インバウンドでタイ人を集客! 事例多数で万全の用意 [PR]
ナムジャイブログ

2014年04月22日

ラオスの山中に姿を見せる異物

【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
 裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ディエンビエンフーから、ラオスのムアンクア。そこから川を下りルアンパバーンへ。そこからサラブリを経てホンサーへ。
     ※       ※
 最近になってメコン川に架かった橋を渡ってサヤブリへ。そこから乗り合いバンに乗り換え、さらに西に進んだ。山は深くなっていく。道は川筋を詰めるように進み、やがて尾根道に入っていく。急な傾斜の道が続いた。くねくねと曲がる九十九折り。体が右に左へと動く。
 隣に座るラオス人の青年がビニール袋に吐きはじめてしまった。反対側に座る青年の顔からも色が消え、やがてビニールを手にうずくまってしまう。
 途上国の道ではよく起きることだった。新しくできた道に、周辺に住む人たちの三半規管がついていかないのだ。
 橋、そしてこの道……。この周辺は一気に変わっていく時期だった。眼下に見える川では、女性たちが洗濯をしている。のびやかなラオスの田舎の風景のなかでは、この道も橋も異物に映る。
 そして翌朝、僕らはとんでもないものを目にしてしまうのだ。
 夕方にホンサーの町に着いた。空が広い町だった。1軒のゲストハウスの前に立ったが返事はなにもない。もう一軒は満室……。そんなはずはなかったが、どうもオーナーが留守のようだった。商売っ気のないラオスの田舎町である。しかたなく、一軒のゲストハウスに向かった。そこには泊まりたくはなかった。看板が中国語だったのだ。
 入口にいたのは中国人の青年だった。英語も通じない。部屋に入ると、その汚さがやはり中国だった。
 夕食を食べていると、中年の中国人がふたり、おかずを買いに来ていた。手にしていたのは中国元だった。
 タイ国境はそう遠くなかった。しかし町の人に訊くと、タイ国境に向かうバスはないという。車をチャーターするしかなかった。
 これがマイナー国境を通過していく旅の辛いところだった。公共の足がなくなってしまうのだ。市場でぼんやりしている男たちに頼み、車をもつ男を呼んでもらった。35万キップを30万キップに値切ったが、約3800円にもなってしまう。しかし、ほかの方法はなかった。翌朝7時の約束をした。
 深い霧がホンサーを包んでいた。
 早朝の町を車は進みはじめた。運転手はさらに客を乗せようとしているのか、町のなかを走りながら、携帯電話でしきりに連絡をとっていた。
 太陽が出、霧が少しずつ切れていく。運転手は道端に車を停め、盛んに連絡をとっていた。
「……?」
 霧のなかから、巨大なコンクリートの塊が姿を見せていた。
「なんですか、これ」
 僕は呆然と立ち尽くしてしまった。(以下次号)

(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。



Posted by 下川裕治 at 16:49│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。