2014年07月14日
「もうバスはやめようか」
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこから南下しモールミャインまでやってきた。
※ ※
「ここから南へ向かうバスには、外国人は乗れない」。バス会社の女性の言葉に、チャイントンを思い出した。しかしそこから少し離れたバス会社では、なぜかバス切符を手に入ってしまった。これは行くしかない。
夜の10時を少しすぎた頃、1台のバスが姿を見せた。ヤンゴンからやってきたバスで、ダーウェイ行きだった。車内は半分ほど埋まっていた。途中のチェックポイントで追い返される可能性もあった。しかし、そのときはそのときだった。
モールミャインを出発して30分もたつと、舗装が終わった。そのとたん、とんでもない揺れがバスを襲いはじめた。バスは道の上を走っているのだろうか……そんな不安を抱くような道だった。若い運転手だった。運転はうまそうなのだが、道のひどさはどうしようもない。雨季につくられた轍が、そのまま固まっているのだろうか。振動と同時に車体も大きく傾く。
幸運なことに2座席を使うことができた。狭いが体を横にすることができる。しかし問題は背中の痛みだった。バス事故に遭った。そこで肋骨が折れていたのだが、それを知らない僕はただ痛みに耐えるしかない。悪路の振動が、ずきん、ずきんと背中に響く。
車内の冷房はきつかった。それもいけなかった。背中の痛みを増しているような気になった。とても眠れない。窓から外を見るのだが、家の灯りがひとつもない。漆黒の世界だった。前方だけが、バスのライトが道を照らしている。
午前2時に休憩になった。
「すごい揺れだよな。いったいどういう道なんだろう。これじゃ、眠れないよなぁ」
背中をさすりながら、阿部カメラマンに話しかける。近くで若い女性が吐いていた。この揺れにやられてしまったのだろう。
まんじりともしない夜が続いた。それでも明け方、ちょっと眠ったらしい。気がつくとダーウェイの街にバスは入っていた。
検問は1回もなかった。なぜ、外国人はバスに乗ることができない、といわれたのだろうか。治安の問題なら、しつこいぐらいにチェックポイントをつくってもいいはずだ。
わからなかった。
しかしなんとかダーウェイに着いた。
空気が変わった気がした。バスターミナルにいる男たちの表情が柔らかい。ひとりが英語を喋った。
「ここから南?」
「バスも船もある」
「船?」
船は揺れないかもしれなかった。いくら波に揺れても、背中に響くあの振動はないはずだった。ダーウェイから先の道は、もっとひどくなるかもしれない。
「もうバスはやめようか」
朝日を眺めながら呟いていた。
(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこから南下しモールミャインまでやってきた。
※ ※
「ここから南へ向かうバスには、外国人は乗れない」。バス会社の女性の言葉に、チャイントンを思い出した。しかしそこから少し離れたバス会社では、なぜかバス切符を手に入ってしまった。これは行くしかない。
夜の10時を少しすぎた頃、1台のバスが姿を見せた。ヤンゴンからやってきたバスで、ダーウェイ行きだった。車内は半分ほど埋まっていた。途中のチェックポイントで追い返される可能性もあった。しかし、そのときはそのときだった。
モールミャインを出発して30分もたつと、舗装が終わった。そのとたん、とんでもない揺れがバスを襲いはじめた。バスは道の上を走っているのだろうか……そんな不安を抱くような道だった。若い運転手だった。運転はうまそうなのだが、道のひどさはどうしようもない。雨季につくられた轍が、そのまま固まっているのだろうか。振動と同時に車体も大きく傾く。
幸運なことに2座席を使うことができた。狭いが体を横にすることができる。しかし問題は背中の痛みだった。バス事故に遭った。そこで肋骨が折れていたのだが、それを知らない僕はただ痛みに耐えるしかない。悪路の振動が、ずきん、ずきんと背中に響く。
車内の冷房はきつかった。それもいけなかった。背中の痛みを増しているような気になった。とても眠れない。窓から外を見るのだが、家の灯りがひとつもない。漆黒の世界だった。前方だけが、バスのライトが道を照らしている。
午前2時に休憩になった。
「すごい揺れだよな。いったいどういう道なんだろう。これじゃ、眠れないよなぁ」
背中をさすりながら、阿部カメラマンに話しかける。近くで若い女性が吐いていた。この揺れにやられてしまったのだろう。
まんじりともしない夜が続いた。それでも明け方、ちょっと眠ったらしい。気がつくとダーウェイの街にバスは入っていた。
検問は1回もなかった。なぜ、外国人はバスに乗ることができない、といわれたのだろうか。治安の問題なら、しつこいぐらいにチェックポイントをつくってもいいはずだ。
わからなかった。
しかしなんとかダーウェイに着いた。
空気が変わった気がした。バスターミナルにいる男たちの表情が柔らかい。ひとりが英語を喋った。
「ここから南?」
「バスも船もある」
「船?」
船は揺れないかもしれなかった。いくら波に揺れても、背中に響くあの振動はないはずだった。ダーウェイから先の道は、もっとひどくなるかもしれない。
「もうバスはやめようか」
朝日を眺めながら呟いていた。
(以下次号)
(写真やルートはこちら)
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「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
Posted by 下川裕治 at 12:28│Comments(0)
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