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ナムジャイブログ

2014年03月10日

ラオスで吐露してしまう日本の厳しさ

【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。タイのスリンからカンボジアに入国し、ベトナムへ。ハノイからディエンビエンフー。そこから国境を越え、ラオスのムアンクワに着いた。
     ※       ※
 ムアンクアからルアンパバーンに出ることにした。ルートはふたつあった。ひとつはウドムサイ、パックベンとバスで進み、そこからメコン川を船で下るルート。もうひとつはムアンクアからノーンキャウまでオウ川を船で下り、そこからバスで向かう方法だった。
 かつてのラオスと違い、いまは山深いムアンクア周辺にもしっかりとした道がつくられていた。バス便の安定感も増しているようだった。しかしウドムサイをまわるルートは大まわりになる。乗り継ぎが悪ければ、3泊4日の旅になる。オウ川を下る船に乗ることにした。
 船着き場がどこなのかもわからなかった。ムアンクアはふたつの川が合流するところにできた町である。船着き場はいくつもある。
 町なかにツーリストセンターらしいオフィスがあった。しかしラオスらしく、誰もいない。締められたドアに貼り紙があった。
──ノーンキャウ行きの船は午前9時に出発する。運賃は最低10万キップ、最高100万から120万キップ。
 差がありすぎた。10万キップは1300円ほどである。数時間の船旅なら妥当な金額かもしれない。しかし100万キップは約1万3000円もする。
「これってつまり、船代を客の頭数で割るってことじゃないかな。10人ほどの人数が集まれば、10万キップになる」
「明日の朝にならないと運賃がわからないってことですよね」
「もし客が僕らしかいなかったら……」
 ラオスでしばしばわからなくなるのは、彼らの金銭感覚だった。宿代や食事代から憶測する物価と不釣り合いな値段が、突然、登場することだった。船賃にしても、10人以上の客が集まれば10万キップですむが、5人なら20万キップほどになってしまう。差額の10万キップというのは、かなりの金額である。僕らが泊まっている宿は1泊6万キップなのだ。朝、船に乗り込み、「今日は客が少ないからひとり20万だな」といわれ、ラオス人はさっと払うことができるのだろうか。彼らがそんな金をいつももっているとは、とても考えられなかった。
 そこにはラオス式の落としどころがあるのかもしれないが、どこか貨幣経済というものの本質が定まっていない気さえするのだ。彼らの発想のなかに、法外な金額を請求して儲けようというものがない。金というものは、天下のまわりもので、なかったらないで困ることもない。日々の生活に、金というものが入り込んでこないのだ。
 しかしラオスに多い欧米人バックパッカーは、こういうアバウトさを受け入れることが難しい。契約社会の掟に骨の髄まで浸って生きてきたのだ。それは日本人も同じだった。
 ラオス人は朝、船着き場に出かける。そこで客が集まっていたら旅の準備をはじめるのだろう。客が少なければ、翌日……ということになる。しかし旅の予定をたてようとする欧米人や日本人は、「それじゃ、困るんだよな」と、自分たちが生きてきた世界の厳しさを吐露してしまうのだ。
 船賃はラオスの流儀に支配されていた。
「明日の朝、船着き場で僕らが客引きでもしますか?」
 それはあながち冗談ではないのかもしれなかった。(以下次号)

(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。



Posted by 下川裕治 at 13:45│Comments(0)
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