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ナムジャイブログ

2013年04月15日

「えげつない」応援が好きだった

 4月初旬に帰国すると、すでにプロ野球が開幕していた。夜、そっとスポーツニュースが報じる順位に目を向ける。
 5位──。
 なんだかほっとする。
 定位置である。
 広島カープのファンである。最近、首都圏でも広島カープファンが増えているのだという。なんでも東京ドームや神宮球場の観客数は、巨人ー阪神戦や巨人ーヤクルト戦より、広島戦のほうが多いのだという。
 広島カープは万年Bクラスの球団である。ここ20年は優勝には縁がない。3位までのチームが戦うクライマックスシリーズに出たこともない。選手を育てることには定評があるが、強さには結びつかない。
 ファンになったのは、小学生の頃だった。信州で生まれ育ったから地元でもない。野球少年だった僕は、純粋に外木場と安仁屋という投手が好きだった。当時は巨人が圧倒的に強く、この2投手が踏ん張るのだが、最後には力尽き、巨人に負けてしまうという試合が多かった。
 ひねくれた少年だったのだろうか。しかし外木場の速いカーブと安仁屋のシュートは魅力だった。コンクリート壁に向かって、外木場気どりで軟式ボールを投げていた。
 1975年にはセリーグ優勝を果たした。そのとき、僕は21歳になっていた。
 社会人になった。当時、野球は酒飲み話のひとつだったが、僕が、広島カープファンだというと、話が途切れた。皆、選手も知らなければ、試合も観ていなかった。東京では関心の薄いチームだった。巨人か、アンチ巨人なら阪神……これが定番だった。
 出張のついでに、何回か広島球場に足を運んだ。広島の応援は「えげつない」ことで有名だった。徹底した個人攻撃で、巨人選手の子供時代の成績を調べ、算数のテストの点数を球場で叫ぶ。奥さんの過去も調べてヤジの材料にした。選手の不倫相手の名を大きな紙に書く奴もいたという。週刊誌でも伏せていたのだが。考えてみれば、たいした情報収集力である。
 当時の広島球場は狭く、当日、観戦できるのは外野席だけだった。外野席の最前列は、酔っぱらいおじさんの天下だった。
 泥臭い球場だった。それがよかった。試合の後は、なぜかお好み焼きと日本酒という気分だった。
 会社を辞めて、広島カープを応援する熱も冷めてきてしまった。海外に出ることが多くなり、いくら英字新聞を開いても、広島カープはもちろん、日本のプロ野球の動向などまったく載っていなかった。それでも、日本に帰ると、やはり広島カープが気になる。
 しかし球場も新しくなり、なんだか応援も統率がとれてきたように思う。いつから日本人は、皆で同じ動きをする応援が好きになったのだろう。サッカーの影響だろうか。ライブのパフォーマンスで皆、そういう声援を刷り込まれたのだろうか。かつての広島球場のおっちゃんたちは身勝手だった。不倫相手の名前をスタンドで掲げる。統率のとれた応援より、選手が動揺したことはたしかだ。


Posted by 下川裕治 at 08:40│Comments(0)
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