2024年07月29日
バンコクの穏やかな日々
7月26日の深夜というか、バンコク時間で7月27日の午前2時頃、ふらふらになってパソコンから離れた。
いま、「歩くバンコク」の編集作業がつづいている。僕にとってはいちばんしんどい時期だ。エリアの担当者から届いた地図の修正はデザイナーが担当するが、原稿類の整理は僕の役割になる。原稿を直し、タイトルをつけ、表記を統一し、データ類をチェックしていく。「歩くバンコク」にはいろんな要素が入り込んできている。見開きページ単位で整えていかないと漏れが出る。
この作業をバンコクでやっている。事務所が借りている部屋は、完全な仕事部屋になっている。
「今日はここまでにしようか」と息をつく。近くの量販店で買った安いビールの栓を開けた。1缶30バーツ、約140円。タイのビールも高くなった。味にこだわらないタイプだから、安ければいいと思っている。
思いたってテレビをつけた。タイの7チャンネル。川をくだる船の上で、妙に明るい人たちが手を振っていた。
「ん? そうか、オリンピックか」
セーヌ川での開会式の映像だった。チャンネルを変えてみた。NHKの衛星放送でも放映していた。
オリンピックを知らなかったわけではないが、開会式のことはすっかり忘れていた。理由は単純で、タイにいるからだ。バンコクの多くの人たちはオリンピックにあまり関心がない。話題にものぼらない。
タイの人々が、スポーツ観戦に興味がないわけではない。獲得メダル数が少ないから盛りあがらないだけだ。東京のオリンピックのメダル数は2個だった。
オリンピックというイベントはナショナリズムを刺激することで成り立っている。たとえばフェンシング。このスポーツに縁がない人は、競技のスピードが速すぎ、なぜ勝敗が決まったのかわからない。しかし日本人選手が勝つかもしれないという興味だけでテレビのスイッチを入れる。
オリンピックに盛りあがる国を地球レベルで俯瞰して眺めてみる。例外はあるが、大国と俗に温帯といわれるエリアにある国に収れんしてくる。そして今年は北半球の温帯の国々が厳しい暑さに襲われている。スペイン北部では43度になったニュースを目にした。韓国や中国も40度を超える熱波。そして日本も猛暑である。そこにオリンピックの熱気が加わって、温帯エリアがなんだかものすごく熱いのだ。
それに比べると、バンコクの日々は安穏としている。雨季に入っているから、毎日、気温は27度~28度あたりに落ち着いている。オリンピックの熱も届かない。実に穏やかな日々なのだ。
はじめてタイを訪れたとき、暑くて激しい国だと思った。それから50年近い年月が流れた。今年だけのことなのかもしれないが、バンコクの日々は穏やかである。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
いま、「歩くバンコク」の編集作業がつづいている。僕にとってはいちばんしんどい時期だ。エリアの担当者から届いた地図の修正はデザイナーが担当するが、原稿類の整理は僕の役割になる。原稿を直し、タイトルをつけ、表記を統一し、データ類をチェックしていく。「歩くバンコク」にはいろんな要素が入り込んできている。見開きページ単位で整えていかないと漏れが出る。
この作業をバンコクでやっている。事務所が借りている部屋は、完全な仕事部屋になっている。
「今日はここまでにしようか」と息をつく。近くの量販店で買った安いビールの栓を開けた。1缶30バーツ、約140円。タイのビールも高くなった。味にこだわらないタイプだから、安ければいいと思っている。
思いたってテレビをつけた。タイの7チャンネル。川をくだる船の上で、妙に明るい人たちが手を振っていた。
「ん? そうか、オリンピックか」
セーヌ川での開会式の映像だった。チャンネルを変えてみた。NHKの衛星放送でも放映していた。
オリンピックを知らなかったわけではないが、開会式のことはすっかり忘れていた。理由は単純で、タイにいるからだ。バンコクの多くの人たちはオリンピックにあまり関心がない。話題にものぼらない。
タイの人々が、スポーツ観戦に興味がないわけではない。獲得メダル数が少ないから盛りあがらないだけだ。東京のオリンピックのメダル数は2個だった。
オリンピックというイベントはナショナリズムを刺激することで成り立っている。たとえばフェンシング。このスポーツに縁がない人は、競技のスピードが速すぎ、なぜ勝敗が決まったのかわからない。しかし日本人選手が勝つかもしれないという興味だけでテレビのスイッチを入れる。
オリンピックに盛りあがる国を地球レベルで俯瞰して眺めてみる。例外はあるが、大国と俗に温帯といわれるエリアにある国に収れんしてくる。そして今年は北半球の温帯の国々が厳しい暑さに襲われている。スペイン北部では43度になったニュースを目にした。韓国や中国も40度を超える熱波。そして日本も猛暑である。そこにオリンピックの熱気が加わって、温帯エリアがなんだかものすごく熱いのだ。
それに比べると、バンコクの日々は安穏としている。雨季に入っているから、毎日、気温は27度~28度あたりに落ち着いている。オリンピックの熱も届かない。実に穏やかな日々なのだ。
はじめてタイを訪れたとき、暑くて激しい国だと思った。それから50年近い年月が流れた。今年だけのことなのかもしれないが、バンコクの日々は穏やかである。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
Posted by 下川裕治 at
11:08
│Comments(1)
2024年07月22日
バンコクは避暑地になった?
東京が梅雨明けを迎えた。その翌日、軽井沢に向かった。高原の風は爽やかだったが、日帰りで東京に戻らなくてはいけなかった。重くて暑い空気に包まれた東京は息苦しいほどだった。夜が明け、7時頃に起きると、気温はすでに29度に達していた。予報では36度にまで気温はあがるという。
夏本番である。バスで事務所に向かったのだが、バスを待つ人たちは、バス停がつくる細い日蔭に列をつくる。僕もその列についたが、立っているだけで汗が頬を伝う。バスに乗り込んだが汗が止まらない。車内は冷房が効いているのだが、体が火照っているのだろうか。
「梅雨明け10日」という言葉がある。登山者の間でよく交わされる。梅雨が明けてから10日間、山の天気がいちばん安定するという意味だ。山は好天に包まれるが、下界は猛暑になる。
この時期、よく交わされるのが、地球の温暖化の話である。いつも思うのだが、今日の気温が36度になったからといって、それは地球の温暖化とは関係のない話だ。地球の温暖化とは、100年、いや500年といった時間感覚の話であって、去年より暑いといった気象を説明しているわけではない。
しかし僕も含め、油照りのなかで、文句のひとつもいいたくなる。温暖化は格好の標的である。
しかし暑い。日本の暑さは世界的に有名になりつつある。日本を訪ねる外国人が増えた結果である。
オリンピックを迎えたパリ市民がヴァカンスをどうすごすか、という話を聞いていたときだった。フランス人にとってヴァカンスは仕事より大切という人は多い。ところが今年はオリンピックと重なってしまった。
さて、どうする? フランスの調査機関が調べたところ、去年よりヴァカンスに出る人が10%も多いのだという。路上のカフェは鉄柵で囲まれてしまい、街を歩くのもやたら規制が多い。観戦チケットも高い。だったら今年はヴァカンス……となるらしい。
日本へのヴァカンスを考える人も多いのだという。理由は円安である。しかしひとりのフランス人がこういった。
「夏の日本の暑さは耐えきれないって話を知り合いから聞いたよ。去年の夏に東京や京都をまわったが、皆、よく生きていると思うような暑さだったと。いくら円が安くてもね」
たしかにヨーロッパの人々にとって、極東の夏の猛暑は未体験ゾーンかもしれない。
東京の猛暑のなかですごす人には申し訳ないが、東京に戻った翌日の深夜便でソウルに向かった。いまソウルでこの原稿を書いている。ソウルは小雨のせいか、だいぶ気温が低かった。しかし湿度はかなり高い。極東の夏である。
ソウルには1泊もしない。今夜の便でバンコクに向かう。東南アジアに着けば、極東の湿度から脱出できる。
気候がめまぐるしく変わる旅である。
真夏に東南アジアに向かう人から、避暑という言葉を聞くようになって10年ほどになる。少し話を盛っている気もするが、たしかにこの時期、東京よりバンコクのほうがすごしやすい。2日前、バンコクに行くという話を知人に伝えると、「避暑ですか」という言葉が返ってきた。
もちろん避暑ではない。「歩くバンコク」の入稿作業が待っている。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
夏本番である。バスで事務所に向かったのだが、バスを待つ人たちは、バス停がつくる細い日蔭に列をつくる。僕もその列についたが、立っているだけで汗が頬を伝う。バスに乗り込んだが汗が止まらない。車内は冷房が効いているのだが、体が火照っているのだろうか。
「梅雨明け10日」という言葉がある。登山者の間でよく交わされる。梅雨が明けてから10日間、山の天気がいちばん安定するという意味だ。山は好天に包まれるが、下界は猛暑になる。
この時期、よく交わされるのが、地球の温暖化の話である。いつも思うのだが、今日の気温が36度になったからといって、それは地球の温暖化とは関係のない話だ。地球の温暖化とは、100年、いや500年といった時間感覚の話であって、去年より暑いといった気象を説明しているわけではない。
しかし僕も含め、油照りのなかで、文句のひとつもいいたくなる。温暖化は格好の標的である。
しかし暑い。日本の暑さは世界的に有名になりつつある。日本を訪ねる外国人が増えた結果である。
オリンピックを迎えたパリ市民がヴァカンスをどうすごすか、という話を聞いていたときだった。フランス人にとってヴァカンスは仕事より大切という人は多い。ところが今年はオリンピックと重なってしまった。
さて、どうする? フランスの調査機関が調べたところ、去年よりヴァカンスに出る人が10%も多いのだという。路上のカフェは鉄柵で囲まれてしまい、街を歩くのもやたら規制が多い。観戦チケットも高い。だったら今年はヴァカンス……となるらしい。
日本へのヴァカンスを考える人も多いのだという。理由は円安である。しかしひとりのフランス人がこういった。
「夏の日本の暑さは耐えきれないって話を知り合いから聞いたよ。去年の夏に東京や京都をまわったが、皆、よく生きていると思うような暑さだったと。いくら円が安くてもね」
たしかにヨーロッパの人々にとって、極東の夏の猛暑は未体験ゾーンかもしれない。
東京の猛暑のなかですごす人には申し訳ないが、東京に戻った翌日の深夜便でソウルに向かった。いまソウルでこの原稿を書いている。ソウルは小雨のせいか、だいぶ気温が低かった。しかし湿度はかなり高い。極東の夏である。
ソウルには1泊もしない。今夜の便でバンコクに向かう。東南アジアに着けば、極東の湿度から脱出できる。
気候がめまぐるしく変わる旅である。
真夏に東南アジアに向かう人から、避暑という言葉を聞くようになって10年ほどになる。少し話を盛っている気もするが、たしかにこの時期、東京よりバンコクのほうがすごしやすい。2日前、バンコクに行くという話を知人に伝えると、「避暑ですか」という言葉が返ってきた。
もちろん避暑ではない。「歩くバンコク」の入稿作業が待っている。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
Posted by 下川裕治 at
12:17
│Comments(1)
2024年07月15日
強く生きるということ
今年の3月だっただろうか。ソウルの北朝鮮料理店に入った。北朝鮮料理店というと、どこか身構えてしまうところがあるが、ソウルのそれは違う。普通に食事をとる食堂風情である。街にしっかり溶け込んでいる。
ソウル暮らしが20年を超えるという知人ふたりも一緒だった。
名物だという温麺を頼んだ。しばらくすると丼が運ばれてきた。スープのなかに入っているのは餃子だった。日本でいったらスープ餃子といったところだろうか。
僕の目にも、これが温麺ではないことがわかる。僕は韓国語ができないので、頼んだのは知人だった。
「これマンドゥクじゃない」
ひとりがいった。
「マンドゥク?」
「餃子。私たちが頼んだのは温麺」
ひとりが店員に声をかけた。
「温麺を3つ頼んだんだけど」
中年の女性店員は、少し困ったような顔をした。居心地の悪い沈黙がつづいた。知人は口を開かなかった。
店員の女性は諦めたように頷くと、キャッシャーのところに向かった。タブレッドで入力したオーダーを訂正するようだった。
「餃子でもOKっていってくれるの期待してましたよね、あの店員さん。私たち、外国人だから」
「僕ひとりだったらOKするかも。あの沈黙の時間、そう思ってた」
「下川さん、ダメですよ。いくら外国人でもね。ソウルはとくに」
ソウル在住の日本人からたしなめられてしまったが、海外ではこんな場面に遭遇することがある。店員が外国人に甘えていることはわかるのだが、困った顔をされると、つい、こちらが折れてしまう。その国の料理に詳しくないということもあるが、人のいい客になってしまう。
ソウルでは別の話も耳にした。コスメショップの店員のなかには、かなり強く出る人がいるらしい。売りたい商品を強引に勧めてくる。レジまで連れていこうとする店員もいるようだ。それに対して、不快感を抱く日本人もいるが、「元気をもらった」と受けとる人もいるというのだ。相手がどう思うか気にしない強さといったらいいだろうか。
その意識は間違った料理を出されたときも発揮される。強く出ないと負けてしまう。相手からどう思われようが毅然とした態度に出る。それがソウルで生きる処世術という人もいる。ある意味、大陸的なのかもしれない。
「元気をもらう」という言葉が、昔から気になっている。日本人はあまりに安易に使いすぎる気がするのだ。ある精神科医がこんなことをいっていた。
「鬱を患う人が、イベントやコンサートで元気をもらっても病気は改善しません。元気は自分でみつけないと鬱は治らない」
その通りだと思う。しかしソウルの事情は少し違う。店員と直に接してもらう元気は、ステージから伝わる元気とはレベルが違う。弱気になっていたとき、「ああ、こうやって相手の気持ちを考えなくても生きることができるんだ」と実感する。他人の目を常に気にして生きる癖がついている日本人は目が覚めるような感覚に包まれる。
ソウルを訪ねる日本人は多い。その底には「ソウルで強くなる」という期待が流れているのだろうか。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
ソウル暮らしが20年を超えるという知人ふたりも一緒だった。
名物だという温麺を頼んだ。しばらくすると丼が運ばれてきた。スープのなかに入っているのは餃子だった。日本でいったらスープ餃子といったところだろうか。
僕の目にも、これが温麺ではないことがわかる。僕は韓国語ができないので、頼んだのは知人だった。
「これマンドゥクじゃない」
ひとりがいった。
「マンドゥク?」
「餃子。私たちが頼んだのは温麺」
ひとりが店員に声をかけた。
「温麺を3つ頼んだんだけど」
中年の女性店員は、少し困ったような顔をした。居心地の悪い沈黙がつづいた。知人は口を開かなかった。
店員の女性は諦めたように頷くと、キャッシャーのところに向かった。タブレッドで入力したオーダーを訂正するようだった。
「餃子でもOKっていってくれるの期待してましたよね、あの店員さん。私たち、外国人だから」
「僕ひとりだったらOKするかも。あの沈黙の時間、そう思ってた」
「下川さん、ダメですよ。いくら外国人でもね。ソウルはとくに」
ソウル在住の日本人からたしなめられてしまったが、海外ではこんな場面に遭遇することがある。店員が外国人に甘えていることはわかるのだが、困った顔をされると、つい、こちらが折れてしまう。その国の料理に詳しくないということもあるが、人のいい客になってしまう。
ソウルでは別の話も耳にした。コスメショップの店員のなかには、かなり強く出る人がいるらしい。売りたい商品を強引に勧めてくる。レジまで連れていこうとする店員もいるようだ。それに対して、不快感を抱く日本人もいるが、「元気をもらった」と受けとる人もいるというのだ。相手がどう思うか気にしない強さといったらいいだろうか。
その意識は間違った料理を出されたときも発揮される。強く出ないと負けてしまう。相手からどう思われようが毅然とした態度に出る。それがソウルで生きる処世術という人もいる。ある意味、大陸的なのかもしれない。
「元気をもらう」という言葉が、昔から気になっている。日本人はあまりに安易に使いすぎる気がするのだ。ある精神科医がこんなことをいっていた。
「鬱を患う人が、イベントやコンサートで元気をもらっても病気は改善しません。元気は自分でみつけないと鬱は治らない」
その通りだと思う。しかしソウルの事情は少し違う。店員と直に接してもらう元気は、ステージから伝わる元気とはレベルが違う。弱気になっていたとき、「ああ、こうやって相手の気持ちを考えなくても生きることができるんだ」と実感する。他人の目を常に気にして生きる癖がついている日本人は目が覚めるような感覚に包まれる。
ソウルを訪ねる日本人は多い。その底には「ソウルで強くなる」という期待が流れているのだろうか。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
Posted by 下川裕治 at
11:44
│Comments(1)
2024年07月08日
援助にSDGsという違和感
僕が運営にかかわっているバングラデシュの小学校。支援のためのクラウドファンディングの募集終了が迫っている。7月13日が最終日だ。
https://camp-fire.jp/projects/view/750052
昨年末、学校が盗難に遭った。いまだ電気もなく、天井の扇風機も盗られたままだ。小学校の生徒や先生の顔が浮かぶ。寄せられた寄付は、学校の設備や先生の給与にダイレクトに反映される。
しかし小学校を維持するという僕らの援助は、10年、20年という年月で俯瞰して眺めると、先行きは心もとない。流行りのSDGs、つまりサステナブルという発想で考えると失敗例にも映る。サステナブル……持続可能な社会という発想は、主に環境問題に根ざしたもので、僕らが直面している援助の世界とはフィールドが違う。しかし援助の仕組みに当てはめると、意外にフィットする。
世界には大きな援助組織がいくつもある。多くのスタッフを抱え、世界のさまざまな問題にとり組んでいる。こういった援助組織は持続していかなくてはならない。つまり援助事業にかかる経費を差し引いた額を援助に振り分けていく。その割合は援助組織によって違うが、3割から5割といわれる。
つまり100万円の寄付をうけとった場合、30万円から50万円が援助組織の運営費にあてられる。専従のスタッフには給与を支払うことが必要になる。現地に出向く場合は、交通費や宿泊代などを経費として考える。こういう構造をつくらないと、持続可能な援助組織にはなっていかない。
しかし援助をする人たちは、その構造に違和感を覚える。自分の寄付は、援助組織の運営費にもあてられるという持続化のためのシステムにわだかまりを感じてしまう。
知人の記者が、この問題に切り込もうとした。そこでいまは亡き中村哲氏に会いにいくことになった。たまたま中村氏は地元の九州に帰っていた。中村氏のアフガニスタンでの事業を支える「ペシャワールの会」は、運営費として5パーセントほどしか受けとっていない、という話を聞いたからだ。
僕もその取材に同席させてもらった。中村氏は言葉を濁した。自分が英雄視されることに抵抗感があったようだ。そこからは九州男児の気概が伝わってきた。
仮に5パーセントの運営費で、アフガニスタンのあれだけの事業ができるということは驚きだった。いかに周囲の人が手弁当で事業を支えているかという証だった。
中村氏と話しながら、援助というものは持続化にそぐわない気がした。少しでも資金が集まれば、それはアフガニスタンの水路づくりに使おうとする。それが中村氏の生き方でもあった。
それは個人と組織というものの問題に帰結するのかもしれないが、援助の現場では、自分から率先して動かないと人はついてこないということを中村氏はよく知っていた。
中村氏の事業に比べれば、僕らの援助の規模はあまりに小さい。そして僕には、彼のように人生を投げうつ気概もない。しかし僕は中村氏の人生に憧れている。
援助をいただくということは心苦しいものだ。しかし自分が動かなくては資金は集まらない。中村氏はそんな思いで講演の壇上に立っていたはずだ。
■YouTub「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
https://camp-fire.jp/projects/view/750052
昨年末、学校が盗難に遭った。いまだ電気もなく、天井の扇風機も盗られたままだ。小学校の生徒や先生の顔が浮かぶ。寄せられた寄付は、学校の設備や先生の給与にダイレクトに反映される。
しかし小学校を維持するという僕らの援助は、10年、20年という年月で俯瞰して眺めると、先行きは心もとない。流行りのSDGs、つまりサステナブルという発想で考えると失敗例にも映る。サステナブル……持続可能な社会という発想は、主に環境問題に根ざしたもので、僕らが直面している援助の世界とはフィールドが違う。しかし援助の仕組みに当てはめると、意外にフィットする。
世界には大きな援助組織がいくつもある。多くのスタッフを抱え、世界のさまざまな問題にとり組んでいる。こういった援助組織は持続していかなくてはならない。つまり援助事業にかかる経費を差し引いた額を援助に振り分けていく。その割合は援助組織によって違うが、3割から5割といわれる。
つまり100万円の寄付をうけとった場合、30万円から50万円が援助組織の運営費にあてられる。専従のスタッフには給与を支払うことが必要になる。現地に出向く場合は、交通費や宿泊代などを経費として考える。こういう構造をつくらないと、持続可能な援助組織にはなっていかない。
しかし援助をする人たちは、その構造に違和感を覚える。自分の寄付は、援助組織の運営費にもあてられるという持続化のためのシステムにわだかまりを感じてしまう。
知人の記者が、この問題に切り込もうとした。そこでいまは亡き中村哲氏に会いにいくことになった。たまたま中村氏は地元の九州に帰っていた。中村氏のアフガニスタンでの事業を支える「ペシャワールの会」は、運営費として5パーセントほどしか受けとっていない、という話を聞いたからだ。
僕もその取材に同席させてもらった。中村氏は言葉を濁した。自分が英雄視されることに抵抗感があったようだ。そこからは九州男児の気概が伝わってきた。
仮に5パーセントの運営費で、アフガニスタンのあれだけの事業ができるということは驚きだった。いかに周囲の人が手弁当で事業を支えているかという証だった。
中村氏と話しながら、援助というものは持続化にそぐわない気がした。少しでも資金が集まれば、それはアフガニスタンの水路づくりに使おうとする。それが中村氏の生き方でもあった。
それは個人と組織というものの問題に帰結するのかもしれないが、援助の現場では、自分から率先して動かないと人はついてこないということを中村氏はよく知っていた。
中村氏の事業に比べれば、僕らの援助の規模はあまりに小さい。そして僕には、彼のように人生を投げうつ気概もない。しかし僕は中村氏の人生に憧れている。
援助をいただくということは心苦しいものだ。しかし自分が動かなくては資金は集まらない。中村氏はそんな思いで講演の壇上に立っていたはずだ。
■YouTub「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
Posted by 下川裕治 at
12:41
│Comments(0)
2024年07月01日
シルバーパスの右往左往
6月初旬のブログで、シルバーパスを手に入れたことを伝えた。以来、このパスを提示して路線バスに乗らない日はないくらい使いまくっている。そして、東京という街の密度をいまさらながら思い知らされている。
シルバーパスというのは、70歳を超えた東京都民が買うことができるパスだ。1年間分の料金として2万510円を払うと、東京都内を走る路線バスや都営地下鉄などに自由に乗ることができる。路線バスは都営バスだけでなく、私鉄の路線バスも対象になる。
東京の路線バスについては、4月に発売になった『シニアになって、ひとり旅』(朝日文庫)でも触れている。そのなかで、シルバーパスを手にしたら、王78という番号が振られた都バスに乗ってみたいと書いている。新宿駅から王子駅までの約18キロ。23区内を走るバスのなかでは最も走る距離が長い。そして花小金井駅から青梅車庫までのバスも乗ってみたい……と。
しかしパスを手に入れてから1ヵ月がたったが、いまだその2路線には乗っていない。それどころではない……といったところなのだ。自宅から事務所までのバス路線の試行錯誤がいまだつづいている。
ここから先、超ローカルな話になってしまうが、少しつきあってほしい。
自宅近くのバス停から中野駅に出る。ここでいくつかの選択肢が出てくる。まず関東バスの新宿駅西口行き。これに乗り、途中の小滝橋でおりる。都営バスの小滝橋車庫の脇である。そこから都営バスの上野公園行きか飯田橋行きに乗る。江戸川橋でおりると、事務所がすぐそばだ。
中野駅から関東バスか国際興業バスの池袋西口行きに乗る方法もある。落合南長崎駅というバス停でおり、都営地下鉄大江戸線に乗り換える。牛込柳町駅でおり、そこから白61という番号が振られた都営バスに乗り換え、山吹町でおりると事務所に近い。都営地下鉄はパスで乗ることができるからだ。
中野駅から池袋西口行きに乗り、地下鉄を使わずに、白61の都営バスに乗り換える方法もある。調べると、乗り換えバス停は目白五丁目のようだった。しかし池袋西口行きのバスの目白五丁目バス停と、白61の目白五丁目バス停は少し離れている。何回か乗り、南長崎二丁目のバス停のほうがよさそうなことがわかってきた。そこで今日、帰宅するとき、南長崎二丁目でおりてみた。予想通り、池袋西口行きと白61都営バスの南長崎二丁目バス停は同じだった。
選択肢はまだある。中野駅から新宿西口まで乗り、そこから白61に乗る方法。中野駅から丸山営業所に出る方法もある。これらをつぶしていかなくてはならない。
バスの場合、便数が多いバスを選ぶと乗り換えがスムーズだ。そのあたりも考慮していかなくてはならない。
自宅から事務所にいくベストルートはまだ決まらないのだ。東京の路線バスの密度のなかで右往左往しているのだ。あと1ヵ月はかかるような気がする。
これだけバスに乗って気づいたことがふたつある。ひとつは雨が気にならなくなったことだ。いま、東京は梅雨である。雨が多い。これまでは雨具を着て、自転車で駅まで行くことがあった。しかしシルバーパスがあるからすぐバスを使うことができる。
そしてバスは電車のように事故やトラブルで運行が止まることがまずない。電車の最寄り駅は阿佐ヶ谷駅。中央線や総武線は、人身事故や信号トラブルなどでしばしば止まってしまう。バスにはそれがない。
シルバーパスを手にしてバスに乗る。都内を移動するとき、電車より先にバスを考えるようになる。しかしそのバスの路線がひと筋縄ではいかない。寝る前に翌朝に乗るバスの路線を考える。明日は丸山営業所行きに乗ってみようか。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
シルバーパスというのは、70歳を超えた東京都民が買うことができるパスだ。1年間分の料金として2万510円を払うと、東京都内を走る路線バスや都営地下鉄などに自由に乗ることができる。路線バスは都営バスだけでなく、私鉄の路線バスも対象になる。
東京の路線バスについては、4月に発売になった『シニアになって、ひとり旅』(朝日文庫)でも触れている。そのなかで、シルバーパスを手にしたら、王78という番号が振られた都バスに乗ってみたいと書いている。新宿駅から王子駅までの約18キロ。23区内を走るバスのなかでは最も走る距離が長い。そして花小金井駅から青梅車庫までのバスも乗ってみたい……と。
しかしパスを手に入れてから1ヵ月がたったが、いまだその2路線には乗っていない。それどころではない……といったところなのだ。自宅から事務所までのバス路線の試行錯誤がいまだつづいている。
ここから先、超ローカルな話になってしまうが、少しつきあってほしい。
自宅近くのバス停から中野駅に出る。ここでいくつかの選択肢が出てくる。まず関東バスの新宿駅西口行き。これに乗り、途中の小滝橋でおりる。都営バスの小滝橋車庫の脇である。そこから都営バスの上野公園行きか飯田橋行きに乗る。江戸川橋でおりると、事務所がすぐそばだ。
中野駅から関東バスか国際興業バスの池袋西口行きに乗る方法もある。落合南長崎駅というバス停でおり、都営地下鉄大江戸線に乗り換える。牛込柳町駅でおり、そこから白61という番号が振られた都営バスに乗り換え、山吹町でおりると事務所に近い。都営地下鉄はパスで乗ることができるからだ。
中野駅から池袋西口行きに乗り、地下鉄を使わずに、白61の都営バスに乗り換える方法もある。調べると、乗り換えバス停は目白五丁目のようだった。しかし池袋西口行きのバスの目白五丁目バス停と、白61の目白五丁目バス停は少し離れている。何回か乗り、南長崎二丁目のバス停のほうがよさそうなことがわかってきた。そこで今日、帰宅するとき、南長崎二丁目でおりてみた。予想通り、池袋西口行きと白61都営バスの南長崎二丁目バス停は同じだった。
選択肢はまだある。中野駅から新宿西口まで乗り、そこから白61に乗る方法。中野駅から丸山営業所に出る方法もある。これらをつぶしていかなくてはならない。
バスの場合、便数が多いバスを選ぶと乗り換えがスムーズだ。そのあたりも考慮していかなくてはならない。
自宅から事務所にいくベストルートはまだ決まらないのだ。東京の路線バスの密度のなかで右往左往しているのだ。あと1ヵ月はかかるような気がする。
これだけバスに乗って気づいたことがふたつある。ひとつは雨が気にならなくなったことだ。いま、東京は梅雨である。雨が多い。これまでは雨具を着て、自転車で駅まで行くことがあった。しかしシルバーパスがあるからすぐバスを使うことができる。
そしてバスは電車のように事故やトラブルで運行が止まることがまずない。電車の最寄り駅は阿佐ヶ谷駅。中央線や総武線は、人身事故や信号トラブルなどでしばしば止まってしまう。バスにはそれがない。
シルバーパスを手にしてバスに乗る。都内を移動するとき、電車より先にバスを考えるようになる。しかしそのバスの路線がひと筋縄ではいかない。寝る前に翌朝に乗るバスの路線を考える。明日は丸山営業所行きに乗ってみようか。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
Posted by 下川裕治 at
13:08
│Comments(0)