2024年10月28日
集中力が老化してきている
原稿が進まない。これはいまに限ったことではないが、これまでの感覚と少し違う。いま1冊の本を書いているのだが、設定した締め切りから2ヵ月がすぎても、まだ書き終えることができない。
1冊の本は、通常、400字詰めの原稿用紙で200枚から250枚が必要だ。字数に換算すると8万字から10万字ということになる。
1冊の本を書くとき、150枚を超えると山を越えたという感覚で一気に進む。脳がその本の内容で埋まり、少し間を置いても原稿の大筋が見えているから、すぐに書きはじめることができる。ところがいま、150枚は超えたのだが、なかなかピッチがあがらない。
書くテーマの問題もあるのだろうが、自分のなかで集中力が弱くなってきている感覚がある。これが老化なのだろうか。
以前、筆が乗ってくると、1日に20枚近い原稿を一気に書くことがあった。最近、この乗ってきた……という感触が薄い。集中力がつづかないのだ。
以前、宮崎駿氏が、「作画に集中している時期は、ほかのことはなんでもよくなる」といっていた。その感覚はわかる。集中している時期は、食べ物への興味も薄れる。なにを食べたのかも覚えていない。食事は単なる食糧といった感覚になる。今日は衆議院選挙の投票日である。昨日は仕事場の周りでも、最後のお願いの絶叫が響いていた。集中している時期は、その種の声も雑音になる。
原稿が進まないから、ついネットをつなげてしまう。そして思う。集中していたら興味が湧かないニュースが世界には溢れている。以前なら、そんなニュースは本を書くための脳とは別のところに、そうパソコンのゴミ箱のように収まる脳があって、そこに音もなく収納され、本の世界に移っていけたと思うのだが、いまは集中力が薄れているのか、どうでもいい記事をつい読んでしまい、その内容に引っ張られてしまう。
集中力──体力の問題だと最近、痛切に思うようになった。集中力を支えるのは意識の問題が大きいだろうが、体力もかなりの割合を占めている気がする。椅子に座っているだけだから、肉体的に筋力を使っているわけではないが、意識を持続させる体力といってもいいだろうか。なにかそういうものがあるような気がする。
人の老いは、足腰や筋力が弱くなっていくといったことのほうがわかりやすいが、実は意識の老化のようなものも着実に進んでいくということらしい。
僕が漠然と抱いていた老後の脳のイメージは、シナプスが老化し、脳細胞のつながりが悪くなっていくことだった。しかしいまの僕の脳は、シナプスで細胞はつながっているのだが、どうでもいいこととつながっていて、メインで伝達しなくてはいけない機能が弱ってきているように思えるのだ。
つまり脳の伝達の強弱が薄れ、ただ漫然とつながっているだけのようにも思える。老化とはそういうことなのかもしれない。
そう考えると、集中力を高めるということはかなりの難題になる。詰まるところはトレーニングということになるのかもしれないのだが、筋力と違って成果が見えにくい。人に訊くと、メディテーションがいいのではないか、などという。脳の回転を早めるのではなく、集中力と考えれば、理にかなっているのかもしれない。しかし、寺院などでメディテーションをつづけるタイ人を眺めると、これで集中力……。悩んでしまう。
1冊の本を書く。集中力との葛藤はまだつづく。
■YouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■ツイッターは@Shimokawa_Yuji
1冊の本は、通常、400字詰めの原稿用紙で200枚から250枚が必要だ。字数に換算すると8万字から10万字ということになる。
1冊の本を書くとき、150枚を超えると山を越えたという感覚で一気に進む。脳がその本の内容で埋まり、少し間を置いても原稿の大筋が見えているから、すぐに書きはじめることができる。ところがいま、150枚は超えたのだが、なかなかピッチがあがらない。
書くテーマの問題もあるのだろうが、自分のなかで集中力が弱くなってきている感覚がある。これが老化なのだろうか。
以前、筆が乗ってくると、1日に20枚近い原稿を一気に書くことがあった。最近、この乗ってきた……という感触が薄い。集中力がつづかないのだ。
以前、宮崎駿氏が、「作画に集中している時期は、ほかのことはなんでもよくなる」といっていた。その感覚はわかる。集中している時期は、食べ物への興味も薄れる。なにを食べたのかも覚えていない。食事は単なる食糧といった感覚になる。今日は衆議院選挙の投票日である。昨日は仕事場の周りでも、最後のお願いの絶叫が響いていた。集中している時期は、その種の声も雑音になる。
原稿が進まないから、ついネットをつなげてしまう。そして思う。集中していたら興味が湧かないニュースが世界には溢れている。以前なら、そんなニュースは本を書くための脳とは別のところに、そうパソコンのゴミ箱のように収まる脳があって、そこに音もなく収納され、本の世界に移っていけたと思うのだが、いまは集中力が薄れているのか、どうでもいい記事をつい読んでしまい、その内容に引っ張られてしまう。
集中力──体力の問題だと最近、痛切に思うようになった。集中力を支えるのは意識の問題が大きいだろうが、体力もかなりの割合を占めている気がする。椅子に座っているだけだから、肉体的に筋力を使っているわけではないが、意識を持続させる体力といってもいいだろうか。なにかそういうものがあるような気がする。
人の老いは、足腰や筋力が弱くなっていくといったことのほうがわかりやすいが、実は意識の老化のようなものも着実に進んでいくということらしい。
僕が漠然と抱いていた老後の脳のイメージは、シナプスが老化し、脳細胞のつながりが悪くなっていくことだった。しかしいまの僕の脳は、シナプスで細胞はつながっているのだが、どうでもいいこととつながっていて、メインで伝達しなくてはいけない機能が弱ってきているように思えるのだ。
つまり脳の伝達の強弱が薄れ、ただ漫然とつながっているだけのようにも思える。老化とはそういうことなのかもしれない。
そう考えると、集中力を高めるということはかなりの難題になる。詰まるところはトレーニングということになるのかもしれないのだが、筋力と違って成果が見えにくい。人に訊くと、メディテーションがいいのではないか、などという。脳の回転を早めるのではなく、集中力と考えれば、理にかなっているのかもしれない。しかし、寺院などでメディテーションをつづけるタイ人を眺めると、これで集中力……。悩んでしまう。
1冊の本を書く。集中力との葛藤はまだつづく。
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2024年10月21日
後退する中国とどうつきあう?
中国経済に勢いがなくなってきているのは確実だと思う。ある専門家が、これからは成長する中国ではなく、後退傾向の中国とどうつきあっていくかが課題、といっていたが、現実味のある言葉だ。
僕は毎週、運営するYouTubeのチャンネル(https://www.youtube.com/@asia.shimokawa)で、航空券情報を配信している。毎回、バンコク、台北、ソウル……といった都市への安い航空券を検索サイトなどを使って探す内容だ。そのなかで、今年に入ってから、中国東方航空や中国国際航空が常に最安値を提示するようになってきた。
たとえばバンコク。以前はクアラルンプールやハノイなどで乗り継ぐLCCがいちばん安かったのだが、最近は中国東方航空が常に最安。便数が多いので、スカイスキャナーなどで検索し、安い順に並べると、ズラーと中国東方航空が並ぶことになる。
先週は台北行きの安い航空券を探っていたのだが、やはりバンコク同様、中国東方航空が安い航空券グループを埋めていた。ルートは東京ー上海、上海ー台北である。往復で3万円台だ。
ちょうどその前、台湾の総統、頼清徳氏の演説に抗議する形で、中国軍の軍事演習が行われた。台湾を囲むようにして行われた演習は、海上封鎖も可能であることを誇示するような演習だったが、そのときも、上海と台北を結ぶ中国東方航空の便は運航されていた。日本人にとっては違和感がある運航だが、それが中国の現実でもある。
やはり乗客がかなり減っている、ということなのだろう。景気が後退するなかで、海外旅行を控える中国人が増えているのだ。
旅行者が中国の権威主義を実感する場は多くない。街を歩いてもダイレクトにその圧力に晒されるわけではない。しかし飛行機や空港は違う。客室乗務員からは「乗っていただく」というより「乗せてやる」といった接客感が伝わってくる。空港職員の対応も居丈高で、そこを支配しているのは「管理する」という発想である。
中国東方航空や中国国際航空はFSC(フルサービスキャリア)である。預ける荷物は無料で機内食も無料だ。しかし乗客の多くは、LCCよりストレスを感じるという人が少なくない。そのサービスが権威主義的なのだ。
それでも中国人客の多さで、便を増やしてきたのだが、ここへきて外国人乗客をとり込む方向にシフトさせてきたということかもしれない。そのサービスはLCCより劣るわけだから、料金を安くするしかない。
しかし運航スケジュールは中国人に合わせている。日本人には使い勝手が悪いが、安いことは魅力だ。日本人観光客も停滞する経済と円安のなかに置かれている。
権威主義は海外と接する部分で摩擦が生まれる。飛行機は非権威主義的な国の航空会社と同じ土俵にのぼらなくてはならない。それは昔から変わらないが、以前の中国は豊富な資金力をバックに中国式を押し通すことができた。しかし景気の後退は、そのスタイルを難しくしている。
先日、中国から日本にやってくる留学生の話を聞いた。その背景には「中考分流」があった。これは高校入試の段階で、大学への進学が可能な高校と高専や職業訓練校しかいけない高校に振り分ける制度だ。約半数が大学進学を諦めなくてはならないという。となると海外留学になるのだが、欧米は1年の学費が800万円を超えるが、日本は200万円ほどですむ。かつては欧米が人気だったが、景気の後退のなかで日本を選ぶ学生が増えているという。
経済の停滞がはじまった中国とどうつきあうか……これは難問である。
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僕は毎週、運営するYouTubeのチャンネル(https://www.youtube.com/@asia.shimokawa)で、航空券情報を配信している。毎回、バンコク、台北、ソウル……といった都市への安い航空券を検索サイトなどを使って探す内容だ。そのなかで、今年に入ってから、中国東方航空や中国国際航空が常に最安値を提示するようになってきた。
たとえばバンコク。以前はクアラルンプールやハノイなどで乗り継ぐLCCがいちばん安かったのだが、最近は中国東方航空が常に最安。便数が多いので、スカイスキャナーなどで検索し、安い順に並べると、ズラーと中国東方航空が並ぶことになる。
先週は台北行きの安い航空券を探っていたのだが、やはりバンコク同様、中国東方航空が安い航空券グループを埋めていた。ルートは東京ー上海、上海ー台北である。往復で3万円台だ。
ちょうどその前、台湾の総統、頼清徳氏の演説に抗議する形で、中国軍の軍事演習が行われた。台湾を囲むようにして行われた演習は、海上封鎖も可能であることを誇示するような演習だったが、そのときも、上海と台北を結ぶ中国東方航空の便は運航されていた。日本人にとっては違和感がある運航だが、それが中国の現実でもある。
やはり乗客がかなり減っている、ということなのだろう。景気が後退するなかで、海外旅行を控える中国人が増えているのだ。
旅行者が中国の権威主義を実感する場は多くない。街を歩いてもダイレクトにその圧力に晒されるわけではない。しかし飛行機や空港は違う。客室乗務員からは「乗っていただく」というより「乗せてやる」といった接客感が伝わってくる。空港職員の対応も居丈高で、そこを支配しているのは「管理する」という発想である。
中国東方航空や中国国際航空はFSC(フルサービスキャリア)である。預ける荷物は無料で機内食も無料だ。しかし乗客の多くは、LCCよりストレスを感じるという人が少なくない。そのサービスが権威主義的なのだ。
それでも中国人客の多さで、便を増やしてきたのだが、ここへきて外国人乗客をとり込む方向にシフトさせてきたということかもしれない。そのサービスはLCCより劣るわけだから、料金を安くするしかない。
しかし運航スケジュールは中国人に合わせている。日本人には使い勝手が悪いが、安いことは魅力だ。日本人観光客も停滞する経済と円安のなかに置かれている。
権威主義は海外と接する部分で摩擦が生まれる。飛行機は非権威主義的な国の航空会社と同じ土俵にのぼらなくてはならない。それは昔から変わらないが、以前の中国は豊富な資金力をバックに中国式を押し通すことができた。しかし景気の後退は、そのスタイルを難しくしている。
先日、中国から日本にやってくる留学生の話を聞いた。その背景には「中考分流」があった。これは高校入試の段階で、大学への進学が可能な高校と高専や職業訓練校しかいけない高校に振り分ける制度だ。約半数が大学進学を諦めなくてはならないという。となると海外留学になるのだが、欧米は1年の学費が800万円を超えるが、日本は200万円ほどですむ。かつては欧米が人気だったが、景気の後退のなかで日本を選ぶ学生が増えているという。
経済の停滞がはじまった中国とどうつきあうか……これは難問である。
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2024年10月15日
金木犀がまだ咲かない
原稿に追われている。本の原稿は自宅で書くことが多い。なかなか進まず、悶々とした時間がすぎていく。1冊分の原稿という長丁場になると、ひと晩頑張っても、終わりは見えない。ペースをつくり、こつこつと積みあげていかなくてはならない。
午前3時には寝るようにしている。それ以上、仕事をつづけると、翌日、原稿は進まなくなってしまう。
午前3時──。寝ようかと外を見る。月明りに金木犀の木が見える。ベランダ越しに眺めながら、
「まだ咲かない」
とひとりごちる。今日は10月13日。いつもならもう花をつけ、芳香を放っている。
植物の開花は気温と日照時間がかかわっている。気候が変動すると、この時期がずれてしまう。
僕は長く句会に参加している。俳句には季語がある。一般的に俳句には、この季語をひとつ加える。季語は旧暦で決められているから、実際の季節とややずれる。たとえば朝顔は夏の季語ではなく、秋の季語だ。トウモロコシも秋……。そこに最近の気候の変化が加わってくる。句会の席で、メンバーの愚痴が聞こえてくる。俳句には写生句という分野がある。そのときの気候や現象を読み込んでいく。
「季語とのずれがますます大きくなって、句がつくりづらいですなぁ」
気温が35度を超えているのに、秋の季語を使わなくてはならないのだ。
植物や動物の生態をみていると、日照時間より気温の変化を多く受けているように思えてしかたない。たとえば夏の深夜、突然、セミが鳴きはじめることがある。光ではなく気温に反応しているからだ。桜や金木犀にしても、まず気温の変化を受け、その後で日照時間が開花に影響を与えるという。気温の洗礼を受けないと、いくら日照時間が変わっても開花しないのだという。
動植物の生存を考えれば当然のことだ。金木犀にしても受精を媒介してくれる昆虫が動いてくれないと開花しても意味がない。自然界を仕切っているのは、日照時間より気温であり、気温に反応していくことは動物的ということになる。
それに比べると、人間が決めた暦や季語は日照時間に頼る節がある。気温は年によって変わり、それを基準にできない。しかし日照時間は地球の回転軸の傾きで起きることだから変化しない。狭義の日照時間はその日の天気で変わるが、日の出から日没までの時間と考えれば、年によっての変化はないわけだ。
暦や季語には科学的な要素が強いから、普遍的なものになる。そのあたりは頭で理解することはできる。それがほかの動植物と人間の大きな違いなのだろう。しかし人間は動物としての本能ももっているから、その日の気温に振りまわされる。温暖化はひとつの説得材料だが、その日の気温を説明しているわけではない。
この落としどころがみつからない。人の意識は、これでけっこう厄介だ。
金木犀はいったいいつ、花をつけるのだろうか。
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午前3時には寝るようにしている。それ以上、仕事をつづけると、翌日、原稿は進まなくなってしまう。
午前3時──。寝ようかと外を見る。月明りに金木犀の木が見える。ベランダ越しに眺めながら、
「まだ咲かない」
とひとりごちる。今日は10月13日。いつもならもう花をつけ、芳香を放っている。
植物の開花は気温と日照時間がかかわっている。気候が変動すると、この時期がずれてしまう。
僕は長く句会に参加している。俳句には季語がある。一般的に俳句には、この季語をひとつ加える。季語は旧暦で決められているから、実際の季節とややずれる。たとえば朝顔は夏の季語ではなく、秋の季語だ。トウモロコシも秋……。そこに最近の気候の変化が加わってくる。句会の席で、メンバーの愚痴が聞こえてくる。俳句には写生句という分野がある。そのときの気候や現象を読み込んでいく。
「季語とのずれがますます大きくなって、句がつくりづらいですなぁ」
気温が35度を超えているのに、秋の季語を使わなくてはならないのだ。
植物や動物の生態をみていると、日照時間より気温の変化を多く受けているように思えてしかたない。たとえば夏の深夜、突然、セミが鳴きはじめることがある。光ではなく気温に反応しているからだ。桜や金木犀にしても、まず気温の変化を受け、その後で日照時間が開花に影響を与えるという。気温の洗礼を受けないと、いくら日照時間が変わっても開花しないのだという。
動植物の生存を考えれば当然のことだ。金木犀にしても受精を媒介してくれる昆虫が動いてくれないと開花しても意味がない。自然界を仕切っているのは、日照時間より気温であり、気温に反応していくことは動物的ということになる。
それに比べると、人間が決めた暦や季語は日照時間に頼る節がある。気温は年によって変わり、それを基準にできない。しかし日照時間は地球の回転軸の傾きで起きることだから変化しない。狭義の日照時間はその日の天気で変わるが、日の出から日没までの時間と考えれば、年によっての変化はないわけだ。
暦や季語には科学的な要素が強いから、普遍的なものになる。そのあたりは頭で理解することはできる。それがほかの動植物と人間の大きな違いなのだろう。しかし人間は動物としての本能ももっているから、その日の気温に振りまわされる。温暖化はひとつの説得材料だが、その日の気温を説明しているわけではない。
この落としどころがみつからない。人の意識は、これでけっこう厄介だ。
金木犀はいったいいつ、花をつけるのだろうか。
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2024年10月07日
混ぜ混ぜ刺身丼
卵かけご飯が苦手だ。どうしてご飯に卵をかけてしまうのだろうと思う。できれば、卵とご飯は別々にしてほしい。それなら別々に食べることができる。
僕の好みに強引に引き寄せるわけではないが、それぞれの料理を混ぜない……これは日本の料理のひとつのコンセプトだと思っている。白いご飯があり、おかずがある。それを別々に食べる。それは日本料理の王道でもある。
先月、韓国のソウルで刺身丼を食べた。韓国には、さまざまな日本料理が入り込んでいる。若干の韓国風アレンジが加えられていることが多い。とんかつは肉を薄く平らにのばして揚げる。見た目は日本のとんかつよりかなり大きい。しかし味は日本のとんかつに近い。うどんは韓国でも「うどん」と呼ぶ。スープの味は観光風だが、食感は日本のうどんに似ている。漬物のたくあんは韓国人の好物でもある。
その流れで刺身丼を考えていた。しかし出てきた料理に少し戸惑った。丼がふたつ。ひとつには白いご飯。もうひとつの丼には、キャベツの千切りを入れ、その上にマグロの刺身と海苔が載っていた。
「マグロはわさびを載せ、醤油をつけてご飯と一緒に食べる。キャベツはサラダのように食べるのか」
僕は勝手に食べ方を想像した。そのときは韓国人の知人と一緒だった。彼はボトルに入ったコチュジャンを手にとると、マグロの上からかけてしまった。そしてマグロ、海苔、キャベツ全体を混ぜはじめてしまった。
「ま、待ってください。そんなに混ぜちゃったら、マグロの味がわからないでしょ」
知人は僕の疑問など意に介さないといった表情でこういった。
「コチュジャンは酢が入っていて、とってもおいしいんです」
いや、そういうことではない。
彼はある程度混ぜると、あろうことか、そこに丼のご飯を投入してしまったのだ。そして再び、丹念に混ぜはじめた。途中で味を確認し、味を整えるかのようにコチュジャンやゴマ油を足した。これはビビンバと同じではないか。具が違うだけだ。僕はあ然と彼の手許を見つめていた。
彼はその後も混ぜつづけた。おそらく自分好みの味に仕あがったのだろう。彼のなかで完成した刺身丼をもりもりとスプーンで食べはじめたのだった。
僕は固まってしまった。手が動かない。察した知人がこういった。
「知ってますよ。日本人は混ぜないで、刺身と野菜やご飯を別々に食べるでしょ。でも一度、こうして食べてみてください。せっかくソウルにいるんだから。このほうがはるかにおいしいから」
僕は彼に押し切られ、彼の指導で、混ぜ混ぜ刺身丼をつくった。口に運んでみた。
「ん? なんだ、これは」
マグロの刺身という発想で食べると……かなりまずい。というより、刺身ではない。ではなにか、といわれると混ぜ混ぜ刺身丼というしかない。
韓国人は混ぜる料理が大好きだ。その代表格がビビンバである。しかしマグロの刺身をビビンバ風に混ぜてしまっていいのか。加えて僕は、卵かけご飯すら嫌いなタイプだ。
しかたなく混ぜ混ぜ刺身丼を食べ続けた。よく混ぜたから味は均一。同じ味がつづく。半分ほど食べると飽きてくる。ふと見ると、テーブルにはキムチの小皿。これで飽きを防ぐのか……。
僕は日本人と韓国人の間に横たわる舌の溝を思い知らされていた。この溝はかなり深そうだ。
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僕の好みに強引に引き寄せるわけではないが、それぞれの料理を混ぜない……これは日本の料理のひとつのコンセプトだと思っている。白いご飯があり、おかずがある。それを別々に食べる。それは日本料理の王道でもある。
先月、韓国のソウルで刺身丼を食べた。韓国には、さまざまな日本料理が入り込んでいる。若干の韓国風アレンジが加えられていることが多い。とんかつは肉を薄く平らにのばして揚げる。見た目は日本のとんかつよりかなり大きい。しかし味は日本のとんかつに近い。うどんは韓国でも「うどん」と呼ぶ。スープの味は観光風だが、食感は日本のうどんに似ている。漬物のたくあんは韓国人の好物でもある。
その流れで刺身丼を考えていた。しかし出てきた料理に少し戸惑った。丼がふたつ。ひとつには白いご飯。もうひとつの丼には、キャベツの千切りを入れ、その上にマグロの刺身と海苔が載っていた。
「マグロはわさびを載せ、醤油をつけてご飯と一緒に食べる。キャベツはサラダのように食べるのか」
僕は勝手に食べ方を想像した。そのときは韓国人の知人と一緒だった。彼はボトルに入ったコチュジャンを手にとると、マグロの上からかけてしまった。そしてマグロ、海苔、キャベツ全体を混ぜはじめてしまった。
「ま、待ってください。そんなに混ぜちゃったら、マグロの味がわからないでしょ」
知人は僕の疑問など意に介さないといった表情でこういった。
「コチュジャンは酢が入っていて、とってもおいしいんです」
いや、そういうことではない。
彼はある程度混ぜると、あろうことか、そこに丼のご飯を投入してしまったのだ。そして再び、丹念に混ぜはじめた。途中で味を確認し、味を整えるかのようにコチュジャンやゴマ油を足した。これはビビンバと同じではないか。具が違うだけだ。僕はあ然と彼の手許を見つめていた。
彼はその後も混ぜつづけた。おそらく自分好みの味に仕あがったのだろう。彼のなかで完成した刺身丼をもりもりとスプーンで食べはじめたのだった。
僕は固まってしまった。手が動かない。察した知人がこういった。
「知ってますよ。日本人は混ぜないで、刺身と野菜やご飯を別々に食べるでしょ。でも一度、こうして食べてみてください。せっかくソウルにいるんだから。このほうがはるかにおいしいから」
僕は彼に押し切られ、彼の指導で、混ぜ混ぜ刺身丼をつくった。口に運んでみた。
「ん? なんだ、これは」
マグロの刺身という発想で食べると……かなりまずい。というより、刺身ではない。ではなにか、といわれると混ぜ混ぜ刺身丼というしかない。
韓国人は混ぜる料理が大好きだ。その代表格がビビンバである。しかしマグロの刺身をビビンバ風に混ぜてしまっていいのか。加えて僕は、卵かけご飯すら嫌いなタイプだ。
しかたなく混ぜ混ぜ刺身丼を食べ続けた。よく混ぜたから味は均一。同じ味がつづく。半分ほど食べると飽きてくる。ふと見ると、テーブルにはキムチの小皿。これで飽きを防ぐのか……。
僕は日本人と韓国人の間に横たわる舌の溝を思い知らされていた。この溝はかなり深そうだ。
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