2014年07月21日
ダウェイに漂うタイのにおい
【通常のブログはしばらく休載。『裏国境を越えて東南アジア大周遊編』を連載します】
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこから南下しモールミャインを経てダウェイに着いた。
※ ※
バイクタクシーでダウェイ市街へ。ドライバーが連れていってくれたのは、船の切符を売る代理店のような店だった。ミャンマー最南端のコータウンまでの船は2日後に出ることがわかった。運賃は70ドル。しかし天候が悪ければ欠航になる、といわれた。
もう1軒の代理店に行ってみた。運賃は60ドルになったが、やはり天候を口にした。
「ダウェイの空に向かって祈るしかないか」
相変わらず背中は痛かった。寝返りを打つと痛みが走った。くしゃみも辛い。その瞬間に激痛が背中を走るのだ。くしゃみというものは、出る前にわかるから、よけいに辛い。くるぞ、くるぞ、と身を硬くして耐えるしかない。ベッドから身を起こすときも、できるだけ腕に力を込め、背中の筋肉を使わないようにしないと、痛みが背中を包んだ。
しかしダウェイはいい街だった。街に入ったときから、「ここはミャンマーじゃない」と感じていた。街のつくりや人々の身のこなしが、明らかに違う。
その印象を裏打ちしてくれたのが、市場の近くにある食堂のテーブルだった。ちょうど昼どきだった。その店にはメニューに英語も添えられていた。ヌードルスープを指で差すと、店員はこういったのだった。
「クイッティオ」
「……?」
タイ語と同じだったのだ。そして出てきたそばは、タイのクイッティオだった。
ひょっとして僕らをタイ人だと思っているのだろうか。タウェイから西に車で3時間ほど行くと、タイの国境である。そこからカンチャナブリはそう遠くない。最近はタイの資金で道路も整備され、ダウェイ郊外には工業団地もつくられているという。
別のテーブルで食べている人に訊くと、やはりクイッティオで通じた。味もミャンマーのモヒンガという麺とは違った。若干は違うが、タイのクイッティオに近い。
僕がこの街に入って感じとっていたのはタイのにおいのようだった。
中国正月の元旦だった。昼間はパレードがあり、夕方からは爆竹の音が街に響いた。
それはマラッカからペナンと続く中国文化の流れのようだった。
ミャンマー南部は、タイと中国の文化が混ざった一帯だった。ここがミャンマーというには、なにかしっくりこないのだ。
ダウェイに着いた翌日、船の切符を売る代理店に顔を出した。もちろん60ドルの店である。女性のスタッフが座っていた。
「明日の船は?」
「出ますよ」
あっさりと切符が手に入ってしまった。これでミャンマーの悪路を進むバスに乗らずに最南端まで行くことができる。背中をさすりながら、運賃を払った。
壁にはミャンマー人の運賃も表示されていた。ひとり4万チャット、約4300円。
「まあよしとするか」
そんな気分だった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
【前号まで】
裏国境を越えてアジアを大周遊。スタートはバンコク。カンボジア、ベトナムを北上。ラオスに入国し、ホンサーを経てタイ。そしてミャンマーのチャイントン。しかしその先へは行けず、いったんタイに戻り、再びミャンマーへ。ミャーワディからヤンゴン、そこから南下しモールミャインを経てダウェイに着いた。
※ ※
バイクタクシーでダウェイ市街へ。ドライバーが連れていってくれたのは、船の切符を売る代理店のような店だった。ミャンマー最南端のコータウンまでの船は2日後に出ることがわかった。運賃は70ドル。しかし天候が悪ければ欠航になる、といわれた。
もう1軒の代理店に行ってみた。運賃は60ドルになったが、やはり天候を口にした。
「ダウェイの空に向かって祈るしかないか」
相変わらず背中は痛かった。寝返りを打つと痛みが走った。くしゃみも辛い。その瞬間に激痛が背中を走るのだ。くしゃみというものは、出る前にわかるから、よけいに辛い。くるぞ、くるぞ、と身を硬くして耐えるしかない。ベッドから身を起こすときも、できるだけ腕に力を込め、背中の筋肉を使わないようにしないと、痛みが背中を包んだ。
しかしダウェイはいい街だった。街に入ったときから、「ここはミャンマーじゃない」と感じていた。街のつくりや人々の身のこなしが、明らかに違う。
その印象を裏打ちしてくれたのが、市場の近くにある食堂のテーブルだった。ちょうど昼どきだった。その店にはメニューに英語も添えられていた。ヌードルスープを指で差すと、店員はこういったのだった。
「クイッティオ」
「……?」
タイ語と同じだったのだ。そして出てきたそばは、タイのクイッティオだった。
ひょっとして僕らをタイ人だと思っているのだろうか。タウェイから西に車で3時間ほど行くと、タイの国境である。そこからカンチャナブリはそう遠くない。最近はタイの資金で道路も整備され、ダウェイ郊外には工業団地もつくられているという。
別のテーブルで食べている人に訊くと、やはりクイッティオで通じた。味もミャンマーのモヒンガという麺とは違った。若干は違うが、タイのクイッティオに近い。
僕がこの街に入って感じとっていたのはタイのにおいのようだった。
中国正月の元旦だった。昼間はパレードがあり、夕方からは爆竹の音が街に響いた。
それはマラッカからペナンと続く中国文化の流れのようだった。
ミャンマー南部は、タイと中国の文化が混ざった一帯だった。ここがミャンマーというには、なにかしっくりこないのだ。
ダウェイに着いた翌日、船の切符を売る代理店に顔を出した。もちろん60ドルの店である。女性のスタッフが座っていた。
「明日の船は?」
「出ますよ」
あっさりと切符が手に入ってしまった。これでミャンマーの悪路を進むバスに乗らずに最南端まで行くことができる。背中をさすりながら、運賃を払った。
壁にはミャンマー人の運賃も表示されていた。ひとり4万チャット、約4300円。
「まあよしとするか」
そんな気分だった。(以下次号)
(写真やルートはこちら)
この旅の写真やルート地図は、以下をクリック。
http://www.asahi.com/and_M/clickdeep_list.html。
「裏国境を越えて東南アジア大周遊」を。こちらは2週間に1度の更新です。
Posted by 下川裕治 at 12:40│Comments(1)
この記事へのコメント
初めまして。
現在タイで暮らしていますが、長くなると暮らしも心も鮮度が落ちて来ます。ブログを拝見してタイでミャンマーの風を感じてみたくなりました。
http://ameblo.jp/changpuek/
現在タイで暮らしていますが、長くなると暮らしも心も鮮度が落ちて来ます。ブログを拝見してタイでミャンマーの風を感じてみたくなりました。
http://ameblo.jp/changpuek/
Posted by ラチャプック at 2014年08月26日 11:28
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