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ナムジャイブログ

2013年06月03日

やはりアジアは救いの土地らしい

『クアラルンプールの夜明け』という映画を観た。セリフの少ないいい映画だった。
 海外を舞台にした原稿を書いている人間だから、セリフまわしが気になる。実際に海外に出たときは、言葉の壁がある。相手のいうことが、あまりわかっていない。会話も少ない。想像力で補いつつ、ドラマが生まれていく。しかしそれを原稿や映画で表現していくことは難しい。読者なり観客がわかってくれないのではないか……という不安が頭をもたげてきてしまう。
 だからときどき、どうしてこの主人公は、こんなにも相手のいうことがわかるのだろうか……という作品に出合うことになる。そこにリアリティはない。海外を舞台に日本人が登場する作品は、寡黙なほどリアリティが出てくる。それを補うのが、役者の演技力であり、原稿でいったら文章力である。
 細井尊人という監督は、寡黙な作品をつくった。それがどんなに大変なことか。スクリーンを追いながら考えていた。
 張り巡らされた伏線。それをセリフではなく、観客にわからせていく。その苦労が痛いほどわかる。
 セリフが少ないいい映画とは、そういうことなのだ。
 アジアに死に場所を求める日本人は少なからずいる。アジアという世界は、日本の合わせ鏡のように思うことがある。この映画もその流れのなかにある。仕事も家族も失った男は、弟に向かって、「死ね」という。兄を慕う弟は、マレーシアという土地で死を選んでしまう。その死にかかわってしまったマレーシア人たち。弟を捜して、マレーシアを歩く男の前に、彼らが現れる。
 マレーシア人たちは、日本社会の閉塞や日本人の葛藤をどこまで理解しているのか。この映画は答を出さない。弟を捜す兄は、アジアという土地で救済されたのか。その答もない。いや、答などなにもない。これからも生きていかなくてはいけない事実だけが残っているだけだ。
 しかし不思議なほど、この映画は明るい印象を残す。つい自分の子供をなぐってしまうマレーシア人の女。弟や自分の子供の手を挙げてしまう日本人の男。許されることもない業を抱えながら、やはり生きていくしかないというさわやかな諦め。この映画はそんな一点に収斂していくように映る。
 やはりアジアは救いの土地らしい。
 

(お知らせ)
 朝日新聞のサイト「どらく」連載のクリックディープ旅が移転しました。「アジアの日本人町歩きの旅」。アクセスは以下。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html


Posted by 下川裕治 at 18:11│Comments(0)
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