とす。
僕は俳句をつくっているから、有季定型がいかに不自由なものかを知っている。もう5文字あったら……といつも思う。しかしそこから離れ、自由になったとたん、魔物が待ち構えているらしい。
コロナ禍は人々に多くの制約を強いた。その不満を多くの人が口にしたが、皆、同じ制約のなかにいると、それに守られていくようなところがある。そしてコロナ禍が収束し、さあ、これからは自由ですよ、といわれたときの不安に似ている。コロナ禍前のあのストレスフルな環境に戻る自信がない。仕事がうまくいかない理由を、新型コロナウイルスのせいにすることもできない。
僕は自由業という世界で生きてきた。旅行作家などという肩書きはもらっているが、つまりはフリーランスである。自由業者には毎月の給料がない。来月、いくらの収入があるのかもわからない。それは勤めるという形態から自由になった代償である。出勤時刻というものもないが、残業手当もない。
フリーランスになったとき、先輩からこういわれた。
「フリーになったら、サラリーマンの3倍は稼がないと人並みの暮らしはできないよ」
はじめの頃は自由という言葉に惑わされて浮足だっていたが、いまとなるとその意味が痛いほどわかる。つまりは、「自由と引き換えに放り込まれる貧しさに耐えられるか」ということなのだ。
放哉が小豆島で送った8ヵ月は切ない。結核にかかっていた放哉は、日に日に衰えていく体を自由律俳句で支える。最後には足腰が立たず、目も見えなくなるのだが。しかし放哉を代表する句のほとんどは、小豆島で詠んだ216句に含まれている。
自由とはそういうことなのか。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
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放哉は山頭火と並び、自由律俳句を代表する俳人である。僕は10年以上、ある句会で俳句をつくっている。そこでつくる俳句は有季定型という制約がある。季語をひとつ入れ、上五中七下五、つまり17文字で句をつくらなくてはならない。自由律俳句は、そういう制約をすべてとり払ったものだ。
──咳をしても一人(放哉)
──入れものが無い両手で受ける(放哉)
──どうしようもない私が歩いている(山頭火)
──まつすぐな道でさみしい(山頭火)
どれも季語がなく、17文字を無視している句だ。
ふたりはもともと有季定型で句をつくっていたが、自由律の世界に飛び込む。そしてふたりとも酒で身をもち崩し、放哉は小豆島、山頭火は愛媛の庵で死んでいく。ふたりとも困窮を極めた寂しい死だった。
山頭火は晩年の日記にこう書いている。
「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」
自由律俳句は魔物だという人がいる。定型を離れ、自由になったとたん、底なしの不安に苛まれるからだという。そこで酒に手がのびる。放哉は東大出というエリートから足を踏み外し、山頭火は泥酔し数々のトラブルを起こす。世間から見放され、放哉はお遍路さんが落とすわずかなろうそく代にすがり、山頭火は物乞いに身を落とす。
僕は俳句をつくっているから、有季定型がいかに不自由なものかを知っている。もう5文字あったら……といつも思う。しかしそこから離れ、自由になったとたん、魔物が待ち構えているらしい。
コロナ禍は人々に多くの制約を強いた。その不満を多くの人が口にしたが、皆、同じ制約のなかにいると、それに守られていくようなところがある。そしてコロナ禍が収束し、さあ、これからは自由ですよ、といわれたときの不安に似ている。コロナ禍前のあのストレスフルな環境に戻る自信がない。仕事がうまくいかない理由を、新型コロナウイルスのせいにすることもできない。
僕は自由業という世界で生きてきた。旅行作家などという肩書きはもらっているが、つまりはフリーランスである。自由業者には毎月の給料がない。来月、いくらの収入があるのかもわからない。それは勤めるという形態から自由になった代償である。出勤時刻というものもないが、残業手当もない。
フリーランスになったとき、先輩からこういわれた。
「フリーになったら、サラリーマンの3倍は稼がないと人並みの暮らしはできないよ」
はじめの頃は自由という言葉に惑わされて浮足だっていたが、いまとなるとその意味が痛いほどわかる。つまりは、「自由と引き換えに放り込まれる貧しさに耐えられるか」ということなのだ。
放哉が小豆島で送った8ヵ月は切ない。結核にかかっていた放哉は、日に日に衰えていく体を自由律俳句で支える。最後には足腰が立たず、目も見えなくなるのだが。しかし放哉を代表する句のほとんどは、小豆島で詠んだ216句に含まれている。
自由とはそういうことなのか。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」。
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
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12:09
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2023年12月06日
たかだか借金だろ
伊集院静さんが亡くなった。ひとつの時代の終わりのような気がしなくもない。
彼はなにかのエッセイで自殺した日本人について書いていたことがあった。その日本人は億を超える借金を抱え、それを苦にした自殺と報じられていた。それに対して、伊集院さんはこう書いた。
「たかだか借金だろ」
借金に苦しむ日本人にしたら、この作家はなにを書いているのか……と思ったのかもしれないが、それが彼の生き方だった。
一度、彼に連れられて銀座のバーにいったことがある。ある出版社のパーティーの二次会で、彼は僕ら数人に声をかけてくれた。僕は一銭も払わなかった。後になって、その出版社の編集者からこう聞かされた。
「すべて伊集院さんもちです。ただ伊集院さんも払っていない。うちの出版社に請求書がまわってくる。そういうことを伊集院さんはなにも気にしていないから。ただうちの週刊誌などの連載のギャラはないと思う。うちはそのギャラで、彼の借金を埋めているんですよ」
その話を聞いた後で、彼のエッセイを読んだ。
「たかだか借金だろ」
リアリティがあった。彼は「最後の無頼派作家」といわれる。その理由はこんなところにもあった。
伊集院さんは仙台に住んでいた。行きつけの店に触れてこんなことも書いていた。
「その店の料理がおいしいといった話は一切書かない。まずい料理を出す店はない。それなのに、おいしい、と書くのはすごく失礼に思う」
飲食店を紹介するエッセイやガイドのなかには「おいしい」という言葉が溢れている。そんな安易な文章への彼なりの批判だったのかもしれない。以来、僕は料理の話を書くとき、「おいしい」という言葉を封印した。少しでも彼の領域に近づきたいと思いがあったからだ。
新宿の歌舞伎町の風俗ビルで火災が起き、若い女性が死亡した事故が起きた。世間は風俗系ビルの防火体制を問題視したが、その文脈のなかには、「そういう仕事をする人々の世界」という空気が潜んでいた。こういう話にも、伊集院さんは反発した。風俗の世界で働く若い女性への優しい眼差しが、彼の文章の底を流れていた。
伊集院静さんはそういう作家だった。
晩年の彼の作品には「大人」というタイトルがつくものが多い。そこには洒脱なイメージがついてまわるが、彼の本質は少し違っていたと思う。無頼であり、報われない人たちへの優しさを失わなかった。
エッセイはときに、唐突に話が変わった。サッカーの話から、次の行で競輪の話になったりした。どこか勝負の場は小説で、エッセイは余興といった雰囲気があった。
僕はとてもそんな大胆な文章は書けない。どこか読者や編集者の反応に怯えているようなところがある。とても伊集院さんには歯がたたない。
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彼はなにかのエッセイで自殺した日本人について書いていたことがあった。その日本人は億を超える借金を抱え、それを苦にした自殺と報じられていた。それに対して、伊集院さんはこう書いた。
「たかだか借金だろ」
借金に苦しむ日本人にしたら、この作家はなにを書いているのか……と思ったのかもしれないが、それが彼の生き方だった。
一度、彼に連れられて銀座のバーにいったことがある。ある出版社のパーティーの二次会で、彼は僕ら数人に声をかけてくれた。僕は一銭も払わなかった。後になって、その出版社の編集者からこう聞かされた。
「すべて伊集院さんもちです。ただ伊集院さんも払っていない。うちの出版社に請求書がまわってくる。そういうことを伊集院さんはなにも気にしていないから。ただうちの週刊誌などの連載のギャラはないと思う。うちはそのギャラで、彼の借金を埋めているんですよ」
その話を聞いた後で、彼のエッセイを読んだ。
「たかだか借金だろ」
リアリティがあった。彼は「最後の無頼派作家」といわれる。その理由はこんなところにもあった。
伊集院さんは仙台に住んでいた。行きつけの店に触れてこんなことも書いていた。
「その店の料理がおいしいといった話は一切書かない。まずい料理を出す店はない。それなのに、おいしい、と書くのはすごく失礼に思う」
飲食店を紹介するエッセイやガイドのなかには「おいしい」という言葉が溢れている。そんな安易な文章への彼なりの批判だったのかもしれない。以来、僕は料理の話を書くとき、「おいしい」という言葉を封印した。少しでも彼の領域に近づきたいと思いがあったからだ。
新宿の歌舞伎町の風俗ビルで火災が起き、若い女性が死亡した事故が起きた。世間は風俗系ビルの防火体制を問題視したが、その文脈のなかには、「そういう仕事をする人々の世界」という空気が潜んでいた。こういう話にも、伊集院さんは反発した。風俗の世界で働く若い女性への優しい眼差しが、彼の文章の底を流れていた。
伊集院静さんはそういう作家だった。
晩年の彼の作品には「大人」というタイトルがつくものが多い。そこには洒脱なイメージがついてまわるが、彼の本質は少し違っていたと思う。無頼であり、報われない人たちへの優しさを失わなかった。
エッセイはときに、唐突に話が変わった。サッカーの話から、次の行で競輪の話になったりした。どこか勝負の場は小説で、エッセイは余興といった雰囲気があった。
僕はとてもそんな大胆な文章は書けない。どこか読者や編集者の反応に怯えているようなところがある。とても伊集院さんには歯がたたない。
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