2013年11月18日
プノンペンの危うい夜
【2013年11月04日号から、通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。そこからスリンへ。外国人がほとんど通過しない国境を越えてカンボジアのシュムリアップに着いた。
※ ※
カンボジアのシェムリアップに1泊。バスでプノンペンに出ることにした。
シェムリアップからプノンペンまでは、バスとトンレサップ川を下るボートがある。
「ボートは高いけど渋滞はないよ」
現地でそういわれた。このルートは、これまで何回か通っていた。渋滞の記憶はなかった。そこでバスを選んだのだが、プノンペンの手前で大渋滞に巻き込まれてしまった。バスは遅々として進まなかった。
アンコールワットを思い出していた。いつもは中国人ツアー客の声が耳にうるさい世界遺産なのだが、その日はカンボジア人が目立った。彼らは20ドルの入場料もいらない。遺跡の上でカンボジア式弁当を広げる。遺跡群はピクニックの目的地だった。いつもと違うアンコールワットに、「こうじゃなきゃ」と思ったものだが、その日はカンボジアの連休に当たっていた。翌日、大挙してプノンペンに帰る……。
バスは出発から遅れた。9時発予定のバスが動きはじめたのは11時。午後の6時ぐらいにプノンペンに着くかと思っていたが、市街に入ったのは午後10時をまわっていた。
プノンペンからベトナムのホーチミンシティに向かうことにしていた。普通はバスを選ぶ。モクバイの国境を通るルートである。
しかし今回は、メコン川を下り、メコンデルタのチャドックでベトナムに入国しようと思っていた。とりあえず、船着き場まで行ってみることにした。出航時間を確認したかったのだ。しかし、夜の10時をまわった時刻に船会社のオフィスが開いているわけがなかった。近くにいた男に訊くと、翌朝の6時にこの船着き場に来い、という。
船着き場の近くで宿を探そうと向かいを見ると、ネオンが輝いている一画がある。その通りに入って、足が止まってしまった。
「なんですか、これは」
周囲を女性のいるバーがぎっしりと埋めていたのだ。
プノンペンの川沿いの一帯は再開発が進んでいる。近代的なビルが建ち、欧米人向けのカフェもオープンしていた。ケンタッキー・フライドチキンもある。そういうエリアができると、「これは女性を置くバーでひと儲けだ」とステレオタイプの発想に危うい将来を夢みるのが、カンボジアの男らしい。するすると歓楽街ができあがっていた。しかし夜も遅い。バー街に宿があると助かる。
見まわすと、一軒のバーにゲストハウスと書いてある。店内に入った。レセプションらしきものはない。欧米人の男たちが、カンボジア女性をくどき続けるカウンター脇に向かった。
「ビール?」
「いや、今晩、泊まれる?」
カメラマンとふたりでツインが28ドル。まあしかたないか……と鍵を受けとった。
階段をあがると、欧米人の酒飲みたちドアを開けたまま飲んだくれていた。バーで飲む金がないらしい。行き場のない男たちの巣窟だった。これがいまのプノンペンということだろうか。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。そこからスリンへ。外国人がほとんど通過しない国境を越えてカンボジアのシュムリアップに着いた。
※ ※
カンボジアのシェムリアップに1泊。バスでプノンペンに出ることにした。
シェムリアップからプノンペンまでは、バスとトンレサップ川を下るボートがある。
「ボートは高いけど渋滞はないよ」
現地でそういわれた。このルートは、これまで何回か通っていた。渋滞の記憶はなかった。そこでバスを選んだのだが、プノンペンの手前で大渋滞に巻き込まれてしまった。バスは遅々として進まなかった。
アンコールワットを思い出していた。いつもは中国人ツアー客の声が耳にうるさい世界遺産なのだが、その日はカンボジア人が目立った。彼らは20ドルの入場料もいらない。遺跡の上でカンボジア式弁当を広げる。遺跡群はピクニックの目的地だった。いつもと違うアンコールワットに、「こうじゃなきゃ」と思ったものだが、その日はカンボジアの連休に当たっていた。翌日、大挙してプノンペンに帰る……。
バスは出発から遅れた。9時発予定のバスが動きはじめたのは11時。午後の6時ぐらいにプノンペンに着くかと思っていたが、市街に入ったのは午後10時をまわっていた。
プノンペンからベトナムのホーチミンシティに向かうことにしていた。普通はバスを選ぶ。モクバイの国境を通るルートである。
しかし今回は、メコン川を下り、メコンデルタのチャドックでベトナムに入国しようと思っていた。とりあえず、船着き場まで行ってみることにした。出航時間を確認したかったのだ。しかし、夜の10時をまわった時刻に船会社のオフィスが開いているわけがなかった。近くにいた男に訊くと、翌朝の6時にこの船着き場に来い、という。
船着き場の近くで宿を探そうと向かいを見ると、ネオンが輝いている一画がある。その通りに入って、足が止まってしまった。
「なんですか、これは」
周囲を女性のいるバーがぎっしりと埋めていたのだ。
プノンペンの川沿いの一帯は再開発が進んでいる。近代的なビルが建ち、欧米人向けのカフェもオープンしていた。ケンタッキー・フライドチキンもある。そういうエリアができると、「これは女性を置くバーでひと儲けだ」とステレオタイプの発想に危うい将来を夢みるのが、カンボジアの男らしい。するすると歓楽街ができあがっていた。しかし夜も遅い。バー街に宿があると助かる。
見まわすと、一軒のバーにゲストハウスと書いてある。店内に入った。レセプションらしきものはない。欧米人の男たちが、カンボジア女性をくどき続けるカウンター脇に向かった。
「ビール?」
「いや、今晩、泊まれる?」
カメラマンとふたりでツインが28ドル。まあしかたないか……と鍵を受けとった。
階段をあがると、欧米人の酒飲みたちドアを開けたまま飲んだくれていた。バーで飲む金がないらしい。行き場のない男たちの巣窟だった。これがいまのプノンペンということだろうか。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
Posted by 下川裕治 at 14:03│Comments(0)
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